揶白 (KF)

絵画

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    Works 46

揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 46
  • 反省は、反らせるという筋肉運動だった

    鉄の下駄、手作りの墓、どんなやわらかく見えても蟲ーの視界に比べたら、人は重厚感を持つ。わたしは怒った声を発声し易かった何かが強さとなる。ことばの錯誤を失くすより聞くが大切。

     

     

     

    霊感は霊感だとして、その種類には行き渡らない。光は実際の光線よりも強い親しみがあり、その段階での光をお客さんと言う。私は人を自分に憑かせて弾けるタイプじゃない。巫女とは90%違い、その前提枠がない場合は、楽しく生活をしようとする間際に散らかしてくる何かわからないものを片付けてあげる、傷付いた自分の目を保護するだけの日々。そもそもわたしのRAYは躍り手におらず作業家として例えば太鼓はより張りや空間や空白を持っていて、何とも虫のような集中力でちいさく隠れ、存在もやめた。その点恨みはない。憑けられるものを毎日帰してる。ものに興味もないので見ないでスルー。しかも私はひとりじゃないし何も面白味のない無意味なこの時間に焦りと気分の低下は進む。大事故ならともかく、存在として何か力のある物や像のかかりがそういう考えたこともない分別性となるがその必要な意識と、風が立つ前のこれまで日々の鍛えがわかる。いち早く知らなければいけなかった人と、一緒に存在する後世の今の運命は別だか、夢が有るなら二律が存在しているが、そんな賢い人なら生きてても仕方ないとその昔は思っただろう。

     

     

     

    あ~、どうかこの崔を助けて欲しい。

    優しくする、人が人の認知にはだれでも「私」が必要だが、「わたし」は角に生まれた崔が角を丸々切られたようにやる気をなくし、角の発達でそれが崔だとわかるのにわたしは隠れてしまいことばも出せずタスケティのことばしか間に合わなかった。警察は私を鍛える目で父親のように厳しく見ている。そういう世代がある話と上記は別で、心に面する冥界には気づかずでも、そこに時間は流れていても時間は物単位の物差しのような棒を持っておらず、感じ取った長さは一晩である分に収斂され、爽快な朝こそ現実だと、目の大きな事より驚くがこれら辛いことはたんなる「悪夢」及び「幻」となるが、理由がつら過ぎるからじゃなくて、不浄過ぎるものが弱いからだと解る。強い力が強い力を修め表現が許されている。目を閉じて観察する通りの構図を念頭に、任せるようになって行く。霊感モラルはある人は何も嘘をつくが単なる嘘じゃなくて性格に含まれているならようやく個性だ。このようにこれを理解しないやつが存在できないと認めていく方が、「死んだひと」とも違う冥界がどんな感じかわかる。方向がほどけて安心ということ。何が何だかわからず観世として居ても瞑想になり自分に都合の良い敵がそうぞうに過ぎず実在するわけないからだ。これは十方をぐるりと目で見てわかる。学びだらけの楽しみとむずむずする本当の景色が見えるだろう。自分は川という自然な姿勢、文や努力、身体というそのルール、その開花、喜びの道使いにたいして悪意の減りが早く、あれ?ってなる、平和の感触を考えてみた責任である。様々あっても「妙」という一文字は昔の言葉がふんわりした深さを感じる。物の目に起こるときは既に前提がある。そこから後を書けたら前を向く。これを自分の納得と言って昔はパスキーを振り回して人は遊んだ。しかし、理解後が落ちる。

     

     

     

    酔ったまま拳を挙げる、猫の姿勢は肩の力を抜く。このまま歩けば道となる。毎日初心だから奢りがない。道が君に降りたら冷たい川とも強い滝とも歩かねばならない。導師が風の形を帯びてきた。

     

     

     

    蟲ー退治を神が誉めている。

     

     

    霊感が未来利器なら、今することに、これだけは大切にしておくこととして点呼を肖って心する。

     

     

     

     

    私は弾きの良い竹であり、そこにご飯や着物を耳糞のように詰め込む。竹のお椀の炊き込みご飯となった、ねちゃねちゃするのは嫌いやから水でしっかり洗っといて、で終わった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 大阪にたそがれる

     

    山では、好きなことを先にせず結婚することが長く深い静けさがある。そこには付き合う人間関係が生まれて人と対することが生まれるから。それを知ると、好きで家族になった子は長続きをする。驚きが、これからもまだまだある。

     

     

     

     

     

    竹林の蔵の神は「スケロク」の鉢巻を美しく籠に巻き付け、気を使って下さった。

     

     

     

     

     

     

    花は、ただ農家をしていると思ってたことにある。

     

     

     

     

    一歩で花街の演劇に行かれることを、歩く機会が増えて聞くことが出来た。

     

     

     

     

     

    私はその間、闇を作ってしまった。

     

     

     

     

    怖い! と、それを思う時恐怖ではないが作法や出来が、こうやって膨らむと、室の考えその架空が勝手に歩き自衛をしているのだと、田園や川を見ながら話した、ワルイコトは、こう取るんだ。トマトがある、蔕を抜く。取る実のこの箇所はごみを取り除き払って取る。実がくり貫けただろう。箇所を眺めて直す部分を試す。ひとりで持てないこと、それを持ったらずっと持っていかなくちゃいけないことがわかる。肝心なのはこの後だ、頼れる周りを配置的に用意できる。トモダチにたいし「コイビト」のあんちゃんは「お困りですか?」を言いたい筈だ。わたしはその製作から返している。強い直感がある。「トモダチ」は対して澄んだ直感が通る前に木になるから短い緑色の線を数敷いて壁にし、心をぐっすり眠らせる。

     

     

     

     

    闇は、

     

     

     

    天からすれば知ってることで、懐かしく思うかも知れない

     

     

    怖い!って言って、通る人は、その中で自然や歳を学ぶかも知れない

     

     

    関西一円、自分を一円と軽やかに鏡のように見て、

     

     

     

    神木にかくまれた高木を最後に外して人の信頼を届けるのは、大人になる為だ。

     

     

    何を知っても怖くない。

     

     

     

    ただ、自分が知りたい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    神社は、

     

     

    「林と沼方です。」わたしの顔を神に挙げなきゃいけない夜、静かな夜に名前を言って自分の端を捕まえられてはいけない。歴史や人の様相が自己データになるとして何もなくて、蹴りいったり嫌う感情が全く知らない地球のものなら「球」と言うことが出来る。実在するから一筋がある。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    こよみが、時代に出(い)ずる。

     

     

     

     

    もんだいになってる曇り空は、

     

     

    お召し物が梅の秋は情緒不安定でも、青空の冬は、梅を思いやって一人で感じることを許し、雨と曇りは似ず何か一人でするには快適だ。

     

     

     

    闇は情報にならないから闇は闇だと言ういつもの言葉を月の様に飾れるのを、目を閉じても感じられる。

     

     

     

    約束を聞いた天照大御神は、他の神にも聞かせたかった。この願いと人が一致させることが出来ないから、一人一人の顔を見て爆笑して日になった。その時に、イザナミは死んだ。

     

     

     

     

    何も、変わらなかった自分から天子は

     

     

     

     

    未知から伝説を、ここが地球だと確認していたのを、作業の間に「目撃」した。えびす橋と言う高所の偉い高い橋。

     

     

     

     

     

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  • 安心

    高度な想像には人間、わたしはひとというプライドの人しかいませんよ。客観視をするどこかで自分自身、それをはじめましてエゴと言うでしょう、想像世界は仏界の一種。人しかいません

     

     


    あの人が「わたし」の心なら、

     

    あの店のお金は街を回りわたしを潤おすでしょう、

     

     

     


     

    変な日がある。変な日が有る、と思ったときに「しっかりしている自分」があるを解る。だから在る。だから、くるりんくりから、変な日が有る、この日は運気がないから知ってる占いから自粛して学習となる。変な日は、必ず人物や、だれかが起こしたろう。特定しただれか、となる。蟲ーを、逆にこう考えてみて、蟲ーは捕まってる。そして特別な日となる。

     

     

     

    何故かさっきの意識を忘れます。

     

     

     

     

     

     

    不思議の国のアリスの二編目に鏡の国のアリスがある。私は鏡の中のわたし、自己理解としては通常の人は、物自体よりは跳ね返るものの方をみる。

     

     

     

     

     

     


    考えるのが負担かもしれないぞ、それとも思い出せないのがそれと同じ程に負担かもしれないぞ、そう、思い出せないのが。

     

     

     

     

    知恵もんの宛名はまず大工が有ると大屋彦命、また鳶が鷹といい工が鷹とは決まっていません。だからわかりません。

     

     

     

     

    「現地の人」といってメタのひみつが、定番化出来るという意味を見つけた。これはつまり…、わからない。アングラ、ゲーム、最強、シルバー、そんな風に浮かぶ中で、想像上のメンコを言うことがわかる。シルバーと思ったときに、想像内にあるものを何でも名付けてメタルだと称えてしまうものを、シルバーから思うとメタルだから、思いを差し引くと、メタになった。形にならない、メタルではない。メタルはメタの枠からは飛び出て入らないが、メタの規格を知らせるからメタ。妄想の大きなものはさ迷い収斂される。これが思考メタ。カクシゴトの意味にニュアンスが違って同じように発音出来ないフランス語と異なる誤差がある。最低限「言葉」だから、言葉になる。

     

     

     

     

    面白さって、魔法。一定をさっぱりしていてメタを保存出来る。邪とか思えない。被って来るが、その間の考え事事態、内容も長さも存在しないからこう言えないのは落人。国とか境に持ち込む時点で間違ってるし。世界にふさわしい想像の形がなんかどこか自分の中にある。ベストの基本姿勢から、空とか風とか精霊やはたまた地獄天、梵天、がそこに絶対いるので想像してほしい。新聞から二三曲がりしたら想像せよと絶対そう書いてある。自分の性格を浮かせずにいるそっからの姿勢のときだけ、本物が見つかる。

     

     

     

     

     

     

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  • 神ことば2

    伝授について、先にゆかなかったわけがあるがお武士の世尊は話したい。よく神を伝える言葉を聞くとき、一言一つに工夫されているが、そこからは間に合わせようとする願いが聞こえる。

     

     

    神、大霊と「わたし」には上下がある。

     

     

     

    不思議な人間の個性、不思議な性格、霊感が、明かされなかった昔はもっとたおやかなリズムで出来ていて、その世尊は右と左を間違うが、飴の種類を選ぶことではないもっともっと感じる中に影から世間を守るのを見、その力。力なら、試したいのだ。豊国神社に行った。そこで「習う」はどんな若し前世がわたしにある場合、でも、必要とされるのは「自分の力」なのだ。自分の力こそが大霊と話し、佇むその光を見抜いてみせる。自分を自分に折り畳んで冥界に飛び込んで遊ぶ、その精神力は霊力だから、まず元気が必要なのだろう。服を着ずに裸でその圧力に挑むと、吹雪の中で凍えると同じく割れぺしゃんこになる。何と全ては実生活で磨き研ぐ。何も持たぬ、持たない、この意味かわかったか。

     

     

    殿によく似ている地獄、と漢字で印刷されたブラック色の達磨のぬいぐるみが目に入った。バーに置かれたソファーの上に厳めしくあった。黒い目と黒い髭を持ち。白鳥とは無関係とは思えない、白鳥とは無関係らしい。

     

     

     

     

    ただ、こう笑って穏やかな気持ちも現実なのだ。

     

     

     

     

     

     

    笑うことを大事とし、孤立した様子の国とみると悪くない、国ではなく面とみる時に悪いきがする。笑うことを知ってるから、皆に引き出したと思えるし、何が足りないのか、と、必要なもの、とを考える哲学とは世界中の普遍だろう。謝るとき、逢うとき、性格の関係ない心のうえは光指す霊界なのだ。

     

     

     

    そして書物から読むところ、一般意思とか形の上下のその上に、こういう単語がいつもあり、こういった光はこういうときはこういう動きをすると明確にわかっている。パステルのような四角い物を、何かに合わせる時、ここをこうしたい、かかるのが、強くなりたい自分、及び自分を誰か知りたい自分なのか、また希望の何かに合わせる時なのか。重大、それは、しゃべりことばを自分に温存すること。

     

     

     

     

     

    南無妙法蓮華経を声に出す最初の「な」に元気がないらしい。個人のときは例えばパイナップルのような「わたし」を詠んでも良い。

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 悪い心

     

     

    心に緑がふさふさ育ってる。

     

     

    悪い心は学校のつらさや孤独が、今の強さになっていることを思い出し、感謝を見直している。道徳ならある。

     

     

     

     

     

     

    心に私が見ることは、

     

     

    一日、時間をくれという。

     

     

    何かを失ってはみだしているのはわかる。

     

     

    どうしても自分は駄目だと悩んで落ちこんでいる人もいる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    話しかけてくる人に、そこで私は、

     

     

    「私は社会性はない民族やねん、あなたの家は国境があって外に向いてる。うちは外に行かない。社会感はない、社会性はある。

     

     

     

     

     

    過去こうしてしまった私を一日中聞いて下さい、すいません

     

     

     

    あなたは、神や仏とそれなのに言う

     

     

     

     

     

    わからない

     

     

     

    わからないのに教えなくちゃいけない

     

     

    わからないのに教えてやる

     

     

    わからないけど教える

     

     

    こう話すくらいには成長した。戦後から。

     

     

     

     

     

    島だから、良いことがあれば傷ついたことは流れて消える。

     

    村だから、外に出てみると村都会だから、田は、土と野菜を育む。食べて忘れる。

     

     

    あなたに「大変」なことは残ってる。

     

     

     


     

     

    分けるのに必要なことは、田では金か情けだ。

     

     

    じゃがいもやコーンも、無料のような明るい自家生産で同じものを食べ続ける。

     

     

    農薬は、初めから抵抗力を考えられることの老子を見る。

     

     

    初めて美味しそうに見える。

     

    判るのは、それをその姿で見ることがどこでも出来てない。

     

     

     

     

     

     

     

    問題を早送りせず、未来の世代に問題と光を

    伝える。自分を変えてはいけない。

     

     

     

     

    ゆっくりゆっくり苦しい生命を生きたい意志は、

     

     

     

    ラッキー、そう思える。

     

     

     

     

    業、秘密、理解、全てある。

     

     

     


    そんな人が多かったら。意志はもうわからない人も何とか助かる。

     

     

     

     

    新しい街文化の風を受けて、ニュアンスや物のディテールが判り、会話もままらなかった(??)対象の人や物に初めて触れた。

     

     

     

     

    寂しいのに、手離す。

     

     

    自分に何もなくなったときに、緑や木に目が行って、虫もわかって出て来るからそばにいる。

     

     

     

     

     

     

     

    「今」の自分しか先はみえない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    蟲ーなんて、初めて公民にされる時だ。何故なら、蟲ーがずっといないのは本当だから、

     

     

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  • 神ことば(ぼしゅう)

     

    好きなのに。好き、スキ、すき、隙、はたまた四拍手。どの言葉も聞きましょう、と唱えて歌い、猫になり、「わたし」が説くならわたしも説きましょう。教えたいという仏がいるによって神は「スキナノニ」このカタチを取る。仏がいるによって、きみとも話したいワタシが生じます。世間、それも一理ある。これぞ帰り道。いっく覚えてあなたの神と話してみませんか?

     

     

     

     

    わたし

     

    大屋彦と作るこのことば、どこかにある神ことばの選手権。

     

    世間を従じるのなら、世間に立つわたしはそれは「わたし」がまず立つステージなのだ。

     

     

    6ぼしゅう

     

     

     

     

    あめのうずめ、おおやびこ、さるたひこ、おおくにぬし、ぬし、神はまだいるぞ

     

     

     

    うんぬん、楽しいために苦しいがいる、苦しいそれがなんだかわかったか?

     

     

     

    例、考えるのが負担かもしれないぞ、自分としては思い出せないのがそれ程負担かもしれないぞ、そう、思い出せないのが。

     

     

     

     

     

    シャチもドルフィンと一緒に呼ぶ。警察のドルフィンスイム、ドルフィンサイレン、黒、このうつくしい色はこの好き、愛しさをその動物の客観性にまかせる。みをまかせる。海に。彼の補食は「わたし」と違うのだ。

     

    人間がそうしてはうけないように。稲荷とは神なのだ。

     

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  • 許されている

    私は音楽も映画も大切に観るが、霊となると霊として、

     

     

    「現地の人」というメタ態度で命を許されている。

     

     

    私にたいして、大霊からはその名の通り愛想を話される。文化性、その寄り添い、教え、が詰まっている。私を誉めているこの言葉は、

     

    一見を「メッセージ」と伝えると、読み解きやすいのだ。

     

    何もしてないのに押さ付けられる、愛想と言うそれは、馴染み深い文学ではないか。見えないことが見えないと見て見えないものが見える努力をした。その潔い使いっぱしりでぃという。

     

    ~数人潔い者有り、

     

     

     

    私がその潔いパシッ、パシッ、使いっぱしりだ。

     

     

     

     

    「お前は誰なんだ?」この演目より

     

     

     

     

     

     

    排水口の近くにプラスチックのパイプがある。程よい強度と断熱、古来の占いを真剣に見て学んでいる。人の清潔感よりも清潔そのものが必要だった。元々、人が難しいから和を感じることが、大きく、そう直感を受ける間は大きい故に引く、省くものが決まっていて、崩れないが前に立っていく人に影りがあるのはこの為か。知恵門という。組員そしきなど五とか、悟されると言う。名が名詞にかからないその自己の事態、このときの状態が「等」と付くんだよ。と、話していた。

     

    人間が何か感じ抱くそんな複雑さと変わって

     

    蟲ーは、簡単。

     

    もの、と捉えたらそれを考える時の矛盾、自己矛盾のストレスがなくなる。ものだ、という見方が正しいから。

     

    前世で何かする、何かすることが偶然か必然が、は何とも分からなくても、憎まれる悲しませることには、ずっと酷い気持ちで待つ。蟲ーは、細胞も言葉も誰も何もせず抜けている。そして排水口に自分で向かっている。地球にも調じりのバランスがある。悪いこととしても自分の暴力する受け手があるから、許している神もいる。善悪という言葉に触れていることが聖(ひじり)を感じる。

     

     

     

     

     

    法は、そんなことを昔から通している。厚みの意味がわかるのだ。南無妙法蓮華経の本が捨てれないというその声を解いていた。釈迦が蟲ーだったので意味不になっていた、だから題が蟲ー、ってこと。惑星に住んでいて見えない世界に疎い。

     

     

    見えないものを見えないというから見えないものを見た

     

    見えないものを見えないといから見えないものを見た

     

    睫毛の真近はノイズ

     

    睫毛の真近はノイズ

     

    南無

     

     

     

     

     

     

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  • 鴨が鳴くそのルール

    手も足も心も凍るような思い。わたしの心では悲しみだけが青く光っていた

     

    掃除をしていたら、木屑になった自分の気の姿をみた

     

     

    日で治るので心配はなかったがただ悲しかった

     

     

    その日が経って、いつも通っていた駅を降車して一日バイトに行った。京橋は大阪ビジネスパークのふもとにあって、大阪城から京橋と名が来るなら身に合ってて、足りない物を付けたなら面白い。

     

    沢山の光があったがわたしの心に映ったその1つの光の源光を、その辺の道で頭の中から取り出すことができた。もっといいたいことがあるが出て来ない。が、これはその光の編集した総てだろう。本があるとすると辺となる思想が違う。光に向かうために、それぞれが繋がり纏めて見る、とは、一ページ一ページが何の関連もなくこれを連続性といってわからないが理解する詩性。よって自然な物の繋がりや防音、数と体を分けて分離している。ゲンジツを密封して壁が少ない文章で置くこれは、無印ケースに分けて入れる小さな螺や木片の事。昔の文章はこんなふうな段取りが、その文章になる前の一瞬の捉えられる想像が存在していたのを古本屋で見た。これらこの夢を達成させるのはアルバイト。

     

     

     

    誰も何もつらいことを抱えさせないことがよくわかった。この意識が火星にいるようなカッカした細い心持ちは、感謝というそのものだけど、一人でどこかに行っても時間に帰らなければ、金銭は十円も手に入らない。時間は過ぎている、縮めたり仮に加えたりして直すことは出来る。感じていた元の形が、自分のものかどうかが、成長という記録が生まれ育ちよりも壇上なら十分だ。

     

     

    ことばが迂闊に、何かに引っ掛かったまま冷えて、重苦しい何かのこの目の川に浮く過ちのものから、その死体から、私は十円が私の家に見えてきた。

     

    派遣の登録に外に行くが、仕事はない、と言われた。星を願う五分一杯の気持ちで、二分三分を取るいつもの階段だった。これを私はすてきな石段だと思っている。重力に力を込めて降りる。霊感とは全て自分で知っていく高いものだが、トンネルにライトを当てる様に、まず聞いてくれたので言った持病の統合失調の寛解は、まず、神木というのがあって、髙い木もあるし、低い木もある、自分がわかって、自分に出来ることはありますかを親に聞ける。それを、まず受け入れる。解決を狙った素晴らしい身ごとのダンジョンは、今巷に溢れている。

     

     

     

     

     

     

     

     

    「わたし」という一円、わたしという十円の留め金で、恐らく膨大な書物から、頼もしく学んでいる。

     

     

    わたしとして対照化出来た考えが留め金の発想や作りが自身にあるから仏は話してくれない。

     

     

     

     

     

     

    色んな恋愛があるのだろう、と

     

     

    「「もう離さない!」はムリだった、つづく」

     

    町人が買う架空の本、

     

     

    一旦自分にたいしてクッションを敷いてあげる、これをメタといって、空や間取りの大きさをその大きさに切り取る声なのだ。こんなに自意識と闘ってる。

     

     

     

     

     

    私は、街歩きしやすいTシャツの販売など色々を待ち遠しくしている。

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  • 価値

    人はみなりじゃない、この言葉を見出だし

     

    楽しいと思うもの自体に間違いがないことと問題、二つを両方並べて、やって来たことの正しさがわかる。

     

     

     

     

    仏に目が許される。見比べることの、

     

     

    自分の行為の全貌である。

     

     

     

    この間には、「わたしの悩み」が抽出したようにそう言える一人の心、治まった、納まった、修まった言葉、こういった静寂なものに辿り着いた。

    文になった。

     

    抽象化、という一つの方法論そのものなのだ。これが誰でも出来るという事は、やや精通していない。

     

     

     

     

    この調子で、

     

    儲ける、儲かる、が代わる。

     

     

    言葉の掛かりの主語に定義が在る。先に生まれた神から、それを知りに行く生魂(いくたま)の道がある。

     

     

    東京と大阪を見ても、精神自体をとするか、精神上のものをとするか、

     

    また対象とする言葉が、画にあるのか数にあれのかをいってもそこに蝶がいることには変わりがない

     

     

    文性の違いから儲け方が違う

     

    ちょっと貧しい時、

     

    金額を、気ままに為りに合わせる

     

    縁起に角をつけたまま、

     

     

    夜には、

     

    「バッドbad」という人の良い、誇りがあるとどちらかと意味する美しい英語を主観にしてこれを思う。性欲を求める行動が、売春に値の高さがある人と、体を売る、この言い方がバッドな人や、どう言い方自身がバッドな人や、悪しさがバッドな人これらは、ワルイヒトとは異なり有る。この時分かった時、薔薇のようにb

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    の字だけを残す価値観がある。

     

    「価値」がそもそも仏道にしか発生しないのは、言葉だからだ。だから、「両」のしたに容量があり、そのねだんの上に値段と書くことが、出来るのだ。 

     

     

     

    ワルイヒトは、対面にして下だから下だ、みさげて怒らなくてもいいんだよ、と、説かれる両の壇上は、何と資本論。

     

     

    これを理解している態度を、「了見」があるとかないとかを冒頭にして始めにコミュニケーションしていたのが、江戸時代。会話の成立は、体的や歌やお経で長く流し向かう平城~室町よりも初めてに差し掛かっていた。街の出現から月光のような自意識にたいしての闘いが今にひたすら続いている。自分が対決する相手がアニメの美少女、といったら、大和がわかるだろうか。

     

    価値からは、愛については冷静さを習う。今日の総体的にこういう元の考えを人間性に携わって考える、性が立つ、そして出来た。

     

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  • ほんまはそうや

    もともと、霊界は癒しの空間だ。

     

    きらきら光り、力なりに優しく自由に出来るとこだ。

     

    悪化性が流行ったが、悪化表現、悪意は力からは剥がれ落ちる。

     

     

    力がないんだ。

     

     

     

     

    たった右左を間違わなければ、

     

    癒しの空間、とカッコのある言葉をさらに啓蒙していた筈のやつは

    、そこで笑ってた筈だ

     

     

    制する力には、力がないといけない。

     

    人を黙らせる、人が鎮静する、人が安らぐ、これは、どういった意味だったけか、

     

    自分を砕いても言うことをして来た。

     

     

     

     

    そのあと、よく大きく感じるが、例えば自分を吸いとったり自分を取り込むような奴にそんな大きさは存在出来ないのが理屈だ。

     

    心は、霊界だ。すぐに自己を見つめて、自己領域に迫る程の

    鈍さを冷静に告げる。

     

     

     

     

     

    これが、「ホンマハ・ソーヤ」の冒険である。

     

    私もその修行と取り組みを続けなければいけない。

     

     

     

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