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2023/11/29
かからかららゆ
かこかれゆ
な
記事を書くとき、あれを書くこれを書くと固めて決めているのは、詩力である。
時間、空間、人がいる、車があるを捉え、前がわかる、
この繰り返しで、身に付く言葉とは
唯一変わる可能性のある自分である。
手間暇なら、かけて良い。何が許されているのかわからないなら何もしない。それが手間隙をかける事そのものとして、何もしない=何かをする、となる。意味はわからないが良いと思うことだけをする、それはわからなかった時だってある。この了見を養うと言う言葉である。何かわからないけど、何かわからないと言う潔さ、気が良い。だから人間続けていられる。という学問がわかった。
抗うこととは、現に自分の体を動かせる。馬力や触発力のない地面から見つめて行く私の体。心を開きやすくする。自分が自分に対する潔さは勇気であるから重力を包む。体を動かすと自他の境がつく。
座だというのは風になれた日がある、先祖の言葉だ。歩、自分は歩、自分が歩なのだから、自分から見ないと座は捉えられない。それが自分の足なのだから。
街文化。街に住む人は田舎に住む人より退化の取り返しがつかないと考えることがあった。考えてみると、膨大な量の趣旨選択を毎日し、メディアを受け入れる生活でも、苦しい客観的態度に日々立ち向かっている。
靴文化。靴文化ではなく国境のある緊張感を知らない私は、そこで読める本にたいして明快な興味を感じ、島という新しい友達を抱えようとしている。この時変われない自分として、次元的な世界の理解に、「わたし」の解決、「わたし」という問題に「わたしの纏め」が空を飛び交っている。
長時間のあいだ土着の差異を暗闇で考えていたが、上記や手の記憶その為に偏れない朝にその声はどこでも同一していたのを必ずと思っていたせいか光らせた。
アニメといった「動き」を離さない優しさはまた瞼になり心を破らない。大人になったら見なくなったけど大人になってあなどれない、と知るヲチも良かった。
ゴムブレーキ。長時間のあいだ動かず作っている。
本当に足した方が良く、それを心の台車に積んでいる。それは高所狭所にあって届かない。
たまたま趣きのあった私が積んで、明日を待っている。
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2022/01/14
街とは、有機物らしい。
街の端にはルールが有って、
ルール以前に街が有り、街には既に方法がある。
古代がむしろ「街」を取り込んだり、
木が、古代以前に有り、街という有機物と溶けていて、
つまり、ルール以前に木が有る、ということ。
木、だから「気」が有る、このこと。
かったるいルールを透明に通過する為に、「変わり続ける赤か青か黄の信号」「通学路」「一定しているスピード」「罰」「お化けけがいます」「社会的な葛になってしまうよ」「微妙な分別箱」といった記号がある。
「おれはそんなん無視して「生きたい」。」そう思う人は多いかもしれないが、
街だからといって気張らず、このときばかりは素直に心死して、青を渡って赤なら次の道の方へ急ぐ、
あなたがゆう「記号」の、彼が進むままに沿ってあげる方が、
見えてくるのは、親孝行や、モラルであったり、そう云った道徳や、価値観など、それは大和にも通じるから強く、後が良い。
天は、こういうこと。
街メモ
ジャパレゲエクラブ…大江戸
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