揶白 (KF)

絵画

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    よはく、

     

     

    というのを漢字で、

     

    Name、名にして、誰でも書いていいと(何を)、

     

    李白が云うた

     

     

    わしはもうしっかり持っています、

     

     

    勇気(とてもいるのかな)を鳴らしてぼうけん。

     

     

     

    募集としては、私は二十代から五年わらわれつづけた

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  • roco

    どれも、「わたし」たちのお祝いである。

     

    おめでとう、新しい扉を開けたのさ(河村隆一のbirthdayといううた)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    走る

     

    走れば走るほど

     

    君が遠くにかんじるし

     

    すぐに追いぬかれる。

     

    一緒に走っていて

     

    本当にいいのかなと思う。

     

     

    ふりかえるといつも嬉しそうだ。

     

    だけど、前を向くと

     

    きっと真剣な顔をしてる。

     

     

    前に早い人がいたら追いかけて

     

    追い抜こうとする気持ちや

     

    走り終わったあとに全力疾走し

     

    持久力を上げようとすること

     

    ほかにもたくさん

     

    一度も考えたことがないことを

     

    君は、こともなさげに教えてくれる。

     

     

     

    わたしは君に教えてあげれることが

     

    あるのだろうか。

     

    これから先ずっと死ぬまで

     

    君が考えたこともない世界を

     

    みせてあげれるだろうか。

     

    いつもそのことを考えてる。

     

     

    君の後ろ姿をみて

     

    心の底から渇望する。

     

    わたしは本当に生まれ変わりたい。

     

     

     

     

     

     

    文字


     

    まるで目の前で美味しそうに食べているかのような

     

    文章を読むのが好きだ。



    写真の本は

    関西で51年から68年まで発行されていた

    食べ物の随筆、小冊子「あまカラ」

    まだ見ぬこれからの未来へと期待がふくらむ文章が新鮮だ。

     



    同時期、41年から71年に発行されていた

    児童ざっし「きりん」も同じように関西発。

    大阪弁のこどものことば、挿絵も装丁が

    とてもリズミカルだ。薄くて見やすく読みやすい。



    ブログを書く、打つのは本当に難しい。

    日記とも違う感覚に未だ慣れない。

    人のことばを借りれば

    どんなに文が引き締まるだろう。

    だれかの名言や写真を添えれば

    たちまち、見やすさが倍増するだろう。

    知性も垣間見えたような気になる。

    だけど、それじゃ嘘ものじゃないか

    という気持ちになる。



    書くなら、自分のことばと

    自分で撮った写真で

    伝えるべきなんだろう。

    なんの犠牲もない行為に

    魅力は感じられない。



    ことばを借りることは

    自分の可能性に終止符をうつことになる。

    かきだす行為はすごくおそろしい。

    だけど、じぶんのことばを探さなければ

    一生じぶんのことばなんて見つからないだろう。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自転車

    大阪は、物持ちが良すぎるせいで

    チャリのブレーキ音に苛つく。

    油をささない無神経なケチ。


    近所を歩けば、外人でごった返し

    英語で道を聞かれる。

    スマホの力は、こんなにも絶大で無力。

    電波が有料ということだけで

    海外では全く役にたたない。


    アップルストアをアメリカ人に聞かれ

    なんで心斎橋にアップルストアが一個だけしかないのか

    なんで大阪にきてまでアップルなのか不思議。


    たかが薬局やコンビニに、必ず2カ国語話せるスタッフがいる。

    なんてスキル。

    もうそれだけで第3の国にいけば、もっと稼げる。


    日本橋に近づくと、ここは日本なのかと思うような

    光景と異臭が広がる。

    道で寝ている人も、たくさんいる。

    安いスーパーで、彼らは買い物をしている。

    定員は、彼らに思いのほか優しい対応だった。

    1日に何度も、缶や段ボールを探している姿を見る。

    日本には、真面目なホームレスが多い。


     

    こっちにきて自転車がなく

     

    ずっと走って走って走って

     

    どこにいくにも汗だくだった。



    しんどくなって自転車を購入した。

    快適さを噛み締める間もなく

    彼は自転車には乗らずに、

    自転車を両手で抱えながら走りだした。

    2、3駅分の距離を自転車を抱えて走る。

    前よりも、ずっと汗をかいてる。


    今日も雨が降っていた。

    信号待ちをしているとき

    目の前でピンクのバイクに乗った女性が

    マンホールの上でブレーキを踏み

    派手に転んでいた。


    信号の向かい側にいた観光客が、驚いたのちに笑った。

    後ろにいたウザイ親父が大変だ!大変だ!とのたうちまわる。

    中学生のウブな男子は、転がってきたペットボトルを

    ドキドキしながら転んだ女性に手渡す。

    転んだ本人は、ドキドキしながら、うすら笑いを浮かべた。

    彼は、神妙な顔をしながら女性の腕の傷を見ていた。

    その時、彼は「女の人の白い服に腕の血が付くともっとカワイイのに。」

    と思っていたらしい。

    わたしは、もしバイクがこっちにきたら避けられるか考えていた。

    みんな不気味だったけど、彼が一番不気味だ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 令和的な歓迎

    何度かやってみたが、闇雲にあがいていても聞いてくれないらしい。

     

     

    猫は、発案が通らなくても容易くしゅんとし、それ以上の心を持たない。静かに歩いて自分のことをしている。

     

    あたたかくしてくっついて寝ている、だが、人間には自意識がある。これまで対これまで、としても、

     

    「どんな夢がありますか?」と訪ねる。夢と現実を分別していく為だ。ふつうに恋以外のコミュニケーションが存在していたのだから、

     

    大切にする軸が、「コミュニケーション欲」だ。

     

    「この夢はいりますか?」

     

    「この夢はどっちに入りますか?」

     

    「この夢は?…」

     

     

     

    自分は器用だから言われなくてもこれをする。「仕事とは?」こうだ。

     

     

    丁寧に問診、問診していくために、コミュニケーション欲以外を切り捨てていく。たとえ相手に興味を抱いても。

     

     

     

     

     

     

    えっ、私?あ!!  はいはい、 …この人意思を考えているのかな、この「自分」がだれなのかを、しかとする勇みの良い人、、

     

    「・「私」は、気が良くても良くなくても体当たりをしたいですね。

     

     

    セックスはしませんが、場合によって気にかかるかもしれません、こういうふうに話してみると、

     

     

    是非が有る、存在するんだ、とわかるだけでも、

     

     

     

    互いが互いだから、それだけで「和」なら十分良いんです。

     

     

     

     

    世界のどこかに「私」が!!

     

     

     

     

    確かに聞いているだけでも、進む。酔いもしたいでしょうな。ではそのうち、二人ではなく皆と会いましょうね。「皆」って、現実を考えて何でしょうね。

     

     

     

    「自分」たちはわかりません。」

     

     

     

     

    違い過ぎる人生と人生が、どんな作用をするか? が、ケミストリーとなった。ぼーっとしてても鉢当たると、我にかえり、また街ののなかを、心の中を潜る。

     

     

     

     

    ここにこれがありましたよね、という会話をしだすと、

     

     

    強い行き違いがある。

     

     

     

    その時は誤解は誤解のままに心髄をそのまま待ってたほうが、早く行ける。(相手の動きが見えるから、話しかけやすくなる)

     

     

     

    自分の知ってることだけをいったり、

     

     

     

    いきなり何か云うから

     

     

     

    その為に、会話ワードを、単語ワードだけで良いからいくつも持って用意してたら、無駄でも余裕をもつ、びくびくしないで落ち着ける。

     

     

     

    距離を埋めにかかる努力をしても○

     

     

     

    相手の目を見ながら、つまり相手の顔を見ているか、が何より大切。

     

     

     

    その「相手」が見えないが、心が感じているのだろう。

     

     

     

     

    私は、深みにはまるのが良いのか、たんたんとすすむのが良いのか、そこまでは

     

     

     

    他人事であるからわからない。

     

     

     

     

     

     

    これくらいしてあげる、出来る、という高いポテンシャルが存在したことは、

     

     

     

    自己責任としてちゃんと覚えている。考えが生まれるのだろう。私も遅れても行く。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    方法として一つ、

     

     

     

    絵は感動したところから描く、

     

    つまり、「自分がどうしたいから、何を聞きたいか?」を知って

     

     

    かといって、何といっても

     

     

     

    強い誤解の生じも、あとあとになってみれば着実性があったりする。

     

     

     

    そういうのをこつこつ知るのも、楽しみだね。

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  • 明日のはなし2

    話を元に戻し、そのうち主な調査のなかでいつも不思議に思っていたのだが、神話寓話民間伝承なんでもかんでも伝えられてきた物語の文化のなかに、このような「光」自体が明確な偶像になった事実には未だ通じていないことである。透明な光とはスペクトルではあるがもっともらしいイメージは何色だろうか。論理的にはわかっていても、

    電球クン、あるいは漏電クンみたいなイラストは電力関係のキャラクター、あるいは街中の呼びかけポスターに実在する。がしかしどれもぜんぜんかわいくない。つまり「電気」あるいは「生活電気」など高い認識へ掲示しているのだろう。これがなんだか怒りっぽい感じの表情にみえてならないのだ。

    雷のマークやデザインというのが、近づくと危険、または警告の標識にとりはやされ、一方「光」であふれていくさいは奇跡、光臨、天国、悦超、神、昇竜、巨大な存在感、幻覚体験などは、効果の程度は非常に大きな影響を与えるものの、奇跡シーンを照らし出す強烈なムード後光であり、形にならない。



    おおまかにいえばつまり、光とは単なるエネルギーである。受け取る側にすれば、まさに情報のカオスである大量のビット数を、光学機器スキャナやカメラなどを入力として、構図、ピント、そのた創造的意図によって収めたり、スポット光で的を当てたりと、大量のランダム光の「情報を知性化」をするのみが現状である。

     

     

    大澤湯

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  • 町会費

    町会費

    2009/05/31

     

    日記・ブログ

    を滞納している。立て替えてくれた長老の住まいは花屋敷ではないが、
    数々の草花を造園して今時のころになると満開のサボテンが数えて5鉢。
    過ぎたる頃にはすぼんで首を折り散る花弁、枯るるは支払いともどもに。

     

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