揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 46
  • 幸せの思考

    食べる量や体格だろうか?


    受け取る幅が違う。


    幸せでないといけない、と思う我ら、我々。

    幸せとは、「幅が有る、在る」のこと。

     

     


    幸せ(happy)! じゃないけど、不幸じゃない。


    海が、湿気が囲っているアトランティス、ほの暗さ。落ち着き。


    大陸は、大地と荒野。

     

    「言葉」が違う。

     

     

     

     

    追憶の森

    eiga.com

    追憶の森 : 作品情報 - 映画.com

     

     

     

     

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  • 大学文学の内容

    大学文学では、

     

     

     

    黙々とするパートでは、

     

     

    普段あたらないところを、心地よくあててくれる教授や知識人も居るだろう。

     

     

    まばらに点在するので探してみよう。誰か纏めてくれへんかな。

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  • 大学文学

    大学文学せつりつ

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  • 何て言おう

    「私」に、

     

    ムーから付いた傷がある。

     

    これを、言葉にしてみよう。

     

     

     

     

     

     

    しかし、こう書くと、「傷付いた」は、

     

    想うイメージもつらく、

     

    対象が無なのだったら、「られた」「された」という相手ある語は、相応しない。

     

     

     

     

    自から始めたので、私といって「歩いて、転げた。」と言ってみても、

     

    本当に自から始めただろうか?、神ではないか、

     

     

     

     

     

    自で締まった、にしろ、

     

     

     

     

     

     

     

    だから「転げた」と言うのは間違い。

     

     

     

     

     

    結局、このように言う。

     

     

     

    「前世、魂から付けられた傷が有る。

     

    今は、それもムーに変わり、私は、形を変え

     

     

    無として私に違(たが)う。」

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  • 徳を養いなさいと言われる

    私は自分の客観を間違い続けて、


    大幅に自信がダウンしていた。


    考える時間のあるほうだから、考える。

     

    僧侶(オトコ)が寂しくなった結果が哀しいと思う。

     

    亡くなっても墓がもしかしたらわからなくなって、毎日手をひいてつれていく。


    想像し得ないことが、恐怖ではなく徳にあるんだと思う。

     

    私が僧侶になれないのは、

     

    自分から遠いのだ。

     

     

    僧侶になる近道は結婚について考える。

     


    自分としての嫌さに耐える男の女の、そういった習慣が、

     


    私をキラーにする筈だ。

     

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  • 感情が花

    寂しい、という感情も私にとっては花のように、

     

     

    抱きしめられることよりも数倍大事です。

     

     

    喜んでいるのは、あなたの家族か?

     


    私はゆっくり、何事も感じたい。

     

     

     

     

     

    「孤独」でも、なぜ暖かいのか?

     

     

    そんな質問ですね。

     


    これは、人の関わりというよりは技術なんです。

     

     

     

    たとえば、木は好きですか?

     

     

    あの寂しい色をした、そのままの、それでいながら良く見ると立派に葉まで沢山持って居る。しかも緑だ。

     

     

    それが葉の色が、自分には理解できないようなあの緑のカタチ(色、色彩)と、感じる。

     

    すごい、と思いませんか?

     

     

    無意識では「見て」いても、「イメージ」のほうが日常である。

     

     


    あと、感情っていうのが、自分から出るもので、

     


    生まれた「私」の感情が、いずれにしろ、どの感情も、悪いわけが

     

     

    ないのですよ。

     

     

    だから、恐れず感じてみて、「無」になれば、

     


    火がともりますね。

     

     

    感じないから、ムカつくんです。

     

     

    それが憎しみになって、

     

     


    憎しみって、もはや感情ではないことが、

     

     


    分かるのです。

     

     

     

     

     

     

     

    感情という水に浮かぶことが出来る。

     

     

     

     

     

    龍は、一説「水」の神様なのだから、龍好きなら

     

     

     

     

    その性格の暴れ方など、孤独から立っていて、

     

     

     

     

     

    孤独とは、寂しい、切ない、そう言われるが本当は、

     

     

     

     

     

    何か夢中であることです。

     

     

     

     

     

    するとあなたがたも、今孤独なのかもしれない、

     

     

     

    じゃなくて、孤独だったらいいな。と、そう思っています。

     

     

     

     

     

     

     


     

     

     

     

    こんなんでは。

     

     

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  • 心のヒーローは誰

     

     

    言葉を聞かされた自分の悪くなさ、

     

     

    こういうふうな誂いにされている、思いやりにたいしてちゃんとキャッチし、ぎゅっと受け取ること。

     

     

     

     

     

     

    話す順序の、意地悪なような、可笑しいような、奥ゆかしさに、

     

     

    何となくわかる、という態度が、我が下、自分がしたですという言葉になる。

     

    自分は耐えれないけど、だれがが何かしてると思うなら任せる。

     

     

     

    誰も、人が死んだりすることを切に願わないから、

     

     

     

    一度はそういうことを激しく想像するが、結局、妄想であるから目が覚める。

     

     

     

    だれかに向けて「哀しい」とずっと言ってる。

     

     

     

    それが苦しんで「シネ」と表現される。言葉としてこれを見て減っていくのは良いが、

     

     

     

    心が存在しないなら、心の中なんて存在することなんて無い。

     

     

     

    「存在者」、なにか豊かな自分にたいする輝き、

     

     

     

    そういうのが欲しい、を言っても誰も助けてないのは、同じくして。

     

     

    思えば思うほど、人を馬鹿にすることが無くなっていく。

     

     

    そんな自分を新しく迎え入れる為に、だから辛いことをこそ暗記するのだ。

     

     

     

    パーならパーで良いけど、セットされるストレスに耐えたくないと思うだけ。

     

     

     

    耐えれない、んじゃなくて、耐えたくない。この違いが大きいとか感じるだけ。

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  • 宗教と道

    僧だからといって、仏に興味をもつのではないだろう。

     

     

     

    激しい修行を動画などでみるが、

     

     

     

    どうしても男になりたい、人のすることだ。

     

     

     

    ひょっとしたら、龍や精霊のほうが、当人を浄化するのかも知れない。

     

     

     

    宗教と聞くと、何か猛烈な欲が芽生える。

     

     

     

    強くなりたいのだろうか?

     

     

     

    だったら弱いということか。

     

     

    弱さは、

     

     

     

     

    哀しいことを哀しいと云えないことだ。

     

     

     

    脱シューキョーも出来て、信仰も出来る。

     

     

     

    それが、道ではないかな。

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  • 教育に向けて頑張る

     

     

    嫌なことから率先してやっていく、そういうふうになれる準備をする。

     

     

     

     

     

    あかんこと、ちゃうことは人に言って、自分を試す。

     

     

     

     

     

    傷を付くこと。 それが大人になって必ず役に立つ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    これらを、そのまま(施設に居る)子供に言い聞かすテレフォン。

     

     

     

    大人の言葉が、そのままの言葉が、かえって人(こども)に強く訴えるのだ。

     

     

     

     

    役に立つ「からな。」 、 覚えるまでその二つをして「下さい。」、

     

     

     

     

     

    クッションの言葉にたいして、丁寧に気持ちを込めて伝える。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分が子供だったとき、子供は誰でもそうだが、母に我慢してほしくなかった。

     

     

    気遣いが要らなかった。

     

     

     

     

     

     

    こう考え、八歳の本人に言わないが、恋も私はする。

     

     

     

     

    父が有った方が良い等、

     

    めちゃくちゃ悩んだ。

     

     

     

     

     

     

    結果、ただただ「好きな人」がいる。その現状を自分自身が認め、

     

     

     

    夢を諦めず、身を雨にさらし、風にさらし、自己の母をなぞる。

     

     

     

    母に出逢う。

     

     

     

     

    合掌のまいにちを辿る。

     

     

     

     

     

     

     

     

    世の中の親を応援してくれる歌がある。

     

     

    椎名林檎さんの「カーネーション」である。

     

     

    「小さく丸めたからだは今、哀しみ隠し震え

     

     

    命を表している」

     

     

     

    から始まる。  

     

    私は祖母ごと思い出して、涙をこぼす。

     

     

     

     

     

     

    親も親で、自分の本当に「好きな」ことなら、

     

     

     

    結果、ながくは彼ら(こども)にたいして情的ではないかと色々考える。

     

     

     

     

     

    親に栄養を与えると、全部子供に流れる、

     

     

    つまりは、親の元気にすべてがかかっている。私は髪をふりみだしても笑い、「気」を整える。

     

     

     

     

     

    煙草、

     

     

     

    目には色んな美が飛び込んでくる。そこには毒のあるものも含まれる。

     

     

    そんな日常茶飯事で、毒は毒で蒸発、制すことが挙がる。

     

     

    量が正しければ、表されていない数値として存分に有り、身体の耐性を増やせ、

     

     

     

    依ってかえって寿命を伸ばす可能性がある。煙もまた感謝さえすれば「気」にたいして清めの力になる。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 日本から見る日本のショック

    キリスト教などは聖書があり、「世界」がどのようなものか年齢が高くなるほど深い理解を施す。

     

    そのように経典がある人と、我々のようにない人とでは世界理解に差が必ずあって、

     

     

    今まで目に見えなかったが、欧米や西洋の方には「優しくされてた」ような気もする。

     

     

    経文などだいたい読めない。

     

     

    向こうの誰と話しても我々より一歩深い、と云うのが街で話した実感だ。

     

    その、知識にたいしては日本の方が長ける所があるかも知れないが、

     

    顔を変えずに聞きたいことや興味を、「三分で何が出来るか?」のように

     

    絞ることが、我々日本の豊かさに向けたポイントとなる。

     

    何らかの外の情報や答えを作るからだ。

     

    ベタであるがその扉を開くかが、肝心なことは通説で、そこは同等であるのが「紳士的(向こうに合わせた)」な我々の気づかいであろう。

     

     

     

    ちなみに近隣としては、よくたまに見かける暴れん坊や奇天烈に思う中国の人とは、

     

    こんな人はいないか、助けてやる、というラブコールがほとんどであった。

     

     

     

    自己や宗教なんて戦後から全くわからないぜ。

     

    この日に、このトラブルの原因が「幽霊」なのだという

     

    元来の神を養う国としての風情を取り戻さんとして来ています。

     

    その証拠に「物語」が隋一をはかっている。

     

    それでよし、じゃないこともわかってる。

     

    「他人と話を展開させる。」だから、我々は自分、日本の者としてのルーツに関心を向けだした。

     

     

     

    私の意見として、我々のすべてを囲う日本海が端から端までぼんやりとし、

     

    よく笑え、と云われるが、

     

    まず心としてかなしみについて良く思うべきなんだと、

     

    世間におこってることの、なにが気持ちの暗さか?

     

    自分で抱えきれないわけは、

     

    実際歩いてあるいは想像して、正しい海を自然と向き合うことで変わるんだ。

     

    心が人間として最も高度のものだから。

     

    それしか幸福の道はないのです。

     

     

    なにか切羽詰まって重いものを感じさせる、暗さにたいして品が有るような、

     

    清まり。冷静さ。神として(神と、思う) 不幸の気高さ。

     

     

    ほどよい闇が忘れられて来て、本当の闇を洗えなくなってしまってることも多い。

     

    雑念は、暗さが溶かせるものなのにだ。

     

     

    「ハッピー」も、わかる事の部分を人間として、KYにならず増やしていく。

     

    笑いとは、微笑みとは、自然体のことなのだ。

     

    えがお が、決してめに見えてなくても、無心になってるときはその人の心が笑っている。

     

     

     

     

    「幽霊」なのだという、

     

    たいして客観性を持ち、文化的に、臨む。

     

     

     

     

     

     

     

     

    漢字やかなの字とともに暮らす我々は、こんな複雑なことを普通にする。

     

    もっと上達したい。 さらに、深くそう思って居る。

     

     

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