揶白 (KF)

絵画

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  • 呪いに打ち勝つ

    呪いの、その怖くなさは、そういったより込み入るような趣向を自分から離すはずがないのが土地霊や白仏であり、迂闊な過ちとはその才能も感性も低いことを指し、もし呪われていたら、そう感じとることや感じとれたことを武器に直に、お札ならお札、悪い魔術ならなんかそれをイメージして自身の温かい手を当てる視線とはそういった術の全てを知る神。「私はこうしたい」を話すと悪いことをしている人ではなく、神と目が合う。魔術は魔術の、お札にはお札の、それを尽くした大霊はどこにでもいる。彼に温かい自分の希望を話すと、その間傷められた総ては変える。上には上がいるのである。

     

     

     

     

    普通、神や大霊の方に興味を持つが、魔術も白魔術の方が好きであったやん。

    誰かわからない。親しまないから誰かわからない。話したこともないのだもの。

     

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  • 成人している人間がそれが嫌と言っていることを深く考えられへん

    受け取ったことばから押し込められるのではなく、自分で砕く。目についた単語を自分で砕くと、錬金して違う石になる。目につくハンマー、辞書や書籍。重いやつ、軽いやつ。

     

     

     

    知らないのに深く考えられへん、

     

     

    悪いことはやめて

     

     

    一銭かなると思ったやろ、それはそいつの回る所がもうデッドで。そいつが回ってる直下には気の良い方を力強く隠している。生死を伴う大々的宇宙の実感をしている中で、平々な顔でそいつを使おうなんてしたら、古くもない過去からずっとそうしてきたそいつの地球歴や宇宙間的本当のカス如く姿、これを見ると、

     

    過去に渦巻く殺された人間、良い人とはあなたから離れる。先もあるのに。努力は長い。なんの生きているや住まいその前提を見失い、人間を故意に慣らせる様な悪質な事が、過去あったとして、二回目として言ったら除外やねん。それは、裏でも表でも言い負かして通じる事のないから、現れる。強い者が現れ、現れた者の上により強い神がいて周りを睨む。触らない、とは現に納得している自分、現物として納得している自分までで、急いで目を下にやったり、瞼を閉じなければならない。「誰かわからない。」親しんでいないから誰かわからない。

     

     

    じゃあ、そこからこういう風に考えよう、そう思って前を向いて忘れるが、

     

     

    辛いと思っでそうしたのは誰?

     

    そういうあんたは存在することに自信があらなあかん。あんたという人がそいつと一緒に辛んだらフコウやねん。自信は

    ムネを張ることじゃない。

     

     

    「わたし」は、過去からずっとその世界の勉強やねん。想像する自分に近づく。そうしていると世界の輪郭を感じとる。そして見渡せる。

     

     

     

     

    正義とか善を考えると、ステップを踏んだから、

     

     

    単純にその勉強になるのが、

     

     

    一直線に視える。

     

     

     

     

    何も置いていけない自分が、その心が固まってないのに何も話せない。小さい子たちが成長するのは「わたし」に増して悩むことをするようになる、こどもたちが成長するのではなくあなたになる、わたしになる。私の時点で成長など考えなかったひとは「こどもたち」は早い。だから、自分のリズムを信用したい。もっと良い絵や光景を思い浮かべている。見えてるか見えてないか覚束ない自分の周りで全ての話を終了する気か。

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  • 透明な声は、大きく書く字よりも「はぁ」くらいの字。大きさが純粋な大きさと言い頼りになる

    2023/11/29

    哲学

    かからかららゆ

     

     

     

    かこかれゆ

     

     

    記事を書くとき、あれを書くこれを書くと固めて決めているのは、詩力である。

     

     

     

    時間、空間、人がいる、車があるを捉え、前がわかる、

     

     

    この繰り返しで、身に付く言葉とは

     

     

     

    唯一変わる可能性のある自分である。

     

     

     

     

     

    手間暇なら、かけて良い。何が許されているのかわからないなら何もしない。それが手間隙をかける事そのものとして、何もしない=何かをする、となる。意味はわからないが良いと思うことだけをする、それはわからなかった時だってある。この了見を養うと言う言葉である。何かわからないけど、何かわからないと言う潔さ、気が良い。だから人間続けていられる。という学問がわかった。

     

    抗うこととは、現に自分の体を動かせる。馬力や触発力のない地面から見つめて行く私の体。心を開きやすくする。自分が自分に対する潔さは勇気であるから重力を包む。体を動かすと自他の境がつく。

     

     

     

     

    座だというのは風になれた日がある、先祖の言葉だ。歩、自分は歩、自分が歩なのだから、自分から見ないと座は捉えられない。それが自分の足なのだから。

     

     

     

     

    街文化。街に住む人は田舎に住む人より退化の取り返しがつかないと考えることがあった。考えてみると、膨大な量の趣旨選択を毎日し、メディアを受け入れる生活でも、苦しい客観的態度に日々立ち向かっている。

     

     

     

     

    靴文化。靴文化ではなく国境のある緊張感を知らない私は、そこで読める本にたいして明快な興味を感じ、島という新しい友達を抱えようとしている。この時変われない自分として、次元的な世界の理解に、「わたし」の解決、「わたし」という問題に「わたしの纏め」が空を飛び交っている。

    長時間のあいだ土着の差異を暗闇で考えていたが、上記や手の記憶その為に偏れない朝にその声はどこでも同一していたのを必ずと思っていたせいか光らせた。

     

     

     

    アニメといった「動き」を離さない優しさはまた瞼になり心を破らない。大人になったら見なくなったけど大人になってあなどれない、と知るヲチも良かった。

     

     

     

    ゴムブレーキ。長時間のあいだ動かず作っている。

    本当に足した方が良く、それを心の台車に積んでいる。それは高所狭所にあって届かない。

    たまたま趣きのあった私が積んで、明日を待っている。

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  • 妙法を抱える

    靱猿という能の演目がある。靱は良い壺のこと、靱と猿の話、つまり良い事と要は駄目なヒトの二つである。これを何とか見分ける特訓は猛烈。そのうちに、何と神仏の感覚を学びとる。経典の最後には、無上道を得よ、速くは即すぐに成就仏心、一日にならないことばかりだが、頑張って行こう。

     

     

    成就仏心、とここで祈らせていただく。

     

     

     

     

     

    一、課題

     

     

     

    師だ。師を呼び出したのは、

     

     

    「誰か?」

     

     

     

     

    妙法蓮華経 如来寿量本

     

     

    随所応度   蟲蟲自説

     

    今日いまはこういった読み方をする、

     

    「ところどころ応じて嘘を発する。」

     

     

    この幽霊トコロチマタノを使って学習する。

     

     

     

    良いと思ってやり込んでも、白比べになり気細く、バランスの良さが失われている。

    人は可能性のあることに対してやってみようとする。みんな、ベストをしようとしてる。しようと思う、それは許されている。

    人間にたいして何で惑ったり恐がったりするのか、嫌だなと考える。そういう世界だ。

     

     

    負けるな!

     

     

     

     

     

     

     

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  • 妙法

     

    如是我聞

     

     

     

    私は聞いた!!

     

    如是とは、にょぜ、これ、このこと、ぜ、だぜ。にょは枕語、間。なんじ。つまり、客観性や衣の大切を表現する。

     

     

    これが、妙法序品第一(経典、妙法蓮華経)

     

     

     

     

    いくら、私がそこに活躍している仏弟子です、のような言葉を今ここに前置きを何を書いても、その疑問はずっと続くだろう。私がそこに活躍している仏弟子のような者です。夢と愛を受け継ぎ、渡し、自分自身を自分で研ぎます。「わかってる自分」が自我という語と伝え気の抜けすぎたひかりものから光の方、もとある場所あたりに風を渡します。言葉としては、「疑問にたいして曲がれる角について形とした鉄を前に置く人が、前向きをほどこします。」金伽羅童子は、鉄作りに関係があるのかも。。

     

     

     

     

    回りの速い人は土が良い。検索するのも易いだろう。勉強量もいつも通り。何故なら陸こそは歩き続けてそれを養える。声聞縁覚界と言う霊界では陸の人が時々足がない、と言っていた。でも、「足があるわけない」と言って襲いかかってきたときは、激しく怒った。一方海は、潮気があるが、気を大事にしないと感謝の表現が潮に負けてしまう。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    写真の様に、思い浮かぶ漫画や空想をその霊の間に思う事も出来る。

     

     

     

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  • (ム) 蟲ー

    2023/11/29

    蟲ー

    どうしてもそこにいない

     

    映る優しさは、それの受けた月やあなたの物

     

     

     

     

    ≪あれら≫は、紙ぺらのような姿。

     

    大切は、一、慎重に二つを持ち、分ける。

     

    ≪あれら≫は苦の原因、一番強い敵、はじめての敵。

     

     

    鬼滅の刃作者が(ム)蟲ーだ。

     

     

     

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  • これからの注意掲示板※

     

    自分の事のまして人の事のその先は見えるわけないと覚えて置く

     

    通路は控える

     

    自我に自意識を収める(手のひらと手のひら両手を合わせてしあわせ)

     

    縁を考える

     

    今関係のないものを見ない

     

     

     

     

    ・まいご

    犬と自分の切なさを沿わす

     

     

     

    ・ひつような手がかり

    私に悪さをしたの誰?仏であっても話してみるわ、という自分の意気込み、いつでも即実践

     

     

     

     

     

    霊は傷を癒す。

     

    霊で誰かに会っても気を使ってはいけない。

     

    何かを自分に言う霊に出会ったら、それを見ているのも神仏だから、忍耐強く相談。

     

    霊は「ふぅ」と息をつく潔さのこと。

     

    無ぢから。

     

    体に戻ったら体。

     

     

     

     

     

     

     

     

    霊は、自身追及し、たにんの物を「ものとして理解しない」。取らず、気を流して、特に潔く、諦め、オーラを保つこと。これにより綺麗になる。

     

    霊活動をして、二十歳未満に間違われる事二件。

     

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  • 間を思い出す

    「誰が」を考えないのは、霊を尊ぶからだ。

     

    ただ心のそこに自分が幽霊ではない霊で、形に制限があること、このこういった形、形がないを重んじ霊の意志を達成すること。そこに思い、意思の上達がある。課題だ。その中で、幽霊になっても自分は諦められないんだ~という霊があれば、神仏にその方の道案内を願うのだ。道徳を得た昨今も、ぎりぎりまで微笑みをしている。啓蒙という。

     

    新規なことばを、誰が治めてくれても良い。誰が治めてもよい、これをモラルと言うんじゃないかな。控えて霊的に有るを力づく。心が心。つよさでもない大霊の頼り。誰もよそに目を向いていない。

     

    コツは、苦いとこでピーマンや直で野菜を噛み、これはグラウディングと言うが気持ちを留める事だ。二度とはない自分を広げてあげる。知らないことが、存在していく様子は無限大の世界を、、少し感じるだけで、あとは安心して自身は内面と会話出来る。(ム)蟲ーが有る(おる)こと、未知を知ること、二つが有る(ある)からだ。一、天地、二、光と輝き、三、過去がなくては今は成立しない、次に未来、この「別の二つ」という想像、即ちセンタリング。主体と客観的もそうである。いらないことを自分から振り落とす! 自になる特訓に消えてもまだ見ぬ明日は必ず有る!

     

    伝統密教は力のこもった仮止めの印象がある。

     

    何か霊を話すにそそうのない言葉は開発されないか、と思った時に思い出す。

     

    考える流れは暗いほうや罪を指すが、案内のように山を指していた。山から想起するのは、感触的というか、実質のある経験。

     

     

    心に映る漫画には、背景がなくひたすら登場人物だけがあって、そういったコマがずっと続いていた。必要なものが感触的な山という、感触的に捉えられるという道なりに、背景がどんどん描き加えられ、淋しさや空いた穴を埋められる。そんなイメージ。

     

     

    こう、それを示すのが「漫画」だということに私は感動している。

     

     

     

     

     

    好きなことをするのは難しい。好きなことを聞くのも難しい。好きも嫌いも、それ以前に駄目なことがある。嫌いと駄目は違う。駄目を、とても優しく告げるこんなに綺麗な日から、

     

     

    「言葉」と、「感情」を抱え、これからも歩いて行く。

     

     

    この様に完結していて、漫画で解決出来る我が世界の一つ。自分が、世界を知らないから目を失えない!

     

     

    神仏に相談し続ければ、間違いは直る。

     

     

     

    世界に悪いことか起こってると思う人も、実はあんまりしっくりきていない。悪夢を視る、といった心からの霊視という「言葉」では解決するだろうか。

     

     

    「解決して行く!!」主語はわからないが、そんな声援をあげたい。

     

    遅れたとかろから始める。ここで皆は腕が本当に鳴っているんだよ。

     

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  • 蟲の見分け

    2023/11/22

    蟲ー

    能動的な幽体離脱と、ひたすら他動的な霊体浮遊は違う。そのパックされた「もの」の中には、本人の意向で見えないところに隠れてある。隠れてあるのは本人の心である。つまり、一応、その幽霊は存在していて、もう霊として存在出来ない。霊になれないのを自分でしてきている。怖い、素敵だ、と惹かれるなにか姿は地球上に実在する。そいつの値段は1000~2000円台だそうだ。恨まれて死ぬようなやつが、本当にいないからだ。

     

    一段目、透明感の能動は心にある。私が着目点は自分の不明な疑問を、いったん自分で硬い煎餅の様にばりばりに噛んで行くこと。一口で気はもう変わる筈だ。

     

    ここいらで一休み。

     

    急に心がこのように現れても、うろたえないで、これが今というリズムに心して。散々に探したかつての「リアル」を実感している。両眼なのである。

     

     

    実際に取り掛からず、歪んでいたらその人の成仏が遅れる。浮いている死体とは、クルヒトと言う。

     

    ー金五円也

    下げることも第一、下が下、引が引。

     

    分かってきたが、霊はそれ自体を霊格といい、肉眼で認識出来ない。霊はモラルそのものといって、そんな情緒は開かないもの。

     

     

     

     

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  • 自信の前後が全然わからない

    これは、成長度だ!

     

     

     

     

    石を題に縦積みのタワー式と、分別形。どうしてこのような違いかたをするのか、最もな考えを不思議に沿わせる為に。そう思うのは、実際に目で古墳を見て感じ取った私の心、人と心が一致するからだ。

    私の分別能力に、バーバパパの分別力が間に合うか、こう先で光が見えるが今はよしにして一度閉じ、ひょんな光、楽しい未来に渡し続ける。

    「自分」は情熱を燃やし、肉から油をきった時に、新しい光がまた溢れ落ちるのだろう。

     

    並べてみて、二つ並べてみたところで世界の秘密はわからない。わからないと知った。

     

     

     

    外的内的の、主観「村人(ムラキャ)」を自分で打ち抽出した。その輪郭となるのは華。客観的なを継ぐ客体の事だ。村に華からしても、決して現れることもないと思っっていた主。知らなかった主観の言葉は、まだ。

     

     

     

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