揶白 (KF)

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  • コメント欄新作成と過去記事

    ムーが持っているノ~ト…

    2023/06/30

     

    ニューワールド

    ということは全然夢じゃない。

     

    夢でも何でもなくて

     

     

    人の夢はいい加減。

     

     

    目標と夢は似てるけどちがう

     

     

    目標はずっと追い続けるけど

     

     

    夢と目標は違う

     

     

     

    夢は現実にしたあかん

     

    夢の職業につきました

     

    そういう人は、上を目指しています、ってなるやん

     

    大体、夢を職業にするけど

     

    趣味を夢にする人なんかおらんわけやんか

     

     

     

    現実にあったことがない

     

    いつかそうなりたい、でいいやん

     

     

    現実にあったあかん

     

     

    それは夢やから

     

     

     

    夢を見たとき高望みがあって、守りに入る

     

    夢はおっきいところにおいとかなあかん

     

     

    追い続けるんが夢やから

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    コメント欄をやっと作成しました。トピックも好きに作成しお気軽に使用して下さい。

     

     

     

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    https://zawazawa.jp/eiblf3cjbjrxlihq/

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  • 魔人ブー

     

    要マップ…重なる矢羽の物化決定。雑誌が欲しい。

     

    日刊飛躍「九月 粘りの鬼by尊不動」

     

     

     

     

    前に出たら前に出なければいけない。

     

    霊のかたちはそのまま現実だろうか?肉体に当てはまるのか?

     

     

    答えは、発生してる精神界、想像界、こうした有るから有るのだ、といった他意のない仏世界の仕切りの中、受け取った何かを、神仏と持ちざるをえない。重すぎるなど言ってられない。

     

     

     

     

     

     

    じゃ、どうしたら良いのか?までは許容されるが、すっぱく一人の魂の目的自体が「こんな自分を知って欲しい」じゃ拒否される。「伝えたい気持ち」から反れているからだ。

    この二つは似ているが非ず。

     

     

     

     かたちの話しをいくら発信しても、ろ過され肉体には戻らない。

     

     

    霊に形が有るとしたら、肉体が霊界に深い知識があるかどうかという限界を水平線は貫く。霊自体健全、とか健康であったから愛されたのだ。潔さも、人の縁を養い続ける。

     

     

     

     

     

    自分の前がどこかで変わる。頂点に向かえるとは向かった自分がいて、その間に、私を養った背景にたいしてまた下っていく時の、その堪え方に尽きる。ここまでが、力。山はくだりのほうが、エネルギーを使う。

     

    太陽をギリギリに躱してこそ、曲がれたカーブ、そこで得たスピードを持ち帰る。その技術の習得に神を目指すという心がある、というだけで、それをコツコツしている、現実の状況、霊視を授けるわけだ。

     

     

     

     

     

    時間という十方、そこに車がある、人がいる、をわかる八方、これを捉えるを備えて、はじめて霊になる。

     

     

    物が、もともと霊だからだ。力がなければ付着として振り落とされ、宿されない。幽霊ならば当然、埃や鴉にも宿れない。はじめて霊感と聞いた感覚は、何か気高い物を感じていないか。それが分かり認識したときに霊視している、となる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    前に出たら前に出なければいけない。自分に合わない感性で、こうなった。

     

     

     

     

     

     

    これは、魔人ブーの進化した姿だが子供の頃見たとき、恐怖していた。進化しないから平和だった、とかそれがアニメだから面白い、とか、その感覚でいったら、気持ち悪い進化は進化であらず恥ずかしく、平面的に錯誤するより留まりを自分は選んだということだ。飛び出る、奥行きを得るのは、上記の他に方法はない。欲が強ければ錯覚して中に入ってしまう。

     

     

    私は乱れた髪を整える。進化前のブーだ。

     

     

     

     

    只、錯覚を楽しむ、という無欲な技術もあるそうだ。

     

    「人を傷つけるより、自分が傷ついた方がましだ。」とアニメなら恥ずかしくてもそう思って逸れなければいけない。人の許し、自己成長、四方の重力と一体になり、回避する「解脱」という方法た。

     

     

    アニメか現実かがはっきりした、はっきりしたところに色彩が浮かびあがる。二つの物事の互いの引き立つ姿勢で私はいたい。

     

     

     

     

     ひとりで持てないお礼があれば1074306 難波支店 Mizuhoこちらへ。メッセージの可否もご自由にどうぞ。

     

     

     

     

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  • 花びら

     

     

     

     

     

    天は知識、感触は地力

     

     

    知識だけでは体が凍る

     

    地力では回復力がある

     

    学べないもの、も有る

     

     

     

     

    心に感情が起こった時、

     

    心に感情を起こした時、

     

     

    視力だけを使う者は、悶え苦しんでいた

     

    心のないものは、死人だった

     

     

     

     

     

     

     

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  • 価値

    価値、教えのその時にはよく聞いたこの言葉がある。

     

     

     

     

    yeah yeah/aidonia

    この歌のタイトルは「いやや、いやや!」と言うこんな歌は、常に存在する。

     

    ジャマイカの曲をレゲエと言って、古来の言葉で抜陀薔薇と言う。その目が睨む空の実は、渡せるその時にしか出荷しない。それは、薔薇を持つわれら対象の価値よりも、われら音の受け手自身の身軽さや易くに懸かり、虹のようにいつの間にか表現される。価値は、話し手の方にある。受け手に古えからの光が突き刺さる。

     

     

     

     

    その時その時に出荷される様子はいつから?などは自分自身の興味の一つでしかないことを「イン ア ハート」と言い、クラブに行ったときにこれをすっぱく伝えられた。DJの兄ちゃんが「悪い音楽は、聞いてはい、け、な、い!」と教育する。

     

     

    人はリュックを背負い、出学しにクラブに向かう。現れているものそのものよりは店は本当に静かな箱々なのだ。これにアンダーグラウンドと言う思いが懸かっていてそれは南国の豊かな鳥のように判断を欠くし続けている。

    道端を渡り切る私は自分で見つける事の徳の、この可能性に注目して音楽を忘れていない。忘れることもないままで、未曾有の世界も知を育て、ただただ不増不減の成長に尽かせる。この具合、縦ノリに特化した私の身振りは、「横に揺れたあかんで!横ノリは悪い!ちゃらちゃらしたあかん!それはオカマや!追い出せ!SEY YOUUU!!!」と、DJの伝達を自分なりに学び守っているから、書く時にしゅっと書く。

     

     

     

    道が細く巻き付いた箱の風合いというのが、先なので、無闇に破ったら世間的な評判を落とす。しかし、裏を返せば、誰でも彼でも静かにそっとしてくれる優しい場所だ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分の言ってるのはこんなこのこにであった。

     

    目をやさしく思う、コンタクトの保護膜に。

     

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  • 大阪のモラル

     

     

     

     

     

     

     

     


     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    個人的に考えるのが自立の証しで、

     

    大阪は古風が強く、そのモラルがある。塩梅の良い

    モラル性がある。それを目指してるだけだとしてもその風紀が存在している。

     

     

    要は自他が違う。

     

     

    こうポストモダン的で、積極的な性格を明らかにするなら冷めたこれでない「冷えて居る」事だ。それら、必ず脱モダンから経て遂げらるた長い痕跡が街には多く見られる。

     

     

    当然、個人が何か考える時には学んで欲しいと思ってる。

     

     

    こういったガムみいなもの、こんな風な物、感じを噛んでみたい。

     

    これら心斎橋から御堂筋一面に税金を行使し果たされた、そういう展示場は粋(いきだな)よりは粋(すいだ)、に思うは客観性の歴史を大通りに倒しかける。まるで、着物絹のマントをひるがえしたようだ。それが、大丸百貨店の前にあるから見せる昔からの気遣いの細い線が割れるように光ってる。大丸が店の大御所だと、私は相合橋か小通りの小さな板で見知る。街の理知から、現状と自分自身を把握する。

     

     

    本のページを、舐めてめくることをしよう。後ろに何かを伝えるのだ。

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  • 水を掛けて目を覚まさせる事

     

    「何か色々間違ってる人が前後にいるんだ。」

     

     

    義務教育を受けていてそれはおかしい!

     

    やったあかんことは出来ない運命。悲劇性もそこで取らえる。

     

     

     

     

    それが分からん自分が見(視)えると信じるな!

     

    はなしてて心の頭で一瞬感じたことを捉える。疑いとネガティブのガム、噛まない。ガム噛みながら大変なことを挑まない。

     

     

     

    川かガムか簡単に見分ける。

     

     

     

    「衛星のはやぶさって何ではやぶさって言うんだろう?」

     

    言葉のしりが偶然こうぶつかる様が、意地悪のように思えて、お笑いだよ、と教えてあげる。珍しい考えでも色んな考えでもそういう人が学校でいるのを知ってなおかしい!

     

     

     

    キーワード、一つ足りないくらいで。(by B'z)    義務教育。

     

     

    目が優しいのであれば、感じとっても痛くない。痛いか痛くないで判る。勘違いにひたすらついていく限りを見ると変なひと。

    実際のいたみだけが、痛くないを感じとるものでもない。このへん歯がかゆいが、しんでも痛くないを指して意味する場合が多い。遠いのに伝わらない。心も耳もない。

     

     

     

     

     

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  • 出雲大社

    出雲大社の動画を見て、自分が込み入れない話があるのだ、と、心配を話しても大国主大神は問題自体を、受け入れてくれる。

     

     

    愛想の器、受け入れられるとは自分の闘魂に入るかどうかだ。

     

    私は、自分の闘魂にしっかり入るかどうかだ。こういう言葉を言います。

     

    器が違うのだから、妬きもちを焼かず、一番つまらない自分や、努力した自分、これら目の当たりにくい自分。それは、たった知らない自分の中、この奥に、未知があるんだ。世界中、一つだけ何かを知りたい、そう思った後に、目が、出会った。川で、空でも日でも、出会った。

     

     

     

    霊自体が形じゃないから、光だから、入っていける。もう一つ、光だから通過する、この浸透性の高い良い言い方もあるが、私の感動が人々に伝わるのは、前者の言い方だ。

     

    動きが最小限になるのは、その分周りの見渡しが利き、空いた時間に伝達のブレを抑える。身自身で踏み鳴らした嫌味が、砂利になって丸くなるには、まだ残心にも神経を尖らせ自身の心の動きから離れないのだ。続いた地の道が、わたしの足を歩きやすくする、ということだ、エッヘン。「後ろを、見ろ!」と、船使いは言っていたぞ。

     

     

     

    大社のある島根県は、その霊の方は私たちに何も言われない、言われることが全てじゃない事のように、

     

     

    わっと言わせて、落ち着かせる。

     

     

     

    そんなことを、食べたうどん屋や、コンビニや、毎日行き来をする心の通りから思い出すことが出来ているので、私はもっと心のままに生きることが、神とのタイマンだと言う事を、アマテラス、私は思う。この思う、と言う言葉を使っているのです。

     

     

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  • 精神的な癒し

     

    片方の手が自我、もう片方は自意識。これを合わせて、二つの大きさを観察する。

     

    目の前に有るものを数える。これも、行となる。心の中に起こること、自分の感情をそう捉え感動する方法。

     

    死世界観光で知識を使った、というよりは知識を得た私の霊がどこかをただ有ったという、現実が有る。

     

    私という固有の者の霊に、勝手に入って来ていると霊に断られる、という現実。現実は、良い意味で距離感がある。正しい間をそのままにする。その上で、何かそれでも残る物があるのでればちゃんと悩めば良いのだと思う。

    自己、と言う何かはっきりした肉体や、その肉体の道行きがないと、霊、とは言えないのだと思う。はみ出たりしているのは背後霊。背後霊は靴という足の方で下を見ている。読み解けるのは、靴を失っている状態か、カネに落ちたかだ。落とし物なら靴が何なのかたるやを、詩感で解く。

     

    良い感じ、悪い感じ、自分で心の状態を感じとり掴むそれだけのことは難しい。霊的なはそれ自体次元なので厳しい。スピリチュアルヒーラーも険しいと言っていたのを覚えている。感じることに理性を合わせて行くだけなので、これを「気練り」という。形を調整する時に考えるメタ。霊界に現れる光、メタ自体、間の構造主義だ。メタルという語感の副次言語。人を思う一手間。これも気練りという。積極的な世界の工夫。理性の種類に漫画という接着のツールは咀嚼と実践値の二段階の勇気で応接を解決する。誰でもわかる簡易な接続ツールが、欲しいのにないなら辛いと思う。

     

    過去にも普段会わない霊と逢瀬する時期があり、霊界も、抱き合うような春の喜び、ぱっと栄える秋の喜び、から衣替えは、書物や暖かさの良い冬となったのと聞く。確かに、世間体はあったが、人間関係の大事に思うのは初めてかもしれない。

     

     

     

     

    変なものが自分にへばりついた感覚では疲れてしまう。よこしまな気持ちを感じとるからだ。

     

    邪神、ヤマタノオロチ。こういった良い、美しい神様を想像して、そこは当然スキップして飛ばすこと。蛇の道は蛇に聞くというわけだ。

     

    この時は前を向き、変なものをヤマタノオロチて包む。

     

     

     

     

     

    ある「辺」がもし、あなたに見えるならそれはスタートの事だと思う。辺は、難読漢字。

     

     

     

     

     

     

    さて、心のトラウマに立ち向かう。治す、テーマ。と、思うと楽しみになってくる。

     

     

    楽しみだ、その良い気を意識し想像する傷辺りに手を当てる、トラウマが癒えてくるのを感じてる。

     

     

     

    寝る、この良さは寝るだけで力が溜まるし、寝るだけで良いからラクだ。夢を見るのも好きである。私は眠剤を貰いに精神科に行く。若い時に統失であったが、一生懸命の時を経て、一応寛解を得た身からすると、病気に遇うと精神科なら働いている医者の方が精神が強いので何かといっても良いが医者のペースに合わせるとまた治りの姿勢なのだ。タイミングであり偶然の働きだが待ってて、と言われ待つ時にはじりじりする。この間に精神を強くする、こういうアプローチがある。精神が弱いから精神を強くする、見えなかったが療法は通っているのだ。

     

     

    精神科に行って体を押さえられる、と言うショックな感じの景色も、結局は心に良い、主体本人の主観のその中だけなら色々感じる心が和むのを感じる筈だ。心と心を通わせるとは少し辛いことのことだ、心だからそうなのだろう。そうした自然と調和した心と、患者の心が揉まれることに心の傷はすっかり治りを見せる。見えないので本人も痛いとまではわからないが、治ったらここが痛かったのか、と感想を得る。

     

    想像的な自分が積極的だ、積極的であること、や、癒えている、と自信を持つのは自分だけだと、伝えなくてはいけないが文学的な土地感がこういう時にあるのが心配だ。プリントでいいから病気の主要を厳しく知りたかった。院内はもやもやしてる気と治してあげたい医者らの気が対極してやさしい気を生み出たされいたが、ひたすらもやもやは溜まる一方だった。循環に組み込まれるまるで近隣住民や退院した霊が、生産系で働くことを薦める占い師の祈りを、光を誘導する形で感じながら、気になる気の正体を読み解く、読み砕く。

     

     

    私は、罰があたる、という迷信や噂を聞いた時に何が悪かったのだろうを思い馳せ、それでも日々心の整頓はゆっくり叶えられていた。

     

     

    今は念願にしていた「光」と遊ぶ、健やかなことを思い出し、成就に身技体を磨く、この気持ちでいる。

     

     

    暗い一界の世界が光を通過する日もある。

     

    世の中にある文学的興味、それと現実にある何か。

     

    教えたい、ただそんな気持ちでも何か感じる心ならば解りの光があり癒せる。思考した時、感謝と思いその時に自己吸収、消化している。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 誰かへの手紙

    高い意思や意識世界。


    真偽の神を思っても、


    精神世界の曖昧なことは真で、疑うことは偽である、


    人を傷つけた、例えばこんな事も、

    肉眼では見えない。こういった天上の言葉であるがこちらの歩みよりによりだけ理屈を捉える「私」なのだ。身体(こころ)からの歩みより「見える」。これが想像であれが妄想だ、このようにもう視れていて、天の与えられた一物を大事にしている。自分に近づきなさい、自分に近づきなさい。自分の軌道に乗れば、夢中になるからほっとくことが出来るからである。こういう風に言える分は、自己内の面で傷を癒す事が出来る。どうか心配しないで下さい。

     

     

    現実世界を捨てて遊び過ぎている、だから浮く。まだそして押し戻されるのなら恵まれているだろう。そこで不気味に残るものもある。すると、

     

     

    要は、死世界で何か言語が聞こえても、迷っている霊を捉える。その為にすることとは好きな仏像に「この方が道に戻りますよう」「この方が愛されますよう」と連絡をする。そして、神仏と話す場合は心許ないという慎ましさの形がある、という点。

     

    精神世界は、有無のどうしてもない真空も有れば、更に、真面目に生きている人だけに福が付くの。

     

    後、自分はこう思う、自分はこうしない、をちゃんと形作ること。上の霊は見てちゃんと自分に出来る祈りしてくれているから、自分たちも徳を受ける。善悪は定めがあり変わらず、悪さもその逆も有る。善悪は在るものとする。霊に決めず見ることだ。木だけを見てたがそうしていて見えてきた森に、しっかり下って行った私自身の足に高い到達がある。

     

     

    自分的な「ご本尊」を作っても良いかも知れない。

     

     

    私は静かだ。興奮しないのは、神仏と話す際であるので前の狛犬から身を練習するのだ。地(じ)を立てる力、それが食いつく爪なのだ!

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  • 夜に対する慎みがない

    闇の神様がいる。勇施の方だ。

     

    水の神様もいる。偉く研がれた方だ。名前はない。

     

     

     

    性は人間だけが持つその特徴を、表そうとする。誤差もなく、苦でもない。欲は人間にとって良いものと悪いもねが有る。身体の正体を悩む、こういった学びには精神がを捉えることの出来る力を養う。そこで、動物は無性なのかも知れない、と思う。苦しみという感情は、生きる道についての口上であり、死セル死スベキ世界を語るものでない。相手と、違いが有れば話すことが出来るように、性が在れば同じようにそこに立つ事を感じられる。差の無い意識は天知るものだ。異なっても、そのまま歩ける地球の様に。

     

     

    日の神様がいる。私には方角ではない方位とまたこれは陰の司りを表せる。全て上手く行っている。

    夜でも朝でも日には、恥ずかしいことはない、足りていずにいてる所があるのがもどかしい。恥ずかしいことは、夜に対する慎みがない。時間を無にすることと、無は全く異なる。だれかが時間を無にするからだ。

    時間には神様がいる。

     

     

     

    どの方角にも方位にも蟲はいない。含まれないものが有る。人がそれを知り、明るくなった弥勒の方に海王と冥王が有る。静かと運動の二つだ。それは陰から起こり、陰には努力の潜む所であり、形を成さないものの流れる先に月が有り、その下、形のないものの先にやっと形を知らされる。有った道を再度、にわかに照らしている。水音、この無の方法の中で。

     

     

     

    知る、とはいつでも身体がある故にその直下の方向がたなびく海へと流れる事を知っている。

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