揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 40
  • 受け入れなど

    もし「歯ね」といわれたとき、

    おいおい、飾ってる場合ではないっすよ。

    とか、逃げて、答えて行くしかないんです。

    祀りって、誠心誠意よりももっと難しい言葉なような気がします。難しいって、どこかを動かせれば簡単に開いたりもする知恵の輪のようなもので、

    想像するんですが、死ねるって気持ちが結構あって

    決して高ぶってはいけなくて、

    私も魂を入れ直して頑張っているので、

    是非よろしくお願いします。

    このご時世、真剣に答えますし

    真剣に叱ったり

    ノリとふざけるの境目って曖昧だけどあるじゃないですか、笑いは文化であるがではこういった感情の姿勢と悪ふざけとの違いは?ってのは、平和かどうかで…とかの経験論って小さいけど「何か」大事だと思うんです。

    誰かを笑って傷つける以前、笑いの本質はまた…あれこれ考えるのですが要は人が笑うのだから悪しくないっていう現実的なことがひとつあります。

    何となくわかってたら良いし

     

     

    「傷つく」ってレベルが、刺されて悲しいのか、苛ついたのか、ストレスくらいはどうにか出来なければヤバイし、人間の棘であるなら抱きしめていかなくてはいけなかったり、私も棘だらけで困っていたりするんですね。

     

     

     

    文化が歴史と同じようにヒトモンチャクあり、

    何で文化が大事かって聞かれたら、私は答えれません。

    まだまだ発展中でした。

     

    行く小舟の行き先も

    見えない

     

     

     

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  • 私は「孤独」だ

    「君」の前に立ち塞がるような鬼であるが

    、母の姿である。これが私たちの欲しがったリアルだとしたら…

    片っ端から、やっつけるか

    もう「君」を今すぐ救い出すべきです!

     

    ノートとペンを積み、

     

    私はインナーチャイルドの癒やし

    自己リーディング日記など

    努力している。

     

     

     

    ああ、こんな時大澤氏がいたら、

    おおらかにみんなを描かせることができるのに

     

    今イメージしてるのは、

    オレンジツリーのタイムカプセルや、

    ヘンゼルとグレーテルのパンの道標

    (ネット上に残す)

     

    なんかさぁ、道で矢印の落書きがあって、そっちに進むとまた矢印があって、進むとまた案内があって…

    そんなんじゃないけどそんなようなニュアンスのものを

    「創作」できないか

     

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  • みんなで君の名は

    原始的に言葉を使って、いいます。

    賢くなった後の人たちはどうしているんだろう?

    光を知らない方が幸せだったとして、

    周りと隔離されているなら、孤独であるが、

    何だか愛せそうである。

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  • 今、といういっしゅん

    誰も悪くない、というのがにくいですね。
    これらを
    ずっと話しかけていれるかわかりません。
    どうか、趣味実用文学として読んで下さい。


    「そこ」と云う場所に、位置にいるために、
    苦しいときこそ人の事を考えると云う言葉が有るが、何か情緒性の行動だと考えて居たが、それが本当は、まったく機械的な動作を意味していると知ったのは、昨日。
    しんどい、中途半端な自分の中で、神仏に手を合わせる。
    今、私が言えることはとても少ないだろうと思います。


    「想像する」そういう生き方もあれる。知りたいのとは違う潔さ。
    私は宇宙(趣味や文学のこと)の事を考えてるときが一番幸せで、


    私はずっとある菩薩像に憧れていて、憧れていたけど、
    ラクになるには、
    自分がああなりたいんじゃなくて、直すとこはもっと他にあり、対している事を知らなければ、
    尚かつ認めなけれれば。
    「階段を一歩下がる」は、この事だ。そこで、点と線を結んでやっと自分に
    そして想像する潔さは、人を「だろうな。」「こうだと思っていたよ。」と待ち構えている姿勢は、高いものがあって、
    思考以上のものがある。

     

    次から次へと目に入ってくる
    待ってほしいのに
    と昔苦しんだ日のことを今思い出した。
    10年先の話を今話し続けられて、付いた傷のことなどあるし、再びはないし、辛い。

     

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