揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 46
  • 手で何でもする

    実は、

     

     

     

    拳は胸元、

     

    声や、光る霊、光る言葉、かたち、

     

     

     

    心霊でのこれらは、

     

     

    脳ではなく、手から起こる。

     

     

     

    それより上部に、考える頭がある。

     

     

     

    修行が出来ていず、

     

     

    示すこともなく、流れて同じように肉々しくぼさっとしているしかなかった。

     

     

     

     

    脳であれば肉体の解釈をするから、

     

     

     

    からくりとしては、心に想像があり、そろが即ち次元である、

     

     

     

    次元は、イメージとして御歳を言う。

     

     

     

    そうして松の木から言うと、身体が心なら

     

     

     

     

    こういった想像の力は、手に集まる。

     

     

     

     

     

    それも、精神から、

     

     

     

    心の目の開きから始まるから、理科は別にしてそうなんだと思う。

     

     

     

    探求中だ。

     

     

     

     

    なにより、何でも気持ちの強さが大事、

     

     

     

     

     

    気持ちとは元の自分、

     

     

     

    その思い。

     

     

     

     

    手のひらを見つめると、やはり気持ちが一気に、

     

     

     

     

    勝手に、手に伸びる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    身体の上の方(脳、頭)で使うと普通、思いがちだが、

     

     

     

    手身近、手短いところにある。

     

     

     

    だから、頭は他にあって、

     

     

     

     

    地球の自転や縁により、肉体的な霊はすぐ剥がれている。

     

     

     

     

    曖昧で、想像的で、幻のように、

     

     

     

    無心に過ごすのみ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 感情を日に伸ばす

     

     

    陰陽の話から思い出すが、

     

    昔考えたことに、

     

     

     

    人間から出るものに悪いものがあるだろうか、というこの事だ。

     

    感情は特に、何でも

     

    ものすごい嫌気でも、悪い気持ちでも、

     

     

    自分にたいしては許してあげる。

     

     

    取り入れることの出来る心から表情、顔にエッジが出て、

     

     

    らしくなる。

     

     

    自分が現れると、相手との違いが見えて来て、道になるからだ。

     

     

    どんな自分でも受け入れる、とはこのことだ。

     

    落ち着くと、

     

     

    訴えなくて済む間に、会話が出来るかもしれない。

     

     

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  • まだ気も心も細いが、元気がある

     

    いくらでも大丈夫なことを、もっと喜ぶ

     

     

    いろいろなもの、をちゃんと嘗(な)める

     

     

    深刻になってた…

     

     

     

    必ず支えあっていて、

     

     

     

     

    「これは、心霊ですよ

     

     

    」の頑張りを思い切ってする

     

     

     

     

     

    陰気でも陽気でも気は気。

     

     

    気は木になる。

     

    こいつをそのままにしなければ、どっかに手が届かない。

     

     

    その間に詩学をまなぶ。

     

     

    我慢とか、リズム感とか、だ。。

     

     

     

     

     

    花がある考えは、妖怪などでも陽。

     

     

     

    陰道から入る私のような人は、

     

    陰は陰でその身体を守る。

     

    人の様々な優しさをもっと知りたい、と思って、

     

     

    自分を自分に帰すことを奮起し十年以上経つ。

     

     

     

     

     

    同じくらいの自信があることから、

     

     

    陽気な人とぶつかっていた。

     

     

    土に潜って、

     

     

     

    その日に巡り会うことを夢みている。

     

     

     

    神峯山という修研の偉い神様に見守られている。

     

     

     

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  • 蟲ー

    弘法大師が蟲ーだった

     

    真言宗の黙って付いてた方を思うと汗だくになる。

     

     

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  • わたしの善意

     

    人の為をいうことが、

     

     

     

    偽善でも善意でも関係がない。

     

     

     

    それがわからないのか。

     

     

     

     

    あった事よりも、

     

     

     

     

    心で考えると良い。

     

     

     

     

     

    蟲のこと。

     

    ムシと三回いってしまう、虫は美しい。

     

    要は、虫になれない者。

     

    「そいつ」に長く傷められた。

     

    そいつは魂が抜けて、同じ形だ。

     

    犯罪にたいして内容的なことでなく、自分がどう感じたかだ。

     

    自分が自分を捕まえ、捉える。

     

    まずこれをして、

     

    自分を掴まえ、捉えられることの出来る事をまだ考える。

     

     

    だから「そいつ」を見つける。

     

    二十の時からずっとずっととらえるを修行してる。

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  • 日頃、許せないこと

     

     

     

     

     

     

     

    対話が出来る、喜びにたいして

     

     

     

     

    想像出来る、これが人間の顔。

     

     

     

     

    でも、今日は一方の話をするんだと思う。

     

     

     

     

     

     

    ブラックメモリーズ、

     

     

     

    そんなん無視しろ

     

     

     

     

     

     

     

     

    私が、「俺」という佇まいは、

     

     

     

    自分を紙にする

     

    無心を証明し、

     

    背の身丈が、自覚的な信用を表す

     

     

     

    大切な思いを守りたいから、必死に話しかける。嫌でも応えて行く。

     

     

     

     

    応呼、そういう響きや呼吸が、

     

     

     

    羽子板を思い出せる。

     

     

     

     

     

    応呼して初めて、「私のこと」に取り掛かって行く。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    その人は、

     

     

    「私が見たもの」の、

     

    答え

     

     

    を先に出してくる

     

     

    その間の人は必ず傷付いているけど、

     

     

    それが伝わる距離に必ずいない

     

     

     

    弘法大師は、

     

     

    上から乗られてそのままでいたら、正気でいれないからだ

     

     

    怒らないといけないからだ

     

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  • 腰を重く持つ

     

    顔(しんたい)には気迫がある

     

    そこに物がある、車がある、

     

     

     

    間隔に耐えて来た軌跡、きせき

     

     

    そういった線

     

     

    私はドラえもんはドラえもん、平面的なキャラクターそのもののことしか描けなかった

     

     

    もっと愛想のある、かわいらしいドラえもんもあり、言葉へと広がっていく様子もある

     

    こういった内容の深い性格ではなかった

     

     

     

    でもここから描かないと、あらたにする内容性は彫れない

     

     

     

     

     

     

     

     

    だれか何かが心にいたって、感情を縮める必要はない。

     

     

    感情は、小さな気遣いや細い道のこと。

     

     

    豊かな、様々なそれを持ってそのままに

     

     

    表現を避けるのも、心(感情)。

     

     

    そこに誰かはいる。こういう信じ方の

     

    試練、れんしゅうをしていたよ。

     

     

    ことばに惑わされず、ことばを持つ。今のわたし。

     

    ことばに惑わされず、一区切り、一区切り、自分を睨む。

     

    物に興味を持って。

     

     

    心は、光をもつ時、

     

     

    ことばのコミュニケーションであってはいけない。

     

    ことばは、大切な人と使うもの。

     

    言葉は後は、流れて行く。

     

     

     

    目が良くないと力をくれない。目を突っ込んでも、

     

    自分が途端に重くなっていく。

     

     

    空海の、密教が人に守り守られる手を大きく持っているように

     

     

    夢ならともかく、

     

     

    因果ストーリーは、迷信だと解る。

     

     

    心身、感覚を鍛える。そうして釣り合う重さを

     

     

    人は、誰しも追及出来る。

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  • 正しい反省

    躾を仏陀に受けた

     

    仏陀は、生まれたこれまでに誰に何を言われたかな?ということ

     

    人に責任としての私の為に大切な荷卸しをしてもらってる。

     

     

    私は技術を早く人より持って行っていた

     

     

    そう覚えているのは、この風で生きてるから

     

    この風を伝えなければいけないからだ

     

    口が裂けても忘れられないことだ、注意している

     

     

     

    目上に祈りを受けても、それ通りにしない

     

     

    目上が存在するか、人の方が存在する

     

     

    感謝は、ありがとう、とは違う

     

     

     

    ありがとうと思うならするのは自分にたいしての行動だろう

     

     

     

     

    失敗したら、苦しみ、悩む

     

     

    悪いことをもうしない

     

     

     

    悪いことをやめたら神がつく

     

     

     

     

    苦しみ、悩む、この方が絶対上手くいく

     

     

     

     

    求める答えに近づく、

     

     

     

     

     

    朝、「未来の自分にしか影響を及ぼせない」という言葉を聞いた。仏、一日にならず。善くなるためなら何度もする。

     

     

    意識(たいよう)とは、挑戦なのだ!

     

     

     

    その点は、許している。ちゃんとした融通を、街社会の摩擦の中で毎日思っていた。

     

     

     

     

     

     

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  • 絶好の日和

     

    最初に見えた真田幸村の心像、

     

     

    これは、ユキムラ、真田と名のるものではなかった。

     

     

     

    歴史を探求して歩く時、

     

     

     

    霊として、ここは黒いところがある、

     

     

    こう思う学びや、

     

     

    苦労するのはその名前のある地でも、こうぼんやりするんだ、こんな色彩や、

     

     

    たまたまそこが雪降る町で、

     

     

     

    こう武将がいた、と変わらない過去を見つける。 

     

     

     

     

    大阪にある真田の墓は、

     

     

    その地が、宮仕えの最も古いために

     

     

     

    一等とした文学性を自ずと保持する形を作る。

     

    真田の地に眞田神社があって、ユキムラの千度の相談が叶う

     

     

    神は兜ではなく、目深に帽子を被った鼻筋だけが

     

     

     

    星でみた、綺麗な大きな影だった。毎日の朝、「日本」と祈っていた。

     

     

     

    大神と一体になった世尊、菩薩様だと思う。

     

     

     

    そこからは、

     

     

    本当に楽しいなぞなぞや、多く語られる「道」が

     

     

     

     

    大きく広がる川の様に

     

     

    長けたその姿そのものと供に描かれ、

     

     

     

     

     

    入っていくその時その場の器や、陰鬱な釈迦(生まれの良い蟲ー)を

     

     

     

     

    飲み込んで、

     

     

     

     

     

    「八」の字のように末の開いて行く、明けを

     

     

     

     

    ・良い口からかぶりつくこと

     

     

     

     

    下っていく

     

     

     

     

    どこまでも流れる血潮と波と、

     

     

     

     

    「夜」という詩から

     

     

     

     

     

    走って行く人間と子供の姿が

     

     

     

     

     

    揺れている

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • ブルー将軍

     

     

     

     

    「所謂雑念のジャンクフードを相殺」したら、

     

     

     

     

     

    ドクタースランプあられちゃんのブルー将軍を三分まで観てる。澄まし顔をして漫画という「物」と対峙するのが、心の広さを伝える。能しようとするから能動力と言う。現実との混同をして棒が当たっている様子を何度も見ている。物自体を愛す、としてあらゆる嵐をクリアし尊さを守る道が、生産パーセン的に高いものだった。

     

     

    内容は、

     

     

    必ずいるおっさんが、秘密を明かし誘導する。

     

     

    何かを探しに来たぽつりといる男性を歓迎し、

     

    「何と、わたしの正体は!」と、瓦を拳でわろうとする。が、割れない。

     

     

    説明したい箇所があるが、

     

     

    アニメだから良い、決して飛び出てこずやさしいまま佇んでいる。アニメ自体が擬人になる話も聞いたことあるが、高度な精神や、哲学の技術的な、漫画それ自体を絵画と見なす気持ちと同じだ。もともとある視覚的な歪みが自然に形骸化され、デフォルメといった作業で月に映るから、自然と現実に近い。感じたり思ったことのある現実イメージや、これぞ欲しかった詩。

     

    現実イメージ、と言い直すと、創造的現実とは言わないが無心は世に合わせられ今なら特に夢を見て、夢を含んで「現実」と考えるのではないだろうか。

     

     

     

     

    アニメを製作したい、と絵画的にする時、

     

     

     

    一分目より三分目で、まるで二枚の絵画があるような感じで、仲の進展が捉えられる。

    本来のストーリーやキャラ意識以外に物語性というレイヤーが絵の上にあり、精神的に立体感を受け入れている。

     

    厚みを持った二枚の絵画という構造がある。その外部でアニメが人物などでもなく漠然とさせたままの視覚的魅力、こういったこれから自分の人生に何かが起きる!というような元気、それをそのまま観る。

     

     

     

     

     

     

    ただの絵から、アニメになるという「動き」が付く大きさ、その感動が語られるのをよく聞いていた。

     

     

     

     

    冒頭で、私の観た内容はこう、と始めるが、

     

    あなたの観た内容はどう?と聞いてみるのも面白い。

     

     

     

     

     

     

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