揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 仏世界

    気の向くまま

     

    気が大事

     

     

    大人だ

     

     

    向かないとこには向かない

     

     

     

    追及していく

     

     

     

     

     

     

    老いは、歳の先は必ず細くならない、広がり、色彩、上達

     

     

     

    気、持っている才能の重質の違いに目を向けれるから腰が重い

     

     

    この中心から逸れないから、動きが高い

     

     

    この為自然体を推奨する

     

     

     

    範囲を守る

     

    範囲だから優先される、遠くに飛ぶ

     

     

    範囲を守るから形がある、守った数は光になる

     

     

     

     

    怒りは心

     

     

    かなしいといっている

     

     

    形式がとられるのではない

     

     

    表面もあるが、中身だけでない

     

    中身もあるが、表面だけではわからない

     

     

     

    ルール、心を破ると一線引かれる

     

     

    だから何が出来たかじゃない

     

     

     

    ここで何が言えるか

     

    気持ちが菩薩界に足された

     

     

     

    心は見えない物の修行

     

     

    心はカタチがない、しかし

     

     

    その修行は昔から達成されてる

     

    一人で考えれる、この妙

     

     

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  • お祈り

    神様にお願い事をする。

     

    代わりに貰うのは、自分の纏まってしたいこと目的のなかの

    それを自分で見つけ出す。

     

     

    言葉と思いで合わせる、、

     

     

     

    こういっても、書けない、言えない、のは、

     

     

    会いたいと思うような心が、ことばをはみ出しことば以上にあるからだ。

     

     

    心に気付け!

     

     

     

    だから、心に気付け!

     

     

     

    同じようにならない人間の性、個性、を見たいと思ったことがある。その分、地球が広くなること間違いなし。

     

     

    そして、色んなことばの差や誤解を埋めるのが、味だ。

     

     

     

    「生きる」という恥じらいを晒し、疎外感を受け、それでもこなしていく、夢を見る、こういった日課に、

     

    本当の楽しさや、神の秘密が、ある。

     

     

     

     

    生きることに、肉巻きのように自分を包み込むと、察知されることはなく、栄養が届かないだろう。「痛点」がなくなる。

     

     

     

     

     

    ここで、こう気持ちを言う、詰まるところでちゃんと言える。それは、守られることを許すと言う意味。

     

     

     

     

    今まで考えたこともない心配は、ないのなら、

     

     

     

    考えたことのある心配を見つめる時が、来たのだ。

     

     

     

     

    供養欄

    https://hanagara.apage.jp/

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  • 重複すること

    私の元ルーツが神職のほうで、巫子ではない。

     

    祓いを心に込める責任が霊(ミガキ)にあり、易になりやすい。

     

     

     

     

     

    祈りの文化も、

     

     

    既存の文性を少し崩して、元に戻ろうとする。

     

    洋服がかえって古代日本に近い。

     

     

    北は栄えたくない、と言う。柄のないスタイルがある。アテルイの向こうにある。

     

     

    島は南から始まる。都は心の奥、中心から始まる。

     

     

    輿は、北から近くの東京の首飛びの墓、「これを覚えろ。」と言った侍の話しに繋がって、ヤマトタケルへの大國主の国譲りをふたたび思える。

     

     

    土が凍りついた後の、極東や、自ら冥界からの、不思議さや神のリカイや空の相槌、地の粗筋、蔓延る苦にたいしての理性、継いでそれに告ぐ客観的態度、この実践、生きる正しさや悟りの争奪、この円滑。

     

    これらはいつでも心もとない、透明感があるが、祈りは日に込められ、仰ぐといつでもわかる。

     

     

    手を“実際に”日に翳す、この感謝や感じ取り方は、今までは判らなかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

    実際よくわからないものへの干渉や、

     

     

    責任って

    あり得ない。

     

    良いことなら良いが、悪いことはそれ程に覚えて持ち帰ってはいけない。

     

    本来、休むところ。

     

    増して、そのうえ等に社会など作ってはいけない。

     

     

    心の仏界は、気楽を示している。

     

    神はたのしさを描く。

     

     

    自分は人と同じ人間で、はっきり生きてなくてはいけないが、「綱」を携え持っているのだ。

     

     

    間の光にたいして、普段穏やかな人や諸々の気に集まりがある、苦しみを原因とする苦集滅道と言う。その苦、蟲(ム)ーであるが、人があたらない、という意味のオオクニの言葉。

     

    人の首と、八、このこういう図の似た大きさの、見分けを出来ない。何の因果もなく、平等に勝手にこう落ちるものがある。マイナスがあるという初めて踏み切る存在。

     

    神と鬼を人の良い隙に良い角に入れ換えた、獣と言い伝えられるもの。

     

    蟲ーの捉え方と完全な外観について (笑;)

     

     

    蟲ー(カテゴリ)より

    https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=131493

     

     

     

    文を書いて祈る、生活をして供養する、これらには厚みが、人間には厚みが必ずあり、

     

     

    そこかしこにおる蟲ーは、肉眼があって覗いていると電波でいうが、そんなことはないので、騙されないで欲しい。

     

     

     

    全貌を明らかにするのも風と時間と自分の生命。

     

     

     

    間違えた人は、どうか感覚をあらえますよう、自らよりも長にわけを話し気を戻しますよう。

     

     

    私の果敢さを勇気に変えて向かわれますよう。スマホやコンピューターは、生活文化には曇りが有るが、文明にたいしてはとても吉。

     

    こうした種だねの分別が、道を切り開くこと!

     

     

     

    私の責任は、諸(モロ)が、人が、導き通りに進みますようにと願い込んでやまない事。

     

     

     

     

    たいせつは、

     

    心像、仏像が見えても、影には影があり、もっと大きな光や仏像はあるのだ。

     

    風が風で運び、

     

    人が気を高めて、その徒歩で降ろせた大霊と言い、実際のいまの現実界の実在を気にすることはない。

     

     

    長の神仏に任せて、一度聞きではないことが、理解の進歩にあるから、

     

    昨日とは違うのだぞ、と言うこと。

     

     

     

    自分たちに世代や後輩も、にわかにいるんだと自分は解っていて、

     

     

    前方や前が、こっちだぞ。

     

     

     

     

    こどもたちを言うとき焚べる時にどうか?、

     

     

    子どもの時は親には自分のことを我慢して欲しくなかったことの多くあり、こどもがもっと人なんて考えなかった、それを見分け、大人が光を浴びる時を、諦めさせなくても良い、

     

     

    と、智や手の影を考えるのだ。

     

     

     

     

     

    総じて、

     

     

    ゆっくり理解すれば良い、という事に、

     

     

     

    重点の注意、起こしやすい失敗や過ちに、自分ひとりが人を強行しなくて良い、

     

     

     

    勝手を破れないことに膝を折る事。

     

     

     

     

     

     

    と言う事だ。

     

     

     

     

     

     

     

    それらのことや人自身を解る、この曖昧なあたかも雲間から射し込む光の筋、こういう天光を、

     

     

     

    リカイ、といって、解脱とした仏教典から言われるのだ。

     

     

     

    速やかに、潔くその仏心を成就させよ。抱いた仏心を叶えよ、

     

     

     

     

     

     

     

    こう言う名文をそう思い、

     

     

    その間、他は他として、心配を起こさなくても良いんだからね。

     

     

    必要な声かけも祈りである。

     

     

    天上のなにか存在(仏及び天子)が、滞りのない所から、回れる法輪により、手間と深い平等があり、

     

     

     

    自知を深める、自分(人間)ってこう思うんだ、等、

     

     

     

     

    修行一人、仏一日に成らず。今日もよろしくお願いします。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    心配事を可笑しく生んでも、間にしてるのは、悪いことに線引くくらいの強さで叩かれるように覚えさそうと、無意味なんやん。人は美しいでその時間を済ますし、

     

    心の奥深く入って自己を探求することもある。

     

    一瞬に出て佇んでおかなあかん。誰か上にゆわれて、俺私守ってくれるか選んでくれるか、じゃない。

     

    そこはずっと見てる。仲間も友達も平等で

    、そこに贔屓はないねん。私たちには贔屓ない、厳しい方を選ぶと良い。

     

    人間の話し。

     

    だから味方を言うなら、何かをわっと探す前に落ち着いて死んだようにぼーっとしていて欲しかってん。寧ろ、自分に執着する中で、心に起こった事に観察と執着をする中で、

    どんどん、本来の自身の運を取り返して、

    だからその際全然自分(わたし)とか忘れてくれていて良いねん。

     

    そういう、人が人との意思の一致が何とも光になって誰かやあなたの目に、何かを言ってるねん。それが言葉やねん。空っぽのとき受け取れる事の出来るこの大きなものに対して、こういう風に戻る、とかならあると思う。

     

     

    精神界で見つける私が、知らぬ存ぜぬの竹薮に埋もれて、この奥に静かに見つめて修行している、と思ってくれへん?

     

     

    生活上、靡いてはいけない。気掛かりや、

    以上の注意もいらない。良いことだけがなければならない。

     

    人の休む場所やねん。

     

     

     

    実に、「仏さん」はゆうれいで近しくないのにく押さえたり追ったりしたらあかん、

     

    時の運や、運や。

     

    そういう生き方をしなあかん。

     

     

     

     

     

     

    歴史の天皇の言葉が能、狂言のどこかにあった。

     

    短冊を祈りにしてそう重んじるべきこと、物の言い付けだ。また見つけて欲しい。

     

     

     

     

     

     

    Kyogen: The Humor of Frailty & Tolerance [EN/ES/FR/HU/ID/PT/RU/簡中/繁中/JP】

     

     

    能はひたすら身体に従るから、心身にわかりやすい。文化か街にシフトし、風の立つ日である。ややこしくなる事にも道理があり、笑う、という動作を適える。

    めでたいし、有難い。

     

     

     

     

     

     

    その短冊一部(夏、笹に飾ってお願い事をする紙)

     

    YouTubeで拝見出来る。

     

     

    大國主大神 ookuninushi no Okami

     

    ずっと真夜中で良いのに

     

    何やってもうまくいかない

     

    不動明王~大丈夫 No.2 hudo myo o 

     

    刀ピークリスマス

     

    ヤリ捨てポイ

     

    爆笑

     

    G4L ヒロアカ ホークス

     

    ア/ン/チ/ジ/ョ/ー/カ/ー

     

    死神

     

    闇auハンバーグ

     

    ぎんぎらぎん

     

    狼煙

     

    アフレコ 赤紙をちゃんと断る非国民

     

    侍が歌うKING

     

    EVA3.0 33ED桜流し

     

    1018p もすかう

     

    Top20 andertele meme

     

    おにさんこちら welcome onisan Pelu

     

     

    Temporaryあびばのんのん

     

     

     

     

     

    善さはどことも変わらねど、土地感、土着性から、堕天(真逆の天)や、じとっとした雨や湿気、暗いままの夜、複雑な並木通り、この良さがわかって嬉しい。内向きの社会、をあらわれる照る華(外に向きたい)にたいして村といった客観性、ないし思想のこども。いずれもRough(ラフ)と言う非常に良い姿勢。

     

     

     

     

     

     

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  • ブルー将軍

     

     

     

     

    「所謂雑念のジャンクフードを相殺」したら、

     

     

     

     

     

    ドクタースランプあられちゃんのブルー将軍を三分まで観てる。澄まし顔をして漫画という「物」と対峙するのが、心の広さを伝える。能しようとするから能動力と言う。現実との混同をして棒が当たっている様子を何度も見ている。物自体を愛す、としてあらゆる嵐をクリアし尊さを守る道が、生産パーセン的に高いものだった。

     

     

    内容は、

     

     

    必ずいるおっさんが、秘密を明かし誘導する。

     

     

    何かを探しに来たぽつりといる男性を歓迎し、

     

    「何と、わたしの正体は!」と、瓦を拳でわろうとする。が、割れない。

     

     

    説明したい箇所があるが、

     

     

    アニメだから良い、決して飛び出てこずやさしいまま佇んでいる。アニメ自体が擬人になる話も聞いたことあるが、高度な精神や、哲学の技術的な、漫画それ自体を絵画と見なす気持ちと同じだ。もともとある視覚的な歪みが自然に形骸化され、デフォルメといった作業で月に映るから、自然と現実に近い。感じたり思ったことのある現実イメージや、これぞ欲しかった詩。

     

    現実イメージ、と言い直すと、創造的現実とは言わないが無心は世に合わせられ今なら特に夢を見て、夢を含んで「現実」と考えるのではないだろうか。

     

     

     

     

    アニメを製作したい、と絵画的にする時、

     

     

     

    一分目より三分目で、まるで二枚の絵画があるような感じで、仲の進展が捉えられる。

    本来のストーリーやキャラ意識以外に物語性というレイヤーが絵の上にあり、精神的に立体感を受け入れている。

     

    厚みを持った二枚の絵画という構造がある。その外部でアニメが人物などでもなく漠然とさせたままの視覚的魅力、こういったこれから自分の人生に何かが起きる!というような元気、それをそのまま観る。

     

     

     

     

     

     

    ただの絵から、アニメになるという「動き」が付く大きさ、その感動が語られるのをよく聞いていた。

     

     

     

     

    冒頭で、私の観た内容はこう、と始めるが、

     

    あなたの観た内容はどう?と聞いてみるのも面白い。

     

     

     

     

     

     

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  • 心の伝え方

    余りにとって普通にしているが、

     

    何かあれば、そのまま疑問を紙に吐き出し、

     

     

    仏像(話やすい、画像、像)に、どう伝えたら良いか、を、相談し、方法を神に聞く。

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  • 美しさを知りに行く

     

     

    用意するもの、雑に我が倉庫を出すが堪忍。

     

     

    油絵の具

     

    キャンパス

     

     

     

    美しさを知りに行く

     

    ・要確認

     

    ①実際の色の良さと、著名作品の実際の上手さ。

     

    ②色が、合わせられなくて困ること。

     

    ③西欧人は、合わせやすさ、持ってる色彩。それが本当に馴染んでいること。

     

    こういった、「器」に蓋を作り保存する作業。有るべき心をはみ出ない訓練、道の苦。

     

    描けない、描けなくなった人は多いだろう。しかし、色彩と遊ぶ心も、色彩を美しいと思う感性は誰だってある。そこから消えかかる尊びやその幅や距離感、それを知るところを先に、出来るだけ取りに行けたら「楽しい」だろう。

     

    安心を得る、と解るだけでやる気の出る人は多いだろう!

     

    作品説明が、ちゃんとした何かの説明に変わるより前に

     

    「私のいいたいこと」を先に絵に作と含めて書くと、

     

    「作品」ではないかも知れないが、

     

    サロン的傾向を壊しておいて(よそにしてという意味)、案件のよくわかる

     

    誰でも発信出来る纏まりを、玖(く)べられるのではないか、と思う。

     

    情報にごったがえる、書物や本が一杯で散らかる様子のは、

     

    大きな圧縮機がないからなのだ~。

     

     

     

     

     

    極めて鮮やかなイラストを日本で目にしたことがある。頑張ってる最中には羨ましかった、技術的に超えることの出来ない事も感じた。

     

     

    それ以上の、

     

     

    高い発色など、見たことのない色に私は唖然とし、

     

     

     

    「とろける絵の具」を現実にダウンロードしている。

     

    こういった凹凹の段差も、リンシードオイルの感覚を掴む時は、上手く誤魔化せる。

     

    サナダは、色んなものをそこに混ぜていた。出来たものはピザみたいで本当に美味しそうだった。飴が平べったく食べれないまま止まっている。

     

     

    例だが、上手くいっていると思う。油性色彩が嵌まっているのを初めて見てびっくりした。色彩にたいして男性的な考えで、こういった直感のない中描くとき、「醜さ」にたいしての意が私の水分をすっぽり閉じ込めた。醜さとは、定義が美なのだ。太陽系のそと、はやはり「論外」なのだぜ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 日蓮

     

     

     

     

    私の頭に水をやってくれたのは日蓮様だ。

     

    早いとこ言うとかないといけない。

     

    「早いとこ言うとかないといけない」、伝えたい言葉だ。

     

     

    何もしない、この中を背を屈めて生きる面白さに、この極意がある。

     

    道聖(ひじり)の神様だ。

     

     

     

    私は、何か相手にされなかった時何故かを自分で考えれなかった時を思い出す。

     

     

    こうだと思う、が、答えではないからだ。

     

    答えが、誰かに渡すものではないからだ。

     

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  • 方位札

     

     

     

     

    方位違札というのがある。

     

    こういった修験道は、見る限り格好が良く、厄除けといっても、邪(ヤヤ)でもないものを攻撃しない、不動なる無心の力がいる。厄を得るから厄を取るのだ。そのために、不当な厄と、自身の受難なのかを見る。

     

     

    あるがままをリスペクトしてたら、理想としていた霊波動を身に感じる。それから何日何年として、何かをする、というわけではない、零!を確認している。

     

     

    そこから、

     

     

    何か間違って引っ掛かってるように思う霊というのがたまにいて、その中で悪いやつを連れてくる、厄(わざわい)というやつ。

     

     

    色んな方違札があって、

     

     

     

    鬼門を味方につける。聖(ひじり)の方法。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    住吉神社の方位違札は、

     

     

     

     

     

    何と色めかしで、お顔を出して言葉の安心を話す。

     

    何と色めかしで、お顔を出して、言葉を言い、聞くことを指す。

     

     

     

     

     

     

    蟲ー疲れの時から、方位に邪が入る意味により、こういった距離を描く、

     

    目にすれば、

     

     

    過去、未来が繋がる。

     

     

     

     

    楠珺社木札(大)

    (なんくんしゃきふだ)

     

     

     

    というのがあって、多分アッテルがしゃきっとする自己他の高めとして使う。

     

     

    楠珺社紙札

    (なんくんしゃかみふだ)

    ご利益:商売繁昌

     

    というのもあって、こうちゃんと神前のまえで了解を得る、とこの安心が修行を活かす。楠木さんが、釈迦を感じとる、楠木さんが、私から学ぶ紙となるようなものを用意する。そんな気合い。

     

     

     

     

     

     

     

     

    上の、過去、未来から、今として、自分のやり方は、

     

     

     

     

     

     




    ただ、普通にこう書き、

     

    「大和言葉のために、ここに置きますね。」

     

    と一つ挨拶をする。

     

     

     

     

     

     

    八方美人が嫌なの

     

     

     

     

     

     

    私もそうですよ

     

     

     

     

    おめでとう

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ありがとう

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    画像

     

    こんなんはどう?

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 水星事件(編集)

    嬉しがってふざけてたら、隣の親父に頭をどつかれた。そこで空気が止まった。

     

     

     

    道理以上のことは簡単に存在する。

     

     

     

    それが、

     

     

    道理以上に存在するモラルなのか、

     

    道理以上にいる惰性なのか、

     

    二つははっきり別れている筈だ。

     

     

    ここに、女将さんにお武士騒動「ふりむかぬ」のわけを届ける犬の存在があるかしれないし、

     

    師、主がほかに「わたしは武士」もあると言っているがこれはわたしもよく聞いたことがある。

     

     

    何日か前に、男神女神を陰陽師で考えた。

     

     

    男が陽、女が陰

     

    道徳の上に存在するこの武道は、

     

     

    する側、させる側、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    優しさの力に純朴になること。

     

     

     

    願いをそうすることと

     

    これはつまり理想に願いを合わせていく試験と、

     

    物思いに連れる横着は、

     

     

    はっきり違うのでご心配なく。

     

    これは、ソニーサイトで拾った画像だが、

     

    どこかで生活環境の整ったこういうロボット、と私をイメージしてほしい。

     

     

     

     

     

     

    捨てなくて、菩薩になめられている。のだ。

     

     

     

     

     

     

    「ゆとりを食うのと

     

    気を良くする

     

    壊滅した顔面のその人に

     

    入らない躾を」

     

     

     

     

    これが水星式旧来悩み

     

     

     

     

    自分に有る欲を全部愛してから、

     

    今は、気持ち一本で拳の出来る方法論がある

     

     

    いくらも使って環境破壊を進めない

     

    私はせいぜい良質100円ショップで気分をアップするマカ道具を集めてる

     

    神棚は、魔道具も同じだが手を込めて、これというものにしか叩かない

     

    これと思う通常のテンションも、底辺のクオリティー肯定に心は裂けて閉ざされる

     

     

    他人の命題だなんて自分で気付くし、ほっといてほしい

     

     

     

    躾や善が、悪ビトのために生きてない

     

     

     

     

     

    図の登場人物を人や人格として見ず、

     

    状況の豊かな説明として見てほしい。

     

     

     

     

     

     

     

     

    客観性の発想から

     

    村から解る理屈

     

     

    イタイイタイ病、水銀被害など正しく整理する四日市市を越えると、何と三重だと知った。

     

    物作りの壺の市場があって、

     

     

    これはひょっとすると市内からの輸出があったのかな…

     

     

    高所にあって奥まり過ぎた話の壺をわたしはするけど、手の届くところ、世の中が街で、自分で博物館や店舗を歩くことが藩を養ったことがある祖からの委せの一つ。

     

    街が、見れば埃でもない、「孤独と私」の在り処を掴む。

     

     

    空気中に存在しないアホを体内で分解して浮き出し落として作る、

     

     

    真っ白なTシャツと洗剤(センザイ)

     

     

     

     

    分解力の弱い人がいる

     

     

     

     

     

    ドクバリ、という浄化可能の一定的に帯びる業がある。

     

     

     

     

     

     

    静かに起こった水星事件から、

     

    煙草の爆発、逢瀬の際の「犬猿の仲」

     

     


     

    良いか、

     

     

     

    あなたに降り注ぐものが、

     

    雨だろうが、運命だろうが、

     

    留め金などがある筈もない

     

     

     

     

     

     

     

    ここまで、この理解だけを耐えるのは、

     

     

    きっかり端から見て心といった長所で、「~かもしれない」程度にしか解らないことに手を出さず、間違えたら気を払い、

     

    何があってもそうし続けることで、

     

     

    早い足を映えさせるからだ。

     

     

     

     

     

    菩薩や、仏から、

     

     

    あなたの心を

     

    決して留めない

     

     

    この理由が

     

     

    自身が気付く間違いをあなたに渡さない

     

     

    留金を、他人に譲る意味があり、

     

     

    菩薩が間違いを気付かせるわけない

     

     

    上文の通り。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 本和院は母のこと、為

     

    私の骨削る

     

    何か老廃的な小人に狼狽したとの理由

     

    私の施しと供養→私を恩人と示す

     

    本和院の知見は、示すこれのその時間が削除されたことによる

     

    つまり、これまでの時間が削除されたことの知見が存在する。広大に誰に聞いていいかわからない一目である。

     

     

     

     

    天でも人としての霊でも「約束」にたいしてのことだと

     

    罰を受け入れる

     

     

     

     

    これを読める、激しい葛闘と話し合う

     

    気になる一線を引く

     

    蟲ーの理解

     

     

    を導く

     

     

     

     

     

    理解以上の想像を

     

     

     

    蟲ーは最初の敵、

     

    一番強い

     

     

    きつい、嫌や、そう言う者に何か自分の理屈を押さえ付けるエネルギーをそれに注ぐ。こうした重力で私は出来ている。

     

     

    「心のブレーキ」を学ぶ。

     

    こんな優しさで良いだろうか?と思い悩むが、これは世代の親とした題であり、自分事と思う。世代に関わるのは自分だから。話しかけるタイミングを時に待つ。

    やさしさを諦めていないが、精神は精神にしか繋がらない。

     

    制限的に自由を表現する。光となるのは、普段そうして悟りの中を生きているから。その中で、へそ出して寝ている様は目立ってよく見えている。

     

    そこに紛れている正当な人もいる。

     

     

     

    いくら天でも上の母のように悪さをすると、強く飛ばされる。

     

    条件が自分の前にある時間としての今を受け入れざるを得ない、元論に

     

     

     

    罰金の量質が伴う

     

     

    閉ざした所で解るところに慈悲がある。

     

     

     

     

    「明日のことは判らない。」

     

    目の前にいる人、すれ違う人、その人と自分が何を感じ、その人が自分に何を発するか判らない、と言うことだ。

     

     

    明日のことは判らない

     

    だからぎゅっとしててね

     

     

     

     

     

    今を守れない人のために天中に佇む者と、

     

    頭をより低く置く姿勢とは、

     

     

    私に来る前には必ず努力が出来て

     

     

    天は、仏道増して我が自身抜き打ちで来られる、

     

    と教える

     

     

     

    遊びの気持ちが欲しければ

     

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