揶白 (KF)

絵画

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    Works 43

揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 43
  • 方法論110,111

     

    霊界は仏様ものだから、締まっている

    のであり人間が手を加えて締めることもない。私、人間、現代人、生活、取り組み等を表すのに、紙幣、紙幣玉を、この

    「手」である、空を意識し手前に置いて目も「手」である。見ると、

    知識は全て天へ表現されることで、許され、感性を身に捉える自己一人だけが残るだろう。さあ、責任だ。紙幣その物に、知性かあるから自分がわかり、この写実表現の一種を要典と見比べる。

    前を向く自己の動作も、これだけを考えると良いこと、重さ、足りないこと。アミリタもまた霊の花名で、「何となくわかる、何となくこう感じる、何となくの必要。何か感じているだけで解決している」この二つ。即ち、解決しているのだという実感や自覚を重複したいのである。

     

     

    光は、自分にとって1〜2年の者、それしかいない状態が1年あった。これは、丸っ切り“どこでもなく”、これを知ることを一段目として霊力に励む。全ての者を現す龍神の霧だ。

     

    1、2年といえば、外見だろう。仏像も現金。同じだ。世の中の傾きに私の心は息を止めた。私は、何が自分の心を打ったのだろう「ワード」この言葉も貰いものだがそれを手掛かりに禅問答を素足で掛け傷だらけになった、ワードはこれを額縁に飾り入れたら名刺になるのでは、そんなスナックをチャリチャリ心のお財布に詰め込んだ。の車で痴漢に遭っているのだ、これは心の芽である。輝かせることもなく本題は闘魂に、南無阿弥陀仏を知ることへ蟲ーは知り尽くされた。

    バイト先から時空さえ異ねた私の家とその手前の真っ暗な扉は、本当に無人を現している。職場の帰り道に福島の脱原発について良い意見に耳を済ませていた。人々は人々を上回ろうと余計なことを考えまるで問題を逸らしていた。

    私は每日遊ばずに帰っていたのであっても、木屑になる時はなる。自分の知らない恨みの話からするしかないアッテルからして我が国は土方の温かい鋸の人から、神から、私は木屑の様になり散った。アッテルよ、お坊さんになるより私は風になりたいのだよ、豆腐になりたいのだよ、アッテルちゃん発酵食品はヨーグルトのほか豆腐はしらないだろ。天部とかで調べるとさぁ、見て仏様の絹のドレープのあの一つになりたい。いま、変哲がない、現実を良く捉えるとそこにこうある、そして覚えている。容易に塗り替え、自己で塗り潰したから。神秘とまでは行かない。覚えている。誰かの「いない」曖昧な生まれた湖だけは歴然と存在し、修復中の地球で、この忙しさでも掛けて向くんだ。立ち止まった心を無欲の視認だけで、死ぬ時は死ぬのである、の囁きに、理解していた心に重んじ、擡げる。アッテルは決してキャラとかではない、要は本心から単純で、あれこれ思考したりせず、何かでさっと笑うお日さまの系かりだ。日本昔ばなしに書かれていた。だけど悩んでる。神仏が運ぶこの禅問答。回復不可能なイラストキャラに自分がなるとかと、見分けは、何か厚みがあるかないか、微妙な見分けだ。イラキャラに自分がなる、とイラつかせるというそこに悩みの実相があり、ここが、こちらが韋駄天のコスプレをする思いで尋ねる。戦時中の心や、天の川は字に書いて写す。心は裸だが、服を愛する、これには、心が裸でなければいけない。心が裸とは、こうしたいああしたい、でもこれは心配だ、出来るか出来ないかを決める。その規定モラルの正しさから確認し、安定を確かめたら、南無妙法蓮華経でも何か一神を一字にして癒える(いえる)ということがあり、丸々と上全体で、これが心なんだ、とわかるからだ。まだしていないこれからする大切なことは腹に括り、命綱にする。何かしたら法を知らないのだから事象が空念でない程に耐えれ、確かめたら、解き放つこと。

    自と他の関係は、一対の何でも神に相談するのはもう研究であり、優しさを想定する限り存在する優しさとは、それが知者である。のは、言い伝えでは良く誠により、湖の供養でも唯物論的な空想の思索も力をする。大切なのは、規格の相応。「死」という規格にたいして目が合っているか、相応しいか。

    真髄は、

    楽しく笑うことを考えるうちに、笑ってるうちに行先を気にしなくても見つける。これが供養が自であり自を養うという正しい姿勢は、自他共々の幸せの祈願である。

     

    耐えるって凄いことだ。湖を見てもただ“何か”わかるかなぁってことが一番大切だよってアミリタは言ってた。ただその感じる物事の端を捉えると、サンダルで山を登るじゃないから足がずいずい早くなるんだ。鏡に映る物と同じ穴を手に入れるとか、同じ穴といったんだ。“同じ物”じゃなくなるから、気配がはっきりわかるんだよ。違っていることを諦めて見つける感じ。そうしてみることと、広義な理解により自由になった心は生き方を元に帰すから、変わる、と言う事と、悩み方のこの酷く豊かな対処。悩み方の重大な対処。

     

    梅花より青空を行く現代の、そこに思った地球の相貌に馴染むこと、を見つけた。可能であり、平坦な、空気である、そう希望とぴたり一致するこのスケール。誰がこう考えたんだ!って、「誤」も天にあり、自分たちには仏業(ぶつごう)がある。初めから、誤が加わっていることを神も知っていたのを何度も見たんだ。ただ「誤を正す」が人間には、始める為の免伝なのだ。硬鉄な山騎士も、偶然に失う、自分が偶然にたいして溶けることには硬鉄だろう。誤を正すならゆわれたことをするのを好きだから親を大切にする、休みたい、気持ちに沿ぐう。子供より大人を尊ぶ。不安じゃなく心配に話しかける。モラルに達した時だけ、水は水だ。そしてその意識は全て同じなんだ。

     

     

     

     

     

     

    コロナの様子は、本題意識と、蟲ーを持てる力強さをしっかり思うことから人物を想像して欲しい。逞しいが、鬱になっていることの色悪さである。際においては放蕩という言葉を私はしっかり知っている、という砕きの通念を確認したら、上を行くさらなる慢心に出会って欲しい。「言葉」が、恐いのだ。

     

     

     

    気になって家まで追いかけてくれた土地の天霊はまた仕事である。

     

     

    叺さなければいけないことがあったのだ。

     

     

     

     

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  • (追記)方法論107,108

     

    気遣ってあげたい、優しくしたい、仲良くなり、

     

    また距離も、

     

     

    原理は、蝋燭に付けた火はみんなわかり知っている

     

    何かと思った

     

    地球だ、一つの名前が原理だ

     

     

    そして、

     

    これを“作った”のだという線香を、天に如何に細い煙でも、空へと思うと、

     

    自分を大体覚えてくれる

     

     

    重力があり、ただ歩くだけ

     

     

    不動明王の背後の炎も、意志として、

     

     

    自分の意志、心の火を思い

     

     

    「約束」をするのじゃ

     

     

     

     

     

     

    いわずもがな、たばこは水神としてこの形を示している。伝承を現す

     

     

    神は、私よりも「向こう」である

     

     

    今、人間の身体が、傷められ過ぎている

     

    後は良くても、問題がそれだけである

     

     

    嫌は、感情を持ち兼ねると書く。「嫌」この言葉を、才能としている

     

    中国と日本は、私たちはこうした正地図で見ると最も遠い

     

    こうだ、と簡素に思う古い教えと憧憬が「鏡の世界」として今に継がれる

     

    波打ち際と地平線を交互に見ていると、何か考えるのである

     

    日本への旅行は、天には気強く「こう思っている、これが知りたい。どこであろうか?」目的定める時であるから、はよく考えるあろうか?、この間のゆとりが的を見つけやすい。私、も何もなくて良い。

     

    人の心の年寄りの多いであるから、若い者と硬い話をすることに座敷でなくとも適している。途中、狐やたぬきを紹介されるが、動物のきつねや狸自体神であるから、人知れぬ所。

     

    人間は、

    「あなたの徳を積みたい心はようくわかったよ。私は、“一人”になっても良いんだね。」

     

     

    日本海の、地平線が靄がかる暗い、悲しみの静かな光景を思い出した。ここに、何か自分の好意的に知ってほしいことが眠るのだと考えついてからである

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  • (追記)方法論106,107

    特別技術擬宝珠と祈り

    https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=116365

     

     

    霊界と、地球の惑星を見比べてみよう

     

    地球のセカイ

     

    自分の心を自分へ親しませる

     

    羨ましい(好感)、嫌い、

     

    この深い自分の「声」

     

    いつもそう思うだろうこの自分の心の形さえ得れば

     

    問題は対象化する

     

     

     

     

     

     

    この日くるのかと、ほんまに駄目なものかがはっきりわかって、良いなら道や道標に放おり、帰し、元やグラウディングを正すに向かわせる、この簡単なことである。素晴らしいからやってみて良い。元の間隔をこそ人間は知っているから。

     

     

    霊言葉はぴんとこなくても、直感深く良い言葉なら

     

     

    黙って自分の悪い所を地道に直す、天下り、天、試みるならば何の変哲もない光

     

    となり、もともと孤独な、繋がりも曖昧模糊が限界となる

     

    執着のない

     

    ジーパンみたいに良くなる

     

     

     

    意外だか、

     

    生活、現実感の強さが霊界の重点の軸になる

     

    生活は水星よりか、地球、原理的な

     

    これにより理解が硬質になり

     

    から、ちゃんと自分には開かれきった良い形になる

     

     

    だから「くふ、工夫」なのかな?

     

    と、ワンランクスピードを上げる

     

     

    高ぶったり、陰極的な自意識など

     

    感じることの限界、原点的、瞑想に返す

     

    月読尊という

     

     

     

    こういう、あとから見れば虚空蔵の知恵の輪だが、

     

     

    私は私を生きる一心で、何かを自我が欲しいと思う走り込みは目茶苦茶であるが、心に走り続けると

     

    憧れの考えやや名著に出会うものだ

     

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  • 方法論104,105

    ・痛い目をみた、ちゃんとした現実もある

    (自然に爾時タイムという時と考えられる)

     

    ・命のない神がおる

    神は愛情があったのに逃げて、来ない

     

    得意の運動をしていないから

     

    ・コロナ(蟲ー)

     

    自分の神は、理由を知りたくない

     

    (出てくるもの)

    天は天で人間という自分のものにならない

     

    だから、現実にたいしてクッションを挟む

     

    たから、手間が力になる(楽しいことを作る)

     

    デジタル乱用に備えたんだ

     

    誰も知らない、文学が力になる、と

     

     

     

     

    ・恥ずかしいといわれる、観点の視点からして

    他のことで「困ってる」

    何がってないよ

     

     

     

    仏様が巫覡に練習やコテ調べをさせる

     

     

    ・何もしなくて考える、→大人と付き合う

    ってわかったよ

     

     

     

     

     

    誰かに付き添う…

     

    家だとわかる点から始めないと危ないよ

     

    自分はこのセカイ系米粒だ、自分は一粒の米粒でいいから何か聞きに来たい!

     

    くらいの思いなら、自分の神様に米粒一粒持って相談する。「自分は神前にいます」と、そして、この人の上の仏壇に二言聞く。心配がなくなる。

     

     

     

     

     

     

    (コロナ「蟲ー」)

     

    素直に

     

    羨ましい、嫌いを

     

    一つに

     

    人でないものに向けてみよう

     

    人に向かっても、人は強さから受け取れる

     

     

     

    戦争の擬人体験

     

    人は賢い

     

     

    迷ってる霊は、あんまり見つけてあげないで欲しい

     

    仏様が探してくれるから大丈夫

     

     

     

    (攻撃が人を避ける)

    いつかあなたが人を知ったあと、手が覚えている 手や手の皺、好きですか?

    心をそのまま神へ渡す

    あとは意識や、心を目指す気持ち!優しさじゃなくても歪んでいても認める強さ

     

    しっかり見て自分を大事に

     

    意識だけでも、人を踏まない自分を知る

     

    上下が有ることて、上下もないセカイの自覚

     

    だからセカイの端が「解る」と、セカイ中は肉体が一つも無いの

     

     

    想像と妄想は全く違う

     

    手と想像だけでする

     

     

     

     

     

    咲いたらすぐ1円玉を見て持つ! 今捨ててはならない過去の自分の功績

     

    そのあなたが出会えた

     

    これはちゃんと高鳴りや悪いことを避ける神様だ

     

     

     

    パーソナルスペースの方が天に強い

     

     

     

     

     

     

     

     

    (直す)

     

    不安定を、深呼吸(水神はたばことヤニクラ)陰で陰を防ぎ、日中の元気を養う

     

     

     

    私、この霊は悪いことを何もしていないマリア持ちです、

     

    世界にまともな興味を持ちましょう

     

    “私は、”神と話しがあります

     


    自分でこうだときめないで

     

    私はきめてません

     

    私はLサイズだから

     

    Lサイズだけど、上とは星間のように複雑で、さほど上下にいるわけではないです、心配なし

     

     

     

    (神棚と仏棚)

     

    自分を米粒の一粒だ、これで何か知りたいと思うくらいなら、家だって、壁がお互いあるって、時間の美しさや、わかる時点からしか始まらない。それくらいだったら自分の神様に米粒一個持って、意思を相談する

    感じ取れるこの人の上の守護仏様に二言聞くともっと安心だよ

     

    (世尊は違うよ、本人と地道に付き合っていないのに先祖とかいうのはもうコロナ扱いでいいんだ)

     

     

    今は、深呼吸が少ないから不安定

     

     

     

    (土星)逆境

     

     

    私…水星コンプレックス

    火星から自力なの、コロナ禍のくせに全然素養取れてなくて、激しい幸福を感じて自分にたいして欲なくしちゃって、お金貯まったら先に世尊に走りに行く。それでも、未来の自分はかなり楽しみ。野球観戦や体操!!自分は自分のことだから出来ないと退いてしまう苦い思いを持ち耐える。周りもコロナ禍。この中で生きるってスリリングがヤバい

     

     

     

    (霊イメージ)

    自分たちはもっと「はにわ」の感じだよ。解るでしょう、先行きの分からない時代は前にもあるんだし、それらは話せるかわからない神。光の時は、はにわと繋がろう

     

     

     

    (大きな問題)

     

    冥界に

    霊界

     

    美しい、人も現実で休む霊界そして

     

     

     

    天は天、人間は別モノ。この全て不意のかけ算が、その仏界なんだよ

     

    うっとり磨ける「勾玉」をごらんよ

     

     

    ここに全てが現されている

     

     

     

     

    全ては物への興味。霊界は、地球のものだからね!

     

    原理から学べば、人の手出しは消えるよ

     

     

    いくら物に感動しても、左に滑っちゃうんだよ、難しい〜

     

     

     

     

     

     

     

    自分を決めず、自分の性格を許していくと

     

    こういう性格をアッテルも言ってるんじゃなくて、日本人もその文句がその的じゃないんだ

     

     

     

    自分が明るいか暗いかで、認めるか否か、言葉にしたらすぐわかるよ

    背後霊になるかならないかを決めるようなものだよ、私は無視した

     

     

    いじめっ子は一番弱い

     

     

     

    (衣食住はカリキュラムに決まってるんだ)

     

    欲は、二択で欲を選ばなければいいんだよ。練習ならばね

     

    強い欲を捨てれていなければ成り立たない

     

    一人でいる時の自分の心の動きが、他者に影響するわけない

     

    それは正しいし、「念」というのは弱い

     

    何でそれが誤りでも気安く力を持つのか? こう思ってる

     

    似ている語、意欲と欲、マイナス思考とAnger

     

     

     

    (心の傷口)

     

    自分から出る邪念を自分で上回りをして治す、良い霊気は上記のここから来てる

     

     

     

    人だと思わずコロナ渦に前向きに取り組む、「お化け」でしか彼はいない。何故? 先祖やそれを恨んでいる人や天霊がすっぽり乗っ取る、そのまま天井部にお化けで浮かんでいるの

     

    三十代からお化けはピーク、超えた人は一度、必ずお化けはいらないって思った答えと今日と昨日とが繋がる風景を合わせて、神に「良い」をお祈りしよう

     

     

    何でコロナなのか?って、その間に啓蒙したり立ち直ったり全て終始あなたなんだ、あなたの彼へ向く視界もあなたや他の誰かなんだ

     

    ほらそいつの本当の顔は犯罪者のアレよ

     

     

     

     

    「マイナス」の理解が出来ました

     

     

    しかし理解をした主語はあなた一人です

     

     

     

     

     

     

     

    (祈りという文化に親しむこと)

     

    祈りは追求、神棚でも身回りでもふさわしい形、馴染む形に自分も心を動かせてどんどんしていくんだよ、こうじゃないと意味ないんだってば

     

     

     

    (湖を知る前の大変な話)

     

    仏陀は天国と地獄

     

    キリストはみんな天国、犯罪しても贖罪すれば許してもらえる

     

    会うまで(贖罪って字は…もっと難しいし大変だよ)

     

     

     

    「箱舟」の意味が色々あって、さすがだ

     

     

    日本への布教は、プレイのミッションにより目を開けても閉じても逸れることを確認したよ。昔ももっと昔の証拠が人になくて「誰も知らない仏界、人のセカイの様」が、必要な解答になる筈なんた。

     

    每日は、何回も繰り返してたら新しいリズムが付く しっかり着いているから自分自身や天霊なの

     

    くっ付くって、外側を意味してあり得ない〜

     

    友達も、お互いが自由で、気にしない時に勝手に成り立つから時間に優しいの

     

     

    愛情が芽生えたら? 今すぐに神に「この愛情が芽生えますように」

     

     

     

    二通り

     

    ①勝手にする、二間の愛情が重かったら神に芽生えますように

     

    ②迷い過ぎた霊なら、「よそ見をせず生きるしかない」

     

     

    時々、その特定出来ない「優しさ」を自分だと思う。自分ならば

     

     

    もっと、本当のそのスケールや、イメージに近付きたい

     

     

    これを思う時は、自分は格好悪くても凄くそう思う

     

     

    猫が邪霊を運んでくる時がある。猫は生まれが家だから、顔を見てみる、邪霊に強い

     

    夜泣きや、喧嘩しても、3回目はにゃ~

     

     

     

    「気にしない」この感覚、この大切さ。

     

     

    愛情に繋がる修行ではないか。

     

     

    ①夜泣きに付き合う

    ②ミルクを与える(可愛がること)

     

     

    猫からスサノオゆうたんは、憎しみのトビラとか、古代の神話や、感じ取る為の聖霊の里とか、勉強した。山の湖の端っこに赤黒いその扉が置かれてあって、、ってくらい平和でさ。私はテレビでいい

     

     

     

     

     

     

    時々、言葉を過ぎて機械的な理解をしようとする人もいるけど

    言葉は一字に一つなんだ 実の言葉の顔は、エモーションより上回るモラルに塞がれて、生まれる。それを使う限り、意味を理解しないよ

     

     

     

     

     

     

    モス

    一本道なら許せる

     

     

    (世尊)

     

    タイミングや解は話さなければわからない

     

    私が良くても悪くても私、なんだって

     

    ある時、は近付きたくても話す術がない

     

    世尊が未浄化霊の場合

    現に、消費を窮屈にしている

     

     

    沢山色んなことを教えてくれる

     

     

    コロナ(大屋彦は神)は、縄文時代には存在できなかったって

     

    人が人といて、人の顔が誰でも人の顔を知って近くにいるし、空気がみんなそうだから、追い出るのだ、と言えって

     

    神も、支える緊張感が人が心にあるかないかだけど、今はこの調子で良い

     

    挨拶をするタイミングも神だから、今日、昨日何もなかった様子で今日のことだけ考えてもわからない、正しい風景を描けないよ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    私は「馬鹿」

     

     

     

     

     

     

    アッテル、問題を出してくるけど私は来たらやるから敏感にならないで欲しいんだ。そして心をカラオケに乗せて口に出して欲しい。予想だけど肥ることが何かの律で決まってる

     

     

     

     

     

    (神も意思を忘れて来られる)

     

    これを教えるにあたって、クイズじゃないから巫覡(祈り人)がいるし、人間も一人がいるんだ、偶然もあるんだ

     

     

    私は、あなたが理解してあなたの答えを出せるように成長を強く望む

     

     

     

     

    読んだら、シャワーで水三分を浴びなさい

     

    気を元に戻します

     

     

     

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  • 方法論102,103

     

     

    あなたが私をあなたと言った瞬間、あなたは勘違いをしたのです(旧)

     

    あなたが私と佇む時、コロナを見ていました

     

    何が居ることもなく

     

    私は良くも悪くも私、世尊

     

    あなたのこと、私が言った時

     

    技能分野は物語れなくなる

     

    ここが、そのへんではないから

     

    こうした勘だけが生きる

     

    こう乏しくして行くと、これがこう

     

    あれがこう、と、

     

    仏様を隔てて伝わる感覚を生やす

     

    これが、「会話」なのだと

     

     

    素直に私を見て、ほら遠くに罰と書いたコロナを乗せた船の様が居るでしょう

     

    見えるものだけを信じて

     

    見えたものから動かない方法を求めて

     

    直せることは直し

     

    退廃主義、天照の漢美しさに流されず

     

    デラックスのセルであれど

     

    心の良さを良さにし自意識と自分が同一だと言うような大切な笑顔は

     

    ただ有るのを見逃さず

     

    自我と一つならば超えて

     

    客観性という一つの主題を生み、生み育て、

     

    無理難題も飛ばすことで超えて

     

    誰もいない世界を守る

     

    誰かいる世界を「無」を向けて

     

    見過ごすように生きる神をそっくり見習って

     

    それを修練と初めて言う

     

    「言葉の通り生きる」ことです

     

    ことばではない

     

    人間らしく、終わりもなく

     

    見るのはつまらなく、現実と変わらない

     

    世尊と、どこか雲で会う

     

    妻は波、私はあなたを襲う

     

    身で、不思議な時の客、その一人

     

    パーソンは「流暢な…」

     

    出会うこともないのに出会えた

     

    今亡くした恋人かのように

     

    妄想を妄想で叶えるのという、

     

    これは人間の仕事、祈り、考えの技術へと

     

    私を助けることもなく

     

    あなたと同じ生き方を貰う

     

    直るよ、

     

    今日は日が長く、天照を遡った

     

    崇拝を壁とし、同時に柔らかい考えがあり、

     

    「友達」を見たのも初めてだからだ

     

    リミットを捨てず

     

    仏陀の躾が完了している様を文献「ブッタの言葉」から心にし

     

    沈黙の善意をたった春意気を思って

     

    継続は成されるんだ

     

    五や、星が出てる

     

    視界に見える船の乗人、その数は世界中で二、三人

     

    と私は計算出来る

     

    コロナや妄想が変化することもない

     

    妄想が変わることもない

     

    あるまいとも違い、興味を持った新しい考え

     

    怒りと誇り、も高度な色だ

     

    あなたに理知が有るなら、時間のない塊と自分とをしっかり見て

     

    比較されない人と人を知って

     

    場所、心の箇所に合わせて

     

    何も言わないで見る己の静寂だけを信用することだ

     

    身を作れないこと、これが現実

     

    己を繕えないことは嘘

     

    己を繕えることは自覚

     

    素晴らしい、成長し続けられる大人ということのフォルム、

     

    自分の成立の夢を見出し明日の元気に秘め

     

    その小さな言葉が心に成長していて

     

    やってみる改善策は今も

     

    費した歩数は裏切られない

     

    重大な言葉が、どれほど重大でも出会う運命も等しく

     

    遠く久しく有り、等しさこそ物事を超える立体的であり、

     

    皆がわかる真実の姿がわからないのは皆じゃないから

     

    こうしてしまいたい、は

     

    出来ないことで

     

    だから「民」の字も仏と全く異ならせ、「之、私は犯していない」という=

     

    人間同士や間隔の素直を異ならせず

     

    あなたと等しい心ならば

     

    “出来れば”同じくらい、あの人が好きと

     

    孤独の中でゆってた

     

    正しい夜、星月空の夜、自分の静寂を探しているとか

     

    休みがその休みだから、明るさも身ぞしる明るさは軽やかな筈

     

    何も悪くないなら信じてみる

     

    これも改善策

     

    コロナの悩ませた彼が彼で人だった区間も忘れず

     

    怒りと誇り、美しさ

     

    見えるのは努力のみ

     

    こんなに広いと感じているのは、未だに知れない誰かのことを

     

    あなたも思うから

     

    森だ、知ってるかな?

     

    地図(書物本)の通りに進んだんだ

     

    辛いのは実践としての知識に勝るものがないからだ

     

    どう思っても、あなたや私の真面目さは

     

    殺せないことのように

     

    あなたも私も変われない

     

    感情、水に赴くと

     

    あいつの「言いたいこと」も見えてくる

     

     

    例えばこれ、ルーツを知りに行くのに読みとることも出来ない墓石の字を

     

    そのままじっと見てると

     

    浮かぶように少し読めてくる

     

    これらが決まって純な関心にたいして

     

    「ぼくはあなたを育てる、あなたはもっと大きい」

     

    あなたの私は素敵な一人の時間を得て

     

    それにより酔いも酸いも捗らせ

     

    墓石のような湖を、永久に止まったジカンを

     

    そういって、約束を積み立てるのだ

     

    誰しもが答えを貰いに急ぐ

     

    供養を見つける

     

    恋人にたいして、親友にたいして

     

    地の果てに晴れることだから、遠くと考えた方が良い、でも

     

    こうこれを見つけたと

     

    こんな甲斐のある恨みや

     

    受けること、修検を、

     

    何やらと一緒に、

     

    身を乏しく、豊かに飛んで、選び取る

     

    心を重さに委せる軽みの秘訣

     

    憎しみが、この世界の嚙み物で最も硬いが

     

    何とか一人になれる、守りの利きを増やしていること

     

    「だから、行かないで」は、掴む物じゃない

     

    そうするのは、幸せの尊厳だからもう何もないんだよ

     

    与えてしまったら、忘れる

     

    その忘れられれる者の暗さを

     

    それだけを選び取る

     

    本当によりどりではないよ

     

    知りたいことは変わらないのに

     

    面白い、可笑しいわけでもなく

     

    変わり過ぎた人も視界にはいない

     

    ずっといない

     

    何もしなくてもいいから、ただ居て(生きておれ)

     

    という菩薩のように

     

    心の中には信用がある

     

    見栄えていることよりこれを見せることをする天は

     

    見た感じももっと高かった

     

    都合の力は半分妄想だから無力

     

    とも言えて

     

    「ない力」だと転がせるのは過去が今より勝るから

     

    時間を持つ、持たない、自分だけが知る

     

    この別れを

     

    行動の全てや大人さを自分に託す

     

    考えの芸術、この一歩は

     

    私に存在しないことこそ覆ることもなく

     

    恋愛は単に思い込みのお菓子だ

     

    それでいて人が好きだという

     

    切なさを超えて笑い合う

     

    手前の時間が、偶然じゃないとわかるからだ

     

    奇跡がこっちだと

     

    起こしてもらえる、ことと

     

    起こすこと、は比べるこ

     

    身の回りで笑顔という無心さを育んでいないものには

     

    よそはもっとよそと言って

     

    「い」と名付けて追っ払う

     

     

    捨てるものの対象を知恵の輪といった簡易なパズルほど解いて

     

    また、解けて

     

    思考の真似より気持ちがこれをこうする

     

    力だよ

     

    要るものが分からないうちもある

     

    この間をつかんで心の穴をつかませてから

     

    塞ぐ、動作が変わり、

     

    それから他人の穴を見て捉える

     

    人は人の徳を祈るから

     

    手に気付き、死と限界に気付き

     

    それでいてやっと人は霊に成長して霊界は仏様よりもっと強くて

     

    それは業以外であり

     

    生活を伴って

     

    やっと会えるのですよ

     

     

     

     

     

     

    そして私は瞼を固く閉じます

     

    平坦な、単調な、続けるべき每日。わたしがあなたになるのでしょう

     

     

     

     

     

    こうつらつら書いた後に、

     

    「出来ないこと」を私の眼前にされた世尊に

     

    希望を下さい、体に悪いわ、

     

    と唯一の口を開くのだった

     

     

     

     

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  • (追記)大切なこと(8)

    勝手に来るやつしか見ないし、それにたいして“自分”でいてあげたりする。

     

    自分の財布だけでするから、世の中の動向を見るお釣りが出る。善霊とはこういう、そこに好意が付いて、

     

    来るやつは勝手だから、

     

    対して、故意にいじめてくる人は、霊だとわかると、退治出来る力があなたにある。

     

    悪霊、意地悪=弱いから、自分の中に気が弱いなと思うところは自分で認めて他の気だと分かる。

     

    それを、放おっておくのが愛想がなく良くない。

     

    間違えてしまったらそこに善霊がいるから一言謝る、間違った認識と間違ったことを表明する。

     

     

     

     

     

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  • 祈りの礼

    これは、霊の想像と礼だか、大きく切り崩して考えても良い

     

     

     

     

     

     

     

    神棚とは気持ちの良いことの譬喩で、

     

     

     

    スマホを本というように、

     

     

     

    詰まり、強さが噛み合うことの意味する…

     

     

     

     

     

     

    こうしますは自分

     

     

    こうしたいですは神

     

     

     

    に置く

     

     

     

     

    業のある仏とも話す

     

     

     

     

     

    何度たしかめても、一人の考えが人と人との間で大事で、

     

     

    自分の神道をもつと、濃ゆまって来る

     

     

     

    祈りを始める前後を実存的に変えても、近づけば、神のことを知るようになってくる。「あなたが神様とお近づきになれますよう」といつも言うがやはりそう

     

     

     

    苦しくないはずだ

     

     

     

     

    君は、何故なら此れを知らせに行くのだから

     

    わたしは、それを聞いているのだから

     

     

     

     

     

     

    神道文

     

     

     

     

    ナマエと言葉は、ナマエが増えると名前ばかりに宿らずおれが言葉になったらなんに成る?

     

     

    なんに成るのだ?と、いってるんだ

     

     

     

     

     

     

    話す

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    声の出し方を知るように、

     

     

    見守られ方を知っていると、80%の不安が減るからだ

     

     

     

     

     

     

    通じ合うことは、友達にたいしても難しい

     

    不安が感じれないと見下される

     

     

    物資を袋に詰めて、歩くと

     

     

    仲良くなるぞ

     

     

     

    ある客観視が見えて騒いでも、それは客観視

     

     

    主をいう客観性とは異なることば

     

     

    だから、主があるのは客観性

     

     

     

    「2問あり、役に立つ方があなたの神、もう1問は釈迦無二仏の知らせ、仏とはお葬式にいのる」

     

     

     

     

    私の場合は、

     

     

     

    文学に興味がある

     

     

    よって霊的な光に文殊菩薩がある

     

     

    締めてくださるのが、干支仏で

     

     

    そしてこれが守護神だ

     

     

     

    干支仏の意味を深くするには光を声に出す、

     

     

    そして夢が、神の意味を伝える

     

     

    初めて、干支仏のやくわり(名前)がわかった

     

     

    イメージは、得れる神から

     

    勇気、美、健康、愛、

     

     

    足りないものを集め広げて行く

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自己から離れた己は何者でもありません

     

    自覚はもっと奧にあります

     

    自分を離していないことです

     

     

     

     

     

     

     

    邪神は意志と意思を知ってる

     

     

    意地の方角を知りたい、と遠くの神が言う

     

     

     

     

     

     

     

     

    日に何時間かこう考えても、石は剥ける

     

     

     

     

     

    話せて良かったです。と、神に健康を捧ぐ

     

     

    捧ぐは、この身体で神と心を一つにしますよ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自意識と、客観性が心に透明になれば、

     

     

    こうしたい思いが通る

     

     

    思いを踏むのか? 退かなければ進めないナ

     

     

     

     

     

     

     

     

    1日に行う修行です

     

     

     

     

     

     

     

    大変なときは大変なときの、現代人の、

     

    こう出来る幸せは、

     

     

     

    S M L Gの4サイズ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 憲法2

    清貧な追求、清潔な、質素な、

     

     

    人の繋がりをもつとしたら

     

     

    家族でいて

     

     

    部屋の他に、誰も知られない壺は要る

     

     

     

    ナンデモ合わせるというひとは、

     

     

    壺でも、道でも、

     

     

    気持ちの波長がある時だけ

     

     

    合わせることは出来ない

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • セカイの中の仕方なさに正法がある

     

    蟲ーとわたしは300億年は遠く

     

    精神上でしかない値とは、偶然ではなく、

     

    良い加減、見上げることを教えたら、

     

     

    見下げるより大変で、重く、

     

     

     

    これを、

     

     

    この界隈のひとは重いものを持ちはじめて今ももってる

     

     

    重さ自体は変わらないねん

     

     

    あなたが感じている重さと、同じ重さだと知ったら君はどうおもうだろうか?

     

    いくら喋っても、

     

     

    力の差って埋められへんねん

     

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  • 修行技法

     

    光だったら中のその世界、そのオーラにたいする抵抗や対応した服、そしてそれを服というくらいの客観性がないと、裸んぼうじゃ破れたり負けたりする

     

     

    光や霊界、この善の様子の、もう一面が冥界だと知り、

     

     

    畏む

     

     

     

     

    怖れたまま信じる態度。恐縮、慎み、強か、これらを合わせた世界観のその元の姿

     

     

     

     

     

    次に、ここにある「気練」というが、蟲大屋彦猿田彦神

     

    光を認める為に、

     

     

     

    何もないことが大切

     

    ①手を合わせる

     

     

    ②こすり合わせる

     

     

    何もないことが大切、ただ身体に手がついていると思うコト。この修行は念を除いて、念では非ず

     

     

    ③手と手を離していく、戻す、の何度繰り返す

     

     

    じんじんする、などを感じるのだというが、ただ手がある、ということを感じ、集中する為

     

     

    ④ ③の動作を大きくして、球を作るイメージをする

     

     

    手と手、手と心を相談し、更には知識を粘る

     

    イメージと平行し、

    最初の、何もないことにたいして、手があることが大切

     

     

    ⑤内側を向くこの手の平より、次は動きを丸く描いて行く、イメージにたいして手の動きをそう合わせる、繰り返す

     

     

    理想に合わせるということを、手だけがある中で

    手と相談し、覚える。顎を引く、この姿勢の元のかたちを何とも感じる

     

    次にお祈り

     

    ⑥手を回したまま、球を大きくするイメージ

     

    こうしたいなという知識に天の波長を感じる

     

     

    ⑦球を、両手の二つに分け、一つは口に

    一つは病の患部へ

     

     

     

     

     

     

     

    グラウディング

     

     

     

     

    ①力を抜く

     

    ②「あー」と、声を出す

     

    ③何もない正常の声を聞く

     

    ④何日もする

     

    毎日の心掛け

     

    ✩何もない声を何もないまま太くする

     

     

    縄文杉を見れるかも??

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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