揶白 (KF)

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  • アニメについて

    2021/12/10

    メモ

    もともと霊媒とは「苦しみ」が、人生のもっともテーマなのだ。

     

    超人、仙道、そう云うことを目指すから、人間とは違う。

     

    僧侶にはなりたくない(至って男性的で合わない)から、気品というものが丸々ない。

     

    人間がその修行をみたら、ショックを受ける事であるが、

     

    「あの人」よばわりで構わない。失礼。

     

     

     

    最近、如来や、菩薩、太秦、こう云った言葉が、自分で探して見つけていくものだと知った。

     

    ヒップホップの曲でたまに見かける。意味を云って述べていいか分からないが、

     

    僧だからと云って仏に興味が有るとは限らず、むしろ強い修行者とは、「龍」など精霊と結びつく。

     

    仏陀は、「悟る」と書く。

     

    一方、釈迦無二仏を「どのように呼んでもいい」らしい。

     

    守ってもらうなら、お仏壇に手を合わせる。理論はないが、精霊としての決まりがあったのだ。

     

     

    「こうして仏陀は如来を許し、世間(よのなか)から追い出した」

    エメラルドさんと云う詩人の方がいるが、
    一行一行が人々のものであり、一行一行は離れている。感じる行の言葉を軸に、自分の連想する事や思いを、応答するように綴る。とそれがロープになり、連絡網になり、詩が筏(いかだ)のようになり、川なのか海なのか、旅立てるように設計されてる。
    息をするように漕いで行く。

    「行路難、行路難。」

    何事も最初だけはくらく、笑われている時間は長いだろう。
    稼ぎ手(武力)と作り手(粘土等)は普段別だが、役割を互いに負担をするくらいの関わりとして今を感じている。

     

     

     

    詩を読書してる時、その人は詩人なのである。

     

     

     

     

     

    「アート」

    アートはそれが思想であり顔がない。ブランド性がない。そう云ったものがない。


    梅ラボさんの作品とは、御本人の言葉である、これは死体らしい。
    死体とは何か?
    では、生物とは何か?

    モダン的な、即ち理想を一回作って、それをみんなで壊して分割し、作って行こうと云う、既存のものを突破するデザイン、詩についての「死」である。

    一コンピューターの能力が今まで見たこともないようなものをつくる。

    「パソコン」が制作の現場になった。
    パソコン上の空間が制作の現場になった。
    こういった無形のものから、プリント、即ち現在をする、そうして事物になる前の段階でパソコンで作っちゃおう、というわけである。絵に起こす為に、(「絵画」とは、単純に絵になる、とか、詩的だとか、神ががるとかそういう意味だと思ってる。)レイヤーを敷く、メディウムの事にレイヤーと言っているが、半紙を重ねて、平面的に働きかける。光を表現するには奥行きのほかに透明度を身をもって高める。
    アニメーションのキャラなどの顔は、あれは人間の顔から色々省略した線が見られる。髪はともかく、造形するとかいったものではなく、わたしたちの自然体が美しいと云えよう。)自分の内で塗り重ねたその圧力が光る西洋の油絵とは異なりつつ、「私が私になる」といった意味で他者から同意されるだろう。
    私の地元は大阪であるが、思想的に力まない事が善しとされ、観る人を見返す、「こうこうこういうことをする」「それをする」んじゃなくてあれも出来てこれも出来ると云うのが柱(はしら)である。
    それを裏切っているようで、非常に負い目がある。
    描いた少女を切って分裂させて、組み立てる。「パソコン」の怖ろしさを臨む。それがキメラである。キメラにせよ、学問は、あらゆる脅威から前向きに道徳へと昇華させる。人のアート性より信じたい所だ。

     

     

    身の回りで触るものが数年で変わってしまった。ペン、本、テスト、新聞紙、から携帯、プリンターなどのメディア自体を手にする機会が増えた。
    感受性とは、
    持ち運びの出来る画像、
    技術的な面の変化、
    それに対しての変化はおそれるにしろ、客観性を失わず。

    絵に印刷プリントをそのまま使用する、
    持ち運びの出来る画像、技術的な面の変化、新しい技法。
     

     


    精神的になるという意味で肉体的な事柄の逃御がなされる。
    ギリシャの彫刻など、見ていたら所によっては受け入られたのかも知れない。例えばもし、神の声が聞こえて、みんなで一旦神の力を使って、穴の空いた頭蓋骨や、オーパーツ、近代にも伝わる軍人の埴輪、万能の力としてある、としたら二度と使えないはずで、その中にいる身として、楽しいから、許されているのだ。これって、どんなストーリーなのだろう?めちゃくちゃ気になる。
    誰が考えたのか知らないが漫画、フキダシ、アニメ、想像の、馴染む。「禅は究極、ホンモノの方が格好良かった。」この決定にたいして私たちは納得を力ずくで買うのである。真の肯定にはまだ遠いが、幕府の整頓された考えより、近所が親しかった、仲間が緊張していた古来を含めているし、何よりアートを感覚的は誰でも理解しているのである。

    「パソコン上で」たとえあっても、実生活の態度に立ち向かいたい。気を取り戻すなかで禅を加えたい。

     

     

     

     

     

     

    〈進化〉
    着目するのは、
    人間がアニメーションに似ると云う事態である。

    人間の、空いた2つの鼻の穴、ふさふさの眉毛、身体、肌色の貧しい感覚。こんな怪しい顔面に対して、すっきりと省略された漫画のキャラクター。豊かな色彩感覚と、洗練された髪型と体の光。私たちが見てきた数々の理想の像、美しさのキャプチャで有るが、つまり人はその絵やストーリーにたいしても理想を叶えるべくして叶えて居る。光(信仰、彼女の胸)の残像としての自己への帰依と、輪郭の眼差し。この線が見た、この線が撫でた光の形。
    (それを表現するのは藝術で有るが、時代に揉まれてプレッシャーが樽んで思い出せない手触りが多い事がかゆくて、かきむしっている。)

     


    人間の〈理性〉が、カルチャーを、この天地を、加える事にたいして、再びアニメ(無声の、モノクロの)に近付く。
    自分を包んでいた希望を受け止め、乗り越えようとしている。越えることは、経験して来た客観性、影のある自分としての、希望の祈り方が正しいかである。


    眼前のアニメ、すなわち理想的な「私」から、自己が巻かれることの無い身体の光と、精神力。なりたくてなりたくてしょうがなかった。今私が生で見る太陽たちの慎と恭しさ、然りで有る。

     

    恐らく、「理性とは何か?」が、自由のパスワードだろう。

     

    それが、歌や踊りだったりするのかもしれないのだ。

     

    現代アニメと着物のオートクチュールと、液晶でも有機ELでもまだまだ箱の中での出来事で有る。私の欲しい3Dの実感とは、飛び出るアニメとは、一体愛についての見返りか、それでもささやかに希望を持ったままでいる。

     

    ただ他人が、自分と同じ自由度を持っているかどうか、ということで、コロナ禍に読みまくった詩を理解しているが、実際があっても、孤独や寂しさはそのままで、なぜなら誰と会っても自分が変わらないからだ。そのうち、いったん激しい心の消耗だと思ってあきらめた。

     

    しかし、性たるものは、閃いて、プライドをもって発言しなければ。私は言い訳を全部抱いている。

     

    何事もその日その日で感覚的に対応している。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    アニメは、それ以上踏み込んではいけない想像で、

     

    母です。

     

    アニメとは何かも過去書いてますし、

     

    語るのに、様々な高度があって、認識や自覚できれば美しいです。

     

    自覚は、それ以上動かないということです。

     

    火に手を入れ、経験の中の。

     

    自分の低所をおさえることで、

     

    自分が高いと知り、

     

    この為に天が存在し、無限に遊べるのです。

     

    ペンギンがいて、私はやさしさをやり直すのです。

     

     

     

     

    もういちどアニメの考察

    2021/08/22

     

    日記・ブログ

     

    これらは大学時代、アニメに今よりは触れてた時代に考えて居たことを書いている。

     

    考える素材として何かと広く扱って欲しい。

     

     

    物心ついたときから「夢」を無意識的に養ってきた。

     

    ストーリーはフィクションであるが、自分が内面から見て居る輝きは虚構ではないし、

     

    何でも新たな3Dへ展開させないのは、「次元」が高度な精神だから、グラフィックより手書きのほうが受け続けたりもするように、

     

    自然と私たちは平面から浮かんで抱かれ続ける。

     

    さらに、アニメの正体や、性格が、「漫画」だったのだというのを、後から知った。

    ジャンプ、名探偵コナンの単行本は、精製されていて

    強さを感じた、自分より背の高い「もの」であった。何やら輝いていた。

    自分の歳が成長して、かっこいいキャラに慣れたのではなく、人間生活をしていくうちに打ち砕かれ夢をやすっていくうちに母(アニメーション)からは距離を置いて、引きこもった。周りについていけなくなった。

     

     

     

     

    「線描」や「表情」の精度が、アニメが漫画より落ちることを

    白抜きされてるように思う、空虚である、

    それは現実だが、それが自分の方でアニメではないといった事も有る。

    「物」の重量的なものは忘れる事が無いのだ。

    他にステッカーやレコード、これらの

    神、詩の母、マザー、

    「彼女、アニメ」を見つめつづける。

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  • 今、リアルでない現実

    2021/12/03

    メモ

    「必要の知識がないんだぜ。」

     

     

    「なくて正しいのさ。」

     

     

     

     

    夢としての、

     

     

    価値がもし高ければ

     

     

     

    たとえ存在しないきっかけが、幻として、

     

     

     

    幻のように美しく、それを私だとあなたは思う。

     

     

     

    あなたがあのモニュメントに気付くまで、

     

     

     

    私はぼーっと突っ立っている。

     

     

     

    何でも欲しいとは云わない。

     

     

     

    あなたが、云いたいことばが何かだ。

     

     

     

    打ち返すラケットを用意している。

     

     

     

     

    それに、云いたいのか教えなければならないのか、歴史に見惚れつつ、

     

     

    愛を感じて居る幸せ、なだけの金髪。

     

     

     

    彼女がいるのにひどいかもしれない。私をとる思想の、

     

     

    透明でない色の、

     

    具体的な話をしたい。

     

     

     

     

    それを許さない「神」が存在した。ジ・エンド。

     

     

     

     

     

    傷みを抱えることに、私とは根を取り戻し意気揚々と。

     

     

     

     

    私はだれだったのだろう。刺激的な夢をみた。

     

     

     

    その人の書類ファイルが連なってる。それぞれの展望に帰る。

     

     

     

     

    と、戸。

     

     

    と、ほらことばにダイブしなければならないのに。

     

     

     

    徒。

     

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