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2025/03/29
昨日は、南妙法蓮華経の闇のミュージックを聴いた
祖霊様から頂く物凄い刑罰だった
その一人一人が、花(せいかつ)の保持を失って、
昔の道のよう、
華は言わせてもらえない
動物は波長が高いが、猫と話すにはまず人間でなければ、「動物」として自認が出来ない
人間とか、「あなた」とか話しているときに
オンタラーク きっかけはいつまでもきっかけなのだろう
きっかけの人として、公演など回るのだろうかと、自分の将来にわくわくしている。
低い波長と人間らしさ
私は、蟲ー(コロナ)が一番苦手とするものの人間で、意識強い
除霊を考えるのに、気付かないほど低い気持ちが空気に流れているのを目を見開いて観察してみた
基本姿勢は人間に上下はなく、蟲ー(コロナ)が初めての下であり、心のすべてを感謝し大切に見下げることを感情を楽しむ
蟲ー(コロナ)が初めての敵であり、また一番強いのである
テーマ(直る)
霊界で思い考えてる性格の人は地上にもはやいない
いるならものすごい天霊で、人間に強く興味があるから別のことをしてる
だから“同じように”生活の行動を続ける
そして、蟲ーは人間の感覚として忘れることも良くただしいのであるが、真に忘れる為に注目すべき直そうと考える「悪」は最初から取り締まられているひと
地球とか惑星とか見て考える
現代人のしなければいけない、勝手さ、壁があるが人々や民である
「地球とか惑星とか見て考える」
お馴染みのことばを今まではこれを自分で一旦直してやって来た
ぶっきらぼうな、この言葉の感覚のままでこそ
新しい言葉や想像が生まれるかも
波長を失って、気持ちを分けてもらうのだなど考え辛く、それそのまま、
そんな辛い気持ちのままに、無心では宇宙じゃどこにも行ける
気にせず生きる、
考えると行動が被りかかってそれだけでしかないとても落ち着かない「春」ってある
生きることは春の夜の夢のごとし
と詠んだ大昔の詩がある
水星よりか地球は明るかった
あなたたちは将来も未来も考えるその時に
時代、これはとても難しい字だから好きにして良い「自分のこと」に老いも“こどもたち”も掛かっている
伝えるよりこのことが必須。今日を生きる人にとって予定調和は明日に組み込まれないそう。笑うこととは、何回でも冷汗をかくほうが素晴らしいんだよ
さ、野菜を食べよう
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2025/03/28
天仏とする、下から見ると細いが、上から見るとふっくらしている。上で見ている霊とは?地上のもう色んな苦労をみてきたことだ 安心せい
こう様々な性格を伸ばすことで和合するといった美や仏に従え極めることであるが、問題は性格を、地上から伸ばさず天的に思い込んでしていないと、性格という語、自体は良い悪いもないのに、良いか悪いかになる。言葉が異なっても、この期に及んでは意味や理由の違いははっきりさせ古のリズムに従って(私は)無欲に数えていない。ーお前は性格が悪いからだ。と、変な問題を全て刈り取り避けている、見よ、こう仲良い心。お犬神さんありがとう。大神
天は見ている、の可笑しみのある
出来るよりも、することが大事
何回ゆっても天へ上がってくる
地上(天)は、上手くいってる
「天」は、修行の成果だと
“ストツー”とか習字を見て久しく思い出せる
出来なくても、一回でもすることによって
失敗しても、それをもう一回して
失敗する幅を観察し、
また初心に帰って、する
出来なくても回は、天のポイントをちゃんと
厚み、圧み、重い、しんどい、を取り戻すことを目的に
江戸でもヤマトタケルは天のポイントを貯めろ、とゆうこと
だから、自分が地上(天)のポイントを貯めろとゆうこと
若干、この時は老年心の供養を成し
クスリを一発で止める自分のイメージをさせる、とか
クスリや中毒は、どの様なものかの認識や、
「カッコいい」ことに、もっともっと寛容にして
天の指標から、地上は「耕すこと」を見抜く
天津神にたいして国津神
天にたいして自分のすること
天の地上とは、地に足を着けている
例えば、週2回、運動する
週2回、決定している。これは時間を持ち整頓する、そして身に刻むというこの手間による
こう最初が意識世界であるから、
(お日様の)意識をする
そのことで、夢を叶える
道の遠さを確かめれたし
(人がどういう風に成長するのか、どういう風に積まれるのか、
何回思ってもわからないものである
ここに、仏道のいわれる「一人」のまたその意識ごころの効率の良きをまじまじと知る)
あんまり無私になって、性格を跳ね除けたのだ。少し刺激してやることが大事で、そして思い切って、ゆっくりで良い。
そしてまた、行きつ戻りつの違和感をいう
ゆたの揺蕩うといい、そのままの気持ちのみで事足りる、この老年の苦労の末、
打ち込まれる知恵とでも
緑の大勢だけを願える
それは心の中にある
即ち、無心を続けることを目線にしているのである
大切に、無心を想う、想像する
間中、立ち塞がる色々な雑念や迷信を相殺し、自己の構えへ淘汰させたらしめ
誰しも能じることなのだ
気にせず、それを済ますによって、その散策に
自己の歩幅などを見つけているだろう
そう思うのだから、がんばって
・人間は離すが、天的には離さない、こうした良い意味がある。
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2025/03/28
妄想で、何か伝わるならテレパシーはいらない
想像だけが、光を反射させ繋がるの
妄想はいくらなんぼ考えても妄想なの
妄想は、感情を失うと書く
想像は、相手がいると書く
リスク、という新しい想像が出来るよ
破ら、
牙……
もし、身体性が破られたところで、まだ守る。それが、美しさ
身体性を、破らない
この緊張感が、国家で、信仰なの
国が違ったら、国の話をすることで解決出来る
それが信仰
生活者は、偉いの。年金の形が、皆で協力、という外枠だけを取って、商売算、あっちからこっちに行く一方通行を止め、国民として、良く考え、人の心配を気遣う。文化的に生きるために存在する物で、年寄りになっても喫茶店に行くことを、義務づけられ願ってる。払えなかったら、正直にいうこと。そういう言葉の伝達なの。借金や税金と、違うことを良く勉強して欲しい。
歴史家としては、初めから「美」は最もとするところ
国民健康保険や、税金の書類を見て、横に勾玉を置いて見て、忘れて許せることと、重さを
図る
淀川など大阪府裁判所があるが、一歩前は古い社がある。
深緑色の大きな大きな川が、昔の、その昔の、今の、最近の、辛い事と悪い事、沈殿する自分の記憶と、いつまでも相容れない自分の心とを、深く涙して、私は笑った。
古代から考える、色んな格好の仏像が、壁と風、崇拝の掟から、
勉強すればするほど、魔物と称されていた古神、その島国の人にとっては自分のことに真面目な関心をすることを続け、明らかにし同時に他方のセーブを得ている。
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2025/03/27
魏志倭人伝(ぎじんたいけん)
それでも、自分としては擬人体験
そう分かった時、英雄のことと土地神様を学べるの
戦争は、
くにのだんせいがくにのじょせいに、立って
男の子を睨んて行った
それが、
「私は汚された」
この言葉やってん
男の子と、女の人だって
男の子はヤンチャを見て、「僕」と言った
女の人は、そうかなぁ?で、
更新されたのは、
もっと、「わたし」という言葉を言いなさい
と、大和人が言ってたよ
思えることは、土地神と言える。大仏作りを強いられた幸せも確かにある
生玉神社は、標高が、
中之島、桜島、、など「島」を見渡せるそうで
(昔は雲がかり、浮かんでいるところをいって、神代であることのイメージが出来たら、そこへ上がっていく橋掛かりの絵柄を見るから、自分をくり抜いて、道を経て、雲間を経て、歴史では曲りくねりを通ることと、一人ではストレートに通ることと。絵柄のままの様に、あっさりと雲の上の景色ではないこの目を愛し、届かぬことを尊びます。「何か」出会えるように、とこの合ったあなたの慎ましい姿勢、で)
あの石垣を運ぶのって、重いねん
「(こういう時の)そうかなぁ?」、これは誰でもわかる言葉、誰でもわかるとは、誰でも言った方が良い言葉。大阪女子学園で習った。自分の習ったことは学んで貰う様に。
遥か大和イズムの、どうでも良さは接合する
(縄文人というと自分に距離が出来て。大和というと古代といえて、上のことばでいう近さ、この嘘やそれを誠にしようとする言葉の行動を信じる強さが、国へ向かう佇み方を教えて貰って。)
ちぐはぐな自分を、
人にたいする真剣さを、
しっかりした自分は自分で置いといて
こうして働いたら、どんな人になるだろう?
「人」は、増えたら良いんだよ
私たちはそう言ってる
ま、本当に自分たちはそれしかないし、
何もイヤなことを覚えず静かに暮らす間なら
「特大のロンリネス」といって祓い清める
擬人体験からは自意識の成熟と向上、それと超越を、沢山すれば良い、
というまえに色々説明して置きたかった
方法論136
この間の退けたい悪いこと
・アッテルたちが、大事(おおごと)になったセンソーだからを理由に、自分が考えてる時に「疑う気持ち、それについて考えたい気持ち」を「自分」として見過ったまま干渉してくる。自分と人、が別れるわけない。だから、それを感知して大変煩い。人じゃない、という領域が魏志倭人伝にあって、現実に帰るとそのアッテルたちの解決できない問題として濾過され、繰り越される。これはフンのようだ。このフンは貯めると、徳ポイントに必ずなるから干渉しないで静物だと関心すること。大切なのは“いつでも、”「人、そしてそれ以上の国」を、考えれて頑張ってる人が何時でもいる。何を言ったって無駄くらい人格をすり減らしたものを、もうそうと見るしかないこと、存在を出来るだけ許せるように小さくして欲しい。自己を立て、区分けて考えている。是非、禊祓「みそぎと、はらい」を言って欲しい。古来からそうしているが、言葉は遅れた。
こうしてゆっくり「マイナス」を自分にたいして打ち出せたときから
あるいはその祝い、
そこから、歴史との対話、神との足腰が始まっている。
正しい考えは、誰も想像のつくことが出来ない心自身にある。どこの「国」の人でも力を失われてしまっては困る。
彼らは全部、男気を剥げさせる者たちだ。(それを要品では「何(なに?、か(蚊))」と表記される。作品作りは、手から始まる為蟲(むし)を取り除く。自然だと思えても。だから建物と自然が対にならず共生共存を地球が選んでいるという報告がある。)
・おばあちゃん、気を遣って避けたって、違った、気を細くして避けたって、、 あのこ棒枝みたいやな 太く生きや。
外人になり下る、は、どこの国の人でも考える。花もなく華ばかり見て、光る数々の言葉はそれ程、「私たちの人生が続きますよ」という意味。私は日本に息を埋める。日本に生まれているのは本当で、息を埋める程国感も古いので断定してる。仏道って、その形状を形にすることを避けること。髄である人にとっては厚かましいこと。しっくりした、聞いてしっくりしたこと理解し納得した一瞬の自分を死ぬまで信じる、生涯信じること。そしてその上で何か自身ぽつり残るような涙を知るとき生疑が始まる。その「種」と貪欲に付き合いを進めることなのだ。順序は必ず「一人」だし決まっているから自分は大丈夫。私の言葉はこれに尽きてる。無になる、とか透明になる、とか、「直感」を使うと良く知っていることを知る体験から、まだ見ぬ自分へ、進む。これから、初めて体験が、経験という言葉を確心出来るだろう。会う約束、逢瀬の約束は、そのスケールが仏であるには一億年の先を目指す。もっと豊かな、「遥か」と共に清貧や原理的美しさを学び直さなければ知っていないも同義語であり、未来志向へ「いない」とも等しい。死を避ける身体性こそ、仏。その火の揺らぎこそ、それぞ仏。オンタラーク、生きてるってもっとブレてる。
崇高です。ここでは、だから〜、こう、じゃなくて、初心に佇めないという時点は、まず人を主に出来ない故、人とは違うのが前提的に意味を占めて値を法にしない。貧しさから凌いで何か言葉にはならない、を指す。記憶すること自体を間逃れることが、人には出来る。
釈迦は蟲だったが、元からステラおばさんのクッキーとかで影に存在していた釈迦牟二や仏様は、すがたからも「思考の美術」を名目にされている。美はもっと、身近で軽く。これをまったく全て説かれて、そして座されている。私は、読んだことがあるだけ、と事もしてる。そんな王と、民のものとする身近な芸術を温められるような言語が、私たちは欲しい。目的としている「無」、無は字数が多く、難字だ。そんな認識がそれちゃうか。自分が、どうかや、興味が字か、言葉か、人間か。それを激しく分解する理性論やで。つまり、読み手や私の目というものがある限り、大きさがある。それをまだ分けて行く。単なるキゴウと違うのは、言葉から始まってること。これを、遺伝子という雷なんや。神社の獅子の想像も、地に足着けて上手く行くやろう。ちゃんと見たら、仏さん許して直してくれる。
ネガティブ思考のことばで、
どうでも、のどうは、Do と書くようだよ。
もう一番、凹んでいるのほ、
上手く行きたい、とか、上手く行くことを、より考えなければ!
物事の「上達」とか、お手の物! とか、私たちはそんな“孤独をもっと覚えて欲しいな。
とか思うと、心が楽しく、浮き浮きと楽しみで震えてるんよ、愛しく震えてるんやで。
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2025/03/26
前に遊園地の乗り物で、水をタイヤが浮かんだ急流すべりにたいしてタイヤを誘導する為に回転する、
あの様に、ひたすら左回転し続ける
お化け「お Excuse me 化 Ghost け Hair」
左回転だけである!
動作は見えるアクションよりもしっかり止まっている
怖い、というぽかぽかの太陽、このタイヤの圧力が必要
乗り進む提案を頂いた。
南無勇気、ゼ
今は、大変だが、是非気持ちの良い日に。あったら良い瞑想である。
自分の神の力とは様々で、ちゃんと凶相を正面から捉えてそのまま叩く、という自分の努力をした、そこのところの恐怖は、人と違わない。と言う意味が「神」この字を自身が感じ取る。怖くて、優しく、強い、だから、守ってもらう。難字。
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2025/03/26
あんぱんちゃんの顔(あずき豆) 青
賢そうな顔 赤
互いの色を引き立てる為に、離れようとする
道士菩薩、何で言う事をきかないのか?と
失敗は可笑しかった
論語は、このように道士が尋ねられて、こう返すのがきっと地上に浮かぶ
もっと自由な関わりを求める
臨済の侍でも漢詩集を読むと、漢語ではなく日本語である。まずこうしたかったのかな、というところで途切れた白く上がる飛行機雲の様子が、見えるだろうか?
続くのだ、という希望が溢れている様が閑静だ。
質問は、「気にせず」 (私はこの間導きのもとで言います、発言の広さがジャストであり、時にたいしてその意識に注意しています。)
質問一 気にせず
答、
みなさんの解答を祈ります。肩に込む力を軽くしましょう!
自分のわかることば、自分のわかりやすいことば
で、精一杯
土地神の顔、神の顔、独り占めか?といわれたとき、海外の神と同一か?
こんな問題があるが、理解することのあることは有り難い
神社が必要だと思った人の考えを想像する。今の人々の考えがほぼ同一である。昔の人は、走るし歩くのでもっと視線が高いから自分よりちゃんとした形を持ちそのように祈ると思う。道理も理屈も抱き抱えて、
人が、一人と神。それだけの理解はそれは神だろうか?
民という字と神、は、
神は一柱、二柱、と数えると私たちは説明で聞いている
これが、柱なんだ。と、初めて見る、知る。
世界でも神祈りの役割りと、その技術の種類、等しさの計量など、異なりが見える
よって、
one by one は、神ではなく、仏様だと分かった
求められるのは、神ではなく、仏様だと分かった
「天」と聞いて、曖昧でぼんやりした気持ちになる。そこに、役立てる新しい理解がある。
語を、良く聞いてみよう。はっきりしている。
「悔しい」、この気持ちは同じなのである。
誰に会わないか、今どの様な時か、気持ちは正しいか、何を目的とするのか、なにがどれが、
あらゆるところの要は、一人の濡れ衣が、「人となるとき」を避けれず、こんなに辛く思える。
共に仏はこう思うが、時代の人間は、この中でもっと細かく動かなかったか。
more,more
ran to ran , leave to leave, move to move , and people to people,
ニュートラルや初心の姿勢、良さは空 気は、地の育み、それらが相まって価値があり、
価値観は生まれる。
自分のためのものじゃない、途中や過程、つまり発展をあらわす霊は、決まって精神上をあらわし
精神は、セーフに伸びている。
触らない新陳代謝を自分の利器としていたのを、壊された。
体の代謝とは想像や、孤独や、生活は、それに含まれる。
意識と感謝を強く持って、耐えている。このコロナ禍という修復期間の中、補修中。
冥界に、書物の持ち込みはなく、法は犇めく程にある。書物を持っていたら、必ず苦しんでいるから、ありませんよ、と成仏させる。そうした、ただ前を見て生きるだけを刻む、フラットに思うことのある信じる世界の存在だ。あまり、身から帰らず潔く思えたら話や光を暮らしの中で待つ。つまり、変えないことを指す。
私は、人が言えることや、言いたいこと、その方法などを、長かしますようにを每日ねがう。
心に見かけるがもう絶対の答えや、山勘で挑んでも仕方あるまい。こう、人を知るうちにまたその中で、光の間、自分を幽霊だとくらいに正しく諦めて欲しい。そして、同じ様にこの言葉を受け取ると、国自体緩やかさを増して、良くなる、とは誰しも考えるのであり、考え自体霊で、霊とはそもそも精神をいい、「お化け」と異なり、磨いていることその現実の続きのようにして 現る良いもの。これを、
古代神の熱い考え、每日每日、磨き、作るのである。
死ぬときは一緒だ、しかし、誓いを叶えられる時ではない。自分が、そう思うには、そう思うけど、知る権利の規制から考えても、悪さを企む者は行いと等しくフリという極短時間の知識は特に口にするまでもないことには変わりない。
私はここに紛れているが、上から見ている自分とから誤りを治められることが出来ることである。
私も人々の安心のために今後良く家に飾ろう。
大丈夫ですか? 手伝いますか? いりませんよね、色石なら普通の形の方が履き熟しに適している。
大切なのは、勉強。
お守りにして、人にも表示すると良い。
この動かぬものにたいして、神を上にし、
偶然見受けるから福と、徳がある。精神以上に、
とはみ出さないから、お化けと異なる。
中国は、もっと強く、
日本は、もっと自由に、
として、
道歩きに悪い者をみかけたら、
日本人はどんなやつだろう?と思う。
そのクリアを自分の好きな名前の「名札」にし、努力を書き溜め、繰り越す。
はなまるシール、を、自己に投資する。
“塩梅の良さ”が、叶うと良いなという気持ちでいうが、
この方法が、かつて妖怪辞典などで有名なその毳毳しい姿にて既に中国の天霊はシール作りを成されていた。
しかしそれは却って、この良き線の淵を陰影とし、対象の物の質から表には高尚なものと解釈された。時にまた人の目には光り輝くものとしては別の目的で重宝されている。繊細さである。韋駄天の祈り手とのそれが空で繋がり合ったのだろう。
そして、この失敗の間は有名な可笑しさで、文学を試みているのだと、最近わかった。
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2025/03/26
「苦しい時だ」
苦しい
自分よりわからない人、そうゆう透明なものを前にしなさい
戦争はみな同じ、詰められて同じように立たされる
人の感情は悪くなる
オン タラーク
喋ることと黙ることは同じなのかも知れない
と、
裏表のある人もない人もどちらも大変だろう
(正しい音とならない日)
考えることは、止められない
想像していた人のその表情が、実際は相手の顔じゃない
侍にはコツがあって、それは話しかけた自覚を持ち、一人なのだという時点を作る。これにより肩の力を抜き安心して俯瞰する。間中、優しくないと言われた、こう思う。一人の時は、大いにそう考えるのは良いけど、対面という形を逃せてしまっている。〜対対象的なのか、自分のことなのか、侍は見分けるが。全て、意気込みと大切な時間。それは思ったよりも大きい。
大切なのは、無害だから腹立つの。ここで何を思ってたのか思うけど、言葉にするのも自己表現も時間がかかるし。
違った私と、違ったあなたと会いたい
そして渡して、違うことを許したい
武士運…仕事面のこと
歴史に興味を持ち、あるとやさしさに恵まれる
これはね、自分だけで読み解くから気付かれなかったの
霊能力が、そもそも自分にたいして発信出来ないこと、叶えられないこと
自身の亡者への祈りと未来、そんな優しさの形
発声にたいして最も広範囲である、自分の納得。自分の納得は最終的に、とも言われる
何時に起きて何時に寝る、さらに時真面目にしたらばの話
その怖気付き、引け目はなにか
自分にたいして良く話しかけるべき
神視点 で、客観的な心当たらなさは正に本陣であるから、
言葉よりもいいたいこと
それは何が遮っても集中出来る
一年考えてわからないことはないそうだ
自分をわきまえ、諦めず自分のことに執念を燃やし、自分に向かうこと、立ち向かうこと、声を過ぎるとき、目を閉じて一人とする自分の意味を知ってから
迦楼羅、人の鬼が死に不動菩薩になる
みなさん、仏道にいますでしょうか
希望を残す感じで本懐を忘れないようにしよう
コロナ禍で思うより大きい自分であってもからしても成長にたいしての仏力を見れば分かるように序章なのだから。
優しさに対した時、素直に感じ取ることを学びました。
自意識と心の間隔、この課題は神も言ってました。
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2025/03/24
感情とか一定的な心がないから背後霊
もっと心から面白く感じてほしい
痛いことされる中で、つらい、で終える
悪いことは、どんなタイトルであっても内容は一つで、違わない
もう纏めた
蟲(コロナ)を形で見れる
近くにあるように見えても、もともと私のじゃない
私のじゃないものを、どう見るかが私の
仏は、病んでる詩人のこと。
あたしは病気なのでしょう
あなたのその目が頷く時に初めて
天鵞絨の海にも仕方のないことしかなかったらあたしはどう致しましょう
椎名林檎さんの依存症という歌詞
JPOP 明るい簡単な歌に自分の感情を合わせられるのは難しい
次に、文学系の歌の理解になる
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2025/03/23
どれだけ頑張ってもない縁は生まれない
全て自己責任
最初から自己責任
人の裏はそれがより強く出る
表で生きる人は責任があるから
冥界だから、別れといい、「縁切り」に福運がある
何もしなくても良い、触れられた時点で離れることは始まってます
触れられていても、強いから気付かない
知らず持ったままでいける
仏の教えとは全く逆の裏セカイ
わりと鏡のないセカイではニンゲン模様が丸見え 超怖い
目を瞑ってる人間も 超怖い
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2025/03/23
言葉より、自分にたいして
素が冥界だから、夢や空で会っても、そのまま肉体の考えの時は仲がちゃんと意味不明なの
で直感は、嫌いっていってる
これって、親切な優しい霊界そのもの
別れるのは怖いけど、頑張れって声援があって、
間隔にも、現実にも、向上にも敏感だから
そういう「神格」が有る、ということをこれから覚えなきゃと龍神は話している
「また明日も会えるのにどうしてさようならが嫌いになるんだろう?」日本のyukiさんの祈り歌から、
これで、とてもわかったんだけどどうやろう?
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