揶白 (KF)

絵画

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  • 役場と、図書館は隣

    物という、くっきりしたもの、これは古来は「虫」といって、

     

     

     

    親しむべき霊なのだ。

     

     

     

     

    こういうやつだ、と天にわかってもらっていたら、信用としての安全的な態度を示している事になる。

     

     

    街並みでは、明るい空想を友にして歩く。

     

    光とともに、

     

    道を歩いても、空想途中の私ひとりの感じと添い寝人、わたしの霊なるセリフの吹き出し、

     

     

    視覚的には村人という目に見える仮世界、背景的な私という言葉、同時に、話しかけたら話すことも出来る現実世界。太陽信仰としてはこのように存在していると解る空白が有れば、時には空間のゆとりもある。

     

    隅から一つ一つを大事にし、

     

    総合した、と言う意味の「霊」が表現されている時、

     

     

    実際の背景にも馴染んで溶けている形を見つける。

     

     

    しかも、形にならない。

     

     

     

    それは無意味なものが、心を彩る様子。

     

     

     

    人の様子が鮮やかなのは、

     

    意味がない、とか、意味を失くすとは異なるから、それを楽しむ。

     

     

     

    それを、驚いて制するのも、

     

     

     

    また許可しているのも

     

     

     

    また菩薩や大霊なのだ。

     

     

     

     

     

    時折思う客観的断辺を、貼り付ける部分を変えたら、メディウムに掛けることが出来る。

     

    街をどうやって「村」で訳すか、

     

     

    と言ったらどうだろう? ある想像があるのをこの目には見える。

     

     

     

    無機質な妄想を押しどかすと、有機的想像が芽を吹いている。

     

     

     

     

    巷で流行っている霊歩行の心配は、

     

     

    もともと取り込み中の内心の周囲を、整理するには使えない変なものを除く。霊の身だしなみに注意しなければならない。ただ向上といった事を主とする広義の霊は、モラルをがっと引っ張っている。何と言っても、モラルをモラル「性」といった人間理性に昇華するためだ。抑える、我慢する、これは動きあるものとして、何もできないとは真逆なんだ。

     

     

     

     

     

    自分の部屋を作る行為が好きな私は、片付けたい思いより、変なものを見つける事から入っているので、余分な客観態度に満ち人のことを一掃したい気持ちなどはとうに跳ね返る。

    なぜこうした方が良いかと言うと、邪(よこしま)なものから退けることでわたしはこうしたいがゆっくり現れる。

     

     

    変なものより、

     

    落ちてる文字塵紙から、一個貰っても誰かを思う事が出来る。念に繋がる。祈りがすすむ。

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  • 総合化(編集)

     

     

     

     

     

     

     

    こうだ、と信じている身体に

     

     

    「節」が描かれたとき、

     

     

    ことごとく落とし込まれる精神は、

     

     

    明度の意識を境界線に、

     

     

     

    合ってしまった、

     

    惜しげにも馴染んでしまう、

     

     

     

     

    そこから心より葉緑体の光自身が月ほど昇り、

     

    そこから葉の色彩を帯びた体は「力」に出会っている。

     

     

     

     

     

     

     

    ★重要★この文に、頭を絞り「わたしの目的」というラインを付けた後もう一度書く。

     

     

     

     

     

    こうだ、と信じている身体に

     

     

    「節」が描かれたとき、

     

     

    ことごとくその身体に落とし込まれる精神は、

     

     

    明度の意識を境界線に引かれ、

     

     

    感想の態度として、

     

    合ってしまった、

     

    惜しげにも馴染んでしまう、

     

     

    こういう、

     

     

    そこから心より葉緑体の光自身が月ほど昇り、

     

    そこから葉の色彩を帯びた体は「力」という瞳に出会っている。

     

     

     

     

     

     

     

     

    ★教えて良いのかあやぶまれるが、目的とするラインがいくつもある場合は多いが、紙に一つずつ並べると、幾つもあり全部ひっさげる事も、出来る。

    時間はかかる。・

     

    全て書く、には、ごちゃごちゃな心を一旦紙に出すという見渡しの目的とする秘密の下準備がある。

     

    厚化粧(笑)、厚化粧は元から流行るのか、型でもなく、表面性といっても乏しい。行動するその主観には反した抵抗がない、その著しさがあり、実際、主体として今見分けてる。

     

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  • 遊びに行く兄者、家にいる私(編集)

     

    実際を通した夢日という遺産

     

     

    現実を強く養う者には夢が見えるらしい。

     

    自分にとってその概念は、永遠の輪、とか、裏表の繋がりがある程度円滑に出来ているメヴィウス、精神性、物自体の精神、

     

    こういったことである。

     

     

     

    だから、

     

     

    なにかをしたあと、受け答えできるかの勇気。

    各々自立した言葉と言葉の間を埋める、実際の行動。

     

    (「ホンマモン、ホンモン」という弔いがあるが、墓の立つ畏怖にたいしては、理由として考える余地がないからだ。生きているのなら考えよう。)

     

    言うけれど、これは、どんな本を読んでも掴めないコツである。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    その夢日の中で、ごにょごにょ喋り続ける、と言う「言葉」そのもの、は確かにある。物の丈の長いは、その負を浄化したり、挽回する抵抗を持っていると言うこと。

     

    お城の言い方であるが、

    客観性ではないものに、主観にとどまる「客観」がある。

     

    それは単一の間延びした主観をどうこうと、次は興奮するが、躱したり逃げたりしながら「聞く耳」とはこう持たなければいけない。

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