揶白 (KF)

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    Works 46
  • 世間と社会の違い

    人遣い、とは、

     

     

    今が、今、

    自意識が、自意識、

    嫌が、嫌

    好きが難しい、

    趣味が、趣味

     

    こういう、

     

    今が、今といった意識の中で光を作っている。

     

     

    日が射すとはそう言う事だ。

     

     

     

    時間超過、原因が人の気を存在する間を埋めて既に存在する面を退いて無視すると、神使いの枠からはみ出てしまう。それは後で払うと言えることではなく、

     

    電車線路から落下する、命をほかさなければならなくなる。

     

     

     

     

     

    人を認知しない中で戦争を考え、そういった怪しい人を考える、こういった自己研究もある。

     

     

    そんな人は兎に角、世間間の了解がある。もしくは、それを自分で求めることが出来る、その心得がある。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    悪意もないが、うざいと捉えられる言葉もある

     

     

    その際は自分が離れる、とか、

     

    その面を案じる、とか、

     

    時間が経った時それを嫌がらない、とか、

     

    仲良くなれる、を知ったり、

     

    実際の社会に立つ時では出来ることをしていて、

     

     

     

     

    人と力がつくのに、人を知らないと言うと、

     

    自分の世間値を落とす

     

    人の家に、悪意で社会を持つ

     

     

    社会が自分の中に存在しないと高める、と言った

     

    自分と社会との繋がり

     

     

     

    社会は

     

     

    社会性のある私の家に入れない

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  • わたしの回顧心

     

     

    アカるさにたいして躊躇する、

     

     

     

     

    屑は、

     

    五目(ごもく)、芥(あくた)、と言う。

     

     

    大切に思う分、ゴミは、ゴミ箱と身体を働かせる事が出来る。

     

     

    では、今は、「今」となる。

     

     

    二点も持てば、この強さが二倍ということになる。

     

     

    空っほになった大きな空白を、「モノトーン」といって纏めたら

     

    面になり、

     

    それを熟語と書く。

     

    体から解る書くことの意味。

     

     

    持てる情報量が違う、と巨大な筆は言っていた。

     

     

     

    「うち」が強い。

     

     

     

     

    自分でわかってるねん、解ってくれて嬉しいな。

     

     

    これを伝えるための、接続機としたことばをもつ

     

    言葉があったら、なかった時は何言うてたっけ?

     

     

    形のない頃、「自分」の強さを思い出す。

     

     

     

    こうする力として、認めた雨は、、

     

     

    勉強机の中から

     

    死ぬまえに戻れる、

     

     

    タイムマシーン。

     

     

     

     

    大阪は古い。氏は、

     

     

    天宇津女命、

     

     

     

     

    渦のこと。

     

     

    天(あま)を、天(あめ)、そのまま言ったりする。

     

     

     

    雨は、真実にはさらっとしてるか逞しいか、

     

     

     

    そう思う。中に、じとっとした悪い雨は蟲の事だと思ってから、形状を表すために除算したからだ。

     

     

     

    好きになった、雨を。

     

     

     

    例えば「忠臣蔵」と言う演目の裏版に、「四谷怪談」がある。

     

    この裏表の形は、不文律性の極として「生」の表現を高め上げている。

     

    雨を、手捏にして何か作る。どこかに置いて、

     

     

    その作品を、誰かが見る。

     

     

     

     

    体に、体から置いた分、流れ、

     

     

     

    もとからある濁った「液」で、

     

    その時「粉」が要る。

     

     

    固めて、「火」に煎って焼く、この手順が純粋。

     

    美しい好みの煎餅が出来ると、

     

     

    信じて。

     

    オオクニ、例えば別れることなく気持ちが繋がり、

     

     

    顔が判り、壁があったら。

     

     

     

     

    つまり、家の建造と言うこと。

     

     

     

    「泣いてるねん」

     

     

    その顔は、む表情ではない。

     

     

     

     

    わからない

     

     

     

    そういった所から守られてる。

     

     

     

    心と身体が繋がれるという変わらないことである、

     

     

    そういう自然一体があるかな

     

     

     

     

     

     

    別れることなく、雨がある時渦の雲は満ち、体的に鍛えられれば、

     

     

    かんじがわかったら、

     

     

    君がこれ側に入ってくれたら。出られるかわからんけど。おんねん。

     

     

     

    (怨念)

    ただ恨みせず、怨霊になっている体感としては恨みとは全く違うものである。何もしない、と言う決まった点により区別する。しっちゃかめっちゃかになりにくい強さを持っていて感謝を覚えたままの心は気高き事である。

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  • 客観性の聖

    前前述の学習にたいして世界世知の格差、これから言っていたが、

     

     

     

    この段差自身が、自身として正か、又は負である。

     

     

     

    正とは、それそのままで、対象と噛み合いが付けれる。無格としてあってもこう意味する。

     

     

     

     

     

    光そのものとして意味する、出現する可能事のなかの、

     

     

    心読は二曲がり三曲がり以上するそう。

     

    誰もまったくしなかった。

     

     

     

    最も「フラット」と言えるようなほぼ立体感のある物として認識するのではなく、慌てたのか、

     

     

    単なる紙と思えるような平面横移動をして、

     

     

    身を引き裂いた。

     

     

    線と面を丸ごと含めたことをフラットといって、簡潔に纏まった語の存在にも驚きがある。

     

     

     

     

    華道のある陸、を見て、村社会である自分を知った。

     

     

     

    内向性のある「うち」に「あの人」が来る、それを思い詰めていた。

     

     

     

     

     

    思うことのアウトラインがはっきりしてると、癒えるときにすっと直る。

     

     

     

    思うことのアウトライン、影とは、

     

     

     

    自信のこと、自意識を自意識として認めたり、

     

     

     

    自分にある問いを整理しておく。

     

     

     

     

    こういった

     

     

     

     

     

    自分一人で出来ること、全体感が必要な事か全体像が必要な事か、

     

     

    向き不向きの「ついていくこと」に対して、

     

     

     

    他、見る側としてほっといて良い、が分けられる。

     

     

     

     

     

     

    自分にある問いを整理しておく、

     

     

     

    こういった事柄のこの意味でも、客観性という言葉の登場は、めでたいものがある。

     

    生んでからが大変、と聞くが、

     

     

     

    頑張って行きたい。

     

     

     

     

     

     

     

    言葉も荒らしいが、

     

     

     

    哲学、生きる上で考えることそのもの

     

     

     

     

    それの万遍ない聖の「子」。

     

     

     

     

    普遍な大きさである。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    森のゆとりの中、

     

     

    してしまったことの手延べとは自分だけの中にある負を検討するである、それをすることに

     

     

    必ず出来ないことがそこにあって

     

     

    差し引いて出来ること、起こること、

     

     

     

     

     

    起こることに

     

    その理解が揃ってる

     

     

    この意味で

     

     

    手助けが間に合ってると言う定上のもとにいる。

     

     

    効果、修行がすすむ。

     

     

     

     

     

     

    今は、一人のときに自意識を透明にすること、

     

     

     

    思い出せるというよりは、

     

     

     

     

    蟲ーというだけで外見上が最悪で、

     

     

     

    無理という答えがある。

     

     

     

     

     

    思い出さない、思い出せない、

     

     

     

     

    ここに否定出来ない悲しみから始まったその言葉としている。

     

     

     

     

     

    蟲ーは、うざい人間ではない。

     

     

     

    だから抵抗として確かにフォルム化し、

     

     

     

    その間の自分の精神性について研究したり、

     

     

     

     

    確認、という行為そのものが研ぎであり、

     

     

     

     

     

    向上を忘れない。

     

     

     

    「約束」に自らの行動を返還させる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    キリスト教のそこから派生する芸術アートは好きだか、宗祖キリストの霊光を見たときに考えは嫌いだとはっきり思う。こう親しみがあるが、あなたは親しみを愛しますか?

     

     

     

     

    十字架を、

     

     

    日本はやや斜めに倒して、置き方としての位置から、物を倒すという身体と、物自体の栄え方。こういった象徴の方法が存在する。

     

     

    ~文学的に、土着の思うそれからの理解~、では、こういう空間法の形に非存在の事物が確かめられる点がある。それが、否定事としての認識が起こされる「それは現実ではない、という意味ではない」を、おさえ風化の阻止、それとしての苦みは生みと祝われる持続。

     

     

     

     

     

    こう知識する聖典を。今から読む。

     

     

    理解の仕方があること、象徴を信じるこの意味が、仏境涯の考える、文化する事のアプローチから、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    チョン、といった軽蔑語が存在することを、その意味を解読出来ている。

     

    中国人でもない、日本人でもない、韓国人(この時、朝鮮半島全般)でもない。

     

     

    否定にたいするこのことば、

     

     

    妙味、がここにあることが詩に現れるのを見ている。

     

     

     

    「黒いもの」が浮き出るが、人知にたいして美しい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    総体があるこういった事は、皆を誘いたい。

     

     

     

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  • 夢と現実、詰合わせ

    前述の考えの下に、

     

     

    一本杉、のような木。これは、

     

    物凄い暗いようなこのカベともいえる太陽の続き。

     

     

    何と、「続き」があった。

     

     

    この「線」の向こうには、ちゃんと人がいる。

     

    「意識は悪いが、確かめたいことがある。」

     

    良いことも悪いことも想像中は物凄い考えながら、

     

    見離さずにいたい線。

     

    嫌なことでも分離化が出来てるからすすめれること、

     

    があり、理由があるを原因に二分とし、真似してはいけない事も相応して存在する。

     

    恒常的な、その間に愛があったことを、

     

    流れる糸の中でちゃんとある。

     

     

    自分の思う順序に、足してこういったことがあったのだ。流せぬ涙をここに落としておく。

     

     

    抑制し過ぎている感情を、どうにかしたいと願い願われるがわからない。

     

    静かに思う。

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  • インド学習、常自分

    伝えておきたいのは、

     

    自分が平均化という作業が出来る時、自分が違うものにたいして考えているときの文章は、

     

    わたしの顔、「わたしの表現」を何故にか現せて楽しさを感じる。

     

     

    こういった顔など自分の前にあるものとして、一定の警戒について予感があるのを心に見る。

     

     

    良いことがあったら、悪いことがある、として、

     

    良いことがあったら、問題が起こることを観察している。

     

    驚いて凹みの出る部分である。

     

    24hバイト、仕事、そんな何でも揃えたい宇宙コンビニをその光を見て、

     

     

    無関係だと思っていた諸の事情や、理解できなかったことがある。存在する。

     

     

    もっとも、重要なのは、

     

    理解できなかった、ということに自信を持つ。この一つの手間である。

     

    理解できなかった、という過去を芯に

     

    自信の形成出来る。心強い自分になる。

     

    いい加減には、

     

     

    良いことがあったら、抵抗あることがある、として学びたい

     

    学習という言葉が、深まりを始めるのだ。

     

     

     

     

     

     

    方位の鬼門というのは、そもそも厄払いをしたり、悪いことに対しての抵抗力をつける、

     

    減点ではない、と言う意味がある。

     

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  • いつもの日

    息を使うこと、そうインドダンスのビデオから躍りの練習に取り組んだことがある。

     

    その視点は、

     

    結果的に一見して難読と思うお経の感じ取れる太陽そのものの内容を、理解する。

     

    以下は前向き、前を指し示す目印を詳しく言ってると思う。

     

     

     

     

     

    要は人と並ぶのがまず難しく、難しいと生身で感じるこの事をそのまま難解と読み仏教。問題、わたしのテーマ、並んだ時にめちゃくちゃ綺麗に見える。

     

    宗教と仏教が、別の言葉だと解るが、釈迦が現れた時、宗りとなり、それは教えとしての形ではなくなり、透明であるや無いといった清潔がある。正しい清潔感を予測する。生きてる間、ブレやすい事だ。

     

     

    人と並ぶのがまず難しい。

     

    自分の背景というものが、肢体というものを支えていて

    背景というものが「過去」でもない…。

     

    実感として決して跳ね上がれるような動きのあるダンスじゃないけど、肢体を動かせるという一つはつまらない動作をこなして行く

     

    というダンス、言葉が、全体を見たときに物凄く煌びやかに見える。自意識、意識も含めまた初めて客観性に出会うような意識、太陽そのものを「感じ取れる」、実感する、という事が出来るんだ、と知る。いつものわたしの様子や、世界を考える元の姿勢とは、を思い出せるのだ。

     

     

     

    人から飛び抜けよう!と思っても、良い華を活けれない、

     

    イントネーションの穏やかな美しいことば、があるが、

     

    高揚したままの上り下りした、その言葉が、わたしの肢体と言う人並びを知っていて、

     

    視点を広く持った時、

     

    継続心という希望がそこに表れていて、

     

     

    色んなことがある、というよりは、色んな同一の人がいる。色んなことを通した人がいる。それを同一性といって、激しく働く人には生じる段差を緩める、(米)視線の方向、(日)視線の定まりとして、言葉の個性がある。

     

    わたしがわたしになった時、あなたが生まれる。あなたという抵抗にたいして、新しい道がある。わたし、という公式が違う。その表情は、何故か無理がない。

     

     

     

    あれが美しい、と言う視点からは、

    少し辛い、しなければならないこと、

    それを支える手だて、手掴み、その毎日がある。何もない。

    そう進めば、嫌でもああ思う自分に感性があるインスピレーションその向かえる姿勢となる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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