揶白 (KF)

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  • 「アンコウバイオレッタ」

    歌を書いてる。直してくださる人は気軽にメールください。

     

     

    私はアンコウバイオレッタ

     

     

    私の石は、漆黒のことば。石の内臓としてもアニメのデジイル。だからてかり。割れないひかり。

     

    THIS MY..海そのもの弥。

     

    邃の屋は、ノートの白い紙。字としての深いまばらな光線を考え、

     

    光って落下する君を、火とおもうわ。

     

     

     

     

     

     

    蝶のように釈迦如来は、シルバー925、髑髏、貝、私の前で飾る豸。

     

    私思うんや、

     

    蝶は、のろいのように繊細な男であり、鼻上にしたたる粒や。

     

     

    レぺゼン大阪のアンコウパイオレッタ。つまり激安のデデデ。実験中や。

     

    この錬金した私の蝶を、固めのマラで砕いて弥。

     

    ダークプラネットで鍛えた私の文学(リリック)。何でも吸い込む悲しみ弥。よろしゅう。

     

    中略

     

    カービーを、どついて捨てたる。

     

    から、私はダダイズムの御猫ばばあ。いいえ、ラガな恐竜弥。その元気の美しさをデデデ。。

     

     

     

     

     

    あの塩化ビニールばかりに触れた指から弾かれて、

     

    東大阪あたりで魔法を制作してる仏弟子の仙人、足りない私の名はタイガーアンコウ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 神とひとの違い

    2022/01/02

    神様の話

    「悲劇を行う、自分が行為する」と云うのは、

     

     

    後悔を自らする、と云ってる事と同意語で、

     

     

    それは、自分の展開が何もないのに、

     

     

     

    他人に「教える」と云う仏、つまり人自身の高度な言動だから、それもまた仏道をいくのかもしれないけど、

     

     

     

     

    道になく、

     

     

     

    例えば「おろかさ」、こんな言葉が高貴さを持っているのは、

     

     

     

    「すぐれ」を外界に取り、ついて行くが、

     

     

     

    愛をしらないからだ。

     

     

     

     

    人が、優しくないと生きていけないという皮肉を

     

     

     

     

    (「優しくなければ生きている資格がない」レイモンド・チャンドラーの小説は、男の読み物だと思い読んでいないが、この言葉を教えにたいする何か名言だと思っていた。意味深い。)

     

     

     

     

    この低所から、性やセックスにならない個人オナニー、人として喜ぼうともしない慰めだけに終わるなら通常で、

     

     

     

     

    パンクロッカーの夢があったり、目指してもないのに、

     

     

     

     

    きらめきだけに、信じちゃって、

     

     

     

    何かで肯定してしまう人に

     

     

     

     

     

    訴える。

     

     

     

     

     

     

    「女だと思い、


    自分の心の小ささを、


    その際限なく欲深いことを、


    輪の中でも端のほうなのに


    そんなことを「龍」だ、精神だ、


    動かず、


    人にたいしていつかわからせると言い


    俺は画家である、ロマンチストである、


    そんなことを未だに、選んで、


    人の愛をころすのだから、



    お前が「神」なら、


    なおさら聞く


    私はあなたを「殺す」と思って、


    しかし、何だか滑って、家に刃向かってしまったのがお笑い。


    十年間、家は私を哀しみ続け、閉じ込めていた。


    ひょんと顔を出した時、歳を取り洗練深くなった私の太鼓の音(ね)を


    聞いたら、一転してそれは喜ばれた。」

     




    (かえる ということばを知ってるだろうか?

    大阪の、かつてリョウやミンミと遊び、

    ナル・スイートと云う気の良い歌手が、その家族、小さな恋人だ。

    今も美しい店を持って、“ダンスパーティー”をする。耳のいい逞しい夫(ふ)がある。)




    今日、心にたいして、「常識」といわれ、

    しょげたのは、


    それゆえ、男にケツで蓋をされたことが


    あるからだ。

     

     

     

     

    「お前の喧嘩か?しら。」

     

     

     

    なる が、


    体中に響く歌を、静かに歌った。


    ころんと柔らかい花の歌。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    怒り、と云うだけでも、

     

     


    神と人の、違いがある。

     

     


    怒り狂うている。

     

     


    おれたちを引っ掴んで「そいつ」の近くに落としこみ、

     

     

     


    「そいつ」だけを、それだけを、

     

     

     

     

    地獄の果てを(果てまで)追いかける。すさまじい勢いだ。事の理由を一瞬で話され、おれは、勇気の信者だ。

     

     

     

     

    わけも、意味もないのに、人といえば神のうらに隠れて、だらしなく空へ飛ぶ。

     

     

     

    精神力もないのに、まねをする。 自分だって、まね、、なのかな? とまた反省をする。

     

     

     

     

     

    人が、

     

     

    「恐怖」をしっかりすることや、

     

     

     

    人が、

     

     

     

    人として維持をすることが、

     

     

     

    それでこそ、それが、「勇気」なのだ。

     

     

     

    これを冷静に繰り返すうちに、肝、はらが、座ってくる。 「人は、出来て居ない。不完全。」つまり、こういうことだ。

     

     

     

     

    一歩、神に近づきたい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    声質と、ことばの不一致は、理由をもって

     

     

     

     

    さらに「自覚」がある。

     

     

     

    色々あって善意のほうが間に合っていない。

     

     

     

     

    詩のなかの人の声、性質 は、この「紙」に作る文章、なにか伝達に適した、にたいして

     

     

     

    洗練させる、洗練する対象や、目的が、違っている。

     

     

     

     

    今から遊ぼう、と、今から寝る、くらいに関係がない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 聖なるものとの対応型を目指す

    2022/01/02

    神様の話

     

    見つめて居る自然とは



    何となく神のそばにいるだけでいい


    大好きです、なんて言えない


    人が、神を好きだからだ


    だからおれ(おいら)はキツネに宿ることを


    何と人に許されたからだ



    神が何とそれを聞かれるのだから、おれは睨ませ座っていることが出来る。



    それが、神社 なのだ。




    アマテラス、南無(しゅくふく)。






    地平を超えて、無限的な宇宙(仏) もあるけれど、


    私たちとは、善というひとつの「線」がある。


    「白」という色は生まれ、


    よって、その色ゆえに、穢れにたいしても、知るのだが、


    仏の輝きによってすっかり忘れてしまった



    のだ


    何か違うだろうといつも思いつつ。。



    罪悪感をいたずらにもたず


    「私はこのようにあります」神社でそう言う練習をしなさい。


    自分のことがわかって来ます。


    「罪」について、否、なにか「美」にたいして、


    (たんなる「罰」と異なる為)



    それを勉強してる人は、それをお続けください。


    わたしどもに知れない「知」があるでしょう。





    知の責任について、背が高いぶん大変重いものを持ってらっしゃるから、



    日本人こそはそれを、自身の自覚や、學び(習得して更新しながら覚えること)、

    恐怖体験から「肝」と「心」を得て、


    話しかけ、暇つぶしになってあげることです。


    「質問」に的確にこたえる事が出来たらハナマル。














    聖なる者だけが、「けがれて居ますよ」を言うが


    せせこましくて、姫コスで高ビーになってしまったフォローと、


    誤魔化しと補足が続く。






    「けがれの意味」をわからない間は、恋愛も出来ないようです。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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