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2024/03/11
変な蟲ーやひとが自分に来たら、「むー」というような楽な呼び声で解決する為に、神仏と警察に相談しておこう。可愛い警察の待受画面は御守りになる。ちゃんと話せば理屈とは直結しないで、こう出来ること。
yukiのスタンドアップシスターという曲のPVを、見ていて、
自分が良いな、可愛いなと思うことにたいして圧迫するような不思議な気持ちがあった。
踊れない人が踊っている、そう観る時は、その背景には定番としてる欧米ミュージカルやそういった西の社交ダンス、時間芸術の記憶だが、
鬱でもドラキュラでも何でも良いと思うことは良いのだ、
いい加減さ、下手なダンスがわかった時はそれで頑張って行こうと思った。客観的に上手く行ってるからだ。
客観的に上手く行ってる、わかち合いがあり、美しい姿勢を期待するということだ。
もっと輝くところにつれていく為には、
読んでいた、生きていた、前文が今想像する広さや大きさことと違いすぎるのか、そう思っていたがそれは水星、惑星間としてそれは地球。ねずみ色といっていた町はただ暗さ表すことでもなく、綺麗な灰色であった。
それにしても、思考を丸ごと包み込むような。それは水星。
世界に不思議な詩があると感じてやまない。
嘘でも良いからきらきら考えるのだ。そこから浮かぶ詐欺を、それを木星が守ってくれる。
自分が危険な時は、地球に訪ねる。何か知らんけどすぐにアドバイスを貰える。
日本のストリートダンスを見ても、ステージ感としては劣りを感じた。やっていることの視点からは、技術の習得だったのだ。
西の舞台の視覚的スケール。
技術習得にたいしての凄みとはステージ向きではなかったのだ。
実力と、実演。行動中と、話し中。二つが善意の姿だ。
ストリートダンス、ダンサー、こう聞いては何かをやってみない下心に溢れている。
そして、かくには、伝える技術を研ぐことと、書く技術を研ぐことと、一人の人でも二つの顔があることから、「心」が出来ることを知った。ポエムを書いたり、文章を書いたり、絵を描いたり、つまり、「言いたいこと」である。これがわかった。
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