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2022/01/10
お化け(最低値)
いつも「妖怪」と呼んでいたが、お化けと云ったほうが聞こえが良かった。
精神が小さい、故にそんな理由でいつも見ることが出来ず、私が「憑かれる」と、覆い被さるようにやたらでかいので、その人格と下の霊に間違われる。
成仏がない。
妖怪
運命によって揉まれ過ぎた精霊の落ちこぼれ。
霊魂
「憑いて」いても、善の為ものがわかる。
昔のこの記事が、神様の話にカテゴリは入っていた。
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2022/01/10
恋愛は、別に神秘体験でもなくて、
一般的なことだから、
普通の考えってあって、
その上ならいくらでも続けていられる。
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さようなら
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2022/01/10
話を元に戻し、そのうち主な調査のなかでいつも不思議に思っていたのだが、神話寓話民間伝承なんでもかんでも伝えられてきた物語の文化のなかに、このような「光」自体が明確な偶像になった事実には未だ通じていないことである。透明な光とはスペクトルではあるがもっともらしいイメージは何色だろうか。論理的にはわかっていても、
電球クン、あるいは漏電クンみたいなイラストは電力関係のキャラクター、あるいは街中の呼びかけポスターに実在する。がしかしどれもぜんぜんかわいくない。つまり「電気」あるいは「生活電気」など高い認識へ掲示しているのだろう。これがなんだか怒りっぽい感じの表情にみえてならないのだ。
雷のマークやデザインというのが、近づくと危険、または警告の標識にとりはやされ、一方「光」であふれていくさいは奇跡、光臨、天国、悦超、神、昇竜、巨大な存在感、幻覚体験などは、効果の程度は非常に大きな影響を与えるものの、奇跡シーンを照らし出す強烈なムード後光であり、形にならない。
おおまかにいえばつまり、光とは単なるエネルギーである。受け取る側にすれば、まさに情報のカオスである大量のビット数を、光学機器スキャナやカメラなどを入力として、構図、ピント、そのた創造的意図によって収めたり、スポット光で的を当てたりと、大量のランダム光の「情報を知性化」をするのみが現状である。
大澤湯
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2022/01/10
私のモチーフは「光」である。まず、油彩画とテレビを見比べてみた。
このような物体を透層や透明な塊で包みこんだものそれから得られる感じ方と、液晶などの発行するモニターを見つめる感じかたとの、これらの視認に前傾の姿勢でのぞんだ。
それらの結果次第では、発行する画面と典型的古典絵画との、これら二つに関連する項目、有り得ないように思われるが共感する光の性質、これらに期待したが、ままままま。実際には前者が減光混色で視覚7万色以上、後者は屈折または乱反射と加法混色でありこれらはまったく異なるものであったのだ。
主な調査のなかでいつも不思議に思っていたのだが、神話寓話民間伝承なんでもかんでも伝えられてきた物語の文化のなかに、このような光自体が明確な偶像になった事実には未だ通じていないことである。
「光」をキャラクターイラストにしようとする難題を掲げるのは、それが触れることが困難であるのにも関わらず、テレビの混色ノイズによって実に容易に視覚化しているからである。つまり目の前にご馳走を並べてあるのに決して手が届かない、この感覚はアニキャラに萌えたことがある人にはわかってもらえるのではないだろうか。
光が現れる時のさまざまなエモーションが起こっており、また激しい脳波の振幅ではあるだろうが、それでも実態は見えてこず、っていうのは神々に伴った後光や、奇跡の瞬間に伴うまた後光、トランス内部での友人体感のときには光に包まれた不思議な舞台でまた、などど現れては神秘的なことでもその場の雰囲気を残していく。
こうのような感じる光を、テレビ上で効果として撮影した光のカットを合成するれていくの光源と同列に見なされ見過ごされるのも近いだろう。私たちは非日常的な奇跡体験の数以上に、大量の発行する光源を見つめ続けている。
万古にあらず近代での不思議な夢体験の例としてはアインシュタインが電線の中を電子とともに泳ぐ夢想にふけった感覚も、光を認識する人類の発見ではなかろうか。私の前にはもうすぐそばまで光がありもう少しで手で掴めそうな気さえする。
大澤湯
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2022/01/10
町会費
2009/05/31
を滞納している。立て替えてくれた長老の住まいは花屋敷ではないが、
数々の草花を造園して今時のころになると満開のサボテンが数えて5鉢。
過ぎたる頃にはすぼんで首を折り散る花弁、枯るるは支払いともどもに。
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2022/01/10
「ケモノヅメ」
2009/03/26
「ケモノヅメ」
監督:湯浅政明
キャラクターデザイン:伊東伸高
製作マッドハウス
単独にして野原しんのすけはついに新興大人帝国へ進撃の歩を繰り出し、高々とそびえる最上階へむけて非常階段を必死の形相で駆け上がり続ける。これは覚悟をきめた突撃兵の全力疾走のモニターイメージというものを、単なる網膜像動画としてではなく知覚像動画そのものを有用した希有な名シーンとなった。
アニメーター湯浅政明が手掛けたうちのひとつ「クレヨンしんちゃん大人帝国の逆襲」に用いられた知覚像的な手法に創意工夫がなされ、以降の映画「MIND GAME」(STUDIO 4℃)や「ケモノヅメ」などさらにもまして意欲作となっている。
アニメーションの手法のひとつである知覚像、つまり
(1)オプティカルフロー(集中線、効果線、移動線など)や、
(2)大きさの恒常性をより知覚的に改造する遠近法をほどこす手法(望遠レンズの映り込み背景と、超広角レンズの映り込み背景など、遠くにある背景側のみにおいて異なる画角を矢継ぎ早に入れ混ぜるなど)や、
また(3)搭乗撮影や流し撮影などにみられる画では動き続ける背景に対してもつ両眼視差による遠近法(近景、中景、遠景などを別々の空間を異なる速度で動かす)をさらに知覚的に工夫しているなど、
他にも様々あるがこうした作画空間の中にさらに、最近の作ではこれらに加わったのが、光学的空間遠近法、それが実写映像との合成だ。
アクションの動画のカットやまた風景カット、表情カットなども合わせ加工をほどこし、様々にまじえ、ストーリーの骨肉の争いに乗じて知覚象的実写を合成をするなどが実現されている。
カメラ自体が走る、飛ぶ、落ちる、揺れる、激突するなどして、重力と力学的法則を伝えているVFX迫真映像にも精通する手法もふんだんに盛り込まれた、激走ホラー恋愛アクションエイリアン・・・・つまり今やオールジャンルと成ったSFとしての期待作である。
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続く
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大澤さんの文章。
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