大澤悠

フォト、グラフィック、絵画、イラスト、プリント

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兵庫県川西市

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  • グラフィック用のラフ。ボツ案その3

    これも。

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  • グラフィック用のラフ。ボツ案その2

    前回に続きボツその2続投。

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  • 挿絵のイラスト用に

    説明文の横にわかりやすいイラストを書いてくれと
    突然頼まれた。速攻引き受けたものの、イラスト自体ひさびさ。
    まず手をならすためにてきとうな落書きを。
    感情表現を。俺のハートを。すべての怒りをぶつける。

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  • うーん

    うーん。うーん。

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    • 大澤悠

      2010/10/29 01:28

      集合的煩悩装置をつかってあらゆる悩みをひとつに集める。こいつをやっつけると
      全世界からすべての悩みが消え去る。少なくとも4人分は消える。消えてくれ。眠らせてくれ。

  • ブログはこちらから。

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    http://threefold.blog.shinobi.jp/

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  • ウニ

    なかなかHP化ができない。

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  • 立つ瀬なし

    すべて「選外」とのハンコをいただいたのは、全国規模の美術の公募。

    1つ落ちて2つ落ちると、不思議なことに3つ目は落ちたも同然の気分であった。

    次の瞬間にはもう気分は転換されていて、よそはよそ、うちはうちと疾風のごとく籠絡を決め込んだ。さっさと旗を丸め終えたあとには、なぜか爽快な気分だ。すべて落選はどういうわけか気持ちいいのである。夕立ちの後腐れのなさよ。空が軽い。DMの表紙のレイアウトをおもいついた。

    手元のほうはまだまだ混雑していて、思いついたばかりのダイレクトメールと、詳細用のHPに手をつけはじめている。

    ちょっとした企画をはじめるところだ。

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  • なぜモノクロに目がむかないのか

    「哺乳類の体は色彩的にみてとても貧弱なものにすぎない。みんな潜在的な色盲なのだ。
    けれど、しかし不思議なことに、人間は化粧をしたり、色鮮やかな衣服を身にまとうことで、もう一度、鳥や熱帯魚や昆虫のように豊かな色彩の世界をとりもどそうとする。

    人間に至って、哺乳類ははじめて、鳥や蛇やとかげや昆虫や魚たちが楽しんでいるような色彩の世界の歓びをとりもどすことができた。」中沢新一




    漫画が好きで短編をいくつか描いたのは、もう3年以上まえのことだった。
    この感覚とは、熱中している当時は気づきもしなかったが、今思いかえせば、天田草太やAlbert Brecciaおとこのこが憧れる漫画家になりたくて、その一心にはじまったが、しかしながらそれ以上の進展は望めそうにもないことに絶望していた。

    性別の枠に閉ざされた、おとこのこの憧憬の感覚。そこには黒やシロや灰色のトーンにかぎっては、道端の道路標識の程度に理解され、本を開いたとたん目線はもっとも注目すべきキャラクターの絵と、コマの内にあるフキダシをのぞむようにできている。こうしたことの繰り返しであった。漫画とは印刷されているメディアの、その紙の質などはとくに筆記するに値しないことは今でもそうである。

    色彩の実感のない当時の私のやりたいことの方が、いまよりももっとアートをしていたといえるだろう。単純ないち、に、いち、に、と足をはこぶ行進曲のようにして、乏しい調子にしてみると、なぜかもっともっと身をまかせれるようになるのだ。

    そうして生まれたモノクロのまんがの面々は、身体の輝きや色彩感覚の豊かさということになると、他のメディアアートのものに自慢できるような豊かさはもっていなかった。

    町ではみんなテレビやインターネットや雑誌などによって色彩感覚はもはや取り戻されているといっても過言ではないだろう。豊かな色彩感覚をとりもどした生活を送るなかにいて、その言葉通りの生活をするために私は印刷を選んだ。

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  • 山の者供

    裏山街道の入り口は実は四箇所ある。石切り場のほうから二箇所、まったく反対側に一箇所これはすぐに行き止まり、そして三角棟の裏から一箇所である。

    どの道も例外なく踏み込んだ途端に回れ右で引き返したくなる。日のあたらない鬱蒼とした藪を両脇にしてその姿は獣道となる一歩寸前。頭を枝葉の輪に突っ込み、ごそごその藪を挟む細い道は肩幅しかない。駆け上がろうにも腕に飛び出した枝が引っかかり、ではゆっくりと登ろうにも一挙一足にやはり突飛した枝葉が行く手を阻んでいる。もう一歩も足が動かない程の疲労感のなかでは、もはや登山の爽快感など微塵もなく、日陰に閉ざされた行く先にみえるのは恐怖と絶望とドラえもんのオブジェである。

    これがこの大学の裏山である。さらに「イノシシ取りの罠」とは暗喩やコピーなどではなく実際に街道に設置してあるのを見ることも触ることもできる。これは間違ってもふんずけてしまわないように迂回しなければならない。餌はどうやら米ヌカのようだ。市によっては猿に懸賞金を(1万弱)かけているところもあるが、シシなどは役所に許可をもらえば鍋に、刺身に、焼肉にして食うのが通例だろう。ちなみにその日にとれたシシは臭みもなく美味であるが、二日以後はもう生臭い。

    鬱蒼とした雰囲気で、湿気が多く、日陰でアンダーになって足元が暗い。まるで気分も暗くする魔法のようだ。しかし、この闇の魔法が功を相してか、ここでは採集できる数々の光り輝くものがあるのだ。

    秋に、梅雨に、なってくると裏山ではキノコがむくむくと大きくなる。落ち葉のカーペットはふわふわしていて、そこには動物でもなく植物でもない、菌糸類の世界が奇妙な傘を集合さして群生している。

    アカハツ(食)、
    ヤマドリタケ(食)、
    ミヤマアワイグチ?(食)、
    クリイロイグチモドキ
    ドクベニタケ
    アカモミタケ(食)、
    アカヤマドリ{/リンク(食)}、
    ウスヒラタケ(食べようと相談するも教師に止められる)、
    オニイグチモドキ(超不気味でも食)、
    ホコリタケ

    キノコの数は枚挙にいとまがない。山ではじめてキノコを採集してもすぐには食べないで、詳しい人に必ず聞かなければならない。しかし過去に痛い目にあった人ほど懐疑的な意見で断念せざる終えないことが多い。そのときはキノコを見分けるのと同時に、現在志向の考え方を持つ人も見分ましょう。


    キノコについてはこちら

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  • 町会費

    を滞納している。立て替えてくれた長老の住まいは花屋敷ではないが、
    数々の草花を造園して今時のころになると満開のサボテンが数えて5鉢。
    過ぎたる頃にはすぼんで首を折り散る花弁、枯るるは支払いともどもに。

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