揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 46
  • 私の問題


     

    特に嬉しさもなく、自然とぴったり合う靴

     

     

     

    出来なかったら出来なかったでいいんだ

     

     

     

     

     

     

     

     

    どこか街に歩いて行くと良い

     

    新喜劇の前は考え事を相談する

     

    心斎橋では文章力

     

    キタでは考えを

     

     

     

     

    自然と心が開け、書き物がすすむ

     

     

     

     

     

     

     

    あれが出来てない

    気負いが悪い

     

     

     

    繊細ならもっと自分を包んで構えなければいけない

     

     

     

     

     

    武将とかみて思う

     

    もっと堂々としていていい

    出ないものは出ない(覚え書きではなく、もっと抵抗ある友達に睨む)

     

     

    自分が本当はどう行けたのかムー実のところわからない

     

    かえってわかるのは人間の厳しさなどではなかった

     

    天が晴れた後は、

     

    砂から砂金をふるい、探すように

     

    嫌いな歪んだ人間をただ見つめていた

     

     

     

    このひとと生きるに理由がないと言う全く同じスタートで、

     

    顔の歪んだ人間から

     

    おっさんが怒り出し、腹を立てていた

     

    腹立つ時というのは、それにたいして考えることがひとつもないからかも知れない

     

    感じ取ることが出来るのは天地などではなく、一兆光年の差だった

     

    もっと深い因果があると思った時、宇宙を丸ごと感じられるような気がして体ごと空に飛んで行きそう

     

     

     

     

    足の生えかたが全く同じなんて嘘だ

     

    生きることに対しての名言があって、

     

    深い息遣いや、

     

     

     

    色んな言葉があるけど、

     

    誰かが言った、止まったら死ぬで言えば、

     

     

     

    性欲が、欲であるとし減らすのは個人にかかっていて、

     

     

    自分が、生きた町やその時間丸ごと持っているものとして、

     

     

    性がこのことなら、ぐんぐん足を生やすことを見つけるまでだ

     

     

     

    そこに距離感が生まれ、私は私を深めることしか無いのだ

     

    両足の先に、冴えない緑が、カラフルに

     

     

    何かを大切にする守っていく姿勢は、決定した僧の姿勢と何も変わらない

     

     

     

    とうに自己から追い出て、形にしている

     

     

     

     

     

    上によその何かが乗っかっている感覚がするが

     

     

     

    自我は見えないらしい

     

     

    話しを戻し

     

     

    性欲を直感で愛だと悟る人のことを

     

     

    何と、全く知らない

     

     

    と知る!

     

     

     

    更にそれを知り続けるのだ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    つまり決定なのだ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    動物的だという人がそれが理性であったり、理性が心と別の場所にないから

     

    気が立ってることと理解量は違うから

     

     

     

     誰かの支えによって、

     

     

    私は一人だ、

     

    と思うのは成長の尊厳とか美しい詩的概念であって、いわゆる孤独とはかけ離れたものです

     

    寂しささえ、だいじにだいじに立ち向かって行かなければならないのです

     

    わかりますか、成らないのです

     

     

     

     

     

     

    三途日記

     

     

    どっかから何かが流れてくるが、それはもう土地の人じゃない

     

     

    物は気高いから、付着することはあっても宿ることはない

     

    浮いていて、

    自分で魂を抜かして何か乗ってるから、死体というんだ

     

     

    つまり普段の動きで自分が何をしてても心配がない

     

     

     

    たまに、神聖さではなく恍惚がぼやーっ

    とする

     

     

     

     

     

    牙を剥いて来るときがある

     

     

    普段色々考えてるが

     

    別に喋ってないから何を感じていても変わらないからだ

     

    何かややこしいことをされていても

     

     

    無視してほっとくこと、一人で出来るのはここまで

     

     

     

     

    我満することで

     

    こっちはこっちで勝手に成長する

     

     

     

     

     

    苦しみを認めてあげること、その人生である

     

    信心が全てを力にし、尚且つ弾いて

     

    追い出しもしないし

     

    受け入れもしない

     

     

    究極の状態

     

    我満するのは完璧な自分で、あっちとは関係がない

     

    まして、自分の人生ーカブったことがない

     

    これが無関係

     

     

    非常に動いても故意的に意地悪をしない

     

     

     

    本当に何もないのに

     

    間で

     

    あれこれ心配しながら内心を埋めているのが自分にとっては元のテンション

     

    スカッとしない

     

    それがかえって

     

     

    正解の型

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 中心

     

     

    良いと思ったらそうしたら良いし、言い方なんかどんどん取り入れて芸術性はいるけど誰かやってくれ、

     

    って思う

     

     

     

    昔は色々悩んだけど、

     

     

    昔悩んでいた事何てとうに失せている

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    100じゃない、という理由で対話は行いません

     

     

     

    人と笑うことが大事で、

     

    トラウマを治すことがテーマで、

     

    忙しすぎます

     

     

     

     

     

     

     

     

    今、詩が書けない    のが正しい

     

     

     

    成長したら光を感じるようになって、

     

    「私」にも、まだ何かわからないけど「私」の前に漂っている、

     

    見えるなら才能があります

     

    くうそうは、そのままでもポエムだから詩だし

     

    というは、

     

    「私」が

     

    くうそうと付き合ってるか?で人生に起こることが全然違うはず

     

     

     

     

    これから自分は

     

     

    ばかりを考え居ても立ってもいられない

     

     

    大きすぎる期待も、「こう思ってたけど、こうだった」この一文を考える

     

    誰がが言ったことが、こんな意味していてありがたい

     

     

     

     

     

    形を超えた形として、心だけの水鏡として、

     

     

     

     

    谷町六丁目に住んでいました

     

     

    四天王寺で買ったのが蝋燭立てだと思い、

     

    点けたら違っていて火が燃え上がった

     

    長屋だったけど自分の家だけで済みました

     

    神が怒ることは、人間とはレベルが違うのだ

     

    重くて捨てたけどピアノなど丸焼けの中で残った

     

    あ、有難うなんだと気付いた

     

     

     

     

    谷町と云う言葉があります、本当に本当に何かを好きで

     

     

     

     

    人に会ってたらコミュニケーションが出来る、経験値があるから、一方的だとか自分に興味がないとかわかってくる

     

    どんな人だか見てわかってくる

     

    100同じ人なんていてない

     

     

    人を遮ったり

     

    人が

    誰でもできる事をしないのは、プライド

     

     

    何も出来ないと聞こえています

     

     

    人を遮っている 

     

    そのことさえ気にならないひとは見ないホーが良いだろう

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    恋人でも自分が何かを言う責任があると感じていたけど、何も言わないと決めたところで諦められた

     

     

    友達はこうやって減っていく

     

     

     

    「マクドナルドで学んで、心が悪くなりますか」とかれは叫んでいるのだった

     

     

    人だから人としかいれない

     

     

     

     

    残機、黒い弧を一心に思ったあと、もっと賢い人がいると目指して、実家に帰った

     

     

     

     

    だれかも知らないが、

     

    あるひとが頭上から過去を何かと話している

     

    この話の存在すら薄ぼやけている

     

     

     

    横目で

    聞いていると、聞こえるので聞いていると、嘘と言い訳と無理解ばかりだった

     

     

    こんな場合その時になかったことなんて話にならない

     

     

    乗り越えていることと、その喜びと、仲間を失ったことと、全て持つ

     

     

    つまり両眼有ると言うことが門なのだろう

     

     

     

    喋りたいのに喋りたいと言わない人もいる

     

     

     

    問いかけなどが出来ない

     

     

     

     

     

     

     

     

    喜びは釈迦の名だが、楽しさってもっと語れなくて、透明である

     

     

     

    拒絶は相手にも必要だし、一転としていて拒否とは言葉にしても良く違う

     

     

    理解は、色々考える自分より

    何も考えていない時の自分の方が、理解している状態に近い

     

     

     

    誰もいない、

     

     

     

    空なら心細いほど良いだろう

     

     

    山なら何も見つからないほど

    良い

     

     

     

    川なら何でも出来るだろう

     

     

     

     

     

     

    思うよりも見えていることの方が見てることになる、、と誰かが言っていたが、

     

    強固なだけかもしれないけど、

     

     

     

    理由なんか知らないほうが良い

     

     

    どこで誰が救われるかなんて気にしたことない

     

    目に耐えれないから表現しない

     

     

    何があっても、耐えられない

     

     

     

     

     

    問題は抱えるしかないのだから

     

    他人の人生に関わらない

     

     

     

     

     

    自分が見て楽しんでいる、という現実を何者にも奪われるな

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  • 昨日の事がすっきりと纏まっている

    2023/01/14

    笑!

     

    現地の人は、「地柄にたいして持つものがあると何でもかんでも詳細になってくる。

    自傷、自嘲としても、何だかぼんやりとする。」

    と、言っている。

     

    前記で、散々人を痛めたものの正体についてこんなに透明感のある形化に成功した。サラリーマンの人が渡してくれた。

    聞こえ良く「作品」と言ってみるが、

     

    何か機器を扱ってた、と言うことと、

    ステンレスの様に冷たい、太い足が鋭くチクチクした、

    自分の国の著名なものを天辺に適当に置かれていることと、

    これは映画で観たキャラクターだが、考えと素振りが何かと被ってしゃーなかった。常に何かと酷似する。纏めたら丸々それだった。

     

    それが、生きるとかにたいしては主要な事は一切抜けていたがまぁまぁ計算されていた。テキトーに生きてても勝手に身に付く地の恩恵だろう。

     

     

    それがこんな不思議な形となって表せることに驚く。芸術以上の何かが、作り手としての芸術家の心を休ませている。

     

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  • 見る方

    サイトでも見る方に1000パーセント責任があると思う。何でもかんでも見る、口に出来ない見る方法があるらしいが、こちらには存在さえしない。見えることは見たと言わない。何にも磨かれちゃいないのだ。何故ならそれは原子にもなっていないただの人の口なのである。目というものがそもそもきらきらしていて、触れる痛さなどががあろうわけない。実力がなかったり、どっかで生きていなければ、歪んだ魂で他人を傷付けるのだろう。ちなみに私は見る方なので、痛いばかりで大した苦しみも無い。

     

     

     

     

    天使のいない悪夢

    神様のいない地獄

    悪魔のいない絶望

    人間のいない楽園

     

     

     

    てんしを崇めるのに何人殺すんだろう、イザナミという神の名をその人は頭上に持ち、また一番古いことの神である。そいつの顔には何も無く助けてくれようとはしない。ただ人間だけが動いてるだけだ。現実のあらない、そういう重力のないところにこういった神話 を感じることはない、耐えていないから会うポイントなどはない。表現出来ないから、アダムイブと呼ばれて地球上初めての異星人だと言われている、嘲笑うでもなく、無人島として人間が入って来ているのを横目にする。今言葉を成立させているのは私なのに、何万年いくら経っても、アダムイブ本人達は、「私」と触れ合うタイミングを持っていない。誰かを助けようなどとする素振りは総体として、ない。 アダムイブ、怯え、運命、架空無稽、色んなものを体にして掴み取っているのは「私」なのだ。 こんな「時間を無にするひとら」と、無心の二つは凄く遠く異なることだ。堪えようと思っていないから、自身の五道で「薬」と考えることが済んで静かにしていた。

     

     

    天使を崇める人側ちゃうか、求めていないのに勝手に崇められ困った過去があるにせよ、悟りたかったらしい、問い、なのかさえもうわからないし知らないが、彼自身の事で、この間前世紀からのうっぷんをみな私の頭上に吐いて、かっこつけて出ていき、私も流れながら忘れて解決したが、いつでもこっちがやたら傷付いていた事を発見した、と思った瞬間またやって来てずかずかと愛情とかを模していた。傍迷惑と思う。チャンスは平等にあるし、足元も見ず躊躇、躊躇いもなく、何にも悩まないで決行したのか、「悩みのない人なんて、いない」。と私は人に聞いたのを思い出す。ある形が成った瞬間、彼が全てを逸れてこの間通っている道のりが、皆私が正面で耐えれたことばかりのうちで、こうその時を描写しても、何の情も感じない。割れたものが手間暇もなくくっつくことはない。タダのアロンアルファとかドラえもんの世界でくたばって欲しい。天使です、人間ですと言うからには自分は説明しなくてはならない。

     

     

     

     

     

     

    見る方に1000パーセント責任がある。

     

    これらに無関係な誰かと生んだ言葉であり、回りでちょこちょこしてるだけなのが分かるだろうか。

     

    二者間がずっとずっと以前に仮に有ったとして、

    誤解はあっても、誤解は誤解のまま置き去っても、自分に起こることに正しい姿勢、思いがあれば生きて行ける。これらを不用意に停滞させられた。こういった事実はどこかに残っている。

     

     

     

     

    輪になって事を正そう、踊ろう、全く相手にせず済ませる事が出来る。

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  • お前(文)

     

     

    「メヒシバ」

     

     


        意味を求める、どこかへ渡す為に弧を張るのだ。私は、ただ歩いて行くよ、と言う。楽しいか?と聞かれる。 楽しい、と答える。鳥などは亦、空がどれだけ好きだろう、私は、足からどこまでが鳥であなたを過ぎ去るのかを、思う事は有りますか?

         鼻先、男女を語るとしては思いの像を全く忘れ更にした。市内のビル街を見渡した時、心が死ぬ人なんてざらにいるだろうと思った。自己の認知より早く先に、黒すぐりを得、谷町の実家に帰った。雲は、飛行機のスタイルで真っ先に仕事をする自由と戯れている。

    翡翠の様な川に心が伸び切ったのだ。偉い人が、跳躍と言っている。

     

    草が好きだ。

     

     

     


        形が、崩れるも何も冬の雪だから始めから凍っていて、サクサクと音が鳴り、無表情で赤も口紅も残さない。思いとその軸が、家屋として影になる。モダニズム、はこうでなくちゃ。ページを捲る度々、様々な事が過去になる。またたくまに静観され、明日にはいない者。それを知るのは、いつでも手動。

     

     

     

       跳び跳ねる波を、新品の皿をざっと分ける、私を知らない人に一番告げたいのは、私の町は自然が多いから、心が空気になって生きれている。この高度だけで色んな風を掴んで、読む。こう言う古楽が繰り返され、名を持つ。肉片を捉えても、心が動かないから迎えども驕りとして有る。私はなナメて捨てる。思いやろうとしても出来ないからだ。霊とは、磨いたものだ。深呼吸して、指を立てて天を見上げる。私だけが、地球の上にいる。自転から振り落とされて来た人は完結している。胸の中に、ここに在る重力のない目たちをじっと見るんだ。形を超え、それは梵天の現れる私の表現として場面が変わる。無として、私の勇敢な死たちは力として幸福の種を積む嵌。水も角も鮮やかだ、自然的なら私は石になりたい。今頭の中で一杯なのは、対象して建物と暮らしている人の事。ただそう思う、自分はこうでこういう風に思い考えている。彼は誰だろう、私は「優しいね。」と言った。私は自分の手を見て、ぼんやりした夢の向こう、テレビの知識の中の物産や、名々や金星のことを見たことないじゃがいもの凹凸を触る。この詩の中、この細く白い糸にたいして愛しさや恋しさは強過ぎて重い、飴みたいに溶けてしまう。私は自分の手を見て、手の中からアッテルが叶えたかったことと、振り向かない背とその中に積まれた責任が菜の花畑に浮かべる。細密でほろほろした花、茎とか緑の意味は未だ辛く、釈迦としか思えない菜の花や石の無心の菜の花と、固まった絵。思いの内から確実に存在する固まりの有る石と、君と僕を、初めからだと思う。私は腰を上げ、心の出生をアームに代えて二度と戻らないと言う。

    靴を履く、体がまた全ての事を吸い込もうと、鈴の様に鳴っては光るのだ。担う、と言う字の遥かで恐らく会える、人。

        蓮の研磨は、私が、と言うよりは、自分としての、言葉の事だ。ただ自分としてのと言う、何かもっと抱けるスケールにこそ見えないものを題にした仏壇の洗練である。それは、易い。

        生の言葉が、自分の何にも連結しない記号として、白黒としている。色彩豊かな主体、間隔、モノクロの研磨、秋の実、秋に取られるブローチを作っている。

     

     

     

     

     


    「どぶ」

     

     

        眉間には目があって、人それぞれでスケールが違うらしい。この眼と言うものを広く持つには日頃の行い、人間観、が及ぶ。趣味なんかは当然である。

    見えない者なのに、見える!、とぶつけてくる人も多い。人に会わないと目が腐るのだろう。音符王子、心の馬鹿なとき、音符王子、軽い言葉の筋力を養いとして彩飾のない空の世界、を地道だけで行く我なのである。道にとっては私には楯が必要で、一日中かかったが「よよい」と言う楯を考えた。連獅子の親のイメージで、相手と同じくらい息を吐く、と言う方法。孤独としての私、あなた。前髪の先にあるあなたの二つの目。目標から、どこにも行かない。愛してる、ららるらりらら。雷音さえ澄みきった僧の目に押さえ付けられる。雷とは、また世に有る限りの緊張感で身体的な成立ちがある、応えられるものだからである。懐かしみが互いの中から生まれ、草原というものは、奥行きはこの大地を広げて行くかは彼ら自身にあり、それが当然の事だとした目は激しく見過ごす事物である。私は、もっと物々しい水晶のそれに憧れる。漆の様に黒く、銀絵がちかちかする、月かと思えば川辺に消える、道かと思う煙は白く、中に閉ざしてオーロラ。すざく、すざく、星を紙に描いてそのまま死んで行く。闇は、闇からずっと木星を、糸を降ろして孤独ばかりを巻いて自分を失う。

     

         一曲で私は、双葉の緑割れた木の割れた硝子の木の、こう爆発している私の彼氏と、とても綺麗な手を繋いで明日を夢みる。朝はひらいて、めくるめく地獄や人の親しみがある。

     

     

     

     

     

    清潔な闇=あなたの赤留さ

     

     

    私は眠れなくて=あなたに会えない

     

     

    すき     すき     すき    すき?   すき、

     

     

    という詩を読んだ   どう思うかって

     

     

    いうことを、子(おまえ)がそう言いなさい

     

     

    ですから

     

    あなたが、あなたを怖いか   って

     

     

    それを、            どこまで、どれくらい

     

    知っていますか

     

     

    私はこれを知った時に

     

     

    ようやく初めて

     

    自惚れた                 の

     

     

     

    君はあなた     と、言えるかな

     

     

     

     

     

     

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  • 読書感想文

     

    見た夢を、愛しながら紡ぐのだ。

     

     

    青森様が、どどすこ構えて寸劇を開く。

    一度、長崎で関係を持ったことを頼りに離さず、まるで林檎をもぎ取るような必死感から、私には届かないと思う赤い笑顔をしていた。関係ないこともないが読んだ時が被って自分の想像で重なってる三島由紀夫が「下手でもいいからちゃんと書く」と言っていた。この林檎のことをを何も知らないのに涙が出てきた。魔方陣を描いて祈りをする。お国柄か美しかった。ケースで送ってくれたムーは、皆丸々太宰治でびっくりした。まだびっくりしている。何かで喧嘩して亀裂を思うと、神様の鼻に狐がのってる。鼻まで見えるからそりゃ吉なのだろうと知らされる。

     

     

     

     

     

     

    言うたって、で構える大阪。

     

    言い方を氏神に聞く、と私が言う。ちょっと待ってて。と。

     

    たとえば、イザナキ、イザナミの神話から、この「聞いてきます」の言がややずれている。だから、人らしくて⚪となる。

     

    自由がていしき故助けられない。

     

    青森様、様々にしろ、思ってこれ(私)は、「さすがだ」と思う、それだけの人、奴、心が生きていないわけでもなく、それだと定めると、何かとアプローチや聞き方が分かる。噂まで、となっている。

     

     

     

     

     

     

    この頃、サターンが出てきたが、背後にいたのはやはり武士、侍。「誰に似たのかな。」愛しいらしい。

     

    エロスとは。小言発言で有名なロードマスターである。

     

    あの人だ。あの人。唇噛み締めながら考える。連いて行けないあの人。しける気持ちと、熱くなる気持ちの両方を抱えながら心を揺らしている。こんな僧境の先に

     

     

     

    思いはする、が、言葉を詰まらせるようなそんな新鮮な気持ちになってそのままおずおずと通信会話をする。何かが意図的に運んでいるような気もするが、仕方ないだろうとか、ありがたいとか、色々思う。

    話しの中で、こんな事があった。

     

    衣食住である。これは生きるもの、事の基本。自分に起こっているこの大きな事にたいして武士とか昔からは「大事」という言葉になる。衣というのは思えば思うほど難題で、苦しいのだ。その点で、それがない、あるいは出来てない、あるいは好きだ、という点で「巨根」を気にしている。これが正直だ。進歩とか、進化とか

     

    自分は意識ある方なので、意識を逸らせることが出来る。

     

    意識が本当に別の方にある。こう生きたい、どうしてもこう生きたい。そう感じれる地方もある。退廃思想、それはパッションであり考える以上の心の表現。だからお洒落で、だから心の傷や穴を埋めている。

     

     

    非コミュニケーション、非コミュニティ、仲間を作る、友達を作る、流れるように出来てしまったもの。親友が他にいたりして、多少なり利得関係を含んだこの友達。「私は友達だから。」この怪しい言葉が、澄んだら、色を足したように啓蒙している。

     

     

     

     

     

    サターンだと思った、この一日中、誰がムーなの?

     

     

    このところが、まだ信じれなくてぼんやりしている。Satan、サターン、お伽噺の中にあるからそれは離ぜつしていて、他になくて本当に可愛い文明なのだ。だから、大事なら、混同されない全く別物の、、と思えるなら、お噺か本か、と言うきっぱりした区分けが心の視線の中にある。本人のうちに二種があると面と向かって言われそう虐げられるような、それこそサターンの存在する、何か平和の秘密が知恵を絞って、それでも汗のない奥深い気品がする。昔いた人の到達を感じる。何者でもない自分。

     

     

     

    読書とは耐久で、こうページを捲って、いって、一枚一枚読んで、あの人、あの方の読書啓発を同時に、平行世界のようにしている。うつろな願いを叶えながら息を飲みながら笑うという様なはじめて思える感情にうろたえながら、こうやって人と人が繋がったり修復するんじゃないか、と抱いている。

     

     

    トランプとか、今思えば高尚なゲームの

    ハートの1の人って、さっきのムーらしい。と、微妙に抱えられない気持ちを抱えて、干渉などは、こんなは上空の言葉であるから有りもせず、ハートの1って他の色んなカードをいつも見たり触ったりしている分では、後ろの方にあるから可愛いのよね、と、でも前にめっちゃ出てるって言うようなことは、時代のせいか、司る本人のせいかは、私らでは分からない。何か題名がある、と思えるのは大分、未来の話、脈絡であったり、今のハート1ってデビットカード、デッドガードだったりして、そしてそこに生まれるこのカードの奥行き感を以てして引き締まっている、一番上に置かれ、この手で閉じる。箱に納められているでしょうか。

     

     

    纏められたり、助かるんなら、何がどっちでも良いゆえ。

     

     

     

     

    バカに出来る自分、こうでも行ける、とか

     

     

    こういった自分が好き、という言葉は必ず何か大人になる先にあり、まだ自分が嫌だと言うのなら原因を自分史に持ち、それでも自分が好きだと言い張るのなら、他言無用の前に、自分のこと、のようにして腹を立てどんどんストレスが溜まるだけだろう。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    哲学満載のサタン編であった。全部纏めてみたら、どうなるだろうか。

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  • アッテルニ送ル言

    マラと言う神社がある。男性器を表している。

     

    金はないけどおっちゃんとこは何でもあるぞ。と、伯父は言っていた。

     

     

    胸をあらわすビーナス像など、アッテルにしても良く育って来たのだろう。巨根の皆さまを歓迎する。苦渋という名だ。

     

     

     

    一緒に迎え入れた友達は、「へへっ」と

    言い何が小さくてもとてもこう、可愛らしいなぁ、と思う。日本性というのがわかり、却って活かされている。

     

     

    いくら何を綺麗と思ったとしても、目ばかりが大きくなるのはかっこうが悪いと思う。

     

     

    人っていうのは一人だし、事情がどう転じても、空気ともども自分を大切にしたい。

     

     

     

    スサノオがある日、精一杯に生きるなら良いと言っていたけど、

    「自分で精一杯」こう思ってもいいのだ。本当にこう思って良いのだ。

     

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  • 私から見た彼の纏め

    総体的に驚きの話である。

    女を必死に追いかけ回して、マウンテンバイクのようにジャンプしている人もいる。

     

    私が唐揚げ屋に飯を食べに行った次の瞬間は、ごたごたな気が整えられていた。

    アッテル、彼は実は普通に大人であるので、経を読んだら業を綴じ普通に過ごすらしい。

     

    彼は、私のファンだったのだ。

     

    私はいつでもいてくれる友達と遊んでいる途中、ぼーっとアッテルとか色んな夢のことを考えている。気に何か奇怪なものがある。何なんこれ、おちょくっとんか。

     

    そして見つかった彼とは、彼方方面でも悪い人だった、という話。

     

     

    これ程べたべたで、話のわかる人なら、即会いたいと思うし、こういった自分の情緒にたいしては哀しみを覚え

     

    裏切られたような何とも薄い気分が、いつまでも続くことを私は知っている。

     

     

    彼がどういう人生を送るかは知れないが、何かときめく存在によって穴が埋まるとしても、アンタ次第、私次第の

    所が必ず有る。功徳のアルバイト人生なら、まぁ、続けるものがあるが、「それ」どうにかしなきゃ、知らんぞ。アンタの今の原点が、わし。わしより、わしの方(全体)でアンタが、前に出るな。この力加減わかってくれたら嬉しいな。これを永久にこうするなら、続ける事が初めて出来るし、いてやろう。となる。関係性的上下はともかく、精神性のある、そんなものと暮らしたい。いる    っていうのは、Likeじゃないのか。

     

     

     

     

     

    様々な話を聞いたが、毛先をころころ変えず、筆軸をしっかり持って、「前」が見えてた頃の人間を忘れないで欲しい。

     

    髪形がそんなに気になるなら、ちゃんと整えを追究して欲しい。

     

     

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  • わかっている自分

    万人は、わからないとこには目を背けて良い。

     

    前記の彼は、無駄ってこと。

     

    そうまっすぐ考えた時、

     

    例えば気の話では、彼のなにかが「私の元気」であっても、もう意識はしないのだ。

     

    生きることに真摯に歩み、真面目に見つめていたい。

     

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  • 名前のない罪

     

    くたばれ、とさっき言うたが、それは続いている。

     

    サターンを名乗ったアッテル、彼の優しい時という時間帯は、わい自身の徳であった。残念感はある。

     

     

    はっと裏から臨むと、この彼とは自分の悪意を見せびらかすことの気持ちにあっさり堪えず、見せびらかして助かる為に今はムーばっかり狙っている。真意でムーにまみれている私にたいして、ムーを見てました、彼女を愛しています。がオチらしい。

    意地悪をして死ぬ人らしい。

    まっとうして生きる分、問題ない。

     

    そういうやつが落ちても、虚しかならない。

     

    「あってない」、アッテルではないのだ。

     

    「照らされて生きるのはアンタもっす。」最近覚えた歌を歌って見送る。

     

     

     

    振り返ると、一生懸命運んでいるのはわいら。信心が運んでいるのは罪人なのだろう。

     

    キリスト様、携わらせて頂き有難うございます。

     

    私は祈って、こういう事を、望みはしないわいら私らにとっても、事がどういうことなのかわかった。つまり、彼のことや、彼のしてしまった大きな事。キリスト教、仏教、教えに満たない。

     

    「どこかではなく、実在する。」とも、この人は最後に聞いたのだ。

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