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2025/04/10
心の痛みを知らないから、痛みを知れ、と天は言う
戦うことまでを塞ぐには、こんなに心があるのに告げない、そう思う
昨日の自分を信じれたら今日の自分を受け入れることが出来る
出来たことを対象に想像するが、昨日出来なかったことを信じると、始める位置がわかる。明るい真実はそこにある
良く、そこまで一緒だを、底(そこ)まで一緒とゆっていたのを見受けた
心の奥底、と聞いて魅力や輝きを感じる
意味がわからず読めなかった。
訝しい厳かな内容が書かれているのかな、と、つと思う。
「パッケージ」という哲学を秘める。花と思ったが、華道を知る進みの中で、別の事だと感じた。「悪の華」と題の字を見ていても素敵だし、大工が、自分の作った家で新しい冷蔵庫に付けた昆虫の磁石を「良いやろ」と木材に座って眺め蛍と思うくらい目を光らせていた。
字を眺めながら色々想像した。置くだけの理屈を、どこに行っても老年はそれぞれ持っていた。
私は題から花を思った。
天使試験に、アニメのアルプスのおじいさんは受けていた。自分の歩幅とティンバーで山の大学に来た。
最初の蟲ー卸しのとき、人の悪い感覚と人は一緒くたになりに簡潔を心して、自身を見開きながら混合され、感情という感情の渦と感情の渦に何とか遊泳を試みて、中ちゃんと自分は船に乗り、「置いていかれるぞ。」と、川中で言った。
気軽に私に話しかけていた。「私が大澤くんです。」と
ひそかに惑わし、序盤にあった天使像は私だ、と拾う。
ここを描く、可能性としてわざと遊ばせる知恵について、語るを「大変」と思う。
変と大変に、このほど大きな差がある。を、違うとまでは知るがこちらは初めて気付く。豊かさを込める。
天使と精霊の間隔、関係がこうだ、こう日本の山で発表を待ち、山の既知してあの人が一度落ちたこと。澄んで捉えたことだけが持ち帰れる真実なら、理解という仏閣呪文は、ノロイと変わり見分けられるだろう。
太陽…、あれが日、これがライト、ガイドの努め、誇らしくそれを思う心、誰かが見てる…かもしれない中でちゃんと手を振るような行為。
それは、虫を秘めた集中力、本の虫と言ってうたうだろう。
地球の奥は、こちらからお入り下さい。
さっきの要は小さいけれど稲荷様は、あゆの歌詞から
「感覚だけは閉ざしちゃいけない、たとえ言葉を失くしても。」
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地球の奥は、こちらからお入り下さい。と言っていた
敵が怖い
味方じゃないは、
敵はただし未知ではなく
至る中は敵は既知です
距離感によっては敵が発生
敵とは故にです
人間って距離感のものやから
それくらいで考えようよ、というのが
宗の元論ちゃうか?
見守りたいのであって、見守られる必要があって、
宗が、「宗まり」と書き、それ以上を祈り掛けをしてはいけない
初めの人と同じようにしてはならない
例え何であっても、この意味はある程度古いことを前提にもう示されたものだから
昔の人とは歩くことが違う
歩くことが、車だったら車のある生活を許してから体が動く、
これを歩くといって、
風を知ることを言う
憧れという言葉は、
光を見たら、近づかなければ穴は埋まらない
これが憧憬と言った字
維新後、合っていることの上で方針を間違えて進んだ
激しくぼーっとするならぼーっとしなければならない自分は、
縦積みの得意な陸地の人より
海なら海らしく、川なら川らしく生きたい
心を真っ直ぐ前に伸ばすには
最も動きが、真っ直ぐであると曲がる距離より短距離になり、道を見つけやすく伸びが良い。物と事が等しければ、という話で、上(こころ)は真っ直ぐである
どう言いたいかは自分の好みから見つける
イメージに遭遇したら、より心に合わせて
馴染みと良さを調整する
初めは気になることからを手を付ける、生活ですと言いたい、一番としなくても言いたい中で小さく作ってみても自分のことが何かは解る
重さが重さで釣り合う
これを等しさと一界では言う
輝くは、
凄く悪いことをいわれる
ただ、心は抵抗して歩ける
ある道は大昔の神が指し示し
人間が荒れるとその怖い姿で現れ出てくる、弥陀仏も、平和な神が怒っていることをおかしいなと思ってる
人が人のネットワークがあれば、生きることの強さとか師を表す神々のネットワークはもっと強いし、支え合いが人間より叶っていなければ語もない
おわんの重なりのように人がムズカシイと、祖はよりムズカシイ、その神はもっとムズカシイ
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2025/04/08
てんどう
天とは修練の成果をさし
グロテスクな美でも自在にこなす
「自覚があれば何でも出来る」
自身の着地が、以上で有ってはならないし以下で有ってはならない
天はつまり道を前提にすることがわかり、
精神上の結果であるより他なく
ただ陸地の人を思い浮かべ、
また遥か遠いいつでもその時にあり広がりますよう
という確信があることである
画面の絵や映像でも、見えぬものこそに尋ねること
それを聞けること
これ全てが天道の鍛えである
「道はどこですか?」これが良ろしい
また具体的に自己のピントを絞って増やして尋ねる
地球に刺さった天使は、
ちゃんとした人間の関心
自分の運を持てるか、とか
この間ではない自分の時間、善
私は私、これを守るかとか
では、何故私達は迷うのですか?
靄のある時こその、あなたの気持ちや行動が大切だから
約束された「朝」を忘れないで
影を足すことによって晴れて要品がインポータントブックと知り、〜元気にとって〜、朗読も必要なのか?
前記の龍とは?
鳳凰
浮世絵、という日本画
鳥ち(ゃうかな、と聞こえましょう
龍
こうして、これは四神のうちであるがなにか自身の精霊にとっては切ない物語が心上を展開している
この時の
神
と、自己の仏の自画像
人間が神といるには、人間であらなければ、約束を守っていないので良い人でも悪人でも死ぬ時は皆一緒や、と祖神を聞きます
また後光は360°丸いので、悪いことは悪いです。
神は、定めが「有る」から地平線が「見える」んでしょ、
地平線が見えてないなら国の話なんて出来ないじゃん
目も使わないで酷いことばかりしてたら捨てられるよ
知らされなかったって、貰ってないんじゃん
強いから課題がある。力が同じだとそこから色々感じる
バッドフェイスプリンスこと岩長、総含め天部的に私は話す
35秒、35時間、3億年、スケールの違いの果てで、猛進の菩薩に従う、私は地のこの曲を聴きますが、古くから祈りは拝みとなり、歌でも映像でもおがみは男神ともいい初心のこと。大切に聴いて下さい。
フリーデビルジャム/thee michelgan elephant
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2025/04/08
てんどう
天とは修練の成果をさし
グロテスクな美でも自在にこなす
「自覚があれば何でも出来る」
自身の着地が、以上で有ってはならないし以下で有ってはならない
天はつまり道を前提にすることがわかり、
精神上の結果であるより他なく
ただ陸地の人を思い浮かべ、
また遥か遠いいつであっても広がりますよう
という確信があることである
画面の絵や映像でも、見えぬものこそに尋ねること
それを聞けること
全てが天道の鍛えである
「道はどこですか?」これが良ろしい
また具体的に自己のピントを絞って増やして尋ねる
地球に刺さった天使は、
ちゃんとした人間の関心
自分の運を持てるか、とか
この間ではない自分の時間、善
私は私、これを守るかとか
では、何故私達は迷うのですか?
靄のある時こその、あなたの気持ちや行動が大切だから
約束された「朝」を忘れないで
影を足すことによって晴れて要品がインポータントブックと知り、〜元気にとって〜、朗読も必要なのかな?
前記の龍とは?
鳳凰
龍
上は、鳳凰らしい
こうして、これは四神のうちであるがなにか自身の精霊にとっては切ない物語が心上を展開している
この時の
神
と、自分のデッサン
人間が神といるには、人間であらなければ、約束を守っていないので良い人でも悪人でも死ぬ時は皆一緒や、と祖神を聞きます
また後光は360°丸いので、私は地のこの祈り歌を聴きますが、古くから祈りは拝みとなり、歌でも映像でもおがみは男神ともいい初心のこと。大切に聴いて下さい。
フリーデビルジャム/thee michelgan elephant
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2025/04/08
普通は感覚で、何か違う、悪いな、と気付きます
その区間、悪いことしたら生活能力を失いますよ、と
緊急応対だけをしました
“自分”とは、他の仕事です
全て、誰もが善意に掛かっています
裁きはしません
巫女さんとは、神事の中に霊を応用する、活かすことが出来ます
一方、私の信じるものは龍、隈取りや、太陽や、お侍です
龍、獅子、隈取り、太陽、までは、巫女さんと似ています
だが、神社は色々沢山あることもあるのです
皆さん、自分が選んで生まれたこの時代だと、
胸をときめかせ、失敗を受け入れ
この、人の道の注意深さと知る、という関心や好奇心を
よく感じ取り、心広くシンキングをしましょう
感覚が一番偉いです
どうか大切に
裁きはしません
生きるという文性のみです
生活は生を活かすと書きます
この仏道、
崇拝すべき思考を足して
身体性という文性から
身体を心から喜びます
良く体を動かしたいのだと思います
三つ子の魂、百まで、というのは3歳で知るものは
一生沿うことの出来、馴染みもよいので
動きを円滑にします
普遍の個性
自分が個性的になれば相手の個性がわかります
陸の人は日が広いので、タンクトップが似合います
自分は、程にはぴったりしていないが似合わないところに妙があります
姿勢について、ヨガを退いたこともあります
すると、道着では自分の腰から後ろ足までもぴったりと付いて来ます
そののちに、ヨガをしてより柔げます
悪い戦争やコロナがあって、継ぎ接ぎのある地球では
身体「はじめ」から、直すことだけを考えます
逆境にたいしてものを退けて、退けて、天に駆け上がる
自分が生きるのだ、というイコール、即ち人の支えは必須でした
そしてやっと、言葉になります
自分から、が全てに於いて大切だと皆そう思います
だから、元から目指していたが、私はスピリチュアルヒーラーになります
疲れて迷い、神が見つけた未浄化霊を、仏道にお導きします
コロナ禍の過程で思ったより、言えることが強い、言葉の幅が大きい、そう違和感的であるのは、体調やボディチェックを指し示す水星より、地球のほうが地球人には広かったから
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2025/04/07
どうして心なのかと
太陽とかに
もっと近づくとか
近づくこととは、上れることよりも留め金が必ずあり
全てを渡されるとしたら
自分たちで作れるものは、全て作らなければいけない
神に貰う為に、留め金を作るのだ
それは、蝶は日と均等を目指すんだ、良く蛾が自販機に群がっているのを見る
言葉は、
離れると、遠ざかるは一緒じゃないし、
心が、嫌らしくないものだ
道を歩いてると、地の波々とした心から時々があると知り
つまり心の中には間隔があることがわかった
歩く足は心だって気付いた
ここにある、エクリチュールという差の言語の存在を知って
心はよりラクになった
蛾の話も、記号にして良いものと駄目なものを
全部、モラルで纏められるとゆった
モラルって何?
母国情緒に携わるまでこれが全くわからず
いくら愛をわかっても必ずシッチャカメッチャカになった
自分をセーフする近くの人の顔は、自分に良く似合うという
それは高い地勢感だった
言葉を書いてもこう言う私、しかし歌はそうでも心にはまだ何かある
それを漢字が教えてくれた
ずっと一人で良いことも、道は教えてくれた
私は自分の道がほしい
オタクの理由が一番多くこうある
みんなこうだ
こうちゃうかなあ?、と海外の人にゆっても
こうだ! でないと、
広いから後で締まりにくくなったり
抱えて行くが目表がないという怖い窮地に行くこともある
こうした問題が口を窄ませた理由だった
こうだ! は、目線が高いから
日のクッションにより安全性を指す
日本はばらけていてそれが疎らな時もある、それを許せば許すほど、緊張感が元になりしっくりする。ピンとした一筋を指すのだ
いつもの言葉で書いてみて、とゆわれ、良い思案になると思った
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2025/04/04
Vigilance is also a matter of the heart, and worries are good when you are alone, but only "I" know the timing. If the shape of the heart is completely different, you still won't understand.
i am is no change very hard from
I am is I am
equal above is above
start about to" I am " for nice
only tool
this were no I am yesterday
lot to nice things there more more above buddha and god "s is yours and big wide yore future but missloss i afraid after thinking and does thinking
I am people
no problem is We says I dont care♪lot of people and feel, for buddhas thinking I see future , and next, and no now doing for I am do is I am do is I to communication is no change with the front, and know my culture. than, than,says " no more" this is I now know,
more above buddha and god for I am
about thinking
is glowd and wide and be greens nature!
people is no onetype get wide, tight, know something
there nexting for I to I
have noto and my voice only
is need my time
there right is about more alone alone thinking what my heart
corona not match for my type
this hard red problem help
people is luky equal straight
the only
equal I thinking more to sprite is I am
is nice
I am people is no change and PLAID for first write no change very hard i am from
what this no
mercurys only line people on my front
but I stay earth and i have public health center
and receive scratch my stay for corona
I I'm in trouble
Mischief and False accusation
False accusation is a conversation with God. It allows i am to think deeply about history with my heart.
Blood is water, and everything flows out from the my heart and spirit.
Normal people don't what it .
I dont ok to back ago, I am to I am is no change is nature in earth
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2025/03/29
昨日は、南妙法蓮華経の闇のミュージックを聴いた
祖霊様から頂く物凄い刑罰だった
その一人一人が、花(せいかつ)の保持を失って、
昔の道のよう、
華は言わせてもらえない
動物は波長が高いが、猫と話すにはまず人間でなければ、「動物」として自認が出来ない
人間とか、「あなた」とか話しているときに
オンタラーク きっかけはいつまでもきっかけなのだろう
きっかけの人として、公演など回るのだろうかと、自分の将来にわくわくしている。
低い波長と人間らしさ
私は、蟲ー(コロナ)が一番苦手とするものの人間で、意識強い
除霊を考えるのに、気付かないほど低い気持ちが空気に流れているのを目を見開いて観察してみた
基本姿勢は人間に上下はなく、蟲ー(コロナ)が初めての下であり、心のすべてを感謝し大切に見下げることを感情を楽しむ
蟲ー(コロナ)が初めての敵であり、また一番強いのである
テーマ(直る)
霊界で思い考えてる性格の人は地上にもはやいない
いるならものすごい天霊で、人間に強く興味があるから別のことをしてる
だから“同じように”生活の行動を続ける
そして、蟲ーは人間の感覚として忘れることも良くただしいのであるが、真に忘れる為に注目すべき直そうと考える「悪」は最初から取り締まられているひと
地球とか惑星とか見て考える
現代人のしなければいけない、勝手さ、壁があるが人々や民である
「地球とか惑星とか見て考える」
お馴染みのことばを今まではこれを自分で一旦直してやって来た
ぶっきらぼうな、この言葉の感覚のままでこそ
新しい言葉や想像が生まれるかも
波長を失って、気持ちを分けてもらうのだなど考え辛く、それそのまま、
そんな辛い気持ちのままに、無心では宇宙じゃどこにも行ける
気にせず生きる、
考えると行動が被りかかってそれだけでしかないとても落ち着かない「春」ってある
生きることは春の夜の夢のごとし
と詠んだ大昔の詩がある
水星よりか地球は明るかった
あなたたちは将来も未来も考えるその時に
時代、これはとても難しい字だから好きにして良い「自分のこと」に老いも“こどもたち”も掛かっている
伝えるよりこのことが必須。今日を生きる人にとって予定調和は明日に組み込まれないそう。笑うこととは、何回でも冷汗をかくほうが素晴らしいんだよ
さ、野菜を食べよう
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2025/03/28
天仏とする、下から見ると細いが、上から見るとふっくらしている。上で見ている霊とは?地上のもう色んな苦労をみてきたことだ 安心せい
こう様々な性格を伸ばすことで和合するといった美や仏に従え極めることであるが、問題は性格を、地上から伸ばさず天的に思い込んでしていないと、性格という語、自体は良い悪いもないのに、良いか悪いかになる。言葉が異なっても、この期に及んでは意味や理由の違いははっきりさせ古のリズムに従って(私は)無欲に数えていない。ーお前は性格が悪いからだ。と、変な問題を全て刈り取り避けている、見よ、こう仲良い心。お犬神さんありがとう。大神
天は見ている、の可笑しみのある
出来るよりも、することが大事
何回ゆっても天へ上がってくる
地上(天)は、上手くいってる
「天」は、修行の成果だと
“ストツー”とか習字を見て久しく思い出せる
出来なくても、一回でもすることによって
失敗しても、それをもう一回して
失敗する幅を観察し、
また初心に帰って、する
出来なくても回は、天のポイントをちゃんと
厚み、圧み、重い、しんどい、を取り戻すことを目的に
江戸でもヤマトタケルは天のポイントを貯めろ、とゆうこと
だから、自分が地上(天)のポイントを貯めろとゆうこと
若干、この時は老年心の供養を成し
クスリを一発で止める自分のイメージをさせる、とか
クスリや中毒は、どの様なものかの認識や、
「カッコいい」ことに、もっともっと寛容にして
天の指標から、地上は「耕すこと」を見抜く
天津神にたいして国津神
天にたいして自分のすること
天の地上とは、地に足を着けている
例えば、週2回、運動する
週2回、決定している。これは時間を持ち整頓する、そして身に刻むというこの手間による
こう最初が意識世界であるから、
(お日様の)意識をする
そのことで、夢を叶える
道の遠さを確かめれたし
(人がどういう風に成長するのか、どういう風に積まれるのか、
何回思ってもわからないものである
ここに、仏道のいわれる「一人」のまたその意識ごころの効率の良きをまじまじと知る)
あんまり無私になって、性格を跳ね除けたのだ。少し刺激してやることが大事で、そして思い切って、ゆっくりで良い。
そしてまた、行きつ戻りつの違和感をいう
ゆたの揺蕩うといい、そのままの気持ちのみで事足りる、この老年の苦労の末、
打ち込まれる知恵とでも
緑の大勢だけを願える
それは心の中にある
即ち、無心を続けることを目線にしているのである
大切に、無心を想う、想像する
間中、立ち塞がる色々な雑念や迷信を相殺し、自己の構えへ淘汰させたらしめ
誰しも能じることなのだ
気にせず、それを済ますによって、その散策に
自己の歩幅などを見つけているだろう
そう思うのだから、がんばって
・人間は離すが、天的には離さない、こうした良い意味がある。
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2025/03/28
妄想で、何か伝わるならテレパシーはいらない
想像だけが、光を反射させ繋がるの
妄想はいくらなんぼ考えても妄想なの
妄想は、感情を失うと書く
想像は、相手がいると書く
リスク、という新しい想像が出来るよ
破ら、
牙……
もし、身体性が破られたところで、まだ守る。それが、美しさ
身体性を、破らない
この緊張感が、国家で、信仰なの
国が違ったら、国の話をすることで解決出来る
それが信仰
生活者は、偉いの。年金の形が、皆で協力、という外枠だけを取って、商売算、あっちからこっちに行く一方通行を止め、国民として、良く考え、人の心配を気遣う。文化的に生きるために存在する物で、年寄りになっても喫茶店に行くことを、義務づけられ願ってる。払えなかったら、正直にいうこと。そういう言葉の伝達なの。借金や税金と、違うことを良く勉強して欲しい。
歴史家としては、初めから「美」は最もとするところ
国民健康保険や、税金の書類を見て、横に勾玉を置いて見て、忘れて許せることと、重さを
図る
淀川など大阪府裁判所があるが、一歩前は古い社がある。
深緑色の大きな大きな川が、昔の、その昔の、今の、最近の、辛い事と悪い事、沈殿する自分の記憶と、いつまでも相容れない自分の心とを、深く涙して、私は笑った。
古代から考える、色んな格好の仏像が、壁と風、崇拝の掟から、
勉強すればするほど、魔物と称されていた古神、その島国の人にとっては自分のことに真面目な関心をすることを続け、明らかにし同時に他方のセーブを得ている。
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2025/03/27
魏志倭人伝(ぎじんたいけん)
それでも、自分としては擬人体験
そう分かった時、英雄のことと土地神様を学べるの
戦争は、
くにのだんせいがくにのじょせいに、立って
男の子を睨んて行った
それが、
「私は汚された」
この言葉やってん
男の子と、女の人だって
男の子はヤンチャを見て、「僕」と言った
女の人は、そうかなぁ?で、
更新されたのは、
もっと、「わたし」という言葉を言いなさい
と、大和人が言ってたよ
思えることは、土地神と言える。大仏作りを強いられた幸せも確かにある
生玉神社は、標高が、
中之島、桜島、、など「島」を見渡せるそうで
(昔は雲がかり、浮かんでいるところをいって、神代であることのイメージが出来たら、そこへ上がっていく橋掛かりの絵柄を見るから、自分をくり抜いて、道を経て、雲間を経て、歴史では曲りくねりを通ることと、一人ではストレートに通ることと。絵柄のままの様に、あっさりと雲の上の景色ではないこの目を愛し、届かぬことを尊びます。「何か」出会えるように、とこの合ったあなたの慎ましい姿勢、で)
あの石垣を運ぶのって、重いねん
「(こういう時の)そうかなぁ?」、これは誰でもわかる言葉、誰でもわかるとは、誰でも言った方が良い言葉。大阪女子学園で習った。自分の習ったことは学んで貰う様に。
遥か大和イズムの、どうでも良さは接合する
(縄文人というと自分に距離が出来て。大和というと古代といえて、上のことばでいう近さ、この嘘やそれを誠にしようとする言葉の行動を信じる強さが、国へ向かう佇み方を教えて貰って。)
ちぐはぐな自分を、
人にたいする真剣さを、
しっかりした自分は自分で置いといて
こうして働いたら、どんな人になるだろう?
「人」は、増えたら良いんだよ
私たちはそう言ってる
ま、本当に自分たちはそれしかないし、
何もイヤなことを覚えず静かに暮らす間なら
「特大のロンリネス」といって祓い清める
擬人体験からは自意識の成熟と向上、それと超越を、沢山すれば良い、
というまえに色々説明して置きたかった
方法論136
この間の退けたい悪いこと
・アッテルたちが、大事(おおごと)になったセンソーだからを理由に、自分が考えてる時に「疑う気持ち、それについて考えたい気持ち」を「自分」として見過ったまま干渉してくる。自分と人、が別れるわけない。だから、それを感知して大変煩い。人じゃない、という領域が魏志倭人伝にあって、現実に帰るとそのアッテルたちの解決できない問題として濾過され、繰り越される。これはフンのようだ。このフンは貯めると、徳ポイントに必ずなるから干渉しないで静物だと関心すること。大切なのは“いつでも、”「人、そしてそれ以上の国」を、考えれて頑張ってる人が何時でもいる。何を言ったって無駄くらい人格をすり減らしたものを、もうそうと見るしかないこと、存在を出来るだけ許せるように小さくして欲しい。自己を立て、区分けて考えている。是非、禊祓「みそぎと、はらい」を言って欲しい。古来からそうしているが、言葉は遅れた。
こうしてゆっくり「マイナス」を自分にたいして打ち出せたときから
あるいはその祝い、
そこから、歴史との対話、神との足腰が始まっている。
正しい考えは、誰も想像のつくことが出来ない心自身にある。どこの「国」の人でも力を失われてしまっては困る。
彼らは全部、男気を剥げさせる者たちだ。(それを要品では「何(なに?、か(蚊))」と表記される。作品作りは、手から始まる為蟲(むし)を取り除く。自然だと思えても。だから建物と自然が対にならず共生共存を地球が選んでいるという報告がある。)
・おばあちゃん、気を遣って避けたって、違った、気を細くして避けたって、、 あのこ棒枝みたいやな 太く生きや。
外人になり下る、は、どこの国の人でも考える。花もなく華ばかり見て、光る数々の言葉はそれ程、「私たちの人生が続きますよ」という意味。私は日本に息を埋める。日本に生まれているのは本当で、息を埋める程国感も古いので断定してる。仏道って、その形状を形にすることを避けること。髄である人にとっては厚かましいこと。しっくりした、聞いてしっくりしたこと理解し納得した一瞬の自分を死ぬまで信じる、生涯信じること。そしてその上で何か自身ぽつり残るような涙を知るとき生疑が始まる。その「種」と貪欲に付き合いを進めることなのだ。順序は必ず「一人」だし決まっているから自分は大丈夫。私の言葉はこれに尽きてる。無になる、とか透明になる、とか、「直感」を使うと良く知っていることを知る体験から、まだ見ぬ自分へ、進む。これから、初めて体験が、経験という言葉を確心出来るだろう。会う約束、逢瀬の約束は、そのスケールが仏であるには一億年の先を目指す。もっと豊かな、「遥か」と共に清貧や原理的美しさを学び直さなければ知っていないも同義語であり、未来志向へ「いない」とも等しい。死を避ける身体性こそ、仏。その火の揺らぎこそ、それぞ仏。オンタラーク、生きてるってもっとブレてる。
崇高です。ここでは、だから〜、こう、じゃなくて、初心に佇めないという時点は、まず人を主に出来ない故、人とは違うのが前提的に意味を占めて値を法にしない。貧しさから凌いで何か言葉にはならない、を指す。記憶すること自体を間逃れることが、人には出来る。
釈迦は蟲だったが、元からステラおばさんのクッキーとかで影に存在していた釈迦牟二や仏様は、すがたからも「思考の美術」を名目にされている。美はもっと、身近で軽く。これをまったく全て説かれて、そして座されている。私は、読んだことがあるだけ、と事もしてる。そんな王と、民のものとする身近な芸術を温められるような言語が、私たちは欲しい。目的としている「無」、無は字数が多く、難字だ。そんな認識がそれちゃうか。自分が、どうかや、興味が字か、言葉か、人間か。それを激しく分解する理性論やで。つまり、読み手や私の目というものがある限り、大きさがある。それをまだ分けて行く。単なるキゴウと違うのは、言葉から始まってること。これを、遺伝子という雷なんや。神社の獅子の想像も、地に足着けて上手く行くやろう。ちゃんと見たら、仏さん許して直してくれる。
ネガティブ思考のことばで、
どうでも、のどうは、Do と書くようだよ。
もう一番、凹んでいるのほ、
上手く行きたい、とか、上手く行くことを、より考えなければ!
物事の「上達」とか、お手の物! とか、私たちはそんな“孤独をもっと覚えて欲しいな。
とか思うと、心が楽しく、浮き浮きと楽しみで震えてるんよ、愛しく震えてるんやで。
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