揶白 (KF)

絵画

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    Works 46

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    Works 46
  • (訂正)一円玉を見ると大きな気持ちか戻る、ジャガイモを食べ続けると大きな気持ちが戻る

    内側から美しくなりたいとそう思ったことがある。

     

     

     

     

    「抜け駆け」が暗号だそうだ。

     

    70階か80階に素で登る。一回り前の世代では、わるいことをしたらタイヤを持って運動場100周回ったものだ。

     

     

    「気」を持ち抱えれる重力とは、こんなもの。

     

    いつでも好きな時にテレビを離れる。こんなにテレビが好きだったんだの感動や、

     

     

     

    つまり、自在にテレビを離れることが出来てから、やっと好きな時にテレビを付けることが出来るかもしれない。

     

     

     

     

     

     

    魂は一つでも、物や国や考え方を持つとぶつかりを避けて離れてしまう。

     

     

     

     

     

     

    必ず律儀に聞くような所で、良いものを封じたり、駄目にするのが真田幸村(蟲ー)私の近くにいて戦時のその時代の昔の霊が捜査に身を光らせていた。

     

     

     

    長野の眞田神社は、その前にあった。

     

     

    要は、江戸時代を構築するために戦乱の時代があるのだが、終わりとなる頃「我こそが真田幸村じゃー!」と叫びながら、戦の陣を馬で走る侍が多数いたと伝えられている。この意味が今に通じるのである!! 

     

     

     

     

     

     

     

    四天王寺近くにある。アッテル霊の学校だそうだ。四天王寺は戦時の仏が住んでいる、奥のほうに難しい漢字でアッテル神を祀っているのを歩いて見かけた。

     

     

     

     

     

     

     

     

    美しい「あかん」の像。忘れやすいことが覚えられ、じっと考えることも出来る。ボケにくい。街にいくつも発見できる。

     

     

     

     

     

     

     

    ゴールデンカムイを読んで戦時を考える。四天王寺の仏像を見に行く。字をひらがなで光るまま自由に読む。拝む為に。自分は自分には何を受けても良い。若し、大陸や大地、そういった天地の合瀬がある。もっと情を交わしたかったが、一回では無理だ。命は一回だ。

     

     

     

    日中、朝が来る、靄のあるときもある、こんな朝は何回でわかるように変わらないことだ、靄は変わる。こんな朝は日時によって時間は短いが、何だか叶う。全ての経験を愛していると、だれでも松のような醜美のある緑の葉がふさふさ生えるのがわかる。

     

    綺麗に言えないけど「そこにいる君も、方法で自意識から逃れて身を保って欲しい」太閤から仰せ司っている。

     

    思いきって書くと、「醜さ」という吹き出しのようにして体回りを囁かれている。飛び込もうとするが家族に引き留められる。気付かなければいけない神がいる。アメノウズメだ。松も梅も、もうメタなのだ。かなしいが悲しい過ぎておかしい。お釈迦様という存在は、何らかの理由で道から逸れない。愛し続ける、という年数が高い。美しさという言葉と私は同じようにする、「醜さ」とは何度も解ろうとした自分の美しさにたいするスピリチュアルメッセージだったのだ。

     

    持ってる神が違うとは、やはり自分が地上の存在で、土地なりに育つ命があると、形も持つ。自分より上手く光としてもっと長いなら星のように掴めない筈。

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