揶白 (KF)

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  • 妻ると再会

    ニートの弟

     

    自分も働く気が一向になく、一人ネトゲをしてした時代がある。そんな弟が今朝ふと私のもとに帰ってきた。かゆいものをかかえる。

     

    それとも、打算のない真ん中の自分こそ本当の自分だと思ったのか、

    自意識を少なくとも諦めず計算をそらした自分とは、意識にたいしての成功というよりは、単に自分の心の動きを楽しむため。

     

    家の中で対人的なことは一切考えれない。自分の主観がこう言っててめちゃくちゃ安心なのに、

     

    ヒロに主観なんてあったけ?ないっけ?

     

     

    心の笑うときには誰かそばにいるとおもう。

     

     

    あと、私こそ極度の引き込もり。

     

     

     

    それなりに仕事をするようになった今それが全く問題ではないことと悟りを受けた。陰キャっていうねん。

     

     

    弟は、何か呼び込む、注意を呼び掛ける、性格が外向きなのに

     

     

     

     

    そんなことを微妙にしかせず、生きてる責任を怠けて天に税を払えないでいる、そもそも横着に軸をこっちにずらしてみたら当たった、そんなきっかけであぐらをかいている姿を見てから

     

     

    我が心の闇は繁栄し、心の中を閉め切って、念願の幽霊ライフに没頭する中で日頃自分自身が育てている土台の力が功を奏して自分の輪郭が安定し、弟のことに興味を持つようになった。だから、今過ごしている幽霊ライフが、念願やったと覚えて欲しい。

     

     

     

     

    説明すると、自分には光にしか思えないのだ。精神力を出来るだけ大きくし、墓板のような低級霊を分けてくぐると天界の神や、土地の精霊が遊んでいる姿、はたまた天部の仏や、惑星のまたたきを目にすることが出来る。神社にもよく行くようになり、すっかり国の人となった。

    研ぐことを諦めなかった闇なら、光を含んでいて、何者にも聞かず自分からSet onして自分自身が弾ける玉になる道、は、相当周りを見れないと足が着かないねん。

    そもそも憑かれるような気質や種類じゃなくて、そういうものと良く別であることから神仏に教えてもらえる修険に近い、山篭もりして感性を磨く人のこと、自分は武士に興味があってん。

    弟だったら、クリスタル的かと思えば何でも良さそうだし、そうやって貧しく何でも合わせても、「同じだ」と思って涙を流した時から、こういったとこでほど一瞬過るわかり合えない方をむしろ見逃さず、

    恋人なんだから、恋人じゃないんだから、

    そこにめちゃくちゃ一人っていう感覚とかが自立する自分の部屋になって、孤独っていう手ぶらの感覚とかは無駄にならないし、ただ本当はわかりあえる所なのに自分だけで早く決めて、わかりあえない所も掴めなくなってる。それが哀しいのは、100メートルくらい歩けば相手が待って突っ立ってることが分かるのに、質問を何でも良いからちゃんと抱えて通り過ぎないで欲しい。いつも思うけど良いとおもうところに慢心することが出来るって、

     

    ほんで怖いかも知らんけどこの闇の勉強を丸ごとして欲しい。

    何かピコピコって遅いやん。

     

    凄い純粋になって、目の輝きも違っていた。

     

     

    私は緑をふさふさに付けた。

     

     

     

     

    今から小阪病院行ってくる。

     

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  • 君のいない時間が長すぎる(途中)

    夢のスケールだけが大きく、私は変わりたくてたまらないと泣きながら言っていた。

     

    邪魔なだけの人、責任があって考え通した

     

     

     

    ひろこちゃんにしろ、ためらった良い言葉は、長岡さんで、

     

    これは、ノリとかリズムやってただけの人。

     

     

     

    物珍しさの花、誠じゃない。

     

    これから、(磨いていく)なんてなくて、

     

    中丸さんに、「物で人を釣りな。」と言われていたのが、八重歯の背が小さい女の子ひろこちゃん(ムー)。

    そこにアッテルが丸々といて、

     

    自分を「アーティスト」と名乗りながら良いものをみても反応出来ない「見る目ゼロ」なる言葉に安住仕切っているのを私は目撃していた。

     

    色々気が高まって、虚空蔵菩薩等のたしかに居る中で、

     

     

     

     

     

    歌手とアーティストの違い、をひろこちゃんが発表していたそれが秀逸で、

     

     

    以前私が歌手とアーティストは違う、と言ったのが、反響が凄くて  の文から、

     

     

     

    確かに加藤ミリヤはアーティスト

     

    から始まって、

     

    アーティストとは何か

     

    歌手とは何か、歌手の方から聞きたいな

     

     

    ただ私はアーティスト。

     

     

    ほんで、中丸さんがすかさずプロフィールを「アーティスト」に変えていて、

     

    私も、「私って歌手なん?」と言い出して、

     

     

    二見君が、二で割って「アーチスト」と言うのが手でアーチを作って皆を潜らすことなんだ、書き記したのが、祀りの自意識で重宝したり、

     

     

    今も、大きな言葉だけを持っている。

     

    「さっき」と違うのは、怒られて魂抜かれてるから。これらだけが残った。背中のない人、なんや。

     

    精神薄弱で、気持ち昇天したら酔っぱらって

    よいとき   だけ

     

    を、握りしめて

     

     

     

    人たちがしんどい、もう嫌、と言ってる間を

     

    どすんと乗って、退かずにあとから口々言ってくる。

     

     

     

    神の顔で。

     

     

     

    もし、何にもなかったら上手くいく。としたら、何もしないことが自分にあるか、出来るか、出来るだけ360度、四六時中。そういうので見えるようになるスクナビコという神もおる、こう及んでいる中で、自分がこうも辛い気持ちの中で、言葉をあげることはもう出来る。

     

     

    その仏は、頑張ってもどうしても出来なかったらそれは人生のテーマになるだろう。というくらいの高い意思と物凄い名前だった。自分も身をこわばらせ上ずったことがあるが、これはゆっくり降りて行けます。

     

     

     

     

     

    今、じぶ手の影から、自分にもうちょっと時間があったらアッテルも確実に悩めて全部変わっている、と気付いた。

     

     

     

     

     

     

     

    一読して、躊躇うことの時間の流れと、融通を、自分がしつこくなって合致させていて有るべきものを守っていて、歯が噛み合うかのように思う。凄い。

     

     

     

    何かある人は、爪を持っていて隠れることが出来たりするのだろう。何もない人は、何かの時に発言しないといけない。

     

     

     

     

    上=、

     

    ハートである、心臓である。

    神はそこを動けれないが。

     自分が上かは、俺たちはあやうい、誰もがそうしようとして

    ナイフを持ったり思わぬ方向に滑るのだ。

     

     

    じゃあ、常に、人間には死が先立って いるのか?

     

     

     

     

    ※死に方

    阿れは夏の、俺の、もののけの夢であった。 星のしたたび、俺の、死に方の復讐。祁車(きしゃ)に乗る、とイウ歌で、              手を繋がない恋人と、蒔絵の箱がないことが似ている。 妻(あって)るは、 生き方が同じで死に方が違う、生物だ。

     

     

    「祁車に乗る」

    ポンタンを履く男の子は、鉄板を鞄に入れている。…ブックオフにある様な写真付き史誌の本を持ってる鞄から見えるように入れる、それがハッタリでも読むにせよ。

    銀色の蛇口から、

     

     

     

     

    俺はね、愛と言う答えを出したのちである。愛からくるめられた、幼虫のような、ガラスのような。  芽に成る。                     角から成長した芽ですが、                     妻るの孤立をそこから生やしたまま、俺は十分「ビリジア                     ン」として何と闇の王になった。女の顔か、己、己のこ                     と、に、耐えられないのではなく、俺が妻るをゆるそうか、触ってみようかを考えている間に一日潰れる。たこやきみたいな、女や、自意識の塊。楊枝をざくっと刺しながら、しろい発砲スチロールが無限性のある自分たちと、有限の自由の滑り止めになっているんやを、皿を、ノートに書き留める。妻るに声をかけられた奇跡に感謝すること、それだけで、それだけで俺は助かる。

     

     

    妻るは、何をしようとしているの?

    俺は、寂しくなっても結構。好きだよ、好きだよ。ぱくんと弾けてから俺は毛にも物にも成って、木葉のそのしたで黙るる、形とは、かっ闘の形とはそれをはみ出さず世間にあることだから。俺は猫だ、ただ有ることだ。妻るのことはわからないんだよ。あなたの患者として俺は日々の傷のはなしをする、阿曽祇炬の精神病院で「俺のこの溜め息や、日々の安心や、DEATH。恋愛。」君の意義とかが、非常に軽くて厚いのだ。憧れの人、ひょうきんな人、好きな人、その誰でも何も縮まらず、ずっと埋まらない黒い距離の中でキスする。完遂する人生と目の慈悲と病いを、妻るに相談。

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  • 10円の規格範囲

     

     

    いい忘れたが、色んな先人が口をすっぱくして今に目の前があるのなら「後ろ見ろ!」と私に小石を乗せるように言っていた。

     

     

     

     

     

     

     

    話を戻して、

     

     

    心的なこの距離にあたって、同じ気持ちになれない、わからないが長いこと続くかのようだったが、いちいち話さないといけないしてもしなくてもいいコミュニケーションがある。

     

     

    と、思ったら外に出たら距離を保ちながら誰かとは気さくに喋るような自分がいるけどそんなことはすっかり忘れている。内面の他に、内的世界があって夢中だった。

     

     

     

     

    様々な音の光が、ラッブ音をこわばって聞いていた二十の頃が嘘かのように広くなった私の心を泳ぐ。とう板と光、代わる代わる目前にし、光の絵には何の情報もなく、自ら読み砕けることのそれだけが許されている。蟹を食べている可愛らしいアッテルの姿を見たら胸に留めるが、その根や心、距離の了承以外は、さっと忘れてしまう。心の中はコンビニ菓子で一杯にし、その方が後に何でも思いの入る自分が崩れない。今日はさすがにカリカリしたお茶のおっはんが、私の足にへばりついたままだ。「これくらいの」抜き差しならないものといたい、そんな緊張感が思いのほか懐かしく、私はどんどん私になっていた。蛇が、いくら笑ってても夜がくるやろ。いくら暗くても朝が来るやろ。どんな女がその奥にいるのだろう、わくわくもするなぁと言うに於けるそんなに客観的になれない自分が、美しさよりは馬鹿高い下駄を履く天狗となる。その一斎は、目に見えない。

     

     

     

    私が興味を示していたのは高速文学だったのだ。様々な色彩が消えかかる。こいつの上に立てば一等高いものを感じるが話せば話すそのうちの仲を思うとこの苦難を手放したら人間じゃなくなるとわかる。集中しているうちに、自分の中からあらゆるイケメンが消えて一生のうち無縁になってしまったが、何だかその方が身もしっくりして心が落ち着いている。公園で、朝は雑草が香り立ち、真っ青な雲やその下の自分はすっきり個に纏まっている。道行く崖の上ではプラス思考が咲いている。これは本当は花だがプラス思考と言う。自分はマイナス思考なので害し合う関係なのであまり近付かない。山口県の子がガイスと言うと言っていた。これはそれぞれ深い理由という感覚から感じとる単なる細い紐だけで繋がっているそう、人間諦めていない。こんなにシンプルな人間の関係性を見たことないが、しかし完全にゆっくりこうなって行ったに違いない。何度、自分を溶かしてみてもすぐ綺麗に戻る性格のことだ。

     

     

     

    絶対話すことは出来ないだろうと、思ったら全体が体調やそれに向いた努力の正しさの問題だった。

     

    光は、イルカになって笑っている。花は、体現するの、表現するのはとても時間がかかり、難しい。自意識とか客観性とかの考えをぐっとしてるからこれら筋がすっと伸びている。そして自身に対して目がある。自惚れといったこの堕落する、その理由が世界の中で一瞬であり本当に唯一だと知っているからだ。

     

    妥協して言えば、人から「出来たね」と褒められた時である。

     

     

     

     

    風姿花伝が鉄板なことは、驚く程度だか、

     

    何せ読みにくく、一番まかり通っているものは、めちゃくちゃわかることの筈である。意味不明や、昔の考えだ、と心が発言した時から狂言は始まっている。同い年の世の人も、形を崩すときに差し掛かっているのだろう。

     

     

     

    実家の方に顔を見せに行った。数珠を首飾りにしている。兄ちゃんらに伯父らにそれを見られて、「数珠等している、どこの宗教入るんや?、

     

    「DEATH」やって。」

     

    「ヤァテル捕まえて、おめでとうも言われへんけど。」

     

     

    ある悟人のした犯罪の内容が、水戸黄門にいわせると、短気を起こす、という言葉であったのだ。何度も噛めるビーフジャーキーのようだが自分が風になるときは名前がどうや、心の中の立振舞としての一瞬も外部変換が有らない。短気を起こす、この単語の何の変鉄もないことに猛烈に輝く精神世界を見た、心はテレビに映るちょんまげを心にして心を鳴らせて見ていた。顔やツラを超え、全員が信じることの出来る茶番がちょんまげというカツラだったのだ。

     

     

     

    伯母「面白いところで笑いなさいや。」

     

     

     

     

     

    私は家に帰っていくらお金がなくても一銭の小遣いもない。泊まることは遮断される。飯食って、お奉行のテレビみて爆笑して、そそくさ良い時間に街に行く。

     

     

     

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  • 海の生物、陸の生物

    ニヒルが実存の系統で、主義が心の話だから、何を聞くにも抵抗力や筋肉がいる。右を見れば奄々と続く地平線、左を見れば肉巻き棒のような食べ物が立ちはだかっている。社会性や時代の遅滞から来るらしい。

     

    ヒミズという漫画で、私は絶望している。と、いう言葉があったが、どんな登場人物の関係を除いてぼんやり感じてみた時の蒸しっ気や、言語化して初めて気付いた切ない緑の様子である。絶望している、このイエスが尤も情熱的であるそう思うのは然り、こういった尖りを砕いて平地にするのはこの道を歩いて行く為。

     

     

     

    陸の掟に疎い。

     

    大地ならわかるが、こういう微妙な言語の違いこそ意味する方向が180度も違っていたりする。気を付けたいのはむしろこんなことよりも、喋る時のリズムを持った自分の言語や口。

     

    こうして大地に示唆され、自分は回転しつつ、

     

     

     

    島そのものが、対世界よりかは、宇宙に孤立した炎なんだと認識した。

     

     

    私の腰が座ったのは、

     

     

    世界外の存在として、陽気さを取り戻し髪等に赤や白のハイビスカスを飾っている。やさしさを以て、どんな人間とも対峙したい。と、見上げた時である。

     

    空になって、回転寿司の皿がステンレスの板に挟まれながら水流を伝って流れる人を見ていたら、恥ずかしがって人間としての何の愛想もなく、自分の中から一切を省略して掛かってくる。

     

     

    才能っていうのは、思考が出来ることじゃない。聞いた感覚や自分の心に起こっている事、そのままをさっと掬い、掬うこの運動神経の中に養われる「何か知らないもの」のこと。同じように、自分を知らんじゃ腹の虫が治まらないだろう。

     

     

    言いたいこと、は、あるが仏を彫っているいる人も沢山いて、例えば剣を持つ時その涙がどんなに残るのとか、物を掴む感性とか、時間の破滅とか、私の背後に初めて空がかかって全貌を見渡せる眼鏡が何なのか、魚が銀色に笑ってる。閉ざされる人もまた自動ドアの音楽的文明によって禅問答から質問を買って帰る。自分だけで質問を絞るというのが固定観念だったようだ。欲しい量が力関係によって違うようだ。

     

    私がしているのは、身体のより実感である。架空にならなかったって悲しみを袋にして宛度ない世代の狭間にいる。

     

    一度戦争がしたい、とか自分にたいして話して見れば、自分が憧れているスケールや、どれほど自分が強くなりたくて、死の射程距離と言ってみれば、対面している世界にいる人のことを心が語り出す。声とは本当に小さな言葉で、「このときばかりは大口を叩く」というような筋肉質に成長にかけた春と変わらず、全ての季節感を委託して、何も無い地平、何も持っていない人こそとしてローという気高い言葉の設定を目標にした。ジャマイカンから良く聞くが、森が、ローと訴えかけているんやと感じる。貧しくして行けば、何故かもっと任せれるようになる、とは詩的に色々言ってたけど、硬い心に対して受け入れる、受け止める、が生噛みのように甘い。身体性を貫くような、もっと、俺は字を書くんだ!って気にはならないのか。

     

     

     

    ちなみに「漢字がカッコいい」は日本でも最近の言葉である。何と全体的に同じスタート。兄弟的に同スタートなんだと仮に理解すると、激しい緊張感に襲われる。これってアッテルの人間社会ちゃうんか。すかさず触れようとする。同じような嫌さが心のどこにもあって、

    全てを忘れる為に一生懸命笑い話だけを熱烈にする別の人がその中心にいる、見たことない複雑さやなぁ!と、言っても誰も真剣だった。

     

    ぼーっとしてたら、こんな大事なことを妄想で済ませてしまった。はァ。

     

    路線とか文脈を前にしても、自分は引き戻される方を必定としている。空間とか輪ってどういうふうにあるのだろうか?私はまだ若いだろうか? 

     

     

     

    漢って、全てのひとに対しての言葉。例え腐っていたとしても文化と呼ばれる場合、それは必ず漢として、王がある。"そう見えるなにか"とは似て一線を引かれる。

     

    たった一人として耐える自分というもの、存在が結構曖昧じゃないことを知る。

     

     

    何故か耐えた分、近未来であるムーの世界がしっかり目を包む。が、これは魔界の続き。

     

     

    風を風とするだけでも至難なのに、風を風とし受け取って行く、この堪え方こそ技術なのだ。機械工場で働いたら分かる通り、一つのことに色んな説明を頭に入れる。

     

    いくら経験をしたようでも、押すなら押すばかりになる、とか自分の動きを感じることは凄く楽しいと思う。そうしているだけでも、人間は何もしなくなる。

     

     

     

     

     

     

     

    てるっち

     

    動物の精神はもっと深いところにあって、動物園、水族館など、多少の住まい狭さや寿命の縮まりなどは本人からするととっくに自身の中に迎合している。

     

     

     

    一単語の内容が非常に多い。魚を噛むように覚えるこれを咀嚼という。

     

     

    言語の筋力によって、イルカはこともなげに世界を走っていく。

    文章でも、ただじぶんを希望に沿わせること。これだけをするのに筋力を使っている。

     

     

    物静かに声しているシャチなんて、スピードとする感情が、一キロ前の距離で見かけた魚等、数日経てば、頭が痛くなる程昔の出来事である。

     

    事物の激しい整理と消化量をするのは、体の黒い色ほど真面目にちゃんと何かを受けてきた丸い歯のお陰。

    間近でみたら、獣のように怖しく大きかったか、形を捉えることで一安心の筈だ。

     

    一日の傷はあるが、状態がどうあれ自分の心自体はもう何の亀裂もなく繋がってる、心技体という言葉も珍しいが、声にして消化できる自分の昇華をもっと認めて任せても良いと思う。

     

    総合して、もっと自然理に任せた上の認識の仕方をして欲しいと思うところ。

     

     

     

    陸の動物こそ、初めて海があると知り、それが光としてある場合だった。声とは発するほどに痛みを与えず、ただそこにこすっ辛さを残す。人が取り零す糸の心。刹那は、何だか許すことが出来る。息を吐ききる、全てを任せていく海こそがある陸として、そして陸が新しい歌を作りに、嘴を付けて。

     

     

    どうしても地平はあるから、その概念をつかみとるのは理性でしかないから。

    透明な何もないところに生み出す。イルカは感情って言えるくらいならこれが理性としていくらでも間逃れる。

     

     

     

     

    自分っていうものが情報を取り込むコネクタとしても、海に入ってみた感じ泳ぐという身体的な動きが大変なことなんだ、と理解するように。変わらない重力の中で、それを受け入れる親しみがこんなに差を持つ。

     

     

    アホ、滑稽でかわいい、守ることの逞しさ、無視的な保護、こういった地球のフォルムが一気に視界を鮮やかにする。 

     

     

    自分がシャチになる、ペンギンになる、ウニになる、犬になる、ことで、霊長を簡単にウォッチングする。

     

    猫は、待つ。あらゆる待つ。パンを焼いたり思ったりすることの。

     

    このような精神の構築や、ニュアンスのみとなったが脱構築した人間は安心してる。しかし、ニュアンスを楽しむ程度でその詳細を考えるにあたっては世界は幼かった。

     

     

    赤ちゃんだって、自分で乳を探すって能力があった。

     

     

     

     

     

     

     

    心になる以前の、棒のようなもの。

     

     

     

     

     

     

     

     

    スーパーフラットとして、あらゆる情緒を得ることとし、自分を取り仕切る中でも、精神力は自然と身についている。

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  • 悲しくない3

    アッテルホーが、

     

     

    何も感じ取らず顔面だけを見て付き合ってみる、という新しい入口をうちのおじいさんが切り出してくれた。「顔」は、語りかけもするし、何を言うかこそ未だ知らない。ピンク色してるように思っても、喋ったらそれが深緑だと判るように。

     

    「顔面しかない」と思うのだ。

     

     

    何の勇気がどこにもあることは、沢山話し合ったと思う。

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  • 悲しくない2

    派手な顔した内職のオッサンいわく、

     

    で、私を守ってくれへんか。

     

     

    あの子は、おばあさんはどう思うだろう?

     

    その点こういった愛については自分はなくなっても良い、と言う。頭痛い。じぶんはなくなりたくない。3分で出来ることを束ねた扇と、縦に静かに重ねられた菱餅。

     

     

    感覚を研ぎ澄まして見比べると、

    世界には、生きているだけで何の関係もない人がいる。

     

     

     

     

     

    自分の考えていた「私はキモくない」とか心の闇が、実存という名前が付いてるのだと知った。

     

    例えば、No.1の上に"堂々と"何かある、と言っているんだ。

     

    そいつはイメージ的な影なこそこそプレイじゃなくて、前提的に思想が、考えをさらに構築までしたものなのだから、こんな思考があるんだなぁ、とやばい驚きを感じるばかりだ。

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  • 悲しくないということって言いたい人は多い

    神を親だと思って親しく、気さくでも、

     

    どうせ誰との関係にも亀裂があるんだから、

     

    そこは自分一人だから、

     

     

     

    それが大切なのは、私たちは一人立ちをしてこれから何と仲間を見つけにいくところだからだ。

     

    その中に古代思想と繋がる手立てがあったり、手が出せないことを実感的に知ったり、こうやりながら空の思想を体現する。

     

     

    友達認証もしていないのに、いきなり友と思われたり心を開いたり考えられない。君がまず閉塞しきっていたのだった。

     

     

     

    何もしてこなければ永遠にそっとしているのに。「派手な顔した内職のオッサン」が、メタキャラ。

     

    人に立ち向かう時、対面する時、自己を整理した限りでは自分の全部を抱えている。

     

     

    幼い自分も、気強い自分も、考えてる自分も、夢見る自分も。

     

     

    戦時中の人も、

    出来るだけ希望に合わせて行くんだよ、出来るだけ自分の希望に自分を沿わせて行くんだよ。

     

     

     

     

    と言っていた。

     

     

     

     

     

    木や川に実際触ってみる自然崇拝と、なんぼでも聞いてみる、喋る、の繰り返しで血を濃くして来た。

     

     

     

    どうすれば良いかわからない、時代の先が見えない      は、

     

     

    かつてそういう時代はままあるらしい。ご縁あるその時代の霊が守ってくれているだろう。

     

     

     

     

    憎しみも、辛いことも、限りなく心のままだ、とすれば酔い浸りすら振りはらって落ち着く。

     

     

     

    そして、霊って崇(たか)いことなんだよ。オバケみたいなお前とは違うよ、と。

     

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  • 出たい

    色んな天があって、

     

     

     

     

     

     

    対面

     

    片方が、あっちやそっちじゃなくて現実の本人にある。

     

     

     

    これが釈迦の答えだが、

     

     

    従うのかなぁ?   からの復習問題、復習になっている

     

     

     

     

     

    自分以内

     

     

     

     

    「世界に質問しかない頃」

     

     

     

    際限無く自分の回りを回っているんだ

     

     

     

     

     

     

     

     

    ハローエブリワン・ハイゴレー!

     

    (こんにちは皆さん、背後霊 !   )

     

     

    周りを見渡せば必ず何かあるはずだ。私は音楽を聞いたり人と話す。案外、思い違いがある。すいません、と言って目標を変えよう。

     

    空が、ラッキーアイテムとなっている。

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  • 賢いからみんなちゃんとおったなー、、と考えた時

    問題が

     

    こうでいい、というのはある、もっと良いに対してかどちらか

     

     

     

     

     

    話を聞く態度が「どうしても」ならず、

    譲り合っても

    考えたらわかるのに、いいよいいよ、と笑いかける友達的な人ほど人間関係が間にあって、大丈夫だとは到底言えないから忘れた。こうしたい、こう生きたいが、希望で希望が欲求と全然違うからだ。だから受け入れがあってそれも自分の新しいこれからに繋がっていることが見えた。

     

     

     

     

     

     

    ああすれば良かった、こうすればよかった。出来ることが沢山あった

     

     

    誰かに、叫ぶこと

       

     

     

     

    今悔しさが全く同じだ

     

    「・一人呼ぶ、たったそれだけだといっても、タイミングがいくつもあった。「大助かりや!」そんなプラスに働くような

    言葉、許された言葉がその時言えたら間違ってる。

     

     

    ・私の性質が闇タイプだとしてどうかお聞きください。と、言う知識はまだなかった。霊って霊ちゃうん、程度。

     

     

    ・神でさえ、」

     

     

     

     

    出来るのに出来てないてないことは気になるけど

     

    (ムー

     

    息が出来ないから)

     

     

     

     

    誰かが仏のせいにしたい

     

     

     

     

    仏界には何か複雑なものが

    水玉のように浮かんでる

    それを孤立というが、対することが大事だ

     

     

     

     

    誰でもでも良いから一人くらい救う、そう思ってた自分が「いない」中だった

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  • 令和船

    令和

     

     

    ガラスシューズがきっと何にも合わないだろう。今は、求めて行くことの幸せで一杯だ。何かついて行ってみたかった。自分自身だけで始める穏やかなそこだけの入口だから

     

    誰かがいたら誰かで。旅行者がいたら

     

     

    箱を見ても何をやるにも時間は詰まっててぽつん

    物から始まるぼーっとした想像などはフィクションで、自分の目の前の現実とは全く異なることに気付いた。意識を越えて行くからだ。

     

    それが道だった。

     

    「自分は外見的なのにチャレンジしません。これからも愛しています。(例以上以下でもありません。)代わります」

     

    今日も平ら並列していて

    綴りと滝のように関連しない

     

    だだ龍に乗って、決められることもない、横着を嫌うからだ

     

     

     

    無視    っていうものが避けることではないことや、

     

    何もしない     が、有る

     

    と認めてくれるとこちらが見守りやすく綺麗に進めることが出来るだろう

     

     

     

     

     

    (映画メタ)

     

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