揶白 (KF)

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  • 詩としてのおおさか

     


    大阪は、茨木市に住んで居ます。

    北部にあり、山もあります。気候と性格はやはり密にあり、それが判ると、例えその冷たい感覚でも、人間として嫌いってわけじゃない、

    ひんやりとしてるから、たんたんと一人で勉強できるとか、


    「ちょっとつまんないけどな。」この気持が、

    まま、ノーベル賞を獲った川端康成の名所。


    日本三大文学として、

    川端康成
    三島由紀夫
    谷崎潤一郎


    大阪はご存知の通り、オタク気質で、一つの事物には激しく熱を出して、討究する人が多い。

     

     

    昨今しられないが、文学にたいしてはそうで、かつて多くのファンがいた。

    土地の城、大阪城の貯蔵庫には、又、万冊の書物があったが焼けた、と云う記述をどこかで読んだのだ。

    学問は、

    呑気に嬉々と書いた持論を、それは違う、これはああ、と詩にたいする自意識の、何にして超えたり耐えたりする意志も、努力も無いのに、自分を差し込んで、あれ悪い、あれが嫌、

    何かさわったら「顔だせ。」。自己の払拭について強いられることが多くある。むしろ何の詩性も、詩人でもない、単なるつるぎを光らせた優しい騎士への、ひいきや偏り、うたたね、に疑問を持つこともクエスチョンも全然ないのに、「詩」にたいして、詩学的な知しきと、サビシサや、動植物の争い(へんな)、そんなモノを、持ちかけて来る。

    私は思う、「こえ」は客観的だ。敢えてこの言い方をする。

     

     


    そして、持論は対話をもとめられ、嫌われるままに追い出される繊細なもの。


    哀しくなったかれが、

    「何も教えてやらん!」

    「もう本、読まん!」


    こうして、な、なんと、アホ    になったのが大阪である。そうして、

    捨てられた「芸術」の議論を、当然諦めることは出来ず、暗転して今度は全力で体現したかのよう、「お笑い」。この詩は、「云う」こと、なのであるから、万々歳。というよりは、ただ頑張った。


    まま、


    嘘は、かかんが、然し、嘘を、かきまする。


    尚、大阪として文句は多くあるが、跳ね返したり意をバウンドさしたりしても、さしあたり悪いことは無いから、何かを云い続けることの、かち、余裕、あませ、としての細部は予め成功させて求めて居る。


    無論、いつまでも笑える。

     


    基準

    安くて良いもの、


    仮糸として、捨てることの可能なものか、
    しんに対して光らせ、残すものにするのか、
    題の迷いとするところを、置いて考えて居ます。
    自分の詩には、機能性があり、それで割ってなんとか悩みなく書いて居ますが、

    もし、生真面目な者が居るとしたら、私という個人にはあまり価値を置かずに、引いて、好きなものを書いて欲しいという、強い願いがあります。

    ですから、時折わたしの文に()としてよみがなを付けるのは、樋口一葉の現代文のみまねであります。

    こう思っていることにたいして、何でもその人が生きているという唯一にたいしては、「私」も同じであり、ということが、「詩」のほかならない為、それ故、どちらかが失せる、と云うことなどは、壇としてあり得ない、あってなるものか、なのですから、依って、この理由のみにその威厳、きびしさと、価値的な高度があるのですよ。


    以上、評判、あ、違った。表現としての芸術のたかさ、でした。

     

     

     

     

     

     

     

    三島由紀夫     一説にはむつかしい熟語の連打だと言ってるが、

     

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  • 秘密、セカイを助ける形

    ある宗教動画で、

     

    「手鏡をひとつ持ちなさい。」と教えられて居た。

     

     

     

    こんな方法もある。

     

     

    こういうものを、手頃に1個買って、

     

    これを「セカイ」だとおもって、

     

    また、至って小さめなセカイに存在する「鏡」を、認識して頼るた。この形のよりどころ、として。

     

     

     

     

    話しかけるとけっこう喜んでこたえてくれるが、

     

    まだまだ「目」を、にして、養いが甘いから、

     

    セカイの「顔」が発見できない。

     

     

        (自分の)わかる範囲    が、

     

    理解できる範囲、を、まず守ることが、

     

    ものや、世界を始めるにあたって、

     

    良い姿勢を築くのだ。

     

     

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  • 2022 1/3 日記

    パタリロは真言宗。私の家は日蓮系の宗派だ。

     


    正しいことよりも、気持ちを大事にしたいんだ。


    宗教のような崇高な幸せ、良く考えるとして、



    私は働いてはいないかな?

    安い幸せこそ、あの人から受けたいのです。





    ______________________________


    女子供引き連れて、僧境を目指すってなんなん?



    一人で高野山行って欲しい。





    私はこの先ネット婚活してだれかと結婚するから。


    私はここにいる人違うんや


    面白くない、白くない、と云うとるんや。


    返事も無い。あなたの詩の意味も全然わからない。


    尼さんは、私には酷やからなられへん、らしい。幸せを願われてるから。




    ずっと晴れ、いつも晴れ、なんかない、

     

    何の努力もしないでラクするために空にずっとおるとか地獄。命も火も水も動くんだから、それ止めるとか。全然綺麗じゃないし、

    クサい。

    仕方なく哀しむから、可愛いのだ。

    「南無妙法蓮華経」なんて




    言って、出家してあげれない。「はい。はい。はい。はい。はい。はい。。。」



    天国で、「やり直し」って言われるらしい。自分のやること整理してかえって。




    服ならいいが、あなたと精神のつぎはぎの生活なんていや。必ず嫌。何か大変だというポジティブなわけもなく、邪魔な角を曲がったり意味もなく茶を立てて色々しながら生きるってことやろ?

     

    伯父夫婦は、なんかチラシとかおいてるけど、理由とかわけとかちゃんとあるからな。

     

    いらんことをせーへんからや。

     

    他人は知らんけど。その真似とか絶対に出来ない。

     

     

    善積んで、老後を余裕に暮らしてる人。

     

     

     

    遊びたい私はでけへん。棒もって暴れてる時に、角に夫婦茶碗置いて。



     

     

     

     

     

     

    私のコスは、こんなふうな感じに、宝石ではなく法華の数珠を首にかけたミニ神さま。

     

    このコスプレイを、年内に完成させる。

    天皇家

     

    こんな感じ。

     

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  • 「雑誌」というテーマ

    この日記のイメージは「週刊誌」で、

     

    捨てることのできるもの、

     

     

    置いとけもするもの。

     

     

    そんな利点に満ちている。

     

     

     

    ある人が「雑誌本」を題にこんなような考察をしていた。

    それを読んだ時、ぼんやり空想を膨らませたものだ。

     

    何せ、「もの」としてものに夢がある事が自分には珍しかった。

     

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  • 信じるとは

    信心って何?と、いう時点で、社会人と三歳くらいに差が空いている。

     

     

    それは、

     

    宗教であったり、輝きであったり、

     

    そんなものの前にして未浄化にいないことだ。

     

     

    つまり、そんなものの前でできるだけ勃起しないことだ。

     

    逆だ。むしろそう言うことだ。

     

     

    大っきさを認識して、

     

    弱さを掴んで、

     

    より親しむ。

     

     

    自分にたいして自分がもっともつまらないに決まっているのだ。

     

    その定位置から始めて、

     

    だから他者の楽しさを知り、日々が面白くなっていく。

     

     

     

      

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  • 科学や学問の見つめ方

    人たる所以に外せないのが性だ、連想されるのが名字だ、ファーストネームだ。目に見えている。


    「結果から、進歩したら良いんだよ。」

    昔の人が言っていた。

     

     

    私の方が男より大きくてとても恥ずかしい、


    あなたの心が、胸に触れて恥ずかしい。


    それと、どうなっているんだろう?


    「私って誰なんだろう?

    外界って?」そこから、現象をほどいていく。


    前提が、美学を目的にしている人々で、ハードボイルドな哲学、

    このような善である。


    だから「了解」とは、信心でしかあり得ない。


    サイエンスも信じないし、気学でもなく、言葉を記号として解釈したままほっ散らかすなんて、しない。

     

     

        本当に綺麗な「字」を書く科学者がいたら、もし出会ってみたい。

     

     

     

     

    自分の中に夢があることを、内部として、

     

    約束をする人なのだ。ということだ。

    だから、「私の心」が何らかの理由で小さくなってしまった

    のだ。

    あなたといて、気を確かにする。

     

     

     

    詩人たちの小部屋という詩サイトにエメラルドさんという方がいる。筏を作っている。詩ってなんだろう?そう思ったら考える。筏を海に出す。

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  • 日本人としての「私」のアイデンティティーを求める

    大澤の「密の流れる博士」というブログの文章を読んだときは、その気持ちを表す文章が全く書けなかった。

     

    ほにゃほにゃと、詩の練習をしているとき「何言ってるかわかんねーんだよ。」と、

     

    経過の途中で、いい加減な、つまり彼なりの解読としてレイプされ、ぐちゃぐちゃに丸められる日々。

     

    必死について行こうとして、やや難解な言葉を読んでいたのだが、後から知ったが十年後の手紙、という題を含んだ詩だったので、

     

    十年前に読んでも、何の理解もしなかったが、ただ何か感触のある優れた文にたいして、感銘を受けて居た。

     

    あんな文章書けないかなぁ、と、

     

    期待して、レッスンしてる。

     

    しかし絵画家の文として、ラカン的な、を感じていた。読めば読むほど意味不明な発言であり、気取りにたいして私たちに足を掛ける。問いかけであった。

     

     

     

    哲学が小学生からもともと好きで、いつも考えて居ることが「哲学」という名前だと知ったのは大学だ。個人的に池田晶子さんからサルトル、建築技法まで読書していた。

     

    当時、読書をすることはかえって恥ずかしいことだったので、黙っていた。

     

    大澤さんからすると、ただのギャル。

     

     

     

    昨今、死んで失った自分の意思が、どんなものだったか分かってきた。roco氏と、何か「作品」を作ろうとしていた。

     

    アトリエが、死ぬほど緊張していた。帰ってネット。大澤さんのギャグが面白過ぎて、その議論で、

     

    徹夜して学校に行かない。絵は、家でも描けるし、明日は必ずあるのだから。

     

    「学校に行く。」どのモラルで考えて、それを押し付けたのだろう? 何にも待てず、さっさと片付けてしまったのだろう。

     

    三重の瞼、という展示を覚えて居る。三、四人の心臓のリズムが、好き勝手に交差するだけの絵。ぶつかり、けづられ、欠けて、

     

    再実し、浴日をし、擦れ、雨、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    変な言い方になって、迷走されないように断っておくが、

     

    なぞらえる程度で、気持ち半分に適当に読んで欲しい。

     

     

     

    「間の構造」と云う本の、2農村の否定としての都市

     

     

    人類は原始人として出現したときから、群棲と定住という二つの性向を持っていたと思われる。

     

    鋭い牙も、爪も角も、速い脚力も、強い腕力も、堅固な表皮も持って居ない人類は、猛獣や害獣のする地球上において群棲し、

     

    共同して強大な外敵とたたかい、身を守り、食料をあさる以外、生存することが出来なかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「モラル」を今まで生きてきた中で、どこまで理解していたのかを、

    見る存在が「上」にある。

     

     

    「穢れ」とは、幽霊があることでもなく、人の想像力でもなく、

     

    一定した経験値を前に、考えの愚かさである。これを、「憎しみ」と云う、この場合感情の種類というよりかは、

     

    何か未解決の塊を云う。

     

     

    最近、積極的に興味を持って考えて居たら分かったのだが、


    聞きなれない天とは、知識のものであったのだ、詩的な空想からは何もわからなかった。

    「自然の人」は、何となく天と地を分け、天を地へ落とそうとする働きが有るのを諦めて居る。

    それがというよりかは、副次的に多くの日本人は「無自覚的」に汚い。

    それを、日本人とはいわない。日本人憧れ、だ。ブランドだ。頬を叩いて、死にそうに眠い人を必死に起こす。

    お前は入国なんか、していないぞ。

    「可愛いね。」で何でも流れる。

    年齢を重ねた年寄りに自分なんかをうつす。あつかましい事だ。


    もはや「上」なんて、自分と関係なくて見上げない。

    これは、ただ高揚することが大事で、手の上がるままに、無論重力にたいして逆らう力を得て、手を上に上げなければいけない。

    よく音楽みたいに。

    だから、多くの人はこういった自分の精神的な命にたいする責任感が無い。

    人の上に立つ為に、自分が、ガンバッテ白くなる。

     

    そんな甘いことは、お前自身の夢でも理想でもないはずだった。

     

    人の冷たさの原因が全然悪意じゃないことと、その冷たさの方こそが案外自分の役で、養ってもいたりすることを、はっきり伝えるから、

     

    氷も水も、ぶつかって、弾く肌の弾力をしっかり持って、その間逃れられない社会に、「構え」をもって、そう云う準備があって、

     

    このように地を、一体としてある「天地」を引く事が、将来に必ず具眼として役に立つものになる。

     

    頑張ってくれ。

     

    さらに、後を振り返る。悔しかった地元など、気にすること。





    自分を映す鏡を、捨てるだろう。

    ドーパミンに従って、人を押し退ける。

    魂のルーツは、魂でも血でも家紋でもいいが、自分で濃くしたり、綺麗にしたり、太くしたりする。

    そんなものが、細すぎて醜い。

     

    「霊」については、日本は十八番であるが、その意味が「お菊さん」「貞子」恨みがましいもののイメージで、

     

    魔力で、少年が木の中に閉じ込められる、とか、指輪が何か不思議な力になって何かを起こす、とか、

     

     

     

    もっとネバネバした気持ちが、それを捏ねて、パンを作ると、栄養にできる筈だ。

     

    それが、想像してた日本のイメージにぴったりだ。ナチュラルだ。

     

    辛気臭い儀式から、その性格から今年は抜け出したい。

     


    努力したらものは叶うのだが、「努力した」って、言えない。

    何で努力出来なかったか? を正しく調べれなくて、そんな時間も普通になくて、
     

     

    見渡して病んでいる箇所と云えば、心地の良い、心地を洗うような暗所に自然と佇むことを、

    肩をいからせて、「あかん」というのを、気安く聞いたから、

    世界を、蛍光灯程度の明るさに限定するから、知ることも減って、なんでもかんでも恐いのだ。

    欲しいのは記憶(こころ)でもなく情報。と、言ってしまう。案の定。

     

     

     

    相撲は本気。人の、互いのお肉がぶつかり合う。

     

    試合中の私と、普段の私にはけじめがある。

     

     

     

    何かを言葉にするが、現実とは夢を月明りほど含むもので、

     

    その精神的なリアリティとして、理解の助け、忘れることも出来るやわらかいクッションを誂えておきたい。




    心のくらさ、かなしさも、正直に自分が愛してぎゅっと纏めていなければ、

    人に「あなたはこうじゃないんだ。」と、悲劇を求めてしまう。

    これを、オナニーっていうの。

    だから、「気」しか強くならなくて、

    映画をみたあとみたいに、やたらおおきくなって、

    強くなれない。


    まして、「人」を散々、馬鹿にしたから

    忘れられて、おならしか出ない。




    天は自分の中にあって、自分で養うもの

    だから地から根が張れる。




    今にこんな言葉を持ち出して、タタカウ、

     

    引き連れていくような器もなく、端で喋りながら粘土を触ってる。

     

    私は生粋の日本人だ。

     

     

     

     

     

    先導として、自分の悪い部分がたくさん見つけることが出来るだろう。

     

    釈迦だ、ゲーテだ、勾玉だ、昔読んだ道徳の答案の作成が可能だ。

     

    めちゃくちゃ楽しんでほしい。

     

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  • 「アンコウバイオレッタ」

    歌を書いてる。直してくださる人は気軽にメールください。

     

     

    私はアンコウバイオレッタ

     

     

    私の石は、漆黒のことば。石の内臓としてもアニメのデジイル。だからてかり。割れないひかり。

     

    THIS MY..海そのもの弥。

     

    邃の屋は、ノートの白い紙。字としての深いまばらな光線を考え、

     

    光って落下する君を、火とおもうわ。

     

     

     

     

     

     

    蝶のように釈迦如来は、シルバー925、髑髏、貝、私の前で飾る豸。

     

    私思うんや、

     

    蝶は、のろいのように繊細な男であり、鼻上にしたたる粒や。

     

     

    レぺゼン大阪のアンコウパイオレッタ。つまり激安のデデデ。実験中や。

     

    この錬金した私の蝶を、固めのマラで砕いて弥。

     

    ダークプラネットで鍛えた私の文学(リリック)。何でも吸い込む悲しみ弥。よろしゅう。

     

    中略

     

    カービーを、どついて捨てたる。

     

    から、私はダダイズムの御猫ばばあ。いいえ、ラガな恐竜弥。その元気の美しさをデデデ。。

     

     

     

     

     

    あの塩化ビニールばかりに触れた指から弾かれて、

     

    東大阪あたりで魔法を制作してる仏弟子の仙人、足りない私の名はタイガーアンコウ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 神とひとの違い

    2022/01/02

    神様の話

    「悲劇を行う、自分が行為する」と云うのは、

     

     

    後悔を自らする、と云ってる事と同意語で、

     

     

    それは、自分の展開が何もないのに、

     

     

     

    他人に「教える」と云う仏、つまり人自身の高度な言動だから、それもまた仏道をいくのかもしれないけど、

     

     

     

     

    道になく、

     

     

     

    例えば「おろかさ」、こんな言葉が高貴さを持っているのは、

     

     

     

    「すぐれ」を外界に取り、ついて行くが、

     

     

     

    愛をしらないからだ。

     

     

     

     

    人が、優しくないと生きていけないという皮肉を

     

     

     

     

    (「優しくなければ生きている資格がない」レイモンド・チャンドラーの小説は、男の読み物だと思い読んでいないが、この言葉を教えにたいする何か名言だと思っていた。意味深い。)

     

     

     

     

    この低所から、性やセックスにならない個人オナニー、人として喜ぼうともしない慰めだけに終わるなら通常で、

     

     

     

     

    パンクロッカーの夢があったり、目指してもないのに、

     

     

     

     

    きらめきだけに、信じちゃって、

     

     

     

    何かで肯定してしまう人に

     

     

     

     

     

    訴える。

     

     

     

     

     

     

    「女だと思い、


    自分の心の小ささを、


    その際限なく欲深いことを、


    輪の中でも端のほうなのに


    そんなことを「龍」だ、精神だ、


    動かず、


    人にたいしていつかわからせると言い


    俺は画家である、ロマンチストである、


    そんなことを未だに、選んで、


    人の愛をころすのだから、



    お前が「神」なら、


    なおさら聞く


    私はあなたを「殺す」と思って、


    しかし、何だか滑って、家に刃向かってしまったのがお笑い。


    十年間、家は私を哀しみ続け、閉じ込めていた。


    ひょんと顔を出した時、歳を取り洗練深くなった私の太鼓の音(ね)を


    聞いたら、一転してそれは喜ばれた。」

     




    (かえる ということばを知ってるだろうか?

    大阪の、かつてリョウやミンミと遊び、

    ナル・スイートと云う気の良い歌手が、その家族、小さな恋人だ。

    今も美しい店を持って、“ダンスパーティー”をする。耳のいい逞しい夫(ふ)がある。)




    今日、心にたいして、「常識」といわれ、

    しょげたのは、


    それゆえ、男にケツで蓋をされたことが


    あるからだ。

     

     

     

     

    「お前の喧嘩か?しら。」

     

     

     

    なる が、


    体中に響く歌を、静かに歌った。


    ころんと柔らかい花の歌。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    怒り、と云うだけでも、

     

     


    神と人の、違いがある。

     

     


    怒り狂うている。

     

     


    おれたちを引っ掴んで「そいつ」の近くに落としこみ、

     

     

     


    「そいつ」だけを、それだけを、

     

     

     

     

    地獄の果てを(果てまで)追いかける。すさまじい勢いだ。事の理由を一瞬で話され、おれは、勇気の信者だ。

     

     

     

     

    わけも、意味もないのに、人といえば神のうらに隠れて、だらしなく空へ飛ぶ。

     

     

     

    精神力もないのに、まねをする。 自分だって、まね、、なのかな? とまた反省をする。

     

     

     

     

     

    人が、

     

     

    「恐怖」をしっかりすることや、

     

     

     

    人が、

     

     

     

    人として維持をすることが、

     

     

     

    それでこそ、それが、「勇気」なのだ。

     

     

     

    これを冷静に繰り返すうちに、肝、はらが、座ってくる。 「人は、出来て居ない。不完全。」つまり、こういうことだ。

     

     

     

     

    一歩、神に近づきたい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    声質と、ことばの不一致は、理由をもって

     

     

     

     

    さらに「自覚」がある。

     

     

     

    色々あって善意のほうが間に合っていない。

     

     

     

     

    詩のなかの人の声、性質 は、この「紙」に作る文章、なにか伝達に適した、にたいして

     

     

     

    洗練させる、洗練する対象や、目的が、違っている。

     

     

     

     

    今から遊ぼう、と、今から寝る、くらいに関係がない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 聖なるものとの対応型を目指す

    2022/01/02

    神様の話

     

    見つめて居る自然とは



    何となく神のそばにいるだけでいい


    大好きです、なんて言えない


    人が、神を好きだからだ


    だからおれ(おいら)はキツネに宿ることを


    何と人に許されたからだ



    神が何とそれを聞かれるのだから、おれは睨ませ座っていることが出来る。



    それが、神社 なのだ。




    アマテラス、南無(しゅくふく)。






    地平を超えて、無限的な宇宙(仏) もあるけれど、


    私たちとは、善というひとつの「線」がある。


    「白」という色は生まれ、


    よって、その色ゆえに、穢れにたいしても、知るのだが、


    仏の輝きによってすっかり忘れてしまった



    のだ


    何か違うだろうといつも思いつつ。。



    罪悪感をいたずらにもたず


    「私はこのようにあります」神社でそう言う練習をしなさい。


    自分のことがわかって来ます。


    「罪」について、否、なにか「美」にたいして、


    (たんなる「罰」と異なる為)



    それを勉強してる人は、それをお続けください。


    わたしどもに知れない「知」があるでしょう。





    知の責任について、背が高いぶん大変重いものを持ってらっしゃるから、



    日本人こそはそれを、自身の自覚や、學び(習得して更新しながら覚えること)、

    恐怖体験から「肝」と「心」を得て、


    話しかけ、暇つぶしになってあげることです。


    「質問」に的確にこたえる事が出来たらハナマル。














    聖なる者だけが、「けがれて居ますよ」を言うが


    せせこましくて、姫コスで高ビーになってしまったフォローと、


    誤魔化しと補足が続く。






    「けがれの意味」をわからない間は、恋愛も出来ないようです。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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