揶白 (KF)

絵画

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  • 本を進める理由

     

     

    事実はわからないが、
    「エロい」という嫌らしさは、
    自ら嫌らしくなってみたり、嫌らしくなりたい
    それを叶えることで、全て不吉な事から何だか間逃れるのである。
    自分に立ち返る事に関して浪花的にニュートラルを整える事に対して大阪さんの着目したことは民族的に熱を持ってみる事である。その熱を帯びることによって、誰かと仲良くなったり、他者に近づくスピードが格段に感動的に早いのである。人は、無意識やDNAによって想像が各々で繋がる、高いことほど人はわかるし、かえって理解しやすいのだから、だがそれに対して物が足りていないのが残念である。良本からの知識、芸術、足を運んで文化を養う事、そういて、なんだか確証出来る外形だけかも知れない詰め物である。良本といえば、岩波がプライド高いとは聞くが、ジュニア文庫も出てるので個人的にこれは楽しく噛み砕きやすい。だが、いきなりルソーやヴィトゲンシュタイン、を読んだってお得なことはある。
    フロイトが一般の私たちに伝えるのではなく、精神科に向けた専門家だと自分なりに理解することが出きる。医者に話した方が納得出来たのである。
    主義、思想を読んでいてもそもそも何故人が主義的になったのかが一般的にあまり不明で、その辺の人はただ共通のことを会話してるだけかもしれないと思うのだ、思想は哲学の大爆発であり、理性の努力によって生み継がれる命であり作品であるからいつまでも弟子に大切にされているのはその光である。人文書は光を守ってきた痕跡や忍耐であふれかえっている!
    例えば構造主義とかは「私はあなた」という考えで、それを「構造」と名乗るのだから、え?いくつ何を前提にしてんの?って考えたら何だかとても美しいのである。ポスト構造主義は、「自分があなたでない、人と自分は違う」事を学び直したのだろう。
    これらをうまく纏める事が今ままなっていないが、
    ごはんの一粒まで考えたい人もいるだろう。

     

    今バタイユを読んでみても、題の云われるエロティシズムはどこまでも主義なようである。つまり、恐らく、ただの嫌らしさがこういった努力によって芸術になって…はしたなさというのも理性に対する言葉だが、これらから人間として独立した時の産声である。つまり、主義とは理解はできても使用する為の物ではなく、心を持った人間的なが実行するから主義なのである。
    とすると、嫌らしさをまかせあって受け止める主義は何て名前だろう?

     

     

    一ページ10分かかることの、硬質な文面たちだが、噛み砕いて意味がわかったら、普通に真面目にしている方ならセカイのあらゆる意味が最高に繋がってもれなく今なら神となるだろう。
    ちなみに私の今読んでいるのはマルクスの資本論である。1日2ページでまだ10ページ。

     

    何がしたいとか磨いておくことによって、効率は更にそれを文章にすることが出来たら勝手に上昇していく。
    私は魔女になりたかった、法華宗はやや世間に寄るらしく、圧し殺して気付きもしなかったが、私は良いおまじないをすることがとんでもない好機に繋がるようである。
    早く何かせねば。。

     

    私はこれがしたいです、でおしまいじゃなくて、これがしたいと思う、こう書きたい、こう考えてるは、ノートに書き、本番ではそれにそって自分の希望を詰め込んでいく感じだ。言うことと次回に使うことと言わない事を分別し、言えないことをどうにか言う工夫を、喋る工夫をするのだ。高ぶらないでノートに、冷静に分別するのだ。このやり方で黙れば、それが内に秘められ、何故だか文章に光が出てくるし、性格さえ良くなってくるのだ。ただ、文学とか文章とかを羨ましいと感じた人に限る。そうでなくては周りから解離して孤独になってしまう。まぁ、それをノートに纏めてスタイルを決めたら。

     

    おっさんを見てみたら、思考をノートに纏める努力すら放棄してにこにことしている。それはそろばんの暗算系である。

     

    作品というのは美しさ、つまり詩的な要素がなければ、そのタイトルを名乗ることを許されない、つまり作品と呼ばない、芸大はそんな環境だった。年配の方の話に関連してちなみに詩では、こう書きたい等の願望は、書き続けることによって最終的な回答として浮き出て来るが、作文なら多少の願望を叶えていかなければならない。何が言いたいかというと、社会の上で折れなかったり流れない為には、動いてしまったとき、「こう思ったので」という正直な、コミュニケーションを途中でやめたかのような定型文ではない、他にない理由を、言ってみることが、「話しかける」と云って、ナンか言われるとしても少なくとも相手の事がかわかるのである。何か言いたいことを「最後まで」言うにも、粘り強さが必要なのだ。つまり悩んで考えるために本が役立つのである。
    一個悩みが出来たら解決するまでうんうんいって書いたり思ったり、悩みくだけた後にさらに一つの文を作り上げ何事もコンパクトに悩みを持ち歩ける。それなりの解決であっても確かに学びのペースは維持出来るから、これが正しいではないけど、悩みを吸引する方法としては、こう。恋の実戦としては、やはり歩くとは持ってるものの範疇で、人殺しや調教など高望みをせずに恋やってみることである。そんなことをコツコツやっていくうちに憎しみさえ分解できるはずなのだ。

     

     


    日本人という曖昧なアイデンティティーを通りすぎて和の民族性に火の付いた大阪さんは、理性的に願望を叶えていく。
    ああ、肯定するな。

     


    しっかりと肯定して、この私の目の前を立ちはばかるのは一目で大阪さんを好いた女の数である。

    それにしてもみんなが嫌らしくなってしまって、うはうはである。
    良い予感のしないことこの上なく、だが
    予感等に執着しない大阪さんの大きなマラは、どのような差別もない精神のもとにすっぽり包まれ桃色である。


    力ある計算で脱力的になった事の、他人の欲の無い笑顔が嘘のように成功したのである。

     


     

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