揶白 (KF)

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  • 儀式が本当に儀式になる時と、神仏の違い

    2022/09/24

    蟲ー

     

    生活をする事も大切な儀式。

     

    「紙垂」と言って、これは人の角が大切だといっている。

     

    人の角が大切だというので、人の即ち良いところをムー本人が知らず知らず削ぎ取ったことがわかる。こんなにムーの仕出かす悪いことを覚えている。神は、心に叫ばなくてもわかるから楽しい話をしたい存在のことを、説明するには、脱力して自分のチューニングをとり、「良い加減」での理解をする事が、何かを叶える。何かを聞く為の澄んだ耳をし、佇みをすることで自が叶えたい事を叶えると仰る。お救い下さい、と、願うなら自分の知識を備える事を教える。自分がまた、毎日、人の努力をしてから神と遊ぶことが出来る。

     

     

    仏が在る、私やあなたの心に有るなら、

     

    この限界の中に天上界と言って、

     

    愛されるよう、の言葉一つでもめっきり角が痩せたと思う。角が取れるは良い時の言葉にして全然違う。

    都としては東京より先輩の方である。何が都会かわからないが心ってやつが進歩的だと言う意味で、稲の高さが有る田舎のほうが島の都会だと言うだろう。私は東京訛りがあるが、生まれは大阪だが間もない時に区内にいたことがある。新宿、渋谷、町の響きを親から愛する時間や、そういう美しさを孤立して願えたとき、関西は、感情の幅として埋蔵金のように詰まって、大ぶりに喉を詰まらせていたんだと思い至った。知らなかった感情が有るらしい。お構いなくどぞ良いから知ってほしい。大阪人が期待に弾む胸とは裏腹に、現実を歩く自分には社会が有って、先に守るルールの有る中で必ず会えると思う。願い、それが、誰かであっても仲が先立つ本土の中では惜しかない筈だ、と、別れないようにを願い凌いでおく。この中で、自分が、どこかで役に立とうとする自分よりも、どこかに行って学ぶ自分の方がしっくり来た。「自分、自分」と言わなくて済むから、世話を焼いて貰いやすくなるからだ。

     

    神の悪いとき

    こんな言葉をどう思うだろうか?色んな解釈をして良いことだ。視線を瞼を閉じ45度下にして避けるのは、自分の知る佳(よし)のないことに対してだ。

     

     

    想像力は、良いほうに届くのだ。神が気を流せるから地震と言って、人には命が有り、気を付ける事はお守りになるから、いつも逃げることを考えたい、逃げることまでを考えれて、徒労しなくては進歩出来ない。

    怖さこそが、人にたいして良い意味で有るが、程よく「嫌う」この正しさ。

    一方が、

    恐さ(したごころ)。自分がこれに負けたまま自意識がないと「いらない」と思われる。

     

     

     

     

     

    アッテルは、祈りの時と人間の時の両方があると思う。これをIと云えるなら、いちにんで有るなら愛に慕う。不思議な言葉だがそう思う潔さが有る。

     

     

    自分の強さの邁進を、寺に行ってお願いする。「どうしたらいいか?」思考を、神社へ散歩して伺う。「自分」にとって、寺って何を対照とするだろう?神社は何を、どんな考えを対照とするだろう?

     

     

    「心の中」を、優しく思い描いて頑張る。

     

     

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  • こんなに一緒、終わりじゃない。(書き直し)

    2022/09/24

    心到滅却

    こんなに一緒、終わりじゃない私はいつでもおる。

    2022/06/25

     

    心到滅却

     

    こう書いたら、今ムーのことを沢山考えてるのにどこから見ても「タタリ」にしか見えない。

    祟りは、この漢字、字の通り「心が思う」と書く。人が思う事である。紙垂という神社にある角を織った白い紙の束を知っているだろうか?

    一人一人の人の抵抗力や相手間との普段の波、多少の憤りは、結局互いの為になる。

    神道的にも、人は、紙垂(しだ)を見てムーを考えるべきところまでがんばれたよ。

     

     

     

     

    お祓いでした。紙垂は、想像力も素敵だし、重ね合わせることで汚さずに済んだ心だってある。

     

    神が取られた角の数を睨んでる。

     

     

    私ら、の煮えたぎる心が静んだ。意味解るから。

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  • 規格外の精神力と、到達の可能性のない者

    2022/09/24

    蟲ー

     素晴らしい言葉には、菩薩が宿る。ムーが自分の言った言葉が分からず、不思議な雰囲気を私は思ったことがある。その共感にムーが張り付いて、ムーは自分の事としている。菩薩が、ムーを運んでいる。ムーたちの肩から菩薩に耳を澄ます。

     

     霊能力が有るなら、魔法もまた道士という。魔法よりも何か悪霊を見る自分として格別高い道士となり、ムーを離さず運び続ける。これは犯罪者の魂だ。普段の言語の理解をしない。たびたび聞こえる記号にしかしがまず、これを取っ手にしている。表裏もない、あるものか。厶ーに出会ったら、目を閉じて辺りを見回す。 「吐きなさい」と言う。大きく見える厶ーが誰かを被る事で装っているからだ。

     

     警察がいるなら、警察官の画像を待ち受け登録し心の中に話して、 「私は私の為に誰かを責められるのが心配です。悪い人をおびき出して、未来を守ってもらいます。厶ーでないなら公正を希望しその人が自分自身の縁ある方へ向かうことを」と、反省します。

     

    若い厶ー使いが、厶ーの奥に見えるが、それは危険だ。ムーは100人かそれより少ないのである。本当の事たが、千原ジュニアがムーらしい。酷いことを影でするムーの、ムーの概念が一般的になったら世界の被害はマシになるはずだ。内容的に可笑しく思うが知的になるのは人で皮肉と言う。ムーは、たしかに命をもった人であるから、小さな時、言語を覚え機嫌の良いときに脂に乗ったという調子もある。その調子からその「人」の周りが努力をした時でも何の反省も一切なく精神的に帰って来ない。戻らない間、グロテスクでつまらないことばかり「考え」ている。それを笑うとしても、まず笑いがそれに耐えることの出来る精神性であり笑う事が出来るという事は人の可能性だ。光や闇でも、人の向上心や成長速度の方が人の悪意より早かったから、いずれ回り込む。ムーは、本人は意識出来ないが上段と下段が有る。逃げるムーと騒ぎに来るムーが何となく同時にいる。日本人の心が黒いのは、ムーがいるからだ。ムーが何故日本に偏るかというとこういう時価がある、集中することの出来た孤立の昔があった。

     

     ムーは始めから厚かましい人だと思う。自分のした事のアリバイだけに生きるから知能を覚えられず供養にあてられる心もすぐに失くす。その上の自己形成なんて汚いと思う。喜びの有った時に、抵抗力のあった自分の地道な毎日が有ったからこそこの文章、事柄が有ったのだという思いを忘れない事だ。平坦さを続けるこれまでにたいして果てる。ここまで思考が出来るのは確かなのだ。

     

     

     

     

     

     

    バイエススーツ

     

    海水が流入し、現在の姿になったと考えられて います。 我々以外にも希望者がいるようで、私は世界有数のダイビングスポット

     

    とは言っても、 通常のスキューバダイビングはせいぜい数10mまでしか到達できません。 ここ は水深およそ120m、 気軽に落下できる深さで はないことは明白でしょう。 そう、 バイエススーツがなければね。 それでは早速もぐってみま しょう。 もし穴の中心から落下を開始した場 合、海底に到達するまで特別珍しいものはないでし ょう。 反対に穴の淵から落下を開始した場合に は、違った一面を見る事が出来ます。 グレート ブルーホールの淵は、なだらかな斜面になって おり、そこには豊かなサンゴ礁が存在します。 サンゴ礁で見られる生物を一部紹介する。 と色 鮮やかなチョウチョウウオやエンゼルフィッシ ュなどの、小型の魚触手を揺らすオークのイソ ギンチャクの間から触覚を振るのは。

     

    他の動物の掃除をす るエビの一種です。

    他にも優雅に泳ぐ海が寝屋 子 ペレスメジロザメなどの浅瀬に暮らす サメの仲間、 豊かなカリブ海を代表す る海の生き物がお出迎えしてくれるでしょう。 ですが、それも水深15mほどで唐突に終わりを 迎えます。なだらかな斜面が崖に代わり、 そこ から先は奈落につながっているかのような。 深い 海が広がっているためです。沿って落下して行くとみられる生物は 崖にへばりついた高僧の一種(一心)を除いて一気に減 少します。この深さまで潜ると生命はなかなか見つけ ることができませんが、 壁にあいた無数の穴に 隠れている小さな理解は存在しています。

     

    水深90m付近にて様子が一気に変わります。 そ れまで26度あたりで安定していた水温が再び急 激に低下し、 22度程度になるというのもありま すが、最大の問題は水温ではありません。 もぐ っていくあなたのすぐ下に茶色の霧のような 層が見えてきます。 これは、グレートブルーホ ールの推進90m付近全体を覆っています。

     

    この層の下に、あるのはこれの 影響で光がほぼ届かず、 水中の酸素も存在しな い世界です。 推進 120mの海底に到達すると巻貝の殻が散らばった別名巻貝墓場と呼ば れる領域を見る

     

    あなたと同じように落 下してしまった巻貝やヤドカリが酸素が存在 しない海底で酸欠してしまい、 そのまま 残っているのです。

     

    奈落につながっているというのは、あながち間違 いではなく、 バイエス性の貝殻で あれば、生き延びられたがそうでも底辺際が解る  海 底付近に酸素が存在しないのは、落下した有機 物 酸素が全て消費しつくされて しまった為であると考えられています。 酸素が存在しない状況で有機物を分解する細菌の多 くは、

     

    老廃物として硫化水素を排出するものが 多く輩出した 水深90m付近に止まっています。 酸素が存在し ないため、この領域では生きて。

     

    それとも少しずつ泥に埋もれながら悠久の時を すごす選択を選びますか

     

     

     

     

     

    大阪は大きくなると綺麗だと思う。客観性が内的に向かうから、一段底が低い。人が皆、職人で固い。死と静かに暮らしているが何も起こらない。大きな虚しさが心を落ち着かせる、切ないような詩。何かを云わなくなってしまったが、心の中は相反して豊かさを描いている。突拍子もなく、病いを愛そうとし、冬枯れを起こしたり、それを反省して身近なファッションを工夫する。外的活動をしないから、目に飛び込んでくる鮮やかな色彩に酔(でい)して全うする。最もなこれら失敗と自傷行為が似ていてその願望で調和を満足する。そうしていくうちに無の佇まいを覚える。他を知らない気格が心を安心させることを知っている。この誰かを追わない自戒やそこで出来るプライド。ここに時間が流れている自戒。近くの友達を妬いている、そう思った時深く息をついて自分の知識を感心する。次にリアル、この良い言葉にたいしては自分の打たれる言葉の意味する几帳面な訳は、辛いとか悲しさではない。抜擢された美しさを保証してくれる歩行のような事物だと説明する。人の手加減、痛みを知り尽くした優秀な時計である事物だ。次に、心理的な真実味このような謎の光を帯びた言葉にたいしては、我が心の反応のその十分をかろうじて肯定する。単純さが恥ずかしいと嘆く、簡単とは、どうしても心の内をつぶやく表現の、息を切らすから。気取れる自分は、理由や孤独とは別だ。あなたの原型の心だってこう繊細である、辛いのである、と確かにこう述べれる可能性がある。異性でも同性でも、博愛とは思う理由を突拍子もなく抜かしている事に心理的な真実味がある。欲(いし)の分、ちゃんと運命もつけられていて逆に性欲の減退などは悪いことだ。私は本当に死んだこともある。たましいの住み家が陽気と陰気を指すかげに有りたまたま生きた。死の硝子越しで、ある人に「お前はどこ?」と聞かれた。言葉が体を貫いて、聞いた私はどっと出ない声や、流れない涙、神が見れなくなったこと、それらが溢れた。自己形成が二つあるとしたら、仏眼を起因するものと偏りの知らない悪意的自己形成。そのあいだなか、生きている。

     

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  • 悪いこともあれば良いこともある

    2022/09/24

    心到滅却

     

    自分、自分、

     

     

    自分で書いたほうが飛躍が高いからだ

     

     

    人々に足りないのは客観性に興味を持つことだ

     

    かっこよくなりたい、そんな自分にもっと関心を抱いてやることだ

     

    人に相談することだ

     

    目を大きくしない努力が必要だ

     

    これこの中で戦える

     

    知識のある者が分けるとは民主、

     

    民主がこうあるんだと決まってる

     

    自分の位置くらいわかってる

     

    上を目指すばかりが

     

     

    立てる 高津

     

    飲む ガシ

     

     

     

    使われていることを私は喜びとしている

     

    武士に興味があるなら大国主がオススメだが、神様は他にもおる。八百万(やおよろず)とは人がそう思うから。

     

    フルーツを育てる、花を養う、何かを研ぐ、

     

    私は神じゃないからわからない

     

    道があると思うから神道は出来る

     

     

     

    「歩き方なら知っている」

     

    負けずに自分の歩き方をする

     

     

     

     

    ワンポイントアドバイス

     

    模倣をするのは良し。自分の書き方を学ぶ。どうせ自分に戻るからだ。

     

     

    街に出ること

     

     

    目を斜め45度下、自分が修行者だという抵抗、つまり楽を感じる

     

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  • ムーが怖い

    2022/09/24

    心到滅却

    この記事を常にトップにします。新しい記事はこの下にあります。

     

    幽霊カテゴリ(ムーの正体)https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=101760

     

    心致滅却(ムーパラダイス)https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=103985

     

     

    神木について、幽霊について。

     

    前にこれを書いたが書き加える。ムーを幽霊と思っていた頃。

     

     

     

     

     

     

    幽霊と対峙する苦行の結果、ランナーズハイのように事実上人より疲れなくなった。

     

     

    だからって、幽霊さえ何か教えてくれているのだと崇められたらたまらない。

     

    何故なら私に苦行を施したのは、神仏なのだ。

     

    マイナスがプラスになることではない。

     

     

     

    楽しい妖怪も有るが、精崩れである。嫌な妖怪は、こんな風な堕天使や、ものを考える悪人とも違う。楽しい妖怪がよく嫌な妖怪と間違われる。それとその嫌な妖怪が善や美だと間違われる。

    幽霊(yuurei)の形状は一定してこうである。

     

     

    みて分かる通り霊格が低い。目が一個で顔のど真ん中にある、舌を出して居て、「なめてんのか」と私は怒りたくなる。キャスパーに似ているが、別のものなので混同しないように。古くから人も拝んであげたり、鎮静に祀ったり、土下座したり、全てを尽くした結果が、今。

     

     

     

     

     

     

     

    何かしても強くなる、かばっても罰を被る。拝んでも復活する。

     

    この嫌な妖怪と言っていたのがが何と有名な「幽霊」だ。ただ霊はそれぞれ違った光があり歩くんだ。だが幽霊は、足がない。もとが人で生きてる間自分で食った。それも本性だったからそうなった。精か神かと勘違いさせたこともある。この幽霊とはなんと最下層であり、誰にも気付かない所を自分で作り率先して悪いことをやった。一回じゃない。それ故に、逆に人が神を語る為の素材となる為今置かれて居る。これは、運ばれているのじゃ。人だったのなら一縷は良いとこがある、と思うのだがそれが本当にない、なくすのが噂の幽霊なのじゃ。

     

    昔の歌に、「カタカムナ」というひめ言葉のものがある。

     

    ひめは姫とも読むし、秘めているとも読む。

     

     

    そこに書いてある種類に、

     

    ミスマルノタマ (身分に寝転ぶ)

    ウマシ タカカム(一度は人に褒められるが鷹をかむ)

    アシカヒヒコ(名も知らない)

    トコロチマタノ(ちまちまとアリバイをつくる)

     

    つづいて後に「トキオカシ」と書かれているがオカシは奥床しいという良い意味で、トキとは飛ぶ者という言葉。だから、「私は、しっかり妬いています!」自分は姫だと言葉を沿えられている。

     

    タカヒムスヒ、カムヒムスヒ、これは神の名だが音感の違い、聞いた感覚の違いが幽霊とでは大きい。

     

    何か小さな負があって、

     

     

    哀しみや、人のわけで攻撃してくるなら、有るが、

     

    幽霊はその行動を繰り返す。何故か?をとても私は気にした。

     

     

    神と違うのは、名前の波長が弱い。

     

    口裂け女など、整形で失敗し立ち往生してしまったというまだ実感がある。幽霊は何して生きていたんだろう?

     

    こうした要は「諸霊」と有るものではなく、

     

     

    足のない幽霊を、見定める。

     

     

    古い言葉で「キツネ」と言って、

     

     

    神の前にいる稲荷との大きな違いとして、稲荷はこれを見てきた精や仏眼に起因がある。

     

     

    幽霊の起因が、若さや、「軽さ」として

     

     

    ただちょっと昔から嫌がることを(過剰に)やっていた人だ。恩人を食べることに疑問がない。それは自分視点かもしれないが、こいつは何と、人のかっこいい姿を「自分」として思っても、まさかの思い込みを覚ますことがない。そういう死ぬほど小さな事で、大変なのは、それらの悪を必ずある時に誰もが見てるまえにしちゃうから聞いてもただ疲れる。人は、ダイイングメッセージとしてそのままその人に表現され、人目に映る。

     

    幽霊のその不安感や、見えない攻撃なども、今自分が思える人の優しさそれだけにたいしては小さな事だから自分が悪いのだと許してきた。だか、これら幽霊にみる魅力とはほぼ全部が他の魂のものである、幽霊が装い、装いを続ける為に隠した(これを食うと言う)人及び神の魅力がこの幽霊、妖怪に前面に出ているのある。ではなんで装うのかであるが、観察していると深い意味が本人たちになく、心の大小思うなら思うでその先にある人の価値観が皆無でものごとの理解さえ出来なかったのだ。湧いた感情の何もかもは、幽霊その人の不安や、見えない攻撃など、今自分が思う人の優しさそれだけにたいしての優しさ、その上でのこと。

     

     

     

     

     

     

    「幽霊」の出現として、元気がなく波長の低いことが理由だとよく云われるが、彼らがいつも神の近辺にいる理由が上記に有り怒りを買っているとして、私の、近くにいる理由として、神木が私にあり、それが二酸化炭素のようにしてポイントだけを吸い取る。神木が私にあり、では何で有るのが木だと気付いたのか?

    これもまた霊媒についての師が言って自分の力では解読が出来ないから、おかしく聞こえるんだろう。ムー(幽霊)がいてもいなくても、まったく解読出来ない。ムーがいなかったら少しはわかった。神木だと、こうはっきり言えていないだろうか。


    木であるからに時を良く持っているので、現れるのがいまそのここという場所だ。

     


    我らが語ることの出来ない「神」を我らに、人に語らせる手立てとしても、神木は祀られている。

     

     

    「幽霊」を憎んで何かしたら、幽霊の気が満ちるのだ、

     

     

    庇っても罰を被る、拝んでも同じことをする。鎮静のように祀っても復活する。

     

     

    感情が必要だと思うが何をどこへ充てたらいいのか、考えなければならない。

     

    幽霊をまず止めなければいけない。そこの向上心にムーは一切関係してない。

     

    悪意であるので、またそれは完全に人であり自を食う。

     

    よって、幽霊って怖いんだなぁと思う。

     

     

     

     

     

     

     

     

    不思議な話だが、

     

    人も霊界に及ぶのは、わずかもがな神の仕業。

     

     

    災いにたいして人として辛かったが、経験して神から話された希望や痕跡とも云えるのだ。

     

     

    どうにか一つに。

     


     

     

     

     


    この「幽霊」故に日本人にとって、長らく神の存在が危ぶまれたのだった。

     

    我々が知って居て、噂があるのは、鬼神ばかりで名を誰も知らない状態。


    ひょんなときに、愛は繋がれて

     

    こうも新しく物語となって立ち現れ、完全を感慨深く思うばかりだが

     

     

    間違っていけないのは、決して人間は神でないのだから、

     

    色んな人に憎まれ過ぎた場合、なくなってしまうのはまた自然浄化に思う。それほど感情ってやつが精神的で感謝のものだから。

     

     

    これが、子供か孫に子供くらいの、

     

     

    それくらいのスパンの話だと若く思うのをもっと大人はどう思われるだろうか?

     

     

     

    幽霊について、今は「文化的」とさえ思って居る。もしそう言ったら、

     

     

    喜んですっかり忘れてしまいそうになる、

     

     

    「明るい、」とは彼らのことを決して云えないで有ったことを。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「カタカムナ」

     

    ひふみ(天皇)は善い人

     

    回りて巡る、虚しいことや、事件。

     

    人は、人間は、海の末、海の広がりを知りなさい。

     

    形は咲く。

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