揶白 (KF)

絵画

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  • 映画の教養としてもある

    自惚れるような心とは、「愛されていた」という事の、自分を好きだと云う気持ちにたいしては、しっかりした心があれば、

    目撃された時にも穏便に思える。

     

     

     

    邦画について考える時、わりかし答えもないようなインド的なものが多いと知る。その中で、最近は「告白」や岩井俊二など、ポンと飛び出た作品がある。何だかこの景も、明白なとした言語やカットを感じるが、これを観る知力がない。知力は理性や感情といって、理解とは拙雑な心の身でついしちゃう分析ではない。アメリカなどから下に見られる事が多いのも確かであり、自己はぼーっと想像を行為(し)ているし。それだからであり、いくらキリスト教が自分たちにいらないとしても、村上春樹が各々のある時期に読まれる、と聞く様に、何となくシンキング(成熟)する、という事のようである。

     

    こうなりませんように、を伝え続けるなかで、自分はこういう者なのですが、とはじめて“自分のこと”をお願いしてみれば、キリストとは、そんな筋道を立てた〈長者〉人間の神なのかなぁ、例え、動画でも、縁(イメージ)できれば、ああそうなんだ、と聞いてくれる、自分たちもそれは知らなかった。もし色々、神に聞かれても、普段と答えていけばいいこと。「誓い」は、恋人やボスに。人と人として伝えることも、自分らしく思う。

     

     

     

     

     

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  • 道のないこと。

    何か励ましや元気を、とある男が云う。

     

    死んでいることに俺は立たされ、こいつ、ツクったような元気にたいしては同じである情動として激撃たる却下を思う。

     

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  • 本を読むとは、硬いものを噛む、ということ。

    北朝鮮は人で有る、美しい警察。

     

    貝は、「名が有っても名乗れぬと云うのは、、」と話した。

    今は聞き取れないけど、貝が哲学を持って居ると俺はわかる。尾田栄一郎が貝(ダイヤル)と書いて居たので気になって朗読してみたら詩に散りばめられて居る。

     

     

    泡をふかせる位、懲らしめる。すると、私のこと を、やっとわかってくれる。その人は生まれ変わって善道を。こうして居ても、たえかねない野蛮な人はおる。この人に向き転生等、人手と手間のかかるつらみ、こんな実は何と価値の有るものを単に間違ってしまった者と同じ様にはやれない。例え与えないと云うこの意思や感情に、私は我慢して触れさせてしまったのだ。不思議な感激があるのか、自身、俺と云い出し映画にも見れるが青い炎は、お前に気付くことはない、無事ばかりの小説として詩人に成(な)らない、と思った。王朝は、底からむごい自由が始まっていて、血筋よりその辺の民から全てのリーダーを急に募集する、この制度と云えば「制度」。

    この辺から、人民や共和とかなどの言葉が実る。強くなければ夢に巻かれる。

    面食らい割れて、動けない繊細さが。お前が新しく知ったのは「言葉」ではなく、新しい言葉 だ。


    若し、美しさ通りスターを、考えているそれのみの下らなさと云えば、詩と云う心学のを、と早く決定されて居る。さえずる鳥などを知らないよ、と云う身の低さにたいして。俺、焦燥と有りし、溶け込む様に、一向に悪い口利きを自慢する。自分としてだ。

     

     

     

     

    曹々で有る韓民族は民族で有る。だから、彼(か)の整形は為(な)りであり、影にて我らの教師と為り、先ず生徒の特徴が生徒を自負するものではないから、十分な自己が有る。下位しさに気付き「です。」などといきなり話し出すおなごは漢民でもなく愛嬌がないからどこでも省かれる。

     

    心のわりかし既に形として出来ている人が多い中、考える事も一段多い。俺のように手を止めのんびりも出来ず、その中で自分たちに話しかける事のきっかけに気付く、この心根が、「労働(Iとしての歴史)」だと、情動の無きを一番何ともそれだけは素早く見(し)るが、大変無心にして加えられる。何だか、巨大なハアトを見ているが、俺も、詩や愛想を増やそうと、思う。兄は、上に立つ能力等は無い、上も下もなく、愛さえ、上「それ」が有るならIもそう思える、頭(ず)とはこうして在り。為に惹き付けて病まない。二人、三人瞳(め)が揺れたまま、得体も知れない仏像に隠れる。

    この時兄は、私が正しければ仏像が頭の痛みや逢えることの溺愛など、これを解消してくれる。温泉の札みたいにこう真似て記してみたところの兄自身、菩薩像で有るが、また微笑で有り、是非もないけど自意識にたいしては隠れた星として存続する。俺のほうが理解されていない。即ち、求めそびれた。

     

     

     

     だから、私の神は「我」とおっしゃた。芸術、人の想像力、不安、俺たちの御手を伸ばさせる兄の「人間らしさ」とは、最も時間がかかるのだ。人が人でないから、先人が人間らしく居れないの如く、「精進」と云う文化がお前の前にあれば、こうしなければ意味が無い。

     

     

     

     

     

    頭上のほうに、個性的で酷い、そして強い皮肉(にひる)が有るが、うぬぼれてもなく陥る事を良しとしないし、理論なんて用意して有る。強いるのなら、金は渡すけれ…、そう思ったのは日本人だが、ウクライナのウの字を、俺も今は心に出来ない。邪念とは、よこしまと書く。俺にとっては最初のほうにいた神だ。為、このまま自意識のない方が張りをもつ。逆に、自意識が無ければ死んでしまう。空が有るから、無意味と思える実存とはこんなにも無知だ。もはや、こう云った物をカネと呼んだり、普遍についての知識が有る。では豹変とは何だろう?怖れず、これを慕って考える芸術は、あたらしさ(むぼう)を常に捨てる。

     

    どこに役立つのか知れぬ国性と云うのもいい加減ですが、それ自体に清めることの意識と知能が有る、それ自体が鼻を折るほどプライドが高いのだ。人が、自らの国籍を云うとも違う、生きてたらなにか付いてきたのである、人としているとなにか理解して来た、それを母国やと呼び、「君」と云う。

     

    可哀想だ、重苦しいほど辛い、と思う中で、フランスは哀れみの哀まれることを、とうに直す。道や、騎士で有れども、拳銃で有れども、真面目に際を白くする。何かあれば、ギロチンや地獄道具を使って来たが、これは人にたいして早々とラクに考えられる。誰が旅行に行っても、恐怖して、ひたすらに角を云って教えられて来たが、このことで及び我々も「待ってください、ちょっと待っててね、」を云う。何も考えて居ない簡素な道具で有るが、物が歳を取るたび、近付きにくいほどの厳しさと言葉を持ち始める、有ってるだけで研磨された。ただし、太古は、「天がない」とお知りになって、石垣のつくった地獄的な村も、思えば歳を取る事である程度磨かれ本当に美しいのである。休みに「海外」に行かれ、俺は髪の毛にたなびかれるが、こういった道理や倫理観にしては、もう目を合わせることが出来ない故、俺は、「俺」に向けて一度省略しましょうと云う。マリーアントワネットも、民衆でも、悪人などいないような気がするので有る。悪人は、実際いるところにはおり、嫌が、それこそシャガールの様な、綺麗では有るがわけのわからない、夢想が俺の心にもぽつんと有る。絶対に紛れて居られないぞ、と、俺の知れぬどこに有ったかも知れない古着のナイキを、武装を飾って致し、金色(こんじき)の銅製の「ガネーシャ」や、「少年ジャンプ」を今後も無茶に知ったかぶる。ジャンプは、入れ替わりが有るが、何の質も落として居ない。

     

     

     

     

     

    修行をしたい人が世界中にも沢山居るが、

     

     

    「本当にここで修行したいのか!!」

     

    「はい!!」

     

    雪の降る門前で、三四時間待ち続ける。中から年上の僧侶が出てくる。どこの寺で有ったか、テレビで観た、強と得れぬこの憧憬、涙勝手に出る。お坊さんは、死体こう云ったこ難しいことの、この悩みを誰にも知られず立場を追行される。そういうものだから、仲間もその間柄でとくになく、一人だ。その中に僧境が有るのかも知れないが、俺等人と伴に有るのなら、その有るほどの、思う釈迦や如来が何なのか理解しない筈だ。教典が山程有って、山程噛んでみても、知るより知ると云う菩薩の修行は続く。神経質に彫刻を作って居るのだから、あまり話しが出来ない。

     

     

    有って許されない美しさにも、何かむごいほどの理由が有る。親様は必要なものだけを、取っていく。中国人、と云っても本当の名を知れず、実にライトに装う汎ゆる冗談ときっぱり、一切を祈られる。爆笑だ。

    俺を、「倭」と云い、馴れ馴れしく出来ないから、為に、許せない腹立だしさが間に間に生まれる。

    誉れで有ったり、夜が来たりして居て、安らかで宜しいのは本当に詩人だけで有る。李白さえ、この様に叫ぶのだと思う。「がんばろう」と、云うひとことの意味この。答えが有るとする、何故なら、美しさなどは見慣れて居て、人間は醜さにたいして知り得る事がない。それが、こう思ったとき、真面目に勉強が出来るのか不明、と問う。

     

     

     

    詩人に比べ、わりかし無で有り無色の美しい近代。近代人として私は、海と諸大地や陸の相違を、死ぬ程心配したのだ。「こっちに陸だ」と呼び掛けられる所の、進化について興味を強く思い思考するが、俺、魚(な)としては、トカゲだか何だか知れない変な足などを付ける予定はこれっぽっちも、ない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    有名な曲で有る。「飛び魚のアーチをくぐる。宝島が見える。でも、お姫様は誰かと腰を振って居る」俺は微笑して聴く。空が歌(し)で有ることに、悲しみをこんなにも信じる世の、どうしようもない蹲った、みみ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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