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2022/10/01
お侍が自惚れてムーの上に城を作っていたのである。わしの徳を無視し、ムーを無視し、果ては刃向かってわしに色目化し。自分はムーと同化して楽チン。
この呑んだくれをよそに、ムー取りをしよう。
月とは夢と回るものだから、これで良しじゃ。
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2022/10/01
カブってるムー(アメ村で見つけた、優秀なムーと同じ格好だった)
ムーの〇〇を、幕府は「珍事件」程度に治めていた。
何の幕府だか知らないが後から聞こうとしても、戸は閉ざされ大事な秘密である大事の為に固く取り締まられた。
何か思い出せないことがあるなら頑張って思い出すと良い、と通りかかった人が言った。お殿さまだと思う。
殿様もムーで困った事がある。故に長いことムーをしている。
ムーの作法のある人に何か渡したい、と以前仰った人だ。
見ての通り、ムーも見つけれないようでは、褒美どころか、書いている事もわからないだろう。
事実を歪めるような奴は駄目だし、
現実を掴めていない人も辛い。
それをあたらぬように書き記したこともある。
これくらい温めるなら如何様にもござるが、
誰か、下手人の上に参った奴を知りませんか?
続き
その人、お気に入りの鼻歌を略取されてたで。
次に見ればそのお侍さんは浮かれて酔っ払っていた。無表情で楽しそうに「呑む」と呑んていたアノ方かしら。
問い詰められたときにお侍さんは自分の兎ちゃんみたいなカワイイカードを懐から地面に落として、置き、去って行くのかと思ったら、周りの人を睨んだ。
これは私の感動記録だか、ありがとうポイント、即ち良い気持ちとして縁あらば姿を見せてくれる事があるらしい。
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2022/10/01
ムーの瓦礫の下でどうしても言えなかったです。ムーは見た目には現れないことです。私は人が人の見境をつけるために言おうとします。ざっと言いますが聞いて下さい。取り返しのつく良い道を守る為に言います。見た目に現れないのは全力で逃げているからで、裏から見れば普通に犯罪者のようです。ぎゃっとかぐぅの音とか、嫌な奴だ、とか自分の気になる人ではなく、大人になって自分の顔になってきた頃から四方にムッ としかさせない(そんな事を知らない一見では)簡単に気にならない人が、ムッとして化粧してるだけで、その間に必ず多くの人を押しどけるばかりでなく傷付けていますがその上で自分を賢いとか特別だと思ったままです。多くの人を押しどけたり傷付けるだけでムッとしかさせず、味だけを覚えてるのかわからないけど、ただただ連打みたいに何度もやるうちに致命的になって知的な犯行とか憧れたりする人のせいになり滑り落ちています。人も自分だと思って公正や供養などを考え滑り落ちています。全能でも全能じゃなくても嫌って、神と鬼の概念をひっくり返した奴です。同空間に二人いるのは気付かず、犯罪心理でそうらしいが、あらゆる所で大惨事を起こしたきっかけの人です。得としては悪い人がいるけど大抵ムーだったんだと気付いたことです。良いことを毎日手を叩いて覚えて生きろ、と言ったら自分たちは幸せです。自分自身を発見次第、物事、精神の前提として口にしなければならないことを話します。ムーは、無心が先にある抵抗力のある人が強い理性でそういう奥の手で「作り変えたよう」では変わりました。鉄は熱いうちに打てとは、過ぎてからでは硬くなって考えの広がりが甘くなるから、という意味ですが、そんなことが出来る人は少ないです。
龍壺を開けると、何やら記号が色々とある。他力本願の人にはイラストに見え、実際は分けられた箱である事が解る。着物のように幽玄性を持ってたまに「洗い」をされるのが抜き打ちに見えている。その時代の悪い人が映る。何故か肉体を持って帰っているのが見ていたらわかるじゃろう。ボラを吹いて「今」生きているのが見えるじゃろう。「そこで死んだ」及び「遊ぼう」を言う慎ましさが、ないじゃろう。これが人間の格を失った人の魂じゃ。人を故意に殺め、初めに成仏不可能となった奴の魂じゃ。
体に憑いていると思えるこれらでも、今驚いて気付いたが、誰でも憑くことは出来るということだ。その自分の霊質があんまり違うとまず嫌われて適当に振り落とされるのだ!
別に裁いてないから言うが、イラストの箱だがそれ以上に許容のある諸霊は出し入れを自分でいている。本当の意味で興味があるから、ポジティブだし容易そう。ここで、ナーバスな気分的なものでない「ネガティブ」の意味が、上記のなにものかを見ればびっくりするくらいくっきりとくり抜くことが出来るのじゃ。人はネガティブが解らなくて追い出しているうちに本当に何だか解らなくて寂しい!と天が天使が仰っている。
一つの天では吾輩の知らないことがまだある、や、吾輩の知らないことと、感じる知から吾輩を割り出す!と、囁いている。こういう話は心の広さを軸にするのじゃ。各地に存在する。
格や霊格は、君が君だけの私なら私は私でなくなる、と君が知らない私自身の事ではないから、底辺から始めた変哲のない自分でいる。昔見た「凄くお洒落な人」と感覚が同じで、次が「言葉負け」だとしても、どの駅でも何か抵抗を自分なりに纏めて、獲得しなければ!私が自分なりだからだ。苦しみの方が、確かさがある。
人にあたると人がいう人道と、私の私事をたしなむ仏道は、どちらも精神界と言います。精神に顔を出した時点で人格とは言えず、まして社会議論なんか出来ない。人にあたったら減る。
龍の意味を書きます。
わしはぎぼしが好きです。鱗(もく)と言います。
わしの胸の中に、罪人と人が渡されます。現行です。
罪人は顔に数字が書かれていて、人には自分以下でいることを注意する。運ばれている、と言います。わしもここまでしか知りません。初めからないものをかゆみとして、わしの中にはいません。地球上ばかりが地獄ではないので、気持ち良さと言います。それを餌とも思う、わしを使って懲らしめる。仏ではないので怒らぬが、浮遊霊と言って「遊んどる」と言います。
昔、教えをしていました。老舗と言います。滅びてもよかった善を申しますと、
自分が知らない
大きさが眼前にあり、人を数であると思うタイプだからです。飛行もしたことがありますが、わしはこれを抽象して極力軽く持っていました。軽いとは重いこと。わしが「自分」だと言うことじゃ。
故に自分が何者であり、彼方、彼の光を守る。だから、吉相があられる。君が君の王(からだ)を磨く。龍から鳳凰の室間という仙人語。憧れているなら誰にでも仙道がある。
わしに冠があることか?そういう運命があったかもしれぬが、現に詩人として楽しんでおるのが全ての視界じゃろう。
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2022/09/29
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2022/09/26
見えないものが、見える様になっても、
何も自分になかった時の「たしなみ」と言います。
は、ざっと取ってちゃんと現実で対面しなさいよ。
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2022/09/26
ムーが何者かを、大國主のファンの方から教えて頂いた。
生きてる間中「ムッ」としかしていない人だ。
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2022/09/26
ムーと互角だと噂されるムーがいる。
厶・ムーとか、
ふくよかなムー
と呼ばれる。
神の悪いとき
人がムーに挫ける時。
神の悪いとき、という言葉を頂いた。こんな言葉をどう思うだろうか?本来の明るい自分のリズムでいよう。それをアウトプットし、覚えていよう。私も、ムーを見たり自分を直したりジグザグに角を立てながら歩いている。隙間は作ってもらってるのに誰かがきつく入り込んで来る。
想像力は、良いほうに届くのだ。
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2022/09/26
心は病気しない、と聞いたことがある。
精神世界でも何でも、みんなと一緒にいれるのは勿体ないくらい嬉しいことだが、昨日は、おじいちゃんの意向でムーで精神に傷が付くことを学んだ。みんなひぃひぃ文句を言いながら、山の頂上では、野次(やちょう)が飛んでいた。
まず、精神に傷が付くとも最近初めて聞いた話で、「みんなの心の中」では、色んな人の想像で治しているが、現に骨折した感覚だと知ったのは大きい。
精神病とはめちゃくちゃ恥ずかしい事で、周りの理解ある人も、ない人も、それが辛いことを知り人は人で勝手に学んで行くんだと思う。
周りに理解されなかったらされなかったで客観性にたいしての自力の気持ちは変わらないから。
「精神病」と聞いて言葉負けせず、自分自身の目と闘い見つめる暇とする。
絶対、ぷぅ~んと蝶々を飛ばしたいのを仕舞って耐えて、ムーが狙う噂が49日じゃないんだから3日我慢してね。
心は心で揉み合うと活性して治る。生々しい近所付き合いなどから、無理に強い隔離をするのではなく、人を信じるを忘れないで、そんなことを深い緑に綴る様に考えていく。何にもない平和とは、何かちょっとある事かも知れない。
総合して、心は、病気しない。精神は、傷が付く。
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2022/09/24
生活をする事も大切な儀式。
「紙垂」と言って、これは人の角が大切だといっている。
人の角が大切だというので、人の即ち良いところをムー本人が知らず知らず削ぎ取ったことがわかる。こんなにムーの仕出かす悪いことを覚えている。神は、心に叫ばなくてもわかるから楽しい話をしたい存在のことを、説明するには、脱力して自分のチューニングをとり、「良い加減」での理解をする事が、何かを叶える。何かを聞く為の澄んだ耳をし、佇みをすることで自が叶えたい事を叶えると仰る。お救い下さい、と、願うなら自分の知識を備える事を教える。自分がまた、毎日、人の努力をしてから神と遊ぶことが出来る。
仏が在る、私やあなたの心に有るなら、
この限界の中に天上界と言って、
愛されるよう、の言葉一つでもめっきり角が痩せたと思う。角が取れるは良い時の言葉にして全然違う。
都としては東京より先輩の方である。何が都会かわからないが心ってやつが進歩的だと言う意味で、稲の高さが有る田舎のほうが島の都会だと言うだろう。私は東京訛りがあるが、生まれは大阪だが間もない時に区内にいたことがある。新宿、渋谷、町の響きを親から愛する時間や、そういう美しさを孤立して願えたとき、関西は、感情の幅として埋蔵金のように詰まって、大ぶりに喉を詰まらせていたんだと思い至った。知らなかった感情が有るらしい。お構いなくどぞ良いから知ってほしい。大阪人が期待に弾む胸とは裏腹に、現実を歩く自分には社会が有って、先に守るルールの有る中で必ず会えると思う。願い、それが、誰かであっても仲が先立つ本土の中では惜しかない筈だ、と、別れないようにを願い凌いでおく。この中で、自分が、どこかで役に立とうとする自分よりも、どこかに行って学ぶ自分の方がしっくり来た。「自分、自分」と言わなくて済むから、世話を焼いて貰いやすくなるからだ。
神の悪いとき
こんな言葉をどう思うだろうか?色んな解釈をして良いことだ。視線を瞼を閉じ45度下にして避けるのは、自分の知る佳(よし)のないことに対してだ。
想像力は、良いほうに届くのだ。神が気を流せるから地震と言って、人には命が有り、気を付ける事はお守りになるから、いつも逃げることを考えたい、逃げることまでを考えれて、徒労しなくては進歩出来ない。
怖さこそが、人にたいして良い意味で有るが、程よく「嫌う」この正しさ。
一方が、
恐さ(したごころ)。自分がこれに負けたまま自意識がないと「いらない」と思われる。
アッテルは、祈りの時と人間の時の両方があると思う。これをIと云えるなら、いちにんで有るなら愛に慕う。不思議な言葉だがそう思う潔さが有る。
自分の強さの邁進を、寺に行ってお願いする。「どうしたらいいか?」思考を、神社へ散歩して伺う。「自分」にとって、寺って何を対照とするだろう?神社は何を、どんな考えを対照とするだろう?
「心の中」を、優しく思い描いて頑張る。
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2022/09/24
こんなに一緒、終わりじゃない私はいつでもおる。
2022/06/25
こう書いたら、今ムーのことを沢山考えてるのにどこから見ても「タタリ」にしか見えない。
祟りは、この漢字、字の通り「心が思う」と書く。人が思う事である。紙垂という神社にある角を織った白い紙の束を知っているだろうか?
一人一人の人の抵抗力や相手間との普段の波、多少の憤りは、結局互いの為になる。
神道的にも、人は、紙垂(しだ)を見てムーを考えるべきところまでがんばれたよ。
お祓いでした。紙垂は、想像力も素敵だし、重ね合わせることで汚さずに済んだ心だってある。
神が取られた角の数を睨んでる。
私ら、の煮えたぎる心が静んだ。意味解るから。
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