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2022/07/08
幸せの向こうは、精神
生活、オア、生活 で霊感もすべてを養う。
何もかも今までの自分の正しさに寄る
そこを広げていけば、その「土台」から初めて行ける。
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2022/07/08
今にも飛びそうなバッタであるが、邪魔するものなんていないし、
いつも相手してくれるキリギリスは、土を知らないので土に返されやすいが、避暑地を持っている。という、ろんりを捕まえた。
「虫になるとき、土がわかり思いやるから返されない」音楽の達人。鬱蒼とした排気ガスの中でもさらなる瞳の輝きを得るだろう。
きりぎりす が音楽だとおじいちゃんは熟知していた。
星のきおく、である。
とべないホタルもいるが、光らずともいるだけでやさしいのだろう。力が蟻に似ている。先祖というよりは、かわいいだけホタルとは蟻の神。
いつも相手してくれるキリギリスは、土を知らないので土に返されやすいが、避暑地を持っている。という、ろんりを捕まえた。
星のきおく、である。
土を知らないので、返される前に土を知ることを知ったらええねん。
本当はこう書きたかったのに、おじいちゃんが話しだし、おじいちゃんのボケとなった。おじいちゃんの「顔」がみたいと子供が泣き出す。
なんのこだわりもないキリギリスにとってはそりゃ心のエスコートだったのを、蟻からおばあちゃんはしかと思ったんだと思う。
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2022/07/08
父の様に歩いてる大きなアッテルから、
父の法で、
「わたしは卑しい」この言葉を私は上手く言えないが、
アネノホーから、
「わたし」には、出せない、躾のひつような「幼虫」がいることと、
優しさとは「別姓」だということがわかった。
聖が、何か知り、わかりはじめるとこ。
「ミクロ」が、この理解の場合神の名のように思えるが、正しい学説はまだない。
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2022/07/08
もうひとつの精神
蟻とは、 働きもので力もち ブラック
私は、人は、人間は、洗脳されないという最も大切なていへんのからすべて思い考えている。
実際出会って、酔うか、悪く酔うかは、頑張り次第で、「あなた自身」にたいしての責任が私にあるわけないのだ。
仲間…今、運びものをてるのに、運んでる大きな葉っぱばっかり見てわたしに気づいてくれへん
葉っぱかわたしかどっちかにしなさい
専門外の方にはゆうたあかん
わたしの部屋の構造をみてくれているアッテルもおる、悪い人を見つけてくれるかもしれない。
普段から気前よくしとこう。
西洋で有っても中には同じ種族の人もいる。土の違う、土の違いで
頑張って日頃ちまたで覚えたビジネスで、ナマケを削減しようとしている様子。
これは、アッテルの「純粋」なフィギュア。彼女を誘ってる、
例えば、こんなんは人間の手が出てきてるのでもう地上の肉体の話として、わたしらは「ありを見ている私」に他ならない。
怠け者は蟻になれないからだ。
実際の職務でも、考え方でも。
冬越し…蜻蛉の羽で冬を越す、目がぐるぐるで気付けなかったたまに来る人
友。
出そうか迷った良い画像。
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2022/07/07
この髪の色は、忍術性として変な人をま逃れる為。
そのためにそうするのではなく、勝手にそうなってる。勝手にそうなっていないと「髪」は上手く流れてくれない。
気のバランスでこうしている。
要は、「好きなものを好きなだけ」追行しようとする試しなのじゃ。
ノヅチ
今わかったが、幽霊がみえるんが霊感なのではなく、妖怪が見える眼力に精神性が有るのだろう。普通は自分本位に「妖怪とする」のが限界なのだ。「あれが妖怪だ」と感激している私とは違うんだ。
中には、何か神がちゃんと宿った妖怪も多い。あまり、これにたいして真面目じゃない態度が、学ぶ姿勢として良い。
執着が強いと見ることが出来ないレベル。そんなことを話していると、妖怪になりきって戻れない精霊など癒やし。
「そんなこというから、人間がノヅチになったんじゃないの?」
A、そうか、どうかを見分けるのがわしの眼力。ついて来ないならほっとく。
と、いう大きな遊び。
ノズチは三重に置いていく。私は視えるが、抱えられない。思えば暮らしてるとこではこんなものを押し付けられていたのだ。こちらは気が強いので抱えること(ノズチと遊ぶ霊がいる)が出来るらしい。
きっと、大阪さんも思わぬ無力を感じているだろう。
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2022/07/07
普段会えないこと=顔が見れないことの発散的なものにもなってるが、
それだけでも良い。
良いことも書いてあるので、ま、大事にして欲しい
修学旅行は、大阪〜伊賀〜伊勢を一日で回る。せっかく色々ありそうな伊賀に行っても、すぐに離れなければいけない。これも忍者の修行。
「何が自分の光」
何が雑念で、何が想像か、正しく整理がついていれば、忍者レベルの無心ではないか?と、はと思った。
いつも忍者になりたかった。
私は、忍術の巻物を持っていず、歯痒いが、「これは最高の忍法だぁ」と深く思って行ってることがある。を、
個人的な態度、として怒られた。
「最愛の再会」なのであった。私は、くのいちだから、宝石などは似合わないのだ!
忍者の場合、美しい何か姿を目撃したとき、人の形を自分とするときの作法が有る。ぜったい同性同種に形を押し付けてはならない。それが忍者のファンか。
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2022/07/07
伊勢にお参りに行こうとしたが、足が運んだのは「東青山」、という駅。良いものがある。
ムーの遺跡があった。
これは、人が良い覚え方が出来る。
私も人と来なおそうと思って、駅名をメモし、引き帰した。
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2022/07/07
こんな風に、まるでうつくしい教室のように凝縮しているのは「私と俺」のチカラで、この人々は何もしていない。
「私と俺」の、何とかしよう、どうかしようとする真の切実さを、聞いてくれてるわけでもない。
こうやって、書かなくていいものを、もっと美しいかもしれないものを中断して書いている事は、本当なのである。
腕を磨いてるのは最初からで、あんまり栄養には、ならなかった。
無害とはなにか?
この時よくみたら、取って付けた汚い花じゃないか。表で厶害、裏でこそこそ。
いいですか、
頭(ズ)がタカイヒクイなど、
全員が持ち込んでいないし、既に論外。
他は、頭(カルシウム)が溶けるのです。
せやわ、いいですか。
辛いことを辛いと感じれる感性とは、繊細なので有って、糖尿(病)を避けるし、ある所へは、届かないのです。
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2022/07/07
実際、発言権なんてとうに失せている、口を叩くことばかりして、何の感謝もない。
見分けは本体の視力の豊かさ。ここから話がおかしくなってくる。低級霊「や狐」は、必ず貧しい。
綺麗な心のふりして意地悪ばっかりしてくる。全く遊べないのに、上から寄りかかって来て、必ず助けれないことを「助けて」と言う。それならまだしも、この人たちのせいで人が死んでることを、忘れたというか、良い空気の時に平気で笑いかけてくる。
「(私に)悪いこと色々したけど、(私が)良いこと言うたから改心してファンになった。友達なってや。」
ひるこ ない神だったと豪語する人々
これは、神じゃない
古事記では、ステルといういい伝えだ。
ほかす、と言わないのは、ステンレス、で何か、言えたらと考えているとこ。…みんな捨てない
ステンレスを作る為に、必ずステルがいるのだ。
この人々は、悲しみとか憎しみとか、何か響きの良いものを何だかの押し付けてくる。何かあゆ憧れ丸出し。
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2022/07/07
急に何でも答えていたことがある、出ない答えを出さず、「うーん」と悩んでいた数がいつのまにか圧力になって、悪いものを遠ざけている。良い方に転がす力を得て来たのだ。
安直に「いい」を選ばない、こう円が書ける人は頭が良い。
何かを無駄にすること、しないこと。
こう「大人か?」と聞かれたら大人で有るが、円滑な思考は持っていない。今、三十である。世界がどんなかを知って、黙って働いている。
「間隔が思考をもつとしたら、」
…上下はあるべきところに有るが、その間隔自体の間にはない。
腹立だしい言葉を聞くのではなく、何をやっているのかを聞く。
…下を見下げているので空を見てる者とは繋がらない。
この様に、理論が必ず出てくる。
「約束の重さ」というのがある。
目的を達成させる為に自分の持つ重要な重さを判ってる。その持ち方を出来たが、いろいろあった。
腹立っても、今から、ここから、を考えてるのが、いつものルール。
後悔を押し殺すか、自分の後悔を供養しながらついていく。
「下働き」
下の人に負担がかかるから、との理由で、ご公務が有った。
私は下働きは、
たとえば武将等、力持ちの立ち位置で、上のほうを何となく知ってて、感じ取れる。では上の人とは何か、というと、人を支える立ち位置で有る。
下の人は、下の勉強が有るし、「上と下が」こんなに綺麗な言い方なのかと思ったのだ。
「(わたしにたいして)何も感じない」という冷たい態度が、本当に良い面なのだ。情けがめばえたからって、何でもは、やってしまったらいけない。
本当に良い面、自分の色なのに、変な人に情けのいらない「良い仲」なのに、こんな鮮やかな色を、上から私と色を混ぜられる。
これを、「混色の減光」と言う。たまったもんでない。
自分はこう「なりたい」を、
他人の光の中で叶えちゃう人がいる。
こういう事は「理想」といわれる二次熟語とするのは、十年はやい。
口だけの人か、理想を叶える力の有る人か、見分けてみよう。
口だけ、という意味が、色んな人の持っているキャラクターや、味そのものだとは、こう知らないことを豊かに知れた。
誰しも性はしないといけない。性自体が横着や、だらくといった性格では無い。性を知らなければどこまでがうつつか分からないのだ。
「遠くに投げ捨てた夜の長さよ、
あれてる心と手を繋いでかき続ける
能率の次、論理 忘れた心で書く
終わらないと焦りが出る
広い沖の上で眠る僕の心漂う霧みたいな不安を、
黒い鉛筆かペンでノートに自由にかく
情景描写、嘘の意味や、不安になりそうな夜のおと」
この矢先に現れた「問い」は、やはり芽として、本人ではなく、
とてもかわいい、と思ったのは
問いそのものそれ自体にたいしての感情だ。
長いこと「自分」してた、なら、
その理性を信じ抜くこととして、
自分から出た感情に何の怖いことが、有るんか?
妬きもちでも、「自分」にたいして感じ切る、とは、
濁った時代を生ききる呼吸法なのだ。別に、人にあてないとは言ってない。
上手(かみて)、下手(しもて)は、舞台の裾の右左の事でも有る。
「仕方」のないこと。
私は世界の写実をするのだが、そのエッジがちゃんとしてたから、書いてても良い思いがする。
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