揶白 (KF)

絵画

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  • 登場された勉強

    畏むと言う言葉は、神にどんなもんだ!と言う。それでも、私はちゃんと怖いんだ、と告げる。

     

    自戒、または人と知ること、

     

     

     

     

     

     

     

     

    何も轟かせたり、残そうとしない。この意味が、ただ流れている、と言う深い知恵だ。

     

     

    文明は、決して動かせないものらしい。

     

    野心のたまものなら一等人間的になる。

     

     

    私は座らないから、歩くから。

     

    いくら考えても私は私を間違うんだと思う。

     

     

    平和を感じる。視野を言えるその私の。

     

    王は、ここに引き出すように言葉を

     

    この形で話される。

     

    それを語る、と言います。 

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    どうしよう、と言っていたら、お腹をさすってくれる。

     

    存在しないものについて話し始めてる。

     

    自分が住む地球の惑星の感触を初めて感じる様に、

     

     

     

     

    ムーの形をピンと張っている。

     

     

     

     

    ここにないものを見渡した時に、愛がないんだ。

     

    …ここという心にも、いないもの、として

     

    心の輪郭の影が全て愛なんだと言わんばかりに、

     

     

    実際に、心を描き切る。

     

     

    悟りである。

     

     

    神のうたをここで考える自分の雑念の隙であるが、

     

     

    この隙が、寂しさが、またそれをなぞって証拠を確かに掴む。

     

     

     

    男女が別れる別れないの善悪のまた、循環論法、ただしそれは憧れであることや、

     

    例えば、題のごとく四字熟語を述べていても自分がごついほどより可愛らしくなる、黒猫道、椎名林檎の詞。本人とは永遠に関係しないこの生活上、この目に、全霊がある、この自分の気と目、カラオケに向かうことにあるものを全霊と言っていることは間違いないだろう。

     

     

     

     

     

    高い皿の枚数より、古代の人が本当に興味を持っているのがわかる。「呪いの切り株」といって、用意しているとしか思えない。天は物凄く楽しいらしい。切り株の影に丸々映る、と言ってあなたは正しく読めるっすか?

     

     

    ピンとこない古い人でも、自分の胸に手を想ってみたら久しくわかると思う。

     

     

    鏡…魔法と魔界やお山。鏡の関係である。あれは、左右比ではなく上下が逆だ。ますますわからないが。

     

     

    陰陽とは、格ある話。

     

    つまり、魔界か哲学である。…心、技、体の、知識を貯めないと向かうことは出来ない。これらを上掌(火ノ子散ラス昇リ龍)と言う。

     

     

     

     

     

    どうやら魔界からは、呪いの切り株として箱はハジって良いものだとしかわからない。行けない。

     

     

    行けない…魔界語

    向かえない…天語

     

     

     

     

     

     

     

     

    哲学にとって、心、技、体って何なんだろう?

     

    やたら思い詰めた言葉の意味って何なんだろう?

     

     

     

     

    魔界人である私の言うことなので、魔が差すだけだろうが。

     

     

     

     

     

     

     

     

    面してるもの

    ・襲い来る罵声と暴力(BUMPOFCHICKEN)

     

     

     

     

     

     

    心を傷つけるもの

     

    (対処)

    ・自分の手の中の歪み、この水面の歪みのようなものが全てを含んで弾く

     

    ・「影」の自覚。それが陰陽に繋がる。

     

     

     

     

     

     

    性格

     

    嫌いなやつを見ない。どんなやつかも見ない。

     

     

    30代か40代だと思う。

    (空想やん!予測やん!)

     

     

    記者「苦しいんですか?」

    私「皮膚呼吸ができていない」

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    理解の腕がないと祈れないらしい。

     

     

     

    祈りは、願う、ともちょっと違うらしい。

     

     

     

     

     

    言いたいのは、本物か偽物かじゃなくて

     

    道理であるかないかの中で言いたいことを見つけること。

     

    本物になりたいとか、自分が悪いじゃなくて、ただ生きてること。

     

    つまり私が見つけたのは色んな違いだ。

     

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  • 本物を目指す

     

     

     

     

     

     

     

     

    感情的に当事者を守り、雨を心置きなく歌うことで肌に艶が出た。自分に対する人を間違えない、この私にある感覚は、灯り、括りとしての渡された言葉を噛んでいたからだ。苦しい時に真の言葉を、と聞いても信じず、狐文字であると見切ったからだ。やってみたい人の心をくすぐる。やってみたら良いだろう。

     

    疑問を温めて離さなさい、何故、書き言葉をこうして自由に出来ないのか?自分の内面から離絶したもっと夢のあるケーキの様な毎日美味しいものを、浮かべる。無意味に乗せて、それが永々と続いていくような。自分の言い方がキーワードになるだろう。

     

    その方が想像が遥か自分を超えるだろうし、

    言語に筋力が付いても何かを置いて行った様な気もしていないのは、捨てる根性と、土着にたいしての執着から色んな事がわかったからだ。

     

    そういうことを夢見た先人もいると思うが、いつも「それにしなさい」と肯定をする偉人を品良く皆で思い浮かべるのは想像、大人になるを伝えられたばかりだ。あの人に、あの人に、この長い手を差し上げたい。

     

     

    何も責めないひとプレートを作製。

     

    いつも思うが、この緩いキャラ文章が何で出来てるかといったら、絵画の制作意欲なのだが、絵画の制作意欲が何で出来てるかといったら、はみだせる道や、その発見、真文にはない生身の色彩感の楽しさだ。

    面白いもの、良いものを作ると奮起して、十年が過ぎた今だ。

     

     

     

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  • 呪いの木株

     

    不安なのが理解の粗さである。

     

    電波君、肉巻き、ノロイ、などは身が空いていて線にすらなれない。 

     

     

     

    電波君…いきなり背の目に貼り付いて来て痛い。自分が昔は存在しなかった天王、海王とするのは、肉眼では青や紫は性質が極細で、生半可では必ず目にすることはない。

     

    隠れていて良いことはある。隠れてこそこそするのは、どこかで知っているのを無視して攻撃をするのは

     

     

     

     

     

    前提とする構えや知欲。

     

    異なる言葉の質…摩擦(相乗)

    同質と感じさせる虚像…それを打破した時の本当の神秘

    私(低年齢)の筋を無視してまばらにしていることで、本人もまた人の話を自ずと聞いている最中で、

    成長を喜ぶ。

     

     

     

    結果的に、食器が割って落とされた。それが、皿セットだとシルエットを暴かれ「皿セット」というタイトルを争奪した。

     

     

     

     

    カオスの全能性…陽が吸い込んで来るくまさんでも良いけど、行き止まりが有る。

     

     

     

     

     

    感性が知

    感情が知

    欲が知

     

     

    自分の構想の中で 感性というものの形が、浅いものなんだ、と思う。

     

     

     

     

    考えることの目的が、思いや宇宙ではなく、あるもの、見えぬものとして平成のよは有った。

     

     

    表現できない事、表現の許されていない事に神秘を感じつつ、

     

    マシュマロを焼きつつ、

     

     

     

     

     

    これから、

     

    こちらに通る理が有る中、

    逆に通られる理になること、通られる理として立つことを目指す。

     

     

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  • 心の中の心細さ

    質問がいらないとか、知るのが嬉しい

     

     

    でも正気なのか、と必ず思う。疑問があればいいとおもう。

     

     

    普段の言葉があればなんて強い構えの盾になる。

     

    仏を知るにあたって、

     

     

     

    天式の読誦と、歌っても構わないインド式の読誦がある。

     

     

     

    今、ある無明が

     

    言って「良い」のか、言わない方が「良い」のか。

     

    どちらかの、大して

     

     

    本当に案外どちらでもいい、

     

     

    どうでもよいことである。

     

     

    悩むに足らぬことを悩んでいるのが必要なのだ、と何となく知って貰えて嬉しそう。

     

     

     

     

     

     

    神は守るんではない、南無妙法蓮華経

     

     

     

     

     

    PS, 悩みが異なるその場合、聞きたいことが違うからどうしても知りたいことがあったら聞いて欲しい。  

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    私の神は俯瞰していられない。

     

    ①怖くない。

    ②足取りが不安なのは何故か?問いかけの毎日。

    ③休日がいらない。

    ④上手く生きれなかった、と言って生命を果たす江戸時代。雪降る今は本当に真っ白で、生命力が教育によりある。だから、記憶を喪失しても心を失えず、上手く生きれなかった、を感じたあとにリベンジがある。

     

     

    一瞬のタイミング、刹那だけにしか生きてこない男たちが叶えたかったのは、教育の同一なのかも知れない。

    ⑤日本の教育は優れている、と確信する。

    ⑥優れが、なくなった。イマの時代を映画「パプリカ」や、菩薩の視線の先にたいして途方に暮れる。

     

     

     

     

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  • 胸があるゆえ

     

    仏的に趣きがあり、こいつには見せたくない、誰かに見せたいとか、心は朧でごつごつでそういう360度の輝きをしている。

     

     

     

    胸があるゆえ、受けたことをただ反射しているスクリーンにならず、

     

    他人に繰り返すことなく、

     

    人と違う態度が出来る。

     

     

     

     

     

     

     

     

    こいつの運のなさは計り知れない。

    はかりごとの付き出しみたいな、自らが「私が興奮したもの」のチラシになって舞うのが、面倒くさがられかさ張っている。自分の結果の花だとしたら、こんなに差がある。誰かに気付かれる暇もなくさっさかと直す人と、どう違うのかは知れないが、

     

     

     

     

    地球って、惑星って加害より自分のことを覚えるし、天暦あるものって近づいても理解出来ないし、浮いて生きてるだけでも、惑星のリアルな感触は手からこぼれ落ちてしまう。

     

    自分には、

     

    その間の測りゴトなど不様である為残らないし、その人の追従した理想の形を、その都度その都度、許してやるような気持ちで自分はわりかし艶々している。限界的であるし、そいつが伸ばした手から見える何かではなく伸ばした手の方向に注意を向けてほしい。

     

     

     

     

    一時間後でも気さくに話している。ナチュラルにムーがループしているのは、自意識が自分にたいするプライドを裏切れないだけで、

     

    その中に他人の思うことまで責任を持てないから、というのがある。何もふざけたり、対象としたり、否定したり、そんなとこに悩みなど無く、そして説明が必要になってくるが、

    心の躍動として有るものと、目を、大切にしなければならない故に、いやとか、腹立だしい、というボロ布のようなものを握り締めたまま、    つらい。

     

    ゆうなれば、

     

    決定された日から、有らない、ない、という自分の思考を遂行する。

     

    あるとも思わなかったこんな時に構え、抵抗感情を自分に巻き付け腹を満たす。この先自分に触れ合わせるようなやつじゃないからだ。使えるスペースを目一杯取り、その中を堂々としている。

     

     

    道上にはいないし、否定しているとか自己予測的な、動物の行動を選択出来る範囲をむしろ一望している身にとっては、色んなことをまのが逸れる。

     

     

    感情のあるやつとは思ってないのだ。

    イラついたりおこったり、感情っていうかその要は理性の類は、もっと深々しい。縦伸びでも横伸びでも。そ、だから私の嫌気やも、大切に持つことで物凄い色になって一時は評判だったのだ。しかも、全てが自己生産でそれをオリジナルというのならひたすら可能性を歌った誰かを長者と思うだろう。しかもこの言葉はアングラで文化欲が強く、しばらく魔界の静かな格調は守られているだろう。

     

    すると、そいつが石膏の型抜きのようにくっきり。

     

    驚く程カラフルなエモーショナルとは、惑星の微妙さとは、ムーが感知出来る大きさではない。

     

     

    映画に没頭したように肩だけ上げっぱなしとか、大きさの比較を、小世界というらしい。

     

     

    良い、からって続けていないのは私も同じ。

     

     

     

    ムーを倒した景品に、もし天国に行くと酔っ払った人の話を人と一緒に聞いたり、踊ったり、釣りしたり出来る天国券みたいなものを感じた。

     

    今って、自分が考えることも出来ない貴重な苦しみで、そう思うとありがたすぎて、

     

    もっと感じようとか、もっと出来る工夫とか、力が溢れてたまらないのです。

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  • ノコノコ

    下の世代に伝えたいのは、四面(日本のこと、対象や内面的なモチーフ、日本=主観のある土地のことや、そもそも国の概念)を知らない人がまだ多いから、これら突っ込めないことに対してもっと欲張って良いと思う。

     

     

    身体か生きたことのせっかく、を私は思う。心が死んでしまうのはこの風、この労働社会にはザラにある。それでも、人と接しているだけで未知の抵抗力がつくのは、人間ごときが語れない生のことを無言で渡しかける。

    死もまた思考すれば摩訶の冒険であり扉が時折開くのだろう、少名彦に通づる。

     

     

     

    疑わしいだろう。黄泉の偉大さとは原因がないことなのだ。迂闊に自らを闇に沈めれないように、底には地道な努力と探究心しかない。空こそは、この手に飾る機器とした理性を思い浮かべる。

     

     

    そもそも、ステラおばさんや、ウタ、優しいアメリカ人像、憧れのキャラクターとは正体を洗練としていて、肉眼で見える魂なのである。

     

    工場では、味噌汁をおかわりしたら、自分の食べる分も分からないのかと判断される。

     

     

     

    微妙に、身体から何かを発する光が、日々の中で折られ、払われ、重ねられ、織られて行く様のしなやかな我が家屋の猫の姿を、

     

     

    この私のどぎつい刹那が捉えているのだ。

     

     

    自分を観察していると、ナカマルさんがアナログとデジタルの交差を言っていて、思い切って分類すると、

    時計や、木製の馬のオブジェ、スプレーアートより、

     

    無印、あわれさん、牛丼、デジタルな感じを目指していることがわかった。小刻みに色彩を落としていく自分のやることは、兵方である。世間的な心配がなく、家族間とすれば逸れるところもあるけど、人にも相談出来て自分で考えれる者のこと。生きるこれといった意味もあまりなく、こういったルーティンをただ磨いているその生き甲斐を、頷けるやつのことである。

     

    目を離した瞬間、そして自分さえ渋みに繋がって行こうとする鳥となっているのだ。

     

     

     

    初めがつっかけの人と、裸足の私とでは

     

    エネルギーに出来るものが、私より少ない。曰く、光だと思うものが、抽象的な輝きだから、ほんやりしてる。

    でも端はしっかり抑えてる。

     

     

    アンパンマンのパン工場がむしろ求めているのは、

     

    身体から発するものがなにもない、発していない。

     

     

    検すればするほど、

    何の魂の欠片も見られない。

     

    こいつは、既に全ての役目を終えた燃えカス。

     

    その全体は黒っぽいが、私の暗い目の中に数時間通して、

     

    自分はエコと勇気ある判断を尊び、本当に良いものの内面的なパン出荷にかけて誇りを持って工程を頑張っている。

     

     

     

    何しても無視、無反応、耳の遠さなどは、プライドこそは目に見ることの出来ない何かであって、そんなものは容易に形を変え輝く物、オルゴールなどにしていつまでも鳴り響く。省略は、色々自分が考えた結果、削るという試みなのである。失うより、こういった道理にもっと慣れたい。その方が、時間って増える。

     

     

     

     

     

     

     

    氷かと思うほど気を厚く高く凝らしたプロの能力と、その生活は何ら関係がないっす。

     

     

    自分は、日本や国については、博物館でみた年表をもとに気になるところよりも広い方を広く取って、

    ユーチューブなどをもとに古本屋などに足を運びちまちま勉強しようとするが、意味はないと思っている。この紺色、何度でも洗えて着れる綿の寡黙な深い感じはそれこそ覚えていても損じゃない。

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  • 光の勇気

     

    昔の言葉を自分の手に掴むのを楽しむように、

     

    ナカマルさんとは違って、私も同年代は闇好きだ。

     

    オオクニヌシ、黄泉の中の同じ職場にいて

     

    「後悔ない?」と、ナカマルさんが姿勢を正している。

     

    このこ(私)の気持ちと

     

    自分がやってること、別なんだ、と。

     

     

    不安で、このこに何かいわそうと思ったら

     

    どんだけ必要なのか

     

    必要なほどを、

     

    それを測って歩いて取りに行く

     

    足りてないことより、足りてないのが自分の定理だったと思う。

     

     

    そういうのを、田舎の人はしててん

     

     

    「もう少しだけでいい、あと少しだけ」とか「三センチメートル」とか、人工に揉まれてる途中の私らに測れない距離や感覚を産みはってん。

     

    こういう「分量」って、涙が出るほど素敵やなぁ。

     

     

     

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  • こんなに奥行きがある

    弟だと思ったアッテルは、

     

    天界ではクシャーンだが、人間界ではムー。ムーだった。

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  • クシャーンとややこしい人

    後からついてくる影がある、

     

    経典に書かれてあるが、

     

    その恋人だ弟だとやさしく思ったアッテルがクシャーンだとわかった。

     

     

    誰でも鏡を気にするが、過ぎるのが何でも良くないことで、

    「鏡を見すぎて、とんでもないことになった人がいる。これ覚えていて。」

    と聞いている。

     

     

    それがナルシスなのか考えている。

     

     

     

    ナルシストとは、自分が好きすぎるから天子なのだと思う。このアッテルは全然自分に関心がないし正味嫌がらせをしてくるし、さっき言うた喫煙者である。

    わしである私は、面と向かって鏡の好きな人である。

     

    そして見えてきたのが、

    震える程嫌悪している服を着たアッテルが、

    不安にずっと生きていたので、安心したら人が大切なものの上で土足であろうが傷や執着から自身の安住の地とし終わりを付けたい気持ちはわかるが、ご時世をもっと見渡して欲しい。

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  • 肉巻き、金巻き、時間捨て

    ただ、違う、と言ってくれた。

     

     

    優しさの考えがここにある一般にある思想なのだ、生んだら育てる、愛しい、など。

     

    (私を)憎しくてたまらないけど、

    彼女らがそう言いながら愛を持って手間ひまかけてくれた。

     

    甘えるだけ甘えて馬鹿にしてきたので、

     

    めちゃくちゃ苦しんでいる私を見て、

     

    ➡彼女は今頃、笑いが止まらないと思う

    ナカマルさんは未来にいた

    だからナカマルさんと付き合ってたアッテルが何かゆうてくれたことはない

     

    依って、仏子であるわしが考えるところ、

     

    受け止められる安心があって、その上で豊かな想像が出来たんだと思う。

    それがなくて何が作れるだろう。

    彼女が金色に光ったとき、金目である故にぴたっと捕らわれたアッテル。吸着されるタイミングが良いと思う。出生の理由が書かれてある。

     

    お前の世代の事でしょ、一大事と思わないのですか?

     

    ただの陰影を使って表現していた。

     

    仏はもうそれ以上言わなかったけど、

     

    彼女が続いて説かれた言葉の中に

    歌手とは、人の表現を自分なりに理解して更に自分のこととして表現される

     

     

     

     

    私を唾棄するために宛がったアッテルが私の越えれるもの、という伝説かも、だった。

     

     

    確かに一緒にいたのなら、自分のカッコのことばかり気にせず、優しさを自分だと思わず人を尊んで、

     

    もし側にいてくれたら、引け目があって挙動にも。

     

    喫煙することの私なのか、振り向いて追わないのか。砂糖とか恋愛に憧れている人に見える。高さが同じじゃないんだから、同等にみても全く顔はそこに有らないだろう。自分からすれば対等じゃないからだ。

     

     

    身は正しく自分で、生きることの重さならどこからでも知れる。覚える言葉のいちいちから、生きることはこんなに辛いんだ。と

    そう感じている。

     

     

     

     

    時間が流れている、思わず腐る、ただ腐っていく弟を見つめていたい。とても綺麗だと思う。

     

     

    苦しみたくない、とか、ほざいている。どこでも生きれなかったのに。その続きが「一緒にいよう。」それが一番、自分にとっては失礼。

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