揶白 (KF)

絵画

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  • 何もない人、何かある人

    一朝一夕でなんもなくなったわけではない。

     

    気付くのは何か有る人。心が身を覆って逃げているのではなく、追われた時の傷があるんだろう。

     

    称して「ほふり風」と言い、

    龍谷にあると聞いている。

     

     

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  • 色んな幸せがある

     

    気持ちのなんもなさに空が通り、足取りが軽快だ。履き込んだスニーカーが花の様に笑う。

     

     

    歳を取って重ねた新しい自分の身体の響きを静かに聞いている。

     

    全体的に孤独的に聞いている身としては、アゲアゲとらんすの姿勢では良くない。無心の中では気持ちに委ねる。雑念では無理な事。あれが駄目、これが駄目だでは、却ってイメクラではないか!

     

    雑念なら雑念を自分の体で考える。のみ。

     

     

    自分で考えてきた道は緑が生い茂っている。

     

     

     

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  • 文化的

     

    蜂が蜜を集めているとだけを空の下で静かに見ていたが、

     

    文章を書くでも、アングラでも、

     

     

    文文、ただただ楽しいと思う腹の背がまったく同じ

     

     

    文化前、文化後、身構えの自分から、花がついている。昔から感じていたことがある普通のことにふたたび思いを抱き始めるのは、成長後。

     

    突入したのだ。

     

    律儀的なことをそのイメージに強く物つが、失敗の良さとか何を足せばとか字を覚えるとか自意識の展開とか、色々考えた豊かさは成長としか言えない。礼節は最後にあったら良い、と政治家の人も言ってた。

     

    飛んで浮く感は、想像じゃなくて実際の飛躍だろう。

    他人の飛躍なんか見たくない、その気持ちだけを一生懸命綴る私の方は、石っぽい。静と動の関係があるけど、

    飛躍と作品は隣り合うではない違うもので、関係性も感じ方もわからないが、紙も捨てて飛んでいるような、自分が見ることも出来ない夢が物質的か身体性的にかそりゃあるんだなぁ、あれはなんだろうか、歴史か。内容のリアルさにたいして、二度見しているときじゃあ土地に面して自分が普段感じ取っていることって何だろうと思ったら土着を追求してしまって、普段感じ取っているものの正体がそれが言葉にすると情、くらいの小さいもので、それを手に取ってくれた蜂が「これは凄い価値のあるものだよ」と教えてくれた時、めちゃくちゃに色んなことが嵐の様にわかりはじめて来る。飛躍と作品がもし、同じだと言う場合の格って、物としたら缶詰めと漆箱となる。歴史感とか、境の視点とか何かと現在失っている文学感とかに気付いた。歴史はまた言葉にすると理。理性じゃなくて理。

    飛んだまま乖離してしまった人もいるらしい、気を付けて言葉を感じ取ったままの心の持久を思う。何が心配かというと、恋愛でもムーでも、「自信」とか「私は見捨てられた、哀しい」などコンマ、自分を括りつけるものが、気持ちばかりはポエマーになりやすく流れている。

     

     

     

     

     

     

    心も情緒も天道もいつでも遠慮なく基本姿勢に戻れる。

     

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  • お化けも何もかも

    街の幽霊と楽しく話続けることの出来る人もいる。明るさが合うんだと思う。自分は明るいから拒否られる。

     

     

    人に触られるのが嫌なんじゃなくて、距離感の差異がぶよぶよしていてどうしてもだめだ。

     

     

    白っぽい感覚が自分に小さくある。こんなに小柄に映るのなら、まぁ良いだろう。これから綺麗にして行く。

     

    私はこっちから何も干渉しないタイプだ。

     

     

    生きたい生きたい、と訴えかけて来る霊もいる。ここから祈るしかない。

     

     

    私にとっては読み物だし、

     

    漫画の人もいる。

     

    実際に救ってくれないがお化けと戯れるのが良いひともいる。私は跳ね返してしまう。運は平等に回る。

     

     

     

    本当に楽しかったら、それを続けたら人にぶつかりにくくなる。

     

     

    楽しい気持ちなんて外側に現れない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 気にするところに既にいないひとを目掛けて尚且つ前を見る

    朝が明けると明るくなり、物事がよく見えるようになった。そうすると、夜に言葉に出来ないことを考えるのは、強い理由的だ。と、思った。

    自分達が表現可能にした私が、何だか物凄い高さを持って時に映る。

     

    裏では遊んでいるのではない。話を聞くのに黙って必死に付いて行ってる。地球についていってる。

     

     

     

    おしえを考えていたけどちゃうかったんや

     

    (顔みて話さないから主観が強くなる、それはそれでしかないからそれでいいと思う)

     

     

     

    もっと耳で聞いて、取らない

    (取るって何やねん)

     

     

    円滑な思考、

     

    当たり前だと思う人もいるし、

     

    自分は、嫌だけど手を取ってきたことがいかせている。

     

     

     

     

     

    思い違いを踏まえて

    教えてあげる

     

     

    ノッてるときに声かけてくる。

     

     

     

    それ良くないをどう教えてあげれるか。

     

     

     

    内向的だったが、

    明るいペースを取り戻せそう。

     

    自分の守護やスピリチュアルメイトなどもっともっと守って欲しい

    もっともっと心を大きくしたい

     

     

    面倒臭い友達という想像。

    人は大事にします、客観性もあり、

    互いの間隔など調整しましょう。

    それぞれ守りがあり、既に弾きがある。邪魔する力って弱いから意識であんまり臭いものを嗅がないように。自分の心に与えられているものは全て自分にいけて、


    まぁ、その続きなど。

     

     

     

     

     

    ただ言葉の力って大きいと思うばかり。

     

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  • 猛勉強

    仏世界の覚えはどうだろうか?

     

    誰かを思うだとしても、お開きなら、好きな人とずっと喋っていたら良いんじゃないか。そこに試しがあって、豊富になった自分が世界を回す。もともと脳ってそう出来てるんじゃないか。

     

    今までが苦しいかったけど、是と正しさはしっかり覚えている。

     

     

    ハーフハーフのはふはふの覚えで、目をつむっていても自分に関係のあることなら棒にあたるから、几帳面に考え過ぎて苦しんでいる人もいる。

     

     

    数の誉やは、私は考えないけど、花だと思う人もいるし、また違う考え方もある。色んな人がいて世界が回ってる。

     

     

     

    趣味でブログしているから、それを固める意識でいるほうが書き続けやすいし、自分は女性だから。

     

     

    道が見えないことが、平成ではよくあって、その後の今で、ピンと来る言葉が本当に見つかった。道士である。

     

     

    苦しまなあかんかった。とも言える。

     

     

     

    毛先をころころ変えるから、「今」がわからなくなる。

     

    今までの自分が良かったからこうなってて、

    何が始まっても、その時こそ、

    これまでを変えたら

     

     

     

     

    何でもほっておいたら、気が代謝して誰でも良い方に進めることができる。今わかったことが遅いとも思えないが、何か裏で何かしている人が映っても目もくれず、私たちが大切にして来たものをいい加減な人たちに壊される前に。

     

    「~より早く僕が空高く天に投げよう。」という詩を読んで感銘を受けたことがある。

     

     

     

     

    殺生は嫌いだ、人が哀しいと泣かないように守ることは、自分たちに出来ないがもうそれは完璧なことだ。それは裁きとは全く180度異なる表現だ。

     

    私にもやらせて欲しいことがある。写真を撮らしてもらって乗せるくらい。本当に悪いことだから責任感がある。

     

    私はこつこつ自分で欲と自分が思ったことを削いで来た。本当に地道で理屈的だから。

     

    心置きなく、暴れれるように実家に作ってきてもらってるから、顔を見せに帰る時も難がない。

     

     

     

    ご先祖様が、以前

     

    生きてる人の話やろ?死んだら終わり。

     

     

    と全体を応援してくれていた。

     

     

     

     

     


    仏道が日頃の自分の目の前なら、

     

     

     

    心の鎮静会なら、

     

     

    自分の全意識を固めて佇まなければいけない

     

     

    武士が背中にいるから、思ったように猛勉強したら良い

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  • 地元で練り上げられた

     

    ・気流の合い

    ・黄泉的な物と

    ・自分の気質

     

     

     

    観察…自分の運命と気が沿っている

     

     

     

    性質のために拝むことをしていた。初めは写経を書いて神社にお焚きあげしに行った。

     

    仏霊がつく

     

    「このように人を優しく思います。お願いします。」

     

     

     

    自分は女性だから留まることではなく、加減をもつことだから、

     

     

    気分の大事さをしっかりしたい。

     

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  • もう助かった

    心の中に誰かが入って来たら怖い

     

     

     

    間違えて入っちゃった、ごめん

     

    ならわかるしすぐ元に戻ってくれるが

     

     

    そして、誰も「入って来てない」自然なのだ

     

     

     

    条件が心なんかになくて、暗いところに他人が浮かんで来るのを見てかえって何か丸わかることもある

     

     

    しかし、目を閉じて

     

     

    瞑想する

     

     

     

    何かを思った時触ってくる

     

    気も心だし、体も心

     

    心に触って来たら、拒否なら無意味で腹立つパターナリズムがずっとその人に流れる。これも誰が何をやっているのではなく重力関係でそうなってる。

     

    誰のことをいくら何を思っていようが、自分に来ることが来て、漫画じゃないから誰が誰とかとくに知らない。

     

     

     

     

     

    心なんて動けなくてそのままにしている

     

     

     

     

    そんな心に事実なんて映るわけない。

     

     

     

    物凄く怖い。

     

     

    タスケテ

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  • 緊急的にお願いしたい

    人を選ばなくなった時、色んな人を見渡すことが出来る。

     

    精神成長が叶ったとき、人を見渡せるようになる。

     

    精神がどんなものだろうか想像をしていたが、思っていたのと全然違った。

     

    動物が精神そのもの自体だった、頭で考えたら大きすぎて

     

    人をみていて考えたらとうに説明がついていたはずの事が、全くされていないし聞いたこともない。

     

     

    動物園に行って実際触れ合ったら落ち着いたけど、眼を磨けば話すことも出来る。こっちよりは親しんでくれている。

     

    この方法で、精神とのつきあい方を考え直して欲しい。

     

    と言おうとしたが、観察したり話したりしてると精神そのものはわりかし狭いところでもいけるが、

    心が字の通り別のもので、言いたいのは生の心との付き合い方を学んで来て欲しい

     

    心が美しい、とはきっと希望を形容したもので、私は心の良いところと悪いところを張って持っている。優しさでもない、それが形ではないからだ。

    自分以上の高さを目指し過ぎて、自分をほったらかさざるを得ない人も多い。

    優しさを言葉で私に表現して。言葉にしたら、は?ってなる。人と人で心は生まれていたが、もう何でもかんでも感情を更に合体させて含めているのが心だと、私は研究したよ。木が太くなるから。やっぱ自浄作用だと思う。どんどんそのままの自分を自分にたいして流さないと。それをしたのをもう理性と言ってしまって良くないか?

     

     

     

     

     

    ムーで挟まれていたのが動物だそう。

     

     

    いままでの精神概念だと、強くなりたいで止まってしまう。

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  • 二世です

     

    禅師が一世代。二世代の私からすると一世となる。

     

     

     

    自分らもする、したいと言っている流れがある。

     

    良いもんほっちらかしてぱっぱ新しいこと新しいことする。

     

     

    昔もしていた、自分としてじぶんだけが大切に置いておきたい人がいることや、何で全然空気じゃないことを

     

     

    二世代が言葉の冠をつけて成り立っていた。禅が有ると聞いてから数年五年、色々ある中少しだけ整えられて「一世代」の名を知ることが出来た。

     

     

    こうと決めたらこう。夢は有るが生涯二世をする。

     

     

     

     

    私たちは手を出さない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    前に

     

     

    Q&A質問サイトで、エホバの証人二世です。

     

    痴漢した病院の先生が、

     

    と話されていて

     

     

    私は被害を受けてしまったと話す女性の事を読んだ。

     

    目を驚かせたが

     

    回答はこうだった。

     

     

    彼は、蚊に刺されたと表現していて蚊に刺されたようなことで、途方もなく悲しいというこれは決して混同してはならないのです。

     

     

    Q&Aサイトである。

     

     

     

     

     

    「許されている」という言葉を聞いた時、自分は心は笑うことがある。それだけが、緻密な質問だった。

     

     

    人がもの凄く小さい者を見て、「下を見る」ことになった時

     

    地獄とも言うが、色んな花が有ることを初めて見ていた。

     

    妄念雑念が生きているうちにちゃんと自分で削ぎ落としていて初めて、宇宙がバランスを取り出していて綺麗だと思う。本当に思った。

     

    あとは、やるだけや。懐かしい言葉も聞こえた。

     

    いいですか、 全ては許されています。 愉しい。 奥床しいし い思想が、未だ無いからです。 茎を伸ばしておきますね。

     

     

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