揶白 (KF)

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    Works 46
  • 霊視

     

     

    もとからあった霊感が、成長と共に視る事を始め、その研磨がそのまま大きくなった。

    自分は気ままだが、異変異物に気付いたら拝んであげた。神社にも祈った。好きだった霊感を全く忘れ何の理解も全くなく暗かった。同時に精神科にかかり必ず分からないがあとから別々にある事だと知った。最初に幽霊を見たが、練習していると後に「光」が見えた。

     

    幾ら念力であたかも時間が続いてるよと思い込んでも、心には跳ね返って、現実に存在しない。感覚でなにも養えず厳しい理解世界、惑星があなたを照らす。成長してこう思うと当たり前だと考える。(ム)蟲ーが弱いのと、自分が惑星が好きだから。本来の使い方は、安心した時にしか出来ない。霊だから互いが透けている為だ。優しさなどが安心である筈はなく、「あなた」が鍵になる。

    清くなり罰より神を卸すことだと思う。綺麗さと清さが異なり、目を眼、視力、元々自分の成長により「仏眼」に起因する現象だから、目なんて開けていられない。

     

    格高く、霊を見ている。霊視に挑戦している。

     

    霊は見えるが幽霊は見えない。前を大切にする分、出過ぎたものはここには消える。何か知らないが、破ってはならない線からはみ出たとして神仏に相談する。

     

     

    光が起こる場合、抽象的な理解と、事実理解の、この割れない一本でする。

     

     

     

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  • 平和一心

    平和を考えた時、自分は自分の自然体が大事。これは遂げる。

     

     

    (ム)蟲ーがいて、それを後から聞く半(ム)ーがいて、奉献と書かれた石像の下、

    頑張った

    後から、袋閉じのような形で(ム)蟲ーが入ってる。

     

    自分も神のおおもとを得たのだ。「霊格」が人につく、力がつくと言う意味。

     

     

     

     

    このつくが、付くなのに、自己外を表す付着とかぶる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    (ム)蟲ーや、悪いやつのガイコツ音が響いた時、困惑するのは、辛いことを忘れているから。 

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  • 言葉が戻る

    成長は、小さい時の自分からではなく全体性を思った自分から始めているのではないか、と思う時がある。哲学をしなければ答えにならない。こう思うと哲学は、誰かと考える、と言う意味かもしれないと思う。

     

     

    日本には哲学がない、と母に言うと祖が出てきて、ずっとやってたで!と怒っていた。

     

     

     

     

    私は今、神秘的な勉強中。

     

     

     

    良さ悪さを視るを修行している。それだけを叩き込む毎日を影でしていたのは本当。

     

     

    因果因縁を絡めた神を感じても、目は半目に閉じる。

     

     

    憧れの真っ只中、そんな仙人界岩からは、

     

     

     

     

    自分の脳を移動させる、ならともかく、

     

    そいつは、いくら脳をよそに出して、肉欲で遠くからでも遥々見つかっているのを人をよそにまず眺める。

     

     

    脳を粗末にしている。

     

     

     

    そもそもそれを見る修行が、技術を名乗る為に最もふさわしい形。とは、私は知らない。その様子を見た人が、合わなければ、知識として小さく置いておく。これは、私はわかる。

     

     

    粗末にしている、日本語。

    crude、英語。

     

     

    粗末、だけでは対象に

    届かないが、英語ではこんなに小さく

    している、という動詞が一つになっている。

     

     

     

     

    脳を粗末にしているやつ、

     

     

    こういったやつを上から映す宿りの私で、何かの霊感で映ることがあり、私をそいつと思っても、感じが合わず、時空が先に違ってすぐに剥離するから私は平然と上手くいっている、と感じる。修正力が地球にあり、映らないと思うが、私は精神上すこぶる健やかで、すぐに悪いことや老廃ものなどは失せている。感情の消化力が猛烈に高く、暗所でオタク活動をする事が趣味、そこから出た覚えは寧ろ一度もなく、趣味は人には言えないでいる。

     

    昨日、オオクニが映した私は、良い私。願う。

     

     

    付着するもの、肉体の重さに浮き上がるもの、波長が合わないのだ。わかっているのに混同させ、私をそいつと同一視する目は決まって力がないから何を以っても言うことがない。次元上すぐに剥離するからだ。悪いことを肯定する人は弱いからだ。まして精神上という。

     

     

     

     

    同じ人で、同じ重さの時は噛み合うだろうけど、精神などに肉体から襲いかかってるようなやつがいくら何を持っててものを投げても次の瞬間無効化されるのが普通で、聞きの良い人が絡まっても形状は直るから心配ない。老廃は、身体の代謝を高めたり、悪いと思うことを何とか諦めたりしないと自分自身に溜まるから、沈んで行くから放っておくのだ。そう生きる真っ当な努力の中、何か力が集まって、事故や騒動の原因に辿りつくまでが遅かった。「過信」と神は言っていた。

     

     

    悪いと察知するそいつたちの行く道、いつも良いと感じる私の道、は違う。浮くことを雲の様に自意識的に感じれるような余裕のある人はいて、余裕という間を挟んだ感覚は「心境」だろう。浮かべずしつこい悪霊がいても時間なんて合わさってない事がわかる。地球にすらいないかもしれないやつの言うことを、観察という取り組みもせず感覚的にわけもわからず聞くから、おじけていると私は捕らえる。

     

     

     

     

    良いことをしても神に出会わなければいけない。それを起こすような愛情が地柄的になく、それを愛していて、騒動もあった。どんな向上心を与えてもやる気のなかった人を遥かから感じ取り、しかも想像が出来たのだ。それはわりと自分が一緒に考えたかった人々と同時に思えるのである。

     

    気になるのは、理解してて精神上であれこれ心配するなら、意識を戻し、他人の強さに文句を言っているより帰って自分の精神を特訓するのが、いつもしていたじゃないか。離れても信じれる他人が安心する変わらない自分。この切り替えしと繰り返しはいつもしていたのだ。光は、人が祈る限り神の都合でくるくる回る。任せよう。

     

     

    いつもそうではなくその時だけで、あとは綺麗に忘れて生活をしている。

     

     

     

    それが早いように自然に触れていることが良く、高ぶると自分でないから執着が沸く、しかし、

    高ぶるがしっかりと目的に帰結するから空が見える。高ぶるが、その人の物でしかも自覚している私は、善が上にちゃんとある。

     

     

    逃げ合うかもしれない所を執着という言葉に纏めた高僧に感謝。

     

     

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  • あれとこれとを下手でも分けている

    精神上の仕事を大きく整理する。

     

     

     

    ツータイプ

    ①別れる別れないじゃない

    ②離れてるから離す

     

     

    山吹色と青色くらい形に差のあるこれらだけを毎日考えている。あんまり見えることではないが、霊視出来ないと。

     

     

     

     

     

    ほか、くろいものは仏に渡す。

     

     

     

    この行いの前提としてまず祈り、怯えても神に目を合わせつつ空に勢いよく投げても人間には想像出来ないが必死に取りに行かれていると思う。辛抱して悪いことを諦める過程で、神仏に謝るとその絵に奥行が見える。「謝」は何か。感謝も、神的にはただ感じる心と言って、何もしない為に必要な、人間の時間だ。

     

    この時間に、削ぎ落とす、もっとと言って増やすおばん、くっ付ける、そんなものを止めるやつがいなかったと、怒っていた。

     

     

     

     

    醜美もあらへん。感じる時間が、気持ち悪い無駄な時間に潰れて行く。地球っぽくない、まして自然観を前提にする「何か」を目指す事とは変わり違い過ぎる。

     

    人は当然何かしたいが、それなりに我慢して光を得ている。人体があっても脳のみで完成するなら仕方がないはない。テストもあらへん。目にこそ付くことはないが両極端なおばんは精神的に肉欲しく自分の夢を得ないからそいつの希望は省かれている。夢が「絶望」とそいつが言っても、そう気取りある生のものではなく、絶望する自分、これが希望だからだ。鏡を離す自分なんて想像は皆目見当がつかないだろう。人類でも初めて説明した。

     

    脳のみで完成する、いつかそうしたい、素敵だ、そう精神的な理想を得る人とも違う。

     

     

     

    鏡から自分が解脱するのに何年もかかるから、私は付着せずに解脱をして宿る。一段階上だ。付着している人とは高レベやむずかしいものから始めるし、多いものと聞いただけで剥離する。余裕がある。

     

    知らないひとを怒らないし、知らないひとにつく嘘もない。これが愛情の川である!

     

     

     

     

    正気に戻った時、人生をこれだけで明かせることが、数えるといくらでもある。数えることで目に見えてそのまま見渡すと「本腰」になる。普通は執着も忘れる。おはようの時間は人それぞれ。たとえ必要な明示が止められ遅れても、そこに神は必ずいる。

     

     

     

    いくら思い込みをしていても、神的には弱い肉欲に思いを見るような目はないからだ。時空、つまり肉体が重なること、精神が重なること、は現に起こらない。私は、現は手に霊が映ることをやって行きたい。

     

     

     

     

     

     

     

    何の辛みもなく、手足も動かすことなく脳などでひたすら自分が優しくしたいは自惚れの他なく、私とは立ち位置が全く異なって理由的に優しくする人とは関係性は今後も生じず、

     

    まず、自他を間違えるようなやつは二十からは見ない。

     

     

    そいつに優しくされても今まで何の良い影響もなく、

     

     

     

    (ム)蟲ーの引いた線をケチに自分のものと思って使うやつも、(ム)蟲ー側が長い為に心ははっきり距離が生じ、地球にいても出会うことはない。

     

     

    そもそもそいつは私を見る力が途方にないのでは。神なんてもっと無理。

     

     

    そいつの引っ張ってる私自身が、そんな犯罪をはっきりしたことも、二十から自他を間違えたこともないからだ。

     

     

     

    そいつは、(ム)蟲ーのしたことを私のせいにするが、責任っぽく言うけどお前が肉体的にそう思う限り肉体的な(ム)蟲ーとはそいつのもので、責任とはそんな単純なことから離脱した精神上の言葉だ。更に、私に出会ったこともよしもないそいつの(ム)蟲ーが粘着質だ。悪い意味での。私は見分けない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 成人している人間がそれが嫌と言っていることを深く考えられへん

    受け取ったことばから押し込められるのではなく、自分で砕く。目についた単語を自分で砕くと、錬金して違う石になる。目につくハンマー、辞書や書籍。重いやつ、軽いやつ。

     

     

     

    知らないのに深く考えられへん、

     

     

    悪いことはやめて

     

     

    一銭かなると思ったやろ、それはそいつの回る所がもうデッドで。そいつが回ってる直下には気の良い方を力強く隠している。生死を伴う大々的宇宙の実感をしている中で、平々な顔でそいつを使おうなんてしたら、古くもない過去からずっとそうしてきたそいつの地球歴や宇宙間的本当のカス如く姿、これを見ると、

     

    過去に渦巻く殺された人間、良い人とはあなたから離れる。先もあるのに。努力は長い。なんの生きているや住まいその前提を見失い、人間を故意に慣らせる様な悪質な事が、過去あったとして、二回目として言ったら除外やねん。それは、裏でも表でも言い負かして通じる事のないから、現れる。強い者が現れ、現れた者の上により強い神がいて周りを睨む。触らない、とは現に納得している自分、現物として納得している自分までで、急いで目を下にやったり、瞼を閉じなければならない。「誰かわからない。」親しんでいないから誰かわからない。

     

     

    じゃあ、そこからこういう風に考えよう、そう思って前を向いて忘れるが、

     

     

    辛いと思っでそうしたのは誰?

     

    そういうあんたは存在することに自信があらなあかん。あんたという人がそいつと一緒に辛んだらフコウやねん。自信は

    ムネを張ることじゃない。

     

     

    「わたし」は、過去からずっとその世界の勉強やねん。想像する自分に近づく。そうしていると世界の輪郭を感じとる。そして見渡せる。

     

     

     

     

    正義とか善を考えると、ステップを踏んだから、

     

     

    単純にその勉強になるのが、

     

     

    一直線に視える。

     

     

     

     

    何も置いていけない自分が、その心が固まってないのに何も話せない。小さい子たちが成長するのは「わたし」に増して悩むことをするようになる、こどもたちが成長するのではなくあなたになる、わたしになる。私の時点で成長など考えなかったひとは「こどもたち」は早い。だから、自分のリズムを信用したい。もっと良い絵や光景を思い浮かべている。見えてるか見えてないか覚束ない自分の周りで全ての話を終了する気か。

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  • 自信の前後が全然わからない

    これは、成長度だ!

     

     

     

     

    石を題に縦積みのタワー式と、分別形。どうしてこのような違いかたをするのか、最もな考えを不思議に沿わせる為に。そう思うのは、実際に目で古墳を見て感じ取った私の心、人と心が一致するからだ。

    私の分別能力に、バーバパパの分別力が間に合うか、こう先で光が見えるが今はよしにして一度閉じ、ひょんな光、楽しい未来に渡し続ける。

    「自分」は情熱を燃やし、肉から油をきった時に、新しい光がまた溢れ落ちるのだろう。

     

    並べてみて、二つ並べてみたところで世界の秘密はわからない。わからないと知った。

     

     

     

    外的内的の、主観「村人(ムラキャ)」を自分で打ち抽出した。その輪郭となるのは華。客観的なを継ぐ客体の事だ。村に華からしても、決して現れることもないと思っっていた主。知らなかった主観の言葉は、まだ。

     

     

     

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  • 歳が有れば

     

     

    歳が「有れ」ば、自分がどれくらいの貯金があって、これだけはと抱えることが出来る。だから、どれくらい払えるかがわかる。そして、

     

     

    男女も二つに髪を結った麻の着る美しい、裸足で森でも街(もり)でも駆け巡る菩薩が、私たちを見守ってくれている。

     

    大きな石を、賢さで動かす光は、天女なら何故「私の答え」が天女なのだろう?と考える。天女と天神を測る静かな天秤の前。

     

    傾きは、なにで直るのだろう?

     

     

    人は、祖を見て、人は「このレベル」がこんなに低いを知って嬉しかった。と、言った。不安でたまらずほんとにほんとに安心したから。

     

     

    本当に歳はなく、心の広さを知るのは、歳が私の順序になる。前者はのっぺりした数だが、もう少し美しさがある。向こうが霊格で、こちらが肉体では重さが吊り合わない。「繋がりが無い」ということになる。

     

     

     

     

    (ム)蟲ー、このニュアンスは最初に高い、嬉しい霊界で言うと、

     

    ・重くてすすめない

     

     

    決して地蔵通りでもたのしい。その知識だけをわくのように取り、中身も内容も生じない。そのヒトは知識を待っていない。本人は、知識と理解したのではなく、悪いことをしたから急いで自分から逃げる中の取っ掛かりを覚えている。何事にも定着しない、その目の座った様子は、他周りの人間の優しさがロールケーキか切り株に見える。よく見えないが、(ム)蟲ーは不安そうにほっとしている。

     

    久しぶりに街から持ち帰った(ム)蟲ーのショットを話そう。

     

    ①食事店。店員「いらっしゃいませ。」蟲「タバコ吸いに来たんですけど。」

     

    ②下品な言葉で女性をからかう僧ムー。拝む。

     

    ③DJムー(レゲエ)

    MC「みんなの愛してるもの、全部俺によこしてくれたら大丈夫やからぁぁー!!Whoooooo!!!」

     

     

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  • 宇宙の川

     

     

    祖神大和の王卑弥呼が伝える為に、人が「自分」をどうしても聞く為に、

     

    一度、私を巫女と言い、語りの亀裂のあったその土地の道を繋ぐ。厳かな顔でこちらにどっしりと座り掛ける祖霊を見た時、それを退かせる私の力を見るのだ。任せることの信用と試し。私は、そういった神社の心ならつづら打ち。巫女とは元のプライドが随分違い、もう太鼓はぼろぼろであった。

     

    缶で出来た、小花が散りばめられた金色のもやの茶入れの柄には闇から来る風のかまいたちが描かれる。心に差し込むかなしみが蓮葉のような形を作り、そこに金色という映えた色が目に映る。乏しい緑の川から自分は溢れこぼれ、道頓堀の堀に流され浮かぶ。死体の様な私自身が、茶入れを包む茶巾となり、悲鳴はまた桃や白の小花になり中で氷っている。

     

     

     

    巫女がいる、歌い手がいる。つづら打ち、「物事の正解が隣だった」と説く。

     

     

    私は温故知新を感じ入ってその素晴らしい景色を真心に描く。霞むくらいの大海、目に映る先には自己がいる。光から、離れられないのだ。

     

     

     

     

     

    様々な前司を述べられ、光が心を通る中。鬼島に残る迎え船の行く理由を知った。「俊寛」の演目がその月に松竹座にあった。

     

     

    行為とは、自分に起こっている心の活動であり、

     

    起こす本人たちが、自分さえ感じ取れないものとして行動をするがそこに他者が映ったためしはない。それは古いやつでもなく、自分はこうしたのだと光りながらきっと消える。「影」に宙という概念ががあれば、恒河沙阿僧祇があり、良さも悪さもその中を登る。私はそれを見てそのヒトに人間じゃない仏が待つ。人の重い命について考える。何故なら、生じる時だけはひとりなのだから。死は必ず誰がいるその場所について語るのは今いる私ではなくもう死んだ人や神なのだ。

     

     

    卑弥呼が伝える為に、人が「自分」をどうしても聞く為に、

     

    一度、私を巫女と言い、語りの亀裂のあったその土地の道を繋ぐ。厳かな顔でこちらにどっしりと座り掛ける霊を見た時、それを退かせる私の力を見るのだ。任せることの信用と試し。私は、そういった神社の心ならつづら打ち。巫女とは元のプライドが随分違い、もう太鼓はぼろぼろであった。

     

    缶で出来た、小花が散りばめられた金色のもやの茶入れの柄には闇から来る風のかまいたちが描かれる。心に差し込むかなしみが蓮葉のような形を作り、そこに金色という映えた色が目に映る。乏しい緑の川から自分は溢れこぼれ、道頓堀の堀に流され浮かぶ。死体の様な私自身が、茶入れを包む茶巾となり、悲鳴はまた桃や白の小花になり中で氷っている。

     

     

     

    巫女がいる、歌い手がいる。つづら打ち、「物事の正解が隣だった」と説く。

     

     

    私は温故知新を感じ入ってその素晴らしい景色を真心に描く。霞むくらいの大海、目に映る先には自己がいる。光から、離れられないのだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

    行為とは、自分に起こっている心の活動であり、

     

    起こす本人たちが、自分さえ感じ取れないものとして行動をするがそこに他者が映ったためしはない。それは古いやつでもなく、自分はこうしたのだと光りながらきっと消える。「影」に宙という概念ががあれば、恒河沙阿僧祇があり、良さも悪さもその中を登る。私はそれを見てそのヒトに人間じゃない仏が待つ。人の重い命について考える。何故なら、生じる時だけはひとりなのだから。死は必ず誰がいるその場所について語るのは今いる私ではなくもう死んだ人や神なのだ。

     

     

     

     

     

     

    これはさっきの茶入の色違い。もっとラクに捉えて、人が笑えることを許せる人になって欲しい。

     

     

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  • 安全、自分を見返る

    誰かに見られてる、と思ったら大違い。この場合、「誰か」ではなく、「何か」である。だから、「何?」である。法華経で「所以者何…誰かではなく、何か異なるもの。おまけで「者」と言ってあげる。」と書いてある。

     

     

     

     

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  • 脚立から落ちて灯篭が倒れて来た話

    枝を伐る時、

    脚立に乗っていて3メートルから落ちた。灯篭の方に引き寄せられ、

    灯篭がまさか落ちてきて、腕で払った。へし折れた脚立が倒れてきて灯篭が同じ方向に倒れるから、その下にいた。灯篭と脚立が同じ方向に倒れる。脚立にはチェーンがついていて開かないようになっている。脚立が倒れてへし折れ、灯篭が落ちてきた。地面に落ちたらジャンプして助かる。

     

    灯篭を腕で払って助かった。それを家の人が見ていたから、頭も落ちたら危ないって言われたから、病院につれてもらって捻挫で済んだ。

     

     

     

    灯篭

     

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