揶白 (KF)

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  • 歌舞伎絵

    2022/09/20

    心到滅却

    この、どんだけ着るんだろう感。これが大切だと思う。

     

     

     

    貧乏人のヒーロー

     

     

    座布団が翼にもう成っているのだ。これを構えるのだ。

     

    この美し方。観音と手十分。

     

     

    色合わせではなさそうなのだから、むしろこんな風な何でもかんでも見つめて前を見る大人になって欲しい。

     

    私はこんなお洒落を普段している。中に赤をあっさり来て紳士と遭遇する。コロナ禍でも服は迷って着ている。

     

     

     

     

     

     

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  • 彩色

    2022/09/20

    心到滅却

    闇のバランスの取り方が難しかったんだと思う。

     

    ムーで知能が遅滞したし、そこで出来た細い道は人が発展させたし。

     

     

     

    闇を光だと言ったらたちまちムーの顔に。

     

     

    闇は闇であるが、黄色い月とか、湖のほとりとか、ゴジラとか、毒になってしまった僕とか、優しさの方である。

     

    昼型の人より高彩色なのは何でだろう?兄とフランス人に聞いている。

     

    黒でも、ピーチブラックやランプブラックがある。無色を表すのは、桃の実を焼いて作るつまり生活に身を溶かして行く人の魅力のことだか、有色である事が自分には「無」と説く人も多く、正道を何度も確かめながら言葉を集めている。燕の巣作りに似ている。丁度もともと気のよい燕が春を感じているみたいだ。無欲だ無欲だと言って、巣を払うような悲しみのないように。僧ブラックの人も、悪い自分が想像出来ないと子供を正しめるなんで出来ないでと言っていた。

     

    伯父とかお年寄りは、はっきり言って表情が有る、感情が多い。愛しい気持ちと怒りがすっぽり手の平に入ってるらしい。こちらは巻かれるのが仕事となっている。

     

     

     

    兄が最近蛍光色を軽く持っているが、あれは明度が高い、と言う。仕組みなんて聞いたらあっさり教えて貰えるだろう。持つものが少なかった年数だとか。

    アッテル思考は羨ましいけど、真似をしたら自分は何ににもなれなくなるから。結果、よくわからないものを何となく積んでいてごちゃごちゃしてるが、これが要って、掃除機的なアイテムやフルモダンな家が却って要らなかった。

     

    こんな動画がある。https://youtube.com/shorts/U1kB8wfmt5c?feature=share

     

     

     

    怖ろしいおじいちゃんとキリスト教の若者の姿だが、自分が観ている演目のタイトルが「極東」と娘と韻を交わしていた。

     

     

    キャンパスでしかも油絵でいっぺん描いてみ、とすっぱく言っている。あれが上手いとか判るのだ。大地を千年続けTシャツを着ているアッテルの色彩感覚は、シャガールやマチス、パリコレを見ても分かるように手が届かないのだ。しかし、同じ時代に生まれてお揃いのようにTシャツが現に着れている。オーバーサイズで十分「こんにちは」を言えているから気に入ってる。そもそも着物は、昔は花魁でもないのにこんな風に街では鼻血が出るくらいの色めきがあった。https://www.google.com/search?q=%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E7%B5%B5&client=ms-android-zte&sxsrf=ALiCzsaQcjH7S68wwCSOoI3gHlUoEobWpA:1663682378234&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjsubHpw6P6AhXMGaYKHUAqBR0Q_AUoAXoECAIQAw&biw=1121&bih=2002&dpr=3#imgrc=3a-aLm6ql-G_yMそんなものはくだらない、と戦後は蔵に消したという美徳だけが要ったらしい。騒がせてすまぬ、らしい。

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  • 天の養い

    2022/09/20

    心到滅却

     

     

     

     

    前回の日記とは丸切り関係はないが、陶器の柄を見て繋がって行った話を発表したい。

    格調には気品があり、この言葉はともかく「格」の話になってくるとこれはもともとあなたの頭の上にある仏界の話なので、理解や集収は出来ないこととなっている。

     

     

     

    物事の理解は、

    「何となくわかる。」何となく、このぼんやりしている時間が大切でこのまま頑張って行くのである。

     

     

     

    十八代目中村勘三郎さんのお皿、これが欲しい。花だと思い、エを思うと歌舞伎の精(お皿の主という)にバウンドされてここに持って上がる。

     

     

     

     

    青花。

     

     

     

     

     

     

    青を青のままこれだけ書ききってる。と、思うと凄い。

    句がある、と先程の歌舞伎の精が言ってた。見物している。

     

     

     

     

     

    青花の、これまた繊細なものです。私の強さとは違います。

     

     

     

    そもそも今から「私たち」の話をしますが、釈迦ではなくどこかに格が降りていて陶器を教養として見つめることが困難です。

    この狭い中に汲々に押し込める桜をは可笑しさと彩色的な希望があります。毒にしかなっていないのは、ぼーっと口を開けて生きてるか単に力量がありません。

     

     

     

    私は目を悪くせず深い青を見つめます。

     

     

    私はこれが一番好きです。

     

     

     

     

    こうされたことを覚えてるけど、ぼんやり月の様に思い、気持ちが宥められるのです。

     

     

    ですからこれくらいを取り、取ったら取ったのこの風情を心の楽しみにして居ます。この色からそんな心が光って来てうっとりさせます。

     

     

     

     

     

    これらを全部括って

    親父の心をも咲かせておる詩的おじいちゃんが私たちにはいます。

     

     

     

     

     

    道頓堀の様に見え、あれを湖と説きます。貧しいのです。

     

     

     

     

    ほんならこうで良い、と「はは」は云います。

     

     

     

     

     

    それに続いた迷う歪みを描かれます。

     

     

     

     

     

    これらのお話でした。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    おじいちゃんしかこう持つ事は出来ません。

     

     

     

     

     

     

    「わい」らは覚えます。

     

     

     

     

     

     

    桃のこんな日でした。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 長期に渡るミステリーツアー

    2022/09/20

    心到滅却

    彼が、大國主を殺していたとして、

     

     

     

    一角が、

     

    隠れるところを目掛けて

     

     

    勘違いして生まれて来てる

     

    から、ここに来るのが偶然じゃない。中国人が、「中国人〜」というような人も中にいる。到達していないのに、到達しています顔を平気で崩さない。

     

     

    自分たちが名乗ることはない

    (地平で単に仲良くしたくないと思ったから)

     

    詩的言葉として、中学でも三年馬鹿にされ、高校でも三年馬鹿にされ、大学でも三年馬鹿にされた。

     

    「馬鹿にされる」はっきり言葉になった。

     

    (高いもの盗りすぎて)

    気がつっぱって

     

    すっぱい汗(見た感じ)のやつら。

     

     

     

     

     

    こういった古い日本の陶器の欠片である。顔を見たら漫画でしか見たことのない驚きのブスだった。ムーよりコミカルだった。これは、何とも戦術の光だった仁徳はんの作った不思議なラビリンスである。

     

    (ムーは最初から自分を昔の偉い人だとしんじたまま仏の顔でもなんでも良さそうなものを精神力のなさ故に無意識的に力の限り盗んで来るので社会ではトントン拍子があり逃亡を達成したらそこから自惚れのほうが美味しくて精神力がない故に一度の反省もしないまま必ず帰らないから衰老するまで一見誰にもわからない。)

     

     

    一方、ある辺はヒーロー気質な人がある。話すだけで「私の毒」を抜くテントウ虫である。

     

     

    テントウ虫は、他人のあらゆるものを取らず、赤くなって慎ましくしている。秋祭りがあるのでそっちに息をせいている。

     

     

     

    そいつは、ムーより上くらい。前には邪魔があり、八方とは時間のことである。それを消して考えないから「無」という在るが表される。無がなにか高貴なものだと話して来た上で人が一度無格なら、マイナスの話を加えると世の中の闇である「人間失格」が明らかになる。このラインだけを説明すると、言葉の尻をはしょって社会生活をし、行き先が上下運動しか残っていない。「(優しい、面白い、高い)ウケる、自惚れれる」の2点張りがひたすら続く。定型文とした優しい、面白い、高い、に及ぶ肝心な思考が本人たちをよく見たら綺麗にない。自分だと思ってる間、それを食べたとこの道順、覚えた味を懸命に定型にしてあとは探すだけだ。

     

    ウケると自惚れれる、大人になってこんな二点張りの無成長な人を、私は受け入れない。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 悪い人の向こう

    2022/09/14

    心到滅却

     

    悪い人の向こうに行き

     

    自分をリセットしに行く。

     

     

     

     

    自分を優しいと思ってる

     

    優しいと思ったまま進んで来る

     

    「は?」とかで返される

     

    奈良都(と)である

     

    この町でわかるのは

     

    人には色んなことがある

     

    ほっといてもらえる

     

    優しい自分じゃなくて良い

     

    優しくなくていいなんの比較しない

     

    自然体な心から

     

    精神の健康が出来る

     

     

    ただ大きくなると考えている中で

     

    現代があって、高度な精神力がいると

     

    分かる気と分かって貰いたい気で言葉が生まれた

     

     

     

     

    黒と言う色は全ての色を含めた色である。使うのが難しい。

    理解で治めようとせず少し相手にし、話をすることで自己を伸ばす。

     

     

    良い人っぽくても、シークレットブーツが浮いて来る。

    この様子をふたりで見る。

     

     

    ステゴなら

     

    守る責任がないから、暗い過去など守っていく私らである。

     

    「私が私であるために、栄誉は欲しいの〜」

     

    間違ってたり、合ってたり、間違ってたり、合ったり、間違ってたり、合うたり。

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  • ゲームという想像力

    2022/09/13

    心到滅却

    ゲームである私と、

     

    名付けのある自分と、生活して暮らしている自分とを客観的に見比べる事が出来たら、大抵の言葉に耐える事が出来る。

     

     

    このゲームは、3Dとなっています。一面、二面、三面、、ひたすら地上に続いてキャラクターに触る事は出来ます。地平線を望む限りクリア可能で、私もプレイヤーだと言うことをお忘れなく。

     

    あなたが自ら進んで行く中での変わる視野こそに菩薩がありますが、信じてもらわないと、信じるってもっと心の内の話だから切実であり、自分以外の理解は自然と削がれて行きますから、何を思っていても信じてね。

     

     

     

     

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  • 新しい毎日

    2022/09/13

    心到滅却

    悲しみの奥に人が見えた。それは自分だ、もう一人の自分と思い、コロナ禍で会えぬ今のここから、砕きようが始まる。

     

     

    すかさずメモる。こんなごたごたの中で君と自分が何を残したいかを、心の中を整頓する。

    そんでも、なるだけ忠実に意思や自分を世界で描こうとする抵抗力は自分を認める手になるからだ。何を残したいか考えると言った時に「意見」が、ハリモグラから生まれる。

     

     

     

    メモ

     

    「溺れてみたいな

     

     

    好き、だということ。

    ある日を慎ましくする為

     

    生活と宇宙のはざまでそれがどちらもある心、だということ

     

    やりきれない今は、ふと思い出す自分だということ

     

    多面性を見る自分は、これを自我と言い、(あなたは、私は)哲学者である

     

    この軽く言って解釈は、自分以上になりたい!とする中で抑制作用となる。ある筈のない客観性と戯れる迷妄から空気を吐く。気を逸らす。

     

    消化しきれない自分が、この自分自身がこの世に生きているという印、あなたの不在という「存在」を表す言葉として、会う希望がある心を鎮静する」

     

    私のスピードの仕組みとは、

     

    メモる中で、嘘をスクラッチして誠を磨くのである。

     

    知るを人が来るまで留まってても良い人と、めちゃくちゃ知りたい人とがいる。おなごは、気を逸らすことの構造などを客観視を考える。

     

     

     

    大事なのは、ディスタンスを埋める為に、君に向かう為に整える時間を取り、夢見る君から逸し間逃れている。特にこの愛慾に欠けた泥の中で、足でを付けるのは孤独だと言うこと。

     

     

     

     

     

    ムーの悲しみを忘れる人の態度は正しかった

     

    解釈も上手くなったけど、生身である自分を思い出す

     

    許せない苦しさにシフト(許すことがないから上に行く人もいる、許せないと思う気持ちは非常に苦しいが、この正気が大事である。)

     

    ムーがいる、もう一人じゃないんだから「ちゃんと怒る」。その先で、この怒りが、ムーがかゆみとなるのを単に気持ち良いと理解出来る。

     

    人は人に憤るべきだ。得体の知れない奴。普通に社会に見守られて生きている中で何か悪いことして、アリバイにたいして必死に

     

    もとから仏の顔など盗んで生まれている。天に自由さがある、と見る人々。

     

    模倣して学習しようとする人のそれをムー視点でパクリだと理解してしまった

     

     

    悲しいと思うことは事実だった、もっと自分にとって響きある「カナシミ」は、他にあるし、今の人が輝いて見えるのは日常の中で勉学をし、融通を思い、その可笑しさ笑いを知り、日常の中で教養をはかり、確かに磨いて来た花であり、これらの痕跡が花として身になっている。ムーが関連しない。

     

    ムーがいなくなっても、億年先の未来にムーってこんなんだとは伝わると思う。

     

     

    何も手探りであるが、ただの良くない犯罪者が、「ムー(Mu)」という言葉として苦しみとして含める事が初めてなのだ、

     

    そういうふうでないよ、世界は悪くないよ、と言う神もムーで霧になり、一般的に人が歪んで伝えにくくなった。鳳凰に切り替わる前の龍の時代である。

     

     

    創造することに持つ「無」と関係があるのでは、と言われているが、全く非関連である。関係は、人が内容的にムーを観察する時、当然一緒くたにムーも人として扱われる。それ意外の理由はない。ただ人々が「これは、良い!」と思う所に勘だけでいるそうだ。何か悪いことをして頑張って隠そうとした事はないだろうか?ムーには啓蒙がない。向上心を持って吸い上げることとは動機がかなり違う。これが、見過ごすわけである。

    何か必死とかでもなくなんの平気で人を押しどけるムーは、確かに生身の人だと確認してる。

     

    ムーとは、「そういう人」という意味で個人個人とある。

     

     

     

     

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  • 次に手渡す

    2022/09/12

    心到滅却

    嗚呼、勝手に、この文章たちを売ってくれたら。勝手でも良いし、気になるならメールへ。

     

    勿論自分でも冊子にしたり製本にしたりして置けるところがあれば良いと思うが、置けるスペースが意外と街にない。

     

    秘密を抱えていく言葉になってるし、

     

    ストーリーのアメリカ的思想が、人を救い、救った本人に「自分」が残って、先もあったらしんどい。幸せにたいして大きい。秘密を抱えていくには色んな言葉がいる。

     

     

    自分にたいして次世代があり、「前」が存在する。次世代にも次世代があることを知ったら、変わらない自分の必要を感じた。お子様、というのではなく、デパートなどではそう感じたら良いが、人として立ち向かいたい。そして、夢とかそういう価値観もないのに自分以上に価値高くなって数字も塵芥になり白っぽくなる人がいる。それを「トシヨリ」と言う。歳を重ねていれないから。思うのだが、古来から持つナンバー文化より、黒人の人は関係者を探すよりも当人、また当人が、価値観があるかないかを見るだけで相応しいと思う。

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  • 地球ワープ説と、別件て火星隔離

    2022/09/12

    心到滅却

    自身の思念が現実だと他人に押さえつける限りは、

     

    理論の前に精神があって、理論が、その人の精神力に尽くすから、地球がワープしたとして「人と人が別れたこと」が有るかは、「私」の中に存在している。こんな優しい世界で虐げられる人とは?とうに火星人とか地球外生命と呼ばれ、私達が星を見て砂ばかりで貧しいと思う「面」に位置して、惑星である火星の美しさとは関係がない。悪いことの美徳、卑しいことの美しさ、そういった価値観もないのに価値をちょっと取って上っ面をする。こういうのを初めて、盗みと言う。

     

    ギリシャ人はローマに美術を奪われたけど、「略奪」には得も言われないいやらしさがある。「盗む」は次の皿と書いて感謝のないやつ、意識のないやつ、と書く。何と品性のある方がそういう人を気遣ってそわそわしていて、こういった美しさから、同じ美の位置から物を言う間抜けさが「信用度が上がる」それを理由にたった100年前から祭りを始めている。何かを祝う為にしているまつりとしては、東大全共闘が50年前で、平安時代が1000年前、100年前なんて歴史にしては浅すぎる。「祭りを始める」には姿勢や意志も、位も違う。散々、隣の堺市を荒らしている。のに、こっちには今でも「よろしくね。」とCMしている。この人たちは、前世でも大阪城の書庫を外から勝手に来て焼いている。昔の偉い人だ、と自分たちのことを考えている。

     

     

     

    以前、ムーを観察していた図があるが、役に立つかもしれない。こういった人を「盗み」と言う。

     

    こうして自分を癒やしていた。最近の「脅し」では、ナカミを偉そうに希望するらしい。人間の中身のことだ。

    そして、ナカミ故に痛みを敢えて要求する。俺はどうせ大丈夫だ天人だと言う為の免罪符になる。血塗れとか、文化ばかりを空っぽに取ってくる。

    「おいら、知らないね」と、とこかの気っ風を背負ったふりをしてそれが個人なのに、個人じゃないと言い張って来る。優しくしたら最後まで、の言葉のこと。

     

    神殺しの祭りとして、興しを思ってるそうでおじいちゃんが興奮している。

     

     

    男のもう一つの顔

    2022/01/08

     

    日記・ブログ

     

     

     

     これは「客観的な電球」と云って、下の斜線、スキャナーを持って居る。

     

     

     

     

     

     

     

    気に入った女を、スキャン(好きやん)する

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    スキャナーから幽体を伸ばす

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分をすっぽり包む、世の中の恐れがなくなる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    可愛いキーホルダーを付けて完成

     

     

     

     

     

    バンダイたまごっちに「似ている」。

     

    こういったものを知っていないだろうか?

    私は、小学生の時に「選ぶ柄がカッコイイ」として知っている事を知っている。またもやアッテルをお懐かしく思う。

     

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  • 釈迦の値

    2022/09/12

    心到滅却

     

    苦しい時代だと、パズルゲームぷよぷよをしていて気付いた。

     

     

    仏陀は、

     

    喝、と言って気合い、頑張れよと言ってもらえた届かせた、これに感謝、躾、社会や家族でも社会の中、これはあかん、駄目とかこうだからこうある、とか言って来たんが仏陀。日本古来から。

     

     

     

    戦国、今と同じように頭がよくて考えていて、世界があるとか世界が丸いとか知っててこのままでは崩れるとわかって、戦わなくてはいけなかった人、

     

     

    その中で、武将も武士も自分のことは良いからって、豊臣も徳川も皆で戦って結局徳川が江戸幕府を開いて平和を300年続けた。織田もその中で十分無になり花を考えた人。全てが許されている、「許し」として故に物語は、自分以上の客観視を持たない生命が許され「大神」だ、という詩もある。

     

    だから、死にに行くっていう兜が皆あんな美しくしてて、戦国は、ただ城を立てる為に戦った時代じゃない

     

     

    江戸時代は、俺らにもそうゆうのはわかるけど何か虚しい。天上天下っていって、母も、父にも感謝して偉そうにするぞっていうのが釈迦、価値観の始まり。

    心だけで自分が偉いとわかるんじゃなくて理性、理解でわかってる。釈迦を何となくわかるっていうのが菩薩様。

     

    あんた、お釈迦さまだナ、お釈迦さま。と言って、自分の方が釈迦だとこういう古い気まずさによく長けている。位を、太秦っていう。自分では、能の翁や金色。

     

     

    文化が地続きじゃないから、ニヒリズムを受け入れる上で美しい何かを立てると高度なものはわからない孤立したものだから、ただ綺麗な心と繋がる為に立場が弱くても良いから戦士としては頑張りたい。

     

     

    自分にとって前に押し出す文化、国が必ず他にある。

    文化的にフランスでも、ロシアでも、偉い人はいて、

     

     

    風紀がムーいても良かれであり、モラルを守る。その自分が目くらましという

     

    この客観性のもとに。

     

    生身としてずっとやってきたイギリス、肉体の高さ。何をするでもない。

     

     

     

    今思うと、江戸時代は貧しく人間関係も古代のイメージよりも仏教だから今みたいに映えず、自力で生きることが多かった。これを考えると、父母への感謝を、平和的にするけれども本当に考えてみると憎しみが多いことを知り、それを解決するには過ごす以上の長い時間と、精神もいる。

     

    聖としているアメリカ人は、バチがあたるよりも責任があるので話を砕いている。

     

     

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