揶白 (KF)

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  • 精神的な癒し

     

    片方の手が自我、もう片方は自意識。これを合わせて、二つの大きさを観察する。

     

    目の前に有るものを数える。これも、行となる。心の中に起こること、自分の感情をそう捉え感動する方法。

     

    死世界観光で知識を使った、というよりは知識を得た私の霊がどこかをただ有ったという、現実が有る。

     

    私という固有の者の霊に、勝手に入って来ていると霊に断られる、という現実。現実は、良い意味で距離感がある。正しい間をそのままにする。その上で、何かそれでも残る物があるのでればちゃんと悩めば良いのだと思う。

    自己、と言う何かはっきりした肉体や、その肉体の道行きがないと、霊、とは言えないのだと思う。はみ出たりしているのは背後霊。背後霊は靴という足の方で下を見ている。読み解けるのは、靴を失っている状態か、カネに落ちたかだ。落とし物なら靴が何なのかたるやを、詩感で解く。

     

    良い感じ、悪い感じ、自分で心の状態を感じとり掴むそれだけのことは難しい。霊的なはそれ自体次元なので厳しい。スピリチュアルヒーラーも険しいと言っていたのを覚えている。感じることに理性を合わせて行くだけなので、これを「気練り」という。形を調整する時に考えるメタ。霊界に現れる光、メタ自体、間の構造主義だ。メタルという語感の副次言語。人を思う一手間。これも気練りという。積極的な世界の工夫。理性の種類に漫画という接着のツールは咀嚼と実践値の二段階の勇気で応接を解決する。誰でもわかる簡易な接続ツールが、欲しいのにないなら辛いと思う。

     

    過去にも普段会わない霊と逢瀬する時期があり、霊界も、抱き合うような春の喜び、ぱっと栄える秋の喜び、から衣替えは、書物や暖かさの良い冬となったのと聞く。確かに、世間体はあったが、人間関係の大事に思うのは初めてかもしれない。

     

     

     

     

    変なものが自分にへばりついた感覚では疲れてしまう。よこしまな気持ちを感じとるからだ。

     

    邪神、ヤマタノオロチ。こういった良い、美しい神様を想像して、そこは当然スキップして飛ばすこと。蛇の道は蛇に聞くというわけだ。

     

    この時は前を向き、変なものをヤマタノオロチて包む。

     

     

     

     

     

    ある「辺」がもし、あなたに見えるならそれはスタートの事だと思う。辺は、難読漢字。

     

     

     

     

     

     

    さて、心のトラウマに立ち向かう。治す、テーマ。と、思うと楽しみになってくる。

     

     

    楽しみだ、その良い気を意識し想像する傷辺りに手を当てる、トラウマが癒えてくるのを感じてる。

     

     

     

    寝る、この良さは寝るだけで力が溜まるし、寝るだけで良いからラクだ。夢を見るのも好きである。私は眠剤を貰いに精神科に行く。若い時に統失であったが、一生懸命の時を経て、一応寛解を得た身からすると、病気に遇うと精神科なら働いている医者の方が精神が強いので何かといっても良いが医者のペースに合わせるとまた治りの姿勢なのだ。タイミングであり偶然の働きだが待ってて、と言われ待つ時にはじりじりする。この間に精神を強くする、こういうアプローチがある。精神が弱いから精神を強くする、見えなかったが療法は通っているのだ。

     

     

    精神科に行って体を押さえられる、と言うショックな感じの景色も、結局は心に良い、主体本人の主観のその中だけなら色々感じる心が和むのを感じる筈だ。心と心を通わせるとは少し辛いことのことだ、心だからそうなのだろう。そうした自然と調和した心と、患者の心が揉まれることに心の傷はすっかり治りを見せる。見えないので本人も痛いとまではわからないが、治ったらここが痛かったのか、と感想を得る。

     

    想像的な自分が積極的だ、積極的であること、や、癒えている、と自信を持つのは自分だけだと、伝えなくてはいけないが文学的な土地感がこういう時にあるのが心配だ。プリントでいいから病気の主要を厳しく知りたかった。院内はもやもやしてる気と治してあげたい医者らの気が対極してやさしい気を生み出たされいたが、ひたすらもやもやは溜まる一方だった。循環に組み込まれるまるで近隣住民や退院した霊が、生産系で働くことを薦める占い師の祈りを、光を誘導する形で感じながら、気になる気の正体を読み解く、読み砕く。

     

     

    私は、罰があたる、という迷信や噂を聞いた時に何が悪かったのだろうを思い馳せ、それでも日々心の整頓はゆっくり叶えられていた。

     

     

    今は念願にしていた「光」と遊ぶ、健やかなことを思い出し、成就に身技体を磨く、この気持ちでいる。

     

     

    暗い一界の世界が光を通過する日もある。

     

    世の中にある文学的興味、それと現実にある何か。

     

    教えたい、ただそんな気持ちでも何か感じる心ならば解りの光があり癒せる。思考した時、感謝と思いその時に自己吸収、消化している。

     

     

     

     

     

     

     

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