揶白 (KF)

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  • 倭国

    2021/01/09

    心到滅却

    倭国は、古来の中国人が呼称した「日本」の名前だったんですね。
    弥生時代、紀元前150年倭人が漢の王朝に朝貢してる。
    七世紀まで、日本でも「倭国」と称され続けた。
    二世紀に日本で紛争が起きる「倭国大乱」
    それを卑弥呼が王になり鎮める、
    これは不思議ですが、そんなこともあるっちゃあるでしょうね。
    ちなみに邪馬台国は九州にあったとコテは考えます。コテ父方の祖が九州で、私も強力なスペックが有る。
    大阪人からすると九州は豪酒、豪快など花があって、それに王朝、いいな、どんなんやったんかなと思う反面つまらないなと思う。
    それから古墳時代(大和時代)とほぼ同時代が七世紀まであって、
    飛鳥時代およそ700年頃、難波京が
    大阪もまた大和朝廷のくだりがあり、邪馬台国の噂があるが、このことだったと思う。九州の花をつまらないと思うのはまたこの時とても一生懸命だったからだと考える。それは今でも強く称えられる。対して王朝は苦労と云うよりは、


    男子はみな顔や体に入墨を施している。人々は朱や丹を体に塗っている。入墨は国ごとに左右、大小などが異なり、階級によって差が有る。
    その風俗は淫らではない。
    男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
    着物は幅広い布を横で結び合わせているだけである。
    稲、紵麻(からむし)を植えている。桑と蚕を育てており、糸を紡いで上質の絹織物を作っている。
    牛・馬・虎・豹・羊・鵲(かささぎ)はいない。
    兵器は矛、盾、木弓を用いる。その木弓は下が短く上が長い。(和弓#弓の種類参照)矢は竹であり、矢先には鉄や骨の鏃(やじり)が付いている。
    土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。みな、裸足である。
    家屋があり、寝床は父母兄弟は別である。身体に朱丹を塗っており、あたかも中国で用いる白粉のようである。飲食は籩豆(たかつき)を用い、手づかみで食べる。
    人が死ぬと10日あまり哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
    倭の者が船で海を渡る際、持衰が選ばれる。持衰は人と接さず、虱を取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。
    特別なことをする時は骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。(太占)
    集会での振る舞いには、父子・男女の区別がない。人々は酒が好きである。
    敬意を示す作法は、拍手を打って、うずくまり、拝む。
    長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
    身分の高い者は4、5人の妻を持ち、身分の低い者でも2、3人の妻を持つものがいる。
    女は慎み深く嫉妬しない。
    盗みは無く、訴訟も少ない。
    法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
    宗族には尊卑の序列があり、上の者の言い付けはよく守られる。

    このように洗練されていた。
    「ハイカルチャー」は自然と一体で、書かれている「殺し」の考えは、概念は、清めとも違うだろうし、広大な自然に包まれた運動神経や直感は、私たちは理解出来ない、が、自分がもし、本当にもしそこにうまれることが成っていたら安穏だっただろう、という普通の考え。
    大阪の古い文献に「酷摘み」という難波ならでは難解(南海)な言葉があって、
    この場合、難波京で一生懸命だった、古い、その場合の誉れに対して、
    「私はそこへ並べる程の体力が残っていない、あるいはミーハーかもしらん」これが、わたしの分の「酷」の取り(摘み)方として、仲間認証をもらう。
    このまるっきり忌むべき忌み(意味)がなく、もろともしない姿勢こそ、大阪の密かな初笑いである。
    文献と仲間が先でいやらしさが後である。
    すなわち、自分は出来ないのだから一生懸命な人を応援しよう!という考えになる。
    「上方」は気が優しく、温厚だ。
    その抵抗として気を強く持たなければ潰れやすい。
    心根の良さを守るためには「誰かに何か言ってもらわなあかん。」その時には体よくある程度マイナスがあるのかも。
    それを「勉強」と言ったり、工夫している。


    私は字に惹かれて古書をよく読むのだが、
    江戸時代とかだいぶ、筆で書かれた古いものだが俊越なのは、自己日記と計算を足して合わせ、お洒落に書いているところが、慣れているのである。
    秀吉の大阪城の蔵には書物が何万冊も貯蔵されてあったらしい。

    上方文学は、難波京後の平安時代のなりから、(時代が変わるってどんなんなんやろう、平安は貴族時代であるからそれを喜んだりもしたんかなぁ)興味はあるやろから、それを自分なりのアレンジで出来ている。

    良い匂いの文具にこの心恋に落ちたことがある。【悲しみ】とは「私だけのことと違う事」である。いつから決まってたんだろう。
    難波京のその頃、私はどうしていたかと前世なるものの思いを巡らす。
    その頃いないよ、と霊媒師のおばちゃんが云うてたが、なんか動物とかでおりませんでした?とごねて、「かもしれないね、原子はここにあったやろうね。」
    虫や、蟻か蝶々だったのかもしれない。悪い虫で蜘蛛に食われていたのかも。

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