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2023/10/31
ムーが持っているノ~ト…
2023/06/30
ということは全然夢じゃない。
夢でも何でもなくて
人の夢はいい加減。
目標と夢は似てるけどちがう
目標はずっと追い続けるけど
夢と目標は違う
夢は現実にしたあかん
夢の職業につきました
そういう人は、上を目指しています、ってなるやん
大体、夢を職業にするけど
趣味を夢にする人なんかおらんわけやんか
現実にあったことがない
いつかそうなりたい、でいいやん
現実にあったあかん
それは夢やから
夢を見たとき高望みがあって、守りに入る
夢はおっきいところにおいとかなあかん
追い続けるんが夢やから
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2023/10/31
要マップ…重なる矢羽の物化決定。雑誌が欲しい。
日刊飛躍「九月 粘りの鬼by尊不動」
前に出たら前に出なければいけない。
霊のかたちはそのまま現実だろうか?肉体に当てはまるのか?
答えは、発生してる精神界、想像界、こうした有るから有るのだ、といった他意のない仏世界の仕切りの中、受け取った何かを、神仏と持ちざるをえない。重すぎるなど言ってられない。
じゃ、どうしたら良いのか?までは許容されるが、すっぱく一人の魂の目的自体が「こんな自分を知って欲しい」じゃ拒否される。「伝えたい気持ち」から反れているからだ。
この二つは似ているが非ず。
かたちの話しをいくら発信しても、ろ過され肉体には戻らない。
霊に形が有るとしたら、肉体が霊界に深い知識があるかどうかという限界を水平線は貫く。霊自体健全、とか健康であったから愛されたのだ。潔さも、人の縁を養い続ける。
自分の前がどこかで変わる。頂点に向かえるとは向かった自分がいて、その間に、私を養った背景にたいしてまた下っていく時の、その堪え方に尽きる。ここまでが、力。山はくだりのほうが、エネルギーを使う。
太陽をギリギリに躱してこそ、曲がれたカーブ、そこで得たスピードを持ち帰る。その技術の習得に神を目指すという心がある、というだけで、それをコツコツしている、現実の状況、霊視を授けるわけだ。
時間という十方、そこに車がある、人がいる、をわかる八方、これを捉えるを備えて、はじめて霊になる。
物が、もともと霊だからだ。力がなければ付着として振り落とされ、宿されない。幽霊ならば当然、埃や鴉にも宿れない。はじめて霊感と聞いた感覚は、何か気高い物を感じていないか。それが分かり認識したときに霊視している、となる。
前に出たら前に出なければいけない。自分に合わない感性で、こうなった。
これは、魔人ブーの進化した姿だが子供の頃見たとき、恐怖していた。進化しないから平和だった、とかそれがアニメだから面白い、とか、その感覚でいったら、気持ち悪い進化は進化であらず恥ずかしく、平面的に錯誤するより留まりを自分は選んだということだ。飛び出る、奥行きを得るのは、上記の他に方法はない。欲が強ければ錯覚して中に入ってしまう。
私は乱れた髪を整える。進化前のブーだ。
只、錯覚を楽しむ、という無欲な技術もあるそうだ。
「人を傷つけるより、自分が傷ついた方がましだ。」とアニメなら恥ずかしくてもそう思って逸れなければいけない。人の許し、自己成長、四方の重力と一体になり、回避する「解脱」という方法た。
アニメか現実かがはっきりした、はっきりしたところに色彩が浮かびあがる。二つの物事の互いの引き立つ姿勢で私はいたい。
ひとりで持てないお礼があれば1074306 難波支店 Mizuhoこちらへ。メッセージの可否もご自由にどうぞ。
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2023/10/28
天は知識、感触は地力
知識だけでは体が凍る
地力では回復力がある
学べないもの、も有る
心に感情が起こった時、
心に感情を起こした時、
視力だけを使う者は、悶え苦しんでいた
心のないものは、死人だった
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2023/10/20
価値、教えのその時にはよく聞いたこの言葉がある。
yeah yeah/aidonia
この歌のタイトルは「いやや、いやや!」と言うこんな歌は、常に存在する。
ジャマイカの曲をレゲエと言って、古来の言葉で抜陀薔薇と言う。その目が睨む空の実は、渡せるその時にしか出荷しない。それは、薔薇を持つわれら対象の価値よりも、われら音の受け手自身の身軽さや易くに懸かり、虹のようにいつの間にか表現される。価値は、話し手の方にある。受け手に古えからの光が突き刺さる。
その時その時に出荷される様子はいつから?などは自分自身の興味の一つでしかないことを「イン ア ハート」と言い、クラブに行ったときにこれをすっぱく伝えられた。DJの兄ちゃんが「悪い音楽は、聞いてはい、け、な、い!」と教育する。
人はリュックを背負い、出学しにクラブに向かう。現れているものそのものよりは店は本当に静かな箱々なのだ。これにアンダーグラウンドと言う思いが懸かっていてそれは南国の豊かな鳥のように判断を欠くし続けている。
道端を渡り切る私は自分で見つける事の徳の、この可能性に注目して音楽を忘れていない。忘れることもないままで、未曾有の世界も知を育て、ただただ不増不減の成長に尽かせる。この具合、縦ノリに特化した私の身振りは、「横に揺れたあかんで!横ノリは悪い!ちゃらちゃらしたあかん!それはオカマや!追い出せ!SEY YOUUU!!!」と、DJの伝達を自分なりに学び守っているから、書く時にしゅっと書く。
道が細く巻き付いた箱の風合いというのが、先なので、無闇に破ったら世間的な評判を落とす。しかし、裏を返せば、誰でも彼でも静かにそっとしてくれる優しい場所だ。
自分の言ってるのはこんなこのこにであった。
目をやさしく思う、コンタクトの保護膜に。
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2023/10/20
個人的に考えるのが自立の証しで、
大阪は古風が強く、そのモラルがある。塩梅の良い
モラル性がある。それを目指してるだけだとしてもその風紀が存在している。
要は自他が違う。
こうポストモダン的で、積極的な性格を明らかにするなら冷めたこれでない「冷えて居る」事だ。それら、必ず脱モダンから経て遂げらるた長い痕跡が街には多く見られる。
当然、個人が何か考える時には学んで欲しいと思ってる。
こういったガムみいなもの、こんな風な物、感じを噛んでみたい。
これら心斎橋から御堂筋一面に税金を行使し果たされた、そういう展示場は粋(いきだな)よりは粋(すいだ)、に思うは客観性の歴史を大通りに倒しかける。まるで、着物絹のマントをひるがえしたようだ。それが、大丸百貨店の前にあるから見せる昔からの気遣いの細い線が割れるように光ってる。大丸が店の大御所だと、私は相合橋か小通りの小さな板で見知る。街の理知から、現状と自分自身を把握する。
本のページを、舐めてめくることをしよう。後ろに何かを伝えるのだ。
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