揶白 (KF)

絵画

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    Works 46

揶白 (KF)

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    Works 46
  • 客観性の美しさを極める

    変な蟲ーやひとが自分に来たら、「むー」というような楽な呼び声で解決する為に、神仏と警察に相談しておこう。可愛い警察の待受画面は御守りになる。ちゃんと話せば理屈とは直結しないで、こう出来ること。

     

     

     

    yukiのスタンドアップシスターという曲のPVを、見ていて、

     

     

    自分が良いな、可愛いなと思うことにたいして圧迫するような不思議な気持ちがあった。

     

     

     

    踊れない人が踊っている、そう観る時は、その背景には定番としてる欧米ミュージカルやそういった西の社交ダンス、時間芸術の記憶だが、

     

     

     

    鬱でもドラキュラでも何でも良いと思うことは良いのだ、

     

     

     

     

     

    いい加減さ、下手なダンスがわかった時はそれで頑張って行こうと思った。客観的に上手く行ってるからだ。

     

     

    客観的に上手く行ってる、わかち合いがあり、美しい姿勢を期待するということだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    もっと輝くところにつれていく為には、

     

     

     

     

    読んでいた、生きていた、前文が今想像する広さや大きさことと違いすぎるのか、そう思っていたがそれは水星、惑星間としてそれは地球。ねずみ色といっていた町はただ暗さ表すことでもなく、綺麗な灰色であった。

     

     

    それにしても、思考を丸ごと包み込むような。それは水星。

    世界に不思議な詩があると感じてやまない。

     

     

    嘘でも良いからきらきら考えるのだ。そこから浮かぶ詐欺を、それを木星が守ってくれる。

     

    自分が危険な時は、地球に訪ねる。何か知らんけどすぐにアドバイスを貰える。

     

     

    日本のストリートダンスを見ても、ステージ感としては劣りを感じた。やっていることの視点からは、技術の習得だったのだ。

     

     

    西の舞台の視覚的スケール。

     

     

    技術習得にたいしての凄みとはステージ向きではなかったのだ。

     

     

     

    実力と、実演。行動中と、話し中。二つが善意の姿だ。

     

     

    ストリートダンス、ダンサー、こう聞いては何かをやってみない下心に溢れている。

     

    そして、かくには、伝える技術を研ぐことと、書く技術を研ぐことと、一人の人でも二つの顔があることから、「心」が出来ることを知った。ポエムを書いたり、文章を書いたり、絵を描いたり、つまり、「言いたいこと」である。これがわかった。

     

     

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  • 漫画を描きたい

    自立の試みを日本でもする中で、

     

     

     

    漫画や絵を描くことの意義は、

     

     

     

    商業誌など、外向きに誂えることの出来る力と、あともう一つは内職の様に、内側に向けるとしてする、ただする、という行為はしたいことよりも、目の奥での自分補正、その稽古をイメージする個人趣味。

     

     

     

    字を書くときも、気持ちをどう表現するのか皆目わからなかったのだ。書いていたら、ある日書けた。そこに、自分の表現にない、自分に出来ない言葉がある。

     

    私としては、堕落に近く自意識にてこずって、これを行う方には、大画面のように厚みを持って描きたい絵画がすっきりした。学びが多かったという事だ。

     

     

     

    顔が好きなら真っ直ぐそう描いてみる、と言う

     

     

     

    思いの恥ずかしさに気を逸らさず持つ

     

     

     

    茶道に似ている。

     

     

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  • 人と心配、ウォーリン

    こう思わないだろう。と、自分に重ねて覚えることをして欲しい。

     

     

    こう思うだろう。その中から完全に出て一向に戻ることはない。

     

     

     

     

     

     

    全ての盲念が、二分化されるとして、

     

     

     

    戻ってうだつを述べるにしろ、御託を並べても、一括で拠点が下部にあるとし、

     

    様々は押し通されるだろう。

     

     

     

    しっかり楽しそう、ならともかく、いい加減に自分が歳を重ねているように、次元世界には到底いないものがいて、

     

    そういった者が盲念を買い受け、賢い人が支払いをしている、弱霊的で不気味なオーラのその図は今後も見れるだろう。

     

     

    記号として、何か物々しく、そう威嚇するときはもう弱い、実際的に精神活動を止めた、という知らせであり。

     

     

    記憶の薄れるひと、と解す。

     

     

     

    そのひとたちは、

     

     

    何をしても自分のように何か良いヒントを与えられず、失念的に言語を奪われ迷う。破れかぶれの姿が見える。わざわざ戻り、業を開けてしまうくらいの容易い気持ち。そうして自分の心、自分の部屋、そこに入り込もうとしても、「自分の醜さ、その悪さ、」この一瞬から目を逸らすくらいの視力では自分の光が捉えられず重さが合わないことから、砕け、血が吹き出たり、剃刀負けをしたのだ。一定して変化が見られないのだ。私のいいたいことに気付いてくれ。私は「鉄は熱いうちに打て」と言って、激しい行をしている。

     

     

    私も含め、記憶もきっと上手く行くこと、良いことを覚える、記憶にする!といういみで忘れるひと、と解した。

     

     

     

     

     

     

     

    心でいることが出来るのは、用意がないと人といずらい、と感じるのは、正しく自分とした時に、

     

     

     

     

    はい!頑張ります、約束や証明を手前にするには、心の木枠だと、

     

    礼節は、礼儀、態度としての自分にまだ修まってない形よりも、ラインに合わせると言う事だ。

    共倒れが馬鹿というように、活かしていないと目的がある分は責任的だ。

     

    私はこれから勤怠を休む。復帰後も、何か小さく変わらない勇気で働いている、と思って欲しい。

     

     

     

     

    心が自分以上だから、自分を言った時点に心を失う、こういったかたは生活上でトレーニングして下さい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    その心の態度でこれは火だ水だと自分にわかることをいう、

     

    何も起こさなそうな無心の私のそいつというものの雰囲気は、そのまま一生変わらないの姿なのだ。

     

     

    温厚な動物をつついたとき、怖いという。

     

     

     

    何か起こすなら、何も起こさなくなるまで、どうしてもこうだと思うまでを並べて考え、生きるべきだ。捏ねてみないと何がポロリと出てくるかはわからない。それをしっかり持って暫く握る。この作業までが肝心だ。大変なことがあったのだから、大変なことをしなきゃ取り戻せない。

     

     

     

     

    安心を起こすのは、奇跡的に精神界で出会う他人よりも。

     

     

    「礼」は、安心を与えるのは自分から見ても、近くの人。

     

     

     

    出会い系に対するイカヅチが私の気を起こし、

     

     

    「スピリチュアルメイトか!?って聞いてんだ!」

     

     

    その自分の寝言から、飛び起きたが飲みにくい。

     

     

     

    そもそもこれは、心の広義な意味と精神的な意味が二つある。

     

     

    求めてここから飛び出そう。

     

     

     

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  • お祈り

    神様にお願い事をする。

     

    代わりに貰うのは、自分の纏まってしたいこと目的のなかの

    それを自分で見つけ出す。

     

     

    言葉と思いで合わせる、、

     

     

     

    こういっても、書けない、言えない、のは、

     

     

    会いたいと思うような心が、ことばをはみ出しことば以上にあるからだ。

     

     

    心に気付け!

     

     

     

    だから、心に気付け!

     

     

     

    同じようにならない人間の性、個性、を見たいと思ったことがある。その分、地球が広くなること間違いなし。

     

     

    そして、色んなことばの差や誤解を埋めるのが、味だ。

     

     

     

    「生きる」という恥じらいを晒し、疎外感を受け、それでもこなしていく、夢を見る、こういった日課に、

     

    本当の楽しさや、神の秘密が、ある。

     

     

     

     

    生きることに、肉巻きのように自分を包み込むと、察知されることはなく、栄養が届かないだろう。「痛点」がなくなる。

     

     

     

     

     

    ここで、こう気持ちを言う、詰まるところでちゃんと言える。それは、守られることを許すと言う意味。

     

     

     

     

    今まで考えたこともない心配は、ないのなら、

     

     

     

    考えたことのある心配を見つめる時が、来たのだ。

     

     

     

     

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  • 性の考えでわかること

    男女だったら、別れのけじめがある。

     

     

    では「性」とは、

     

     

    人間の考えることとなって、主語が男女じゃなく、人間になり、

     

     

     

     

    活かしの利くことをである。「性格」を磨く、高めるとあるが、

     

     

     

    色や柄、そういったオリジナルの自分の名前の前にある、

     

     

     

    達成可能な考えごと、となる。

     

     

     

     

    それを導く教えが倒れ、洗脳のように人の考えの偏りが強く、悩みが増えた。忘れても良い悩みだったから、たしか悩みが溢れるというほどではなかった。こうしなければ、こう思わなければいきていけない、更にその反感、そう感じることが強かった。

     

     

     

    人の考えが偏るが人として問題ない、と言う事の、この全貌だ。

     

    次に一人としてしっかりした頃、

     

    気乗りや個人的な思い付きで助けなくても良いほど、優しいもの、人の心の相貌、そしてそれが「わかる」となる。

     

     

     

    性として、その性の個性として、

     

     

     

     

    重大なことの防ぎが甘いと言われやすいがそれぞれにある

     

     

     

    男気の強い人が、男性的な客観性のある様子を見て、良いな、と男女ともども思う、

     

     

     

    思うことの立場と、そこに佇み立つ立場と似合っている心の姿勢を笑顔が溢れる程素晴らしいと思う。

     

     

     

    人にちゃんと過去があり、それぞれの学びを握りしめているというこの事だ。

     

     

     

     

     

    仏になっころ起こされた。それは大変なことだった。

     

     

    その人の世界には、自分を憎む者がいて、それを生きることを今ならわかった。

     

     

    よって、自然とやさしさの約束はないが、自分がはっきり証明して追い返してあげれるような、

     

     

    非常にいつも、

     

    探し求めていた言葉はないが、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分の感情を理解することでもなく、

     

    悲しみを知って欲しいのでもなく、

     

     

     

     

    自分の心を、知られず終わるかもしれない。相手からしたら自分は一界の他人だ、と思う。理解されていない、といった時、何で理解が、国を説明する理解が四角くならないんだろう?

     

    想像して、

     

    その理由を探し求めているのは、色んな核心をつかれるが、

     

     

    必ず取り組もうとする。約束の言葉に立ち戻っている。

     

     

    自分のペースで、

     

     

     

     

    その行が達成されることを祈る。

     

     

     

     

     

     

    「自分」の心の位置がおかしいのは、周りのせいじゃなく、覆われているのは常に説かれているテーマ「蟲ー」が為だ、浮わついた世界観など、全てのこういう風に堕落している原因についてだ。

     

     

     

     

    確かに光となって流れ、現れる説明には何の間違いもないことを、確かに見ている。

     

     

     

     

     

     

    目を開けたら、自分と同じような哲学家が様子だと知ったことで、その人のいつもの顔と世界の安心を得ていたのを思い出した。

     

     

     

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  • 字を教える

    俺は死んでるからわからないけど、

     

    誠心誠意は、

     

     

     

    例として

     

    「被害者と加害者は同じにならないんだなぁ。」

     

     

    苦しい区間に知った事を述べると、真っ白になる。

     

     

     

     

     

    学生時代の万引きは、喉が乾くと思うくらいめちゃくちゃ苦しい後悔をした。

     

     

     

     

     

    万引きしたらひとりで苦しまなければならないが、

     

     

     

    大事ならあなたを苦しめるほどには、神仏だと思う。

     

     

     

    その影にいた町の人だろう。

     

     

     

     

     

    浄罪してすっきりした頭でこういった差違や、実際にある厚みについてはどんどん考えても良いことだと思う。

     

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  • 道をやってみても良い人とやってみても無理なひと

    言葉の灯りが、こんなに栄えるのは、

     

     

     

    「心のブレーキ」が、失敗の全てを物語っている。

     

     

     

     

    こんなことをするのか! こんなことが出来るのか?!

     

     

     

    不安で一杯だ。

     

     

     

    方法案をここに握りしめているが比較的孤立しないものだ。

     

     

     

     

     

    平和のために出来ることは何だろう?わたしの答えと、また実際に抱える質問だ。

     

     

     

    「俺が知ってること」を、集めよう。

     

     

    天よ彼らの意見を、聞かせてくれ。

     

     

     

     

     

     

     

     

    大変なことを教えてあげよう。

     

     

     

    同じ文を読んでも、

     

    気心が昔なら、意味がわかるが、

     

    気心が今なら、街並みに染まってわからなくなる。

     

     

    この目の前の今昔に何か良い線を引いて、誘導するのだ。

     

     

    わたしは昔。わたし=昔

     

     

    わたしは昔から変わってないから、静止させることで、解脱になった。心の火を灯せ! の意味合いを潜って巨大なものの理解をする気持ちだ。大いに心太くいてくれたら良い。

     

     

     

    ものを手離せば手離すほど、何故かもっともっと身を任せて行けるのだ。

     

     

     

     

    こう人間を大事にしながらゆとりある生活をすることで、

     

     

    誘導する人が昔より増えた。

     

     

     

    だから、中間テストの注意だった。となる。

     

     

     

     

     

     

     

    男子禁制、女人禁制、日本の名のある離島にこうした歴史が幾つかあるのだが、

     

     

     

    教えにしたいほどのこれを生み出すくらいの、

     

     

     

    大事なゆかしくある今のことを絶対に

     

     

     

    軽くみてはいない。

     

     

     

     

    それによって、人数という存在が実際に本当に自分に眼前の物であるか自分の物であるかは本当に悩んで、

     

     

    こう厳しく見ていった時に、人数はある。人数はただある。という答えになって、

     

     

     

    初めて解答のシルエット、言い換えて正しい景色を捉えること、

     

     

     

    抽象化出来た、とは、抽象が、こういった方法である。専門的な感覚が強いので黙る時期があった。

     

     

     

    続けるべきは、人はいつもそれを考えないから、それを考えることが出来る。

     

     

     

    日々の空気感、

     

     

    こんな最低限の集中力を取り戻したあとに、そこから動かなくなってはじめてやっと物事を増やすのだ!

     

     

     

    そんなつもりのないひと、そうしようとしてる気持ち、

     

     

    割り算の余りのようにして、それは四捨五入して小数点を捉える、

     

     

     

    そんな約束だけで十分だったのだ。

     

     

     

     

     

    文脈とは、お前が考えたこと止まりを超えないから、詩を組み込んでいると、現実にたいしてズレを解決した。現実にフィットするスパッツ、手頃なもの、それを作るにははみ出したりしてはいけない。詩って凄いなぁ、こう思う時間。文学書も絵アニメも、飛び出ないことの憧れが夢になっているから夢を現実に使ってはいけない。使う場合は人間の訓練を達成するぞくらいの基準を満たしていないといけない。

     

     

    poem、は、詩を指さないのは、字の力量のことではなく、安いか高いか、

     

     

    と「天上天下」を言ってみて、同等性をその人に発見する。何故、正しさに執着するかもわかっただろう。

     

     

    ぽかんとしたとこはぽかんとしたまま、追及心も短く込めれる、自由をなるべく守る本質的な素材の性格から、飛距離が遠い→長く持てる。

     

     

    ただ、眩しい、目映い、となって日よけ出来るようなものを早くほしいと思っている。私は自分の背面では文化的な向上についてひとつ結果となっているんだろなぁ、と思う。

     

     

     

     

    二次元の龍でも厳しさ優しさでも元から持っているもの以上は使わない。慎ましさしか受け入れられることがないのは、

     

    人として認めるからだ。

     

     

     

     

    女は何も考えてはいないが、煩悩のほどは天が伝えているだろう!

     

     

     

     

    こういったとこで、

     

     

    こう街の空で開示しながら、知恵を絞り、何と独自に良いことをしている。

     

     

     

    と初めて人が目をつける。どうだ、幸せの「重さ」がすっきりするだろう。

     

     

    それは計量してみたところで零れない。

     

     

    正しい仏道が、取引の最後であり、それはこれからで、償っていけるというもった善性は必ず見ている。

     

    メタ映えするような、一角の理性が登場したとき等は、「シキリ」が出てくる。ここはすぐ飛ぶのでシキリの消息は知れない。無意味しかないことが、格好が良いと思う。時間の存在を伴っている。

     

     

     

     

    悪いひとは、何らか通らない。

     

     

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  • わたしを許して

    つれと話して、母という言葉を思い出した。

     

    母で関連して思い出して書けるのは変わっていない。

     

     

    友達は、すっかり母国語を勉強していた。

     

     

     

     

    働き先を家にして、その地の虫や花と遊んでる。私の性格はこう。

     

     

     

    働く、はたらく、の想像をリセットし、

    昔イメージした通りの楽しさを

    悪いことをし過ぎなければ理想に出来る

     

     

    朝起きる際に力を鍛える

     

    だるさがよいひともいる

     

    縦積みにすれば、自信になる

     

     

     

    こういった修行に気付きながら、中断しざるを得ないくるしみを気にしてる

     

     

    だから、友達に嫌な顔をしてしまってた。

     

     

     

     

    私と友達になるのが夢なんや、それに気付いた時、なれるかなれないかは努力にかかるとして、ほっとくわけない。

     

     

     

     

    自分の嫌なことは、声かけて確認せんでもいいから断ってな!

     

     

     

     

     

     

     

    →私、初めて私の(出すぎ)さしでがますぎなところに気付いたわ。

     

     

     

    無私を貫く者に、

     

     

     

     

     

     

    理由が、

     

    断る為に、自分ってもんを把握しとくのだった。私は自分の立ち方を知ってる。

     

     

    違う者、として立ち向かう。

     

     

     

     

     

    含笑をすることにきれへん、怒ってるのはその分、その都度今を返して欲しい。

     

    悪い顔をわざわざ見せるからモラル違反三点、絶交

     

     

     

     

    勝手にすすめず、用意してから

     

     

    信じない、

    感情負担追わない

    シネ

     

     

     

    お前の一回きりの人生に合わせ

     

     

    人生までは違うぞ、というとき目が合うけど

     

     

    あなたの言い方が好き

     

     

    人生までは違うぞそれがお前

     

     

    どれも違うのだった

     

     

     

     

     

    友達は、妄突進してしまう自分の心を癒してくれるのかもしれない

     

     

     

    友達も、本当は広くそう思って

     

     

     

     

     

    だから、今のことを今直していくことを諦めないで。

     

     

    それが世界の真実性なのだから

     

     

     

     

     

    真面目に取り組んでいた人間関係一本で十分睨むことができたは、決して感情のやり取りではなく対自分の取り組みだった

     

     

    肩書きは、相関性の含む客観性なのでこちらから見えない現実よりも自分が直面してる現実性のリアルに留めた自分の目に信じれるものがあった。自分を萎えさせるむかつきに止まらないことが、役立っている。振り向くと、あらぬ現実に寝こけるものどもの気配がしたが含み笑い、という家にあるアイテムを睨むことで生計を立てている。怖がられているが、何をゆわれて誰がいて何があっても、回避したい状態とは、面白いがさほどというよりは興味がなかった。理由が、働くことそのものの私は偉い。当然、職があって、この職は、そういうポテンシャルの意味しかなくて。

     

     

    悲しみが全ての結果に出来ないから、今いる、っていった声がこの間何回あるかを同時に数えて自分の心に訴えてほしい。

     

     

    明らかに途中結果である、と今いったのが小さな決め手となったが、これが流すことだとわかってる。

     

     

    きみの途中結果に付き合わされた時間だけは蓄積する。顔面になんの印象もないやつに情が芽生えないくらいの情はある。

     

    何か喋ってたらどうにかなった。一度友達とどんなに強く思おうが、縁さえは確実に消える。人生一回きりです。私はきみを魂から、

     

     

    捨てるのは普通、

     

     

     

     

    こんな劇がある。

     

     

    仏か、わたしだったら、今後はわたしを選ばなければいけない。死にたいなんてゆわないで、なんでこう責められる理由はわかったと思う。地球を考えると、耐えなきゃ。

     

     

     

     

    別にだから、個人的な気持ちなど発祥してなくて、その上で「好きだ」という自覚やその選びにくい方を選んでほしかった。苦さもそう。私は自分の好きだのほうを絶えず選んでいる。愛よりも増すことは、聞こえにくい外部の、「心の音」はかつてとして、聞こえないんじゃなく聞かないと決めた。だいぶ過去になる。

     

    自分の好きだ、知りに行って15年以上経つ。何も言わせないのはその為だ。

     

    言いたいのは、こう思われた、こう誤解されたじゃなく、きみに、あなたに、私のしっぽに私がいなくても構わないから、同時に尚且つここで「人」だと思うことが友達だと知って欲しい。

     

     

    こう描き続ける上に出会う人だけが「その人」だと信じてる。

     

     

     

    この価値に比べれば、色んなたのしさなどマイナス以降なのだ。だから、自分の心がきみをどう思っても切れる。

     

     

    心も信じない、愛も信じない、それでもあたたかみさえあれば、発情する。

     

    素敵と思って描いてついてきてほしい。

     

     

    言語に左右されない精神作り。を、わたしが用意するわけもなく、その手がかりまでは大量にあるから作りたいんやったら作ってみることが一番だし、こういう残念ならあらゆる悲しいよりずっと良いのだ。

     

     

    大事にしてるのは、こう話すのは、なんでかってわかるよね?

     

     

     

    純粋に会いたい気持ちも残ってる。こんな気持ちじゃそんな気持ちがなくなる。その理由だけを先に探して納得する、ことで悪いことをする厳しさが酷しさでないほうに学べたら。

     

     

     

    「誰か」を愛しく考え想像したりする、夢の証なんか手に入らない。

     

     

     

     

    こういったことが、基本に政治が出来ていることを法典の厚みを見ることなどから実質を推理し、これを実際に見るといって初めて気付いた驚きは懐かしい。このささやかな愛で、陥ることを回避している。

     

    この自意識の高い、自分の味方になるもの、それがわかる期にまさか、最後に私は友達でしたか? とは聞かず省略をする。

     

     

     

    友達が先、恋人があと。いい加減家に帰りたい。今、友達にゆってる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    様々な妄念以上にいますよ、というには

     

    思わくをする前の

     

    見たまんま、感想、それが「わたし」です。を、導いて言う。

     

     

    鏡をみるのは、落とし物があるから、ちゃんとそれについて神仏と話せば返ってくる。

     

     

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  • 願い

    南無末法下種の大導師

    神サルタヒコ 向かって大和姫、巫女殿、

     

    そう言い、私は歌を大きく歌う躍りを大切に一行します。

     

     

    「わたしは冬にやり直しますます、増す増す、益々、マスから始まり大きく書く力で一石二鳥。」

     

    願うは、八のような末広がり、皆のその未来。

     

     

     

     

     

    下種とは、種だね物や人を重んじる中で、心身の大切さを言う。

     

     

     

     

    情緒と文書の秋、言い合える夏、友よ!!春、

     

    秋も春も抱えて収まらない。

     

     

     

    この大きな籠を、

     

     

     

    大事にしてくれたら私は一生の恩義を尽くす喜びに、思います。

     

     

     

     

     

     

     

     

    天の伝書鳩のように、神を知った頃に人間自身の良い形の人姿を見る。でもそれは悪い人だと聞く。

     

     

    銅像を真ん中に。「良い、けどそいつはあかん。」まで、踏み込んで伝えたい。踏み込む心を伝えたい。踏み込む力を伝えたい。

     

     

     

     

     

     

     

     

    どう上手く渡すか、伝えるか、

    自分の技巧に集中として、

     

    外向きでない。

     

    もともと、身体として男は狩りにいくよう作られていて、女は家にいる。

     

    名のある神、名のない神、向かう方向を考え愛され進む。

     

     

    ひとりがひとり、人が人、一人じゃないこと。

     

    冬は、ここから貯蓄が許されている、特化する、とわかる。頑張っていけるとわかったら頑張る!やっていける、不安に強くなった。

     

    祈りを見て祈りに尽くす。

     

     

    ぐるりとして、もう一度伝えたいのは、

     

     

    自分を抑える神を自分で持って、そして大きく映えている。じゃなきゃ大きく栄えない。

     

     

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  • 月光

     

     

     

     

     

    巡回のし過ぎが原因です。

     

     

    一歩を踏み込めない恐怖心もありますが、強いるよりもそこを避けることに寄り添いがあります。

     

     

     

     

    視界が遮られる林を、通る中で、

     

     

    蟲ーという、怒りの込み上げる対象を自分と堂々に思わず、

     

     

     

     

    客観的に冷静に見る事です。それは、

     

     

    自分はこうしない、(物事が)そうじゃない、

     

     

    を、冷静に見て「見下し」が付きます。

     

     

    人に上下が無いから、張った肩の力が抜ける事から姿勢の正しさを捉えます。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分の根の性格を知れた事で、

     

     

    そこから順序をやり直す意義を強く感じると伴に、

     

     

    身の生活と、理解を平行します。

     

     

     

    自の有する動き、(身体性や、感情と心)

     

     

    ここから、初心忘れるべからずと言いますが、強化を可能とする習いです。

     

     

    ここから、始めたいのです。

     

     

     

     

     

     

    老人の怒ることは、

     

     

    普通は、人道以外のことにたいしてだ、

     

     

     

    と、言っても、人流れとして

     

     

    蟲ーに通用する力を求めるあまり忙しく間に合わせがその時取れなかったと思います。

     

     

     

     

     

    自分の力になる、親しめる、この惑星と言う興味が、

     

     

     

     

    母親の世代とは段差がある。

     

     

     

    お月様と言って、何かファンタジーや、もう一つ「お月見」といった儀式的な想像があった。

     

     

     

     

    ここからはもう自分の事で、亡き母親は関係無いと、「素朴」と言う母の背をこう見て少し泣くのだった。私は今もしっかり生命を感じ、哀しいと思えるのだった。何か妙な形で心内にうつっても、自身生きることを選び、「私が、」母と暮らした時を思い出すのだ。それが供養になることを、私は知っていた。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    現実を捨て、遊び過ぎた

     

     

    自分以下で生きてる人と、

     

     

     

    現実を自己で捨て、遊び過ぎた

     

     

    蟲ー、

     

     

     

    が、沼に浮かんでいるのを菩薩と偶然、見ています。

     

     

     

    こんな風に思って見ています。助けるも助けないも自由自在ですが、面倒くさいのと、ほかに自由の限りを尽くす事その考えをしています。

     

     

     

    静と柔、つまり陰気を指す。

     

     

     

     

     

     

    自身の力を必然にまで高めるこれに近づくこと! 前向きにいます。

     

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