揶白 (KF)

絵画

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  • (編集済)バサラとタトバン

     

    お祭りや、ステージとしたものの為に光が通るわけではなく、

     

     

    蟲ーの為に光が通っている。


     

     

     

     

     

     

     

    「塚」を知ってるだろうか。

     

     

    昔の割れた土器や、ゴミ、骨を捨てるところだ。

     

     

     

    私にとっては、白い貝のようなイメージだった。何か手掴みのある美しいリカイが落ちてる筈なんや。

     

     

     

    家族以外はほぼ皆がらんどうのわたしの家である。そこには徂霊、髪を二つ結いにリボンの様にした土地神だ。倒れる巨獅子、云わば神の結婚がある。

     

     

    思える何年その地にいるかである。知見したときは言葉にし難い程本当に美しいと思った。老いた巨獅子が転倒したおれ、それを千脇ての奥に、その大屋彦(オオヤビコノカミ)が酒を持ち渡し微笑んだのだ。物や木に宿られる。

     

    人の気を痛めた方、いませんか。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    昔は伝達と神話で、中国と良い仲があり、また蛇壺といった詩によって、天女が悪い人をほかし、壺は、知や抵抗を授かった。

     

    江戸時代ほどの幽霊の自分が何かを言った後がっかりしたのは、中国の人の後悔や表情だと思った。

     

     

    あなたとは、遥かから感情をかわせて嬉しいので、苦しまないで下さい!o(^-^)o☆  私には、喜びごとがあります。

     

     

     

     

     

    何事かの時、大切なのは天への愛想。

     

     

     

     

     

     

     

    古代の彩飾と、光絵がすっきり繋がる。十二神将、海使いである。

     

     

     

     

    宮毘羅(ku bi la)  伐折羅(ba ki la)  迷企羅(me kl la)  安底羅(a n te la)   頞儞羅(a ni la)  珊底羅(san do la)  因達羅(i n  da la)  波夷羅(更新ha to la)

    摩虎羅(ma ko la)  跋折羅(ba sa la)

     

     

     

     

     

     

     

    ここに足りないのは、人の心配しない心である。

     

     

     

    悩むならちゃんと悩む、気になるならちゃんと気にする。

     

     

    私は、低くなった声にこれを見つけたんだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「直感、」

     

     

    心を傷つけない為の方法、心の護身。

     

     

    見えないが感じ取る間合い。それを行動するのは案外と理性だ。こう言葉を灯らせた咀嚼した。

     

     

    ちなみに咀嚼(そしゃく)、物事を噛み砕き理解する、動物の強い歯のことを、

     

     

    昔は五才児から、耳に言ってあげていた。

     

     

     

     

     

     

     

    ややこしい所に生まれて生きてるけど、退く、一度離れる、そういうシンプルな世界もある。

     

     

     

     

     

    日を手に翳し、浴びると、「人」のありかが分かる。

     

     

    物に触れたり、板でもコップでも、あと仕事中に人間を感じたり、人は何かは考えるが、

     

     

    単調にだけ話す蟲ーが、こうして一発でわかる。

     

     

     

     

    セルリアンブルー、あれはブルーじゃない。

     

     

    ものを媒介に「もの憑く」になったヒトと、霊媒師はまったく違う。

     

     

    運も、幸せも、心も、顔も、行先も。

     

     

     

     

    物の力の感動から、そのまま右左を間違い狼狽している人がいる。

     

     

    心から降って来たり落ちてる物の、二三曲がり以上の手間を持って、あなたしかしらない「能力、心読」となる。

     

     

    心読のプロの武士霊を見たが、一見もせずに移動を行っていた。

     

     

     

     

    こういった、大切な気通りを阻害しているとすると丸々バレている。

     

     

     

    続けてしまうと、良いことなどひとつもない。

     

     

     

     

    蟲の向こうには、天に向かってきっかりすべて返される「宙」の部屋があるが向かう。

     

     

    心が無量無辺と在り、日もあり夜空もある。未来もある。ただいてるだけで良い。

     

     

    だからおこらなくても、考えていると良いのだと思う。

     

     

     

    それが、怒りの表現になったりして主旨を取り戻すのだ。

     

     

     

     

     

    怒りは赤、

     

     

    性欲、追及、強くなる気持ち。

     

     

    オレンジは優しさ、

     

    身体自体を動かす、

     

     

    黄、腹の声、心の奥からの願い

     

     

    緑、癒えているか

     

     

    青、交友関係性

     

     

    紫、守り

     

     

    赤から、足~頭上となる。

     

     

     

    当然、蟲ーは無彩色。抵抗も反発もないから、人が落ち着いてしまったりする。

     

     

     

     

     

     

     

    だから何も言わない、輪廻と因果律を仏と拝み、

     

     

     

    区間に調査をしている。

     

     

     

     

     

    わたしは十分!

     

     

    ヒカリ君、守護、日。

     

     

     

     

     

     

     

     

    オオクニは、コンサートと思って覗いたけど、何かどうやら違って、

     

     

    神は実際そう入って行くが、

     

     

    そして、出来るなら個人の本当にに一人の体当たり作品を光で見れるなら、

     

     

     

    心を休めるなら、供養となり立派な陰徳となる。

     

     

     

    ①仏と話す

     

    ②神に方法を聞く

     

    ③やってみる

     

    ④仏と話す

     

     

     

    これだけでも、人離れしないからそうすると良い。

     

    煙を空へ届け、供養を祈る。

     

     

     

     

     

     

    亡き母が、本来の生活や娯楽、学問の一生懸命、生きていること、これを供養と言うが、

     

    それが出来てないから出てきてる!

     

     

    何で罰されるねん、と聞こえ爆笑した。

     

     

     

    私のたとい誰であってもそう思うこと、善神にたいする意気込みと、苦難の中での前向きな祈りを聞いてもらえたと思う。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 集まれる本当の原因

    2024/02/17

    蟲ー

     

     

     

    蟲ー

     

    見分ける過度期

     

     

     

     

     

     

     

    人間骨だけじゃないから、誰かの幸せを願ったり、肉を付けても全く知らない言葉ではないから、

     

    潔く心に合わせる、育つことに木や緑の崇高を信じる。

     

     

     

     

     

    二次創作でも、古くから遊びとしてあって、

     

    文化を身近にしている。

     

     

    人がいて、壁があり、昼夜があり、心があり、

     

     

    慎み深い古典の考えを、継承することが出来る。

     

    それだけで良い事は多いが、負けん気や、自分のことにたいする肯定感がが弱かった。

     

     

    何の事柄にたいしての優しさはあった。

     

     

     

    影や夜、が、一時的に全体的に否定されていた。

     

     

    漫画でも、色んな詩でも、描くのは、

     

    身体的に声を前に出す、と言うこと。

     

     

    アウトプットが出来ていると、

     

    落ち着いている。

     

     

     

    「本当に救われたいのは誰だろう!」

     

     

    言葉を見つけた、私は気球に乗ってやって来るアッテルと思った。

     

     

     

    思っても、思わないでも、わたしは目的に風を吹かすくらいは、祈り生きていた。

     

     

     

     

     

    願う自分から生えた想像や人のこと、悟りの出会い、力(りきみ)はいらない、初心から動くことはない、仏に告げる。

     

     

    輝き(ひかり)は、神や新しい友達。

     

     

     

     

    明るいパンゲアの考えや、

     

     

    重んじる世の徂霊と、

     

     

    また仏陀の下々、自覚と静観の値について、

     

     

    興を起こせないである身、足るを知る道徳の高まり、自身の人生、非自然的である構築の建物社会を認めて現れる文明論や、人が文明的に自然的に守られること、

     

     

    時代観のある者、失った者、まったくない者を含めて、

     

     

     

    考えられること。こうした清潔。

     

     

     

     

     

     

     

     

    いつも失敗した心のブレーキは、

     

     

     

     

    ①わっと心が鳴る、月の登るとき、は、覇気を頂く。

     

     

    手を合わせ、その手を腹にぐっと引く。

     

    優しさをそう思う成長の態度。初心に向く。

     

     

     

     

    ②行ったら戻る。いつでもそう、自分の顔を向いて睨む、鎮座する、

     

     

    この繰り返し。

     

     

     

     

     

     

     

    ③課題、題目の蟲と、そのトラブル、

     

     

     

     

    地価があれば、蟲の発生は絶対らしい。

     

     

    穏やかな人の気に集まりがある原因、この苦。

     

     

    苦集滅道。

     

    心の緑の旺盛は、globeのmany classic momentsくらいの張り切りはある。古代の灼熱の恋愛観だと思う。世尊と口にし、憧憬と業火のその自身も時代を生きること。

     

    松明に投げ打ち上ち、あるいは心に留め、進む。

     

    豚足を噛む。ビールはある種の出会いを喜ぶ、

     

    誓いとなり、心を澄ませる。祈りの儀式的な技法。

     

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  • 霊は、「磨いている」がパスキー。

     

     

    それ以外の浮遊霊は、残念ながらお化け。

     

     

     

     

     

     

     

    キリスト様の様に、この王(あるじ)のように、

     

     

     

     

    自分の言葉を求める、

     

     

     

    これを質問という、

     

     

     

     

    解の中にいる

     

     

     

     

    研磨の事である。

     

     

     

     

     

     

     

     

    論語は、問いと答えのそれだけを行く。

     

     

     

     

     

    論語自体が、解なのである。

     

     

     

     

     

     

    これは、ガンバル石。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    時代には、天皇がいて性格がある。

     

     

     

    砂煙が払われれば、甲冑を纏っていても、

     

     

     

    見渡せる目は、

     

     

    明るい中だと必ず争いとは違った。

     

     

     

    想像したことがあるが、わかり合うような

     

     

     

    理解の方法を開かれていたのだ。

     

     

     

    地面が直に足の裏に着いているから、裸足で歩くから、

     

     

     

    自分よりずって賢かったのだと思う。

     

     

     

     

     

    意識、として捉えられた太陽惑星のもくてきが、

     

     

     

     

    理屈以上の地カラ(ちから)は、拳は、

     

     

     

     

    精神上の理解をするから、

     

     

     

     

    努力した自分、とか、脚を労ることが、

     

     

     

     

    ひつような自分に繋げられ、導くことが出来る。

     

     

     

    導くと、全体を得る。

     

     

     

     

    甘い土を歩いていることが、

     

     

     

    心をわるくするのよりも、実感とか、

     

     

     

     

    こう生きている興味は、

     

     

     

     

    ありがとうよりも、感謝そのものだ。

     

     

     

     

    それを、日を見ながらそうして来た古来に

     

     

     

     

    伝統を喜ぶ。こうした相槌をする。

     

     

     

     

    繋がれる地球がある。

     

     

     

     

     

    我は下、と思う、上は我が胸、心、と思う。

     

     

     

    その上に水色の空がある。

     

     

     

    意識の胸を、土着と因果に任せて、

     

     

     

    海亀の広い目線を知りに、

     

     

     

    抱ける感情に浮かぶくらい、大きくなる。

     

     

     

     

    私は、自分そのものの大きさ

     

     

     

    不幸も幸せも超えて、

     

     

     

    知れない心をわかって、

     

     

     

     

    それを初めて知ろうと、

     

     

     

    いつもに向かう。

     

     

     

     

    家と出ることの往復に、

     

     

     

    毎日、違うひと

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    死を境に生きた平家物語の詩に、

     

     

    今を生きる指南がある。

     

     

    生きてる間は、

     

    ただ、春の夜の夢のごとし

    唯春の夜の夢のごとし。
    たけき者も遂にはほろびぬ、
    偏に風の前の塵に同じ。

     

    寺鐘の響きを聞く私はこうだけど、

     

     

    君はどうかな?

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


    こんな風に、冷えきってしまったんだ

     

     

     

     

    国の神話のなかで、

     

     

     

    敵味方ではなく、だた一緒にいる、

     

     

     

    冷たい川辺を自然に動けることや、

     

     

    鴨子のように優しい。

     

     

     

     

    社会の面もあり、

     

     

    揺るがないさっきの精神があって、

     

     

    水の力、悲しみを受け止められた。

     

     

     

     

     

    globeの歌で、

     

     

     

     

    七つの刺青、眩しいネオン、反対側のyesterday、

     

     

     

    数え切れない出会い、流しすぎた涙、冷たい風、

     

     

    Im leaving 戻らない

     

    Im dreamimg 今から

     

     

     

    Away from home

     

     

     

    ワンダー、

     

    疲れた太陽、

     

    透き通るフルムーン、

     

    知らず闇に包まれ、

     

    時間を飛び越える

     

     

     

     

     

     

    夢が静かに降りてくる。

     

     

    ヤシの実や、ハンモックさえ見えてくる。

     

     

     

    草原で、

     

     

     

    違ったランプブラックの、

     

     

     

    沢山のアニマルを飛び越え、ジャングルの緑と星空を行く。

     

     

     

    夜、あの子と踊る、

     

     

     

    コバルトブルーに更ける部屋で、

     

     

     

    同じ夢で。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    神を思い出せる良い時代、

     

     

     

    生きることや、ルールよりも、

     

     

    ただ、居るだけで良い。とわかる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    墓化した私。

     

    少なくとも

     

     

     

    ボケ防止になる、

     

     

     

    良いことは、キノコのように摘み取り持ち帰る。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • (1)天上を和する会話、(2)理解するモラルと理解出来ない何(なん)、(3)菩薩の祈り

    2024/02/14

    蟲ー

     

     

    アッテルにはママが必要

     

     

     

    だらけて天子に甘えることを例えば架空、想像的にフランス人の愛し愛を思うひとになぞらえ考えて、怖くなった

     

     

    同じくらいは冷たすぎる

     

     

     

     

    この今こうあってを愛せる

     

     

    心配に勝つポテンシャルが、私には付属されてない

     

     

    社会をあきらめたくない

     

     

    会いたいひとに会えて嬉しい

     

     

     

    空、こう飲むほど、成長するんや

     

     

     

     

     

    想像でもないが、

     

     

    二つがもし溶けて落ちていくような、

     

     

     

    上手く行かない、悲しい想像は、

     

     

     

    ドラマを見足りていない、貢献してない、

     

     

     

    好きなものに向かう、感じる地球の貢献、

     

     

     

    努力。

     

     

    気が向かない、が、嫌じゃない。

     

     

     

     

     

     

     

    私にとっては唯一の大切な人体だが、

     

     

     

     

     

     

     

    蟲ーにとっては、逃避するとっかかりの為の壁づたい

     

     

     

     

    そのもので、

     

     

     

     

     

     

    そのすべての感覚から私と違う物を捉えているように思う。

     

     

     

     

    肉体、と思ってその事を言う時、

     

     

     

     

     

     

     

    視線は、

     

     

     

    内容皆無の人気、食欲、を見ている。

     

     

     

     

     

     

    だから、肉体が存在しない。想像が、何か反省の続きや展開だから。

     

     

     

     

     

     

    性欲がないのは、もう死ぬから。

     

     

     

     

     

     

     

    全く自分を思い出せない人、とは違って、

     

     

     

     

     

    蟲ーの身体、及び精神は、

     

     

     

     

    視覚も、

     

     

     

    聴覚も、

     

     

     

    身の空間からも、

     

     

     

     

     

    生きていない空間に犇めいているだろう。

     

     

     

     

    身周り、この言葉のあるその時間は1秒。

     

     

     

     

    一日24時間、一週間月火水木金土日、長い時間の中の1秒。朝夕はない。

     

     

     

     

     

    「何か」と言う。

     

     

     

     

    人気が欲しい、ところで、魅力的な仕草、言葉、表情、顔は、

     

     

     

    全員、地球に実在する。自分だと言って離さないだろう。

     

     

     

     

     

    勘があるから、追われている恐怖の影を判っているからだ。

     

     

     

     

     

     

     

    これを、霊(人の磨けるもの)ではなく

     

     

     

     

     

     

    「幽霊」、「お化け」(・o、ba、ke、・御、ばぁ、毛)

     

     

     

     

     

    と、言った。

     

     

     

     

     

     

     

     

    太陽や惑星の自転から、

     

     

    悪い、排出しないといけない、

     

     

    二体が、同空間に現れる

     

    不透明度が高過ぎるから、人を隠す

     

     

     

    埋もっていても、人からの返せないほどの恨みや怒りや悲しみに、

     

     

     

    特急で小舞して、言葉なんか蟲ーに有ったものじゃないだろう。

     

     

     

    魂とすれば、自分さえとうにおらず、

     

     

     

     

    買った欲(かお)から、いろいろな物が飛び出る

     

     

     

     

    生きてるわたし、を中心にしてそれをしっかり掴む。

     

     

     

     

     

     

     

    何か気持ちの優れた時にやってくる、

     

     

     

    角張ったものを投げてくる蟲ーや、

     

     

     

     

    不親切なつめたい、分厚い本を投げてくるような、

     

     

     

    光を、それから自分を護る

     

     

     

     

     

    猛々と理想と目標、抱えた美観と美意識、

     

     

     

     

    これらがそうじゃなかった場合。

     

     

     

     

     

     

     

    護身

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「仏界」

     

    仏のしぐさ。

     

     

     

     

     

    地蔵や偉い霊から、

     

     

     

    斜線を引かれた退場ゾーンが有り、

     

     

     

     

    その近くにイエローゾーンがある。

     

     

     

    出来ない霊たちだ。

     

     

     

     

     

    軽く祈ってあげるだけ、が良いとわかった。

     

     

     

     

     

    いろいろ悪くされても、

     

     

     

    現実的な進行が、無い。

     

     

     

    亡くなって長いひとだ。

     

     

     

    関わるものを間違えず、

     

     

     

     

     

     

     

    観音を願うにしても、

     

     

     

     

     

    「私を、お見守り下さいね。」ではなく、

     

     

     

     

     

     

     

     

    「わたしが観てます、愛想を打つからね。」、

     

     

     

     

     

     

    極意は、

     

     

    そう南無妙法蓮華経を祈るときに、

     

     

     

     

    自分を立たせる技法を伴い、

     

     

     

     

    状態として「観世音菩薩」が成り、唱えている、

     

     

     

     

     

    となる。

     

     

     

     

    天は上の、

     

     

     

    仏界のその浄土、

     

    バランスのある考えと進展、

     

     

    進める自然さ、

     

     

    こういった喜びを、

     

     

     

    世の人、人民、民のわたし、と分かち合いたい。

     

     

     

     

     

     

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  • ほっとけの題

    実は、仏話は五年前に終わってる。

     

    その世人と決まってる。

     

     

    その追求に留まる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    如来でも、仏でも、

     

     

    対ひと、ではないし、

     

     

    為に、冠は皆無 、

     

     

    人間はさほど人間でなくても良いし、

     

     

     

    教えることならただ方向で、

     

    躾は反社会そのもので、

     

    人離する歳やタイミングでもない

     

     

    心に映る霊、

     

    大霊が、心霊(物の気高さ、磨き)ならまだしも、

     

     

     

     

     

     

     

    故に、生きることは、

     

     

    許されていない、のに墓を起こす

     

     

    ことをしない

     

     

     

    格には何の客観性も無い、

     

     

     

    うえしたもない、

     

     

     

     

     

     

     

    こんな力。

     

     

     

    カタチ化出来ない、そんな強い世界観。

     

     

     

     

     

     

    そして、それは怖いものだっ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 今、自分が判らないのは蟲ーの通り

     

     

    時代の言葉は、様々だ

     

     

    もっと成長する自分に興味を持つ

     

     

    未来やこどもたちは、そこから始まっているから、

     

     

    大人が大事だと思う

     

     

     

    満足がどうか、

     

     

    足りるとは何か、

     

     

    考える自身に余分がない

     

     

     

    つらいのではなく、苦とするその

     

    新しい出来事。

     

     

    歩むのなら

     

     

    潔さが、甘い

     

     

    辛さが足りない、

     

     

    こどもは無垢だ、大人は純粋だ、

     

     

     

    自分のルーツ、前やこれからを計る為にその道のりをいつも知っている 、明日の為の自分の蓋、

     

     

    尽力による尽力を、どうか試す

     

     

     

     

     

    自分がこう思うことが、人も同じで

     

     

    「持つ」と言った時点で、

     

     

    色々くれる。

     

     

    疑い、考える。

     

     

    こう空想する、

     

     

    胸を張れる「わたし」。

     

     

    信じることが、こうなんだ。

     

     

     

    何もないところに自分が歩み寄る、

     

     

    骨の折れる苦労は、

     

     

    また胸を高まらせ、心拍数を上げる

     

     

    繊細さの養われることは、

     

     

    目に置くと

     

     

     

    これは、強さ だ

     

     

     

    手先の器用さに似た、そう思う表現に似た、

     

     

    堂々とする

     

     

    鏡に赴き、ことばを破るなら

     

     

     

    これを解る。

     

     

     

     

    勢いは、日々刹那に

     

     

    そうして歩き来た道のりが運を形成したから

     

     

     

     

     

     

    風だと思う私の視界と、

     

     

     

    あなただと思う距離感、

     

     

     

     

    それは物と空間、

     

     

     

    大切な緊張感。

     

     

     

    おっさんのふやけたパンのような指首の震えは、だらしなさ、下品さ、情けないしょぼさ、

     

     

     

    「上」がこころを示す、

     

     

    そう知るには

     

     

    他者ではない自分には自分が必要、

     

     

     

    器という、溜めつづけるミナモト

     

     

     

    唇の潤い

     

     

    あなたには自分が必要、

     

     

    目標より二、三段、落とした自分でも

     

     

    諦めないのですよ、

     

     

    諦めずに済ますのです

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  • 墓グッズと顔学

     

    心が天に開いている中で、

     

     

    風水として、気学をする。

     

     

    家に心があるのは、

     

     

     

    人と離れずにいること。

     

     

     

    友達の家こそ、小さい時から神であり、

     

     

     

    家、この大事こそ有れば、

     

     

     

    「国」を想像に至る唯一の社会となる。

     

     

     

    大きな大きな我が目標の為に、血を吹いても守れる。

     

     

     

     

     

    夢の継続にたいする工夫は、

     

     

     

     

     

    心の壁をつくると、

     

     

     

    もっと良い光の感じ方が出来る。重要なのは、心の表裏が単に一枚の紙じゃないのだ。もっと面があり、無垢である。そしてどれもは私である。

     

     

    こういった面に対する星空のような複雑さ、それをそのまま捉えて、

     

     

    それこそ鵜呑みにし、数少なく生きること。

     

     

     

    北東は鬼門。じぶんの仕事など鍛える方位だ。一間を置くのにも手間をかける、

     

     

     

    現実で、自分が迎合出来る態度の形を追う。

     

     

     

     

     

     

    例えば「顔」は、

     

     

     

    身体と認めた時に、その立体性とうつくしさを臨み、

     

     

     

    皺や欠点と思う箇所を見て木と見捉えて好きになってあげる。

     

     

     

     

    影を理解し、執着のない感情を戻す。有り余る想像から、

     

     

    許している事が感じとれ、笑える。自意識の分析を済ましていれば、

     

     

     

    その事に、深みを覚えるからだ。

     

     

     

    自分という草木がある。いわく、

     

    こうなりたい、こういった自意識に対して自分をへし折り感受し思う事と同じくらい、誰かにへし折らせ花を思うアッテル。

     

     

     

    身体という予め絶対に持つ光の、向き不向きが有る。

     

     

     

    興味、感心に自覚と認識があれば、元気、及びその地続きの心にとても良い顔を知るのを、

     

     

    白比べを思わず、する、

     

     

    素直に日を思うように大切に。

     

     

     

    肩の力を抜くには、

     

     

    顔の大きさなど、足の太さなど、私の方は海辺の底力を自分が称え良いとわかる。つつじの葉に感じる嫌をそのまま受けるよう欠点をまず捉え、すると、

     

     

    身がすっと自立し、口角を上げる。

     

     

     

     

     

    と、して、

     

     

    距離感の合った、気の通る、光との調和を研磨し考える。

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  • 南無弥勒の仙道には

    2024/02/12

    蟲ー

    南無妙法蓮華経は、

     

     

     

    「みなみのしま」のように穏やかを祈る。

     

     

    「無」は、時間、空間、好き、嫌い、すべて揃い何でもあることを線により紐を綴じ理解する。

     

    人を信じるこの手を使うには、

     

     

    南と書いたときの十字星が、

     

     

     

     

    うつくしい天秤に、善悪を分けて頂き、

     

     

     

    父神(鳳凰)に計って貰う。

     

     

     

     

     

    よって、心立ちは空に届く無心の弥勒(かんろく)が良い。

     

     

     

     

     

     

    「かんがえる行い」は、自分がそうなるまでの、修行のはなし。その下働きを、神道、

     

     

     

    生活のさまを、仏道、

     

     

     

     

    探求するを、仙人、

     

     

     

     

    、、ひとに、仏が写れば、必ず実際の仏像をたしかめ会いましょう。画像でも○

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    深呼吸2

     

     

     

    顔や体の、調子がおかしい、とおもったら、

     

     

    光を浴びた手に心で「ね」と言う字を書き、

     

     

    そのまま手のひらから気で、患部に当てて、

     

     

    「申す」が成ル。

     

     

    最初にまず、神に「あなたの言葉を言いますね。」と、

     

     

    心に唱える。

     

     

     

    ユウレイにお帰り頂くよう、

    「なんみょうほうれんげきょう」と感じる、

     

     

     

    力まず、

     

     

    ボールのように軽く投げる。神棚や、空とおくへ。

     

     

     

     

    大事なのは、

     

     

    人を畏怖し、人を祝い、蟲ーを忌む。

     

     

     

    苦の原因であり、しっかり学び、

     

     

     

    未来に向かえるようこれからも、

     

     

    力まないバイタリティーを、日々まいにちで捉え、

     

     

     

     

    掴んで行く。

     

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  • 病を治す深呼吸の方法

    何かをする方法があって、

     

    遮るような言葉が不意に出てきたとする。しかし、

     

     

    何が有ってもそれをする!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    楽というのをもっと学びたい。

     

     

    そういったとこが、良い生まれの蟲ー、例えば皆が釈迦だと思った人物だが、

     

     

    蟲ーには存在して、そういったジレンマが人にある。

     

     

    楽を学びたい。工夫によって、くるしみから解脱したい!

     

     

     

     

     

     

     

    「影」を無視し過ぎて怒ったのが、弥勒菩薩、という「(神)」 (かっこ、神)。方位を司り、わたしたちが近づくと、人々を通常の良い方向と逆に動かされた。

     

    大きさとスケール。それが、こちらに向いているその意。

     

     

    其名曰(ごみょう、わっ)。文殊師

    利菩薩。(文性があります)観世音菩薩。(みてますよ、大丈夫)得大勢菩薩。(おおきく得なさいよ)常精進菩薩。(法を守ればたすけます)不休息菩薩。宝掌菩薩。薬王菩薩。勇施菩薩。(こぶし、ごはん、ゆうき、これらは休みなく)宝月菩薩。月光菩薩。満月菩薩。(まいにちをおおきく超える)大力菩薩。無量力菩薩。越三界菩薩。(朝がくる)拔陀婆羅菩薩。(身なりを正す)弥勒菩薩。(明けていく)

     

    (たからよ、よし。わたしは導師)

    宝積菩薩。導師菩薩。如是等菩薩摩

    訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属。二万天子倶。

     

     

     

    弥勒と思ったら、愛想で「ナム」と応える。

     

     

    悲しみ、だと、心を下にし、もう損や、つらいことであるが、

     

    かなしみ(ka、na、shi、mi)、だと

     

    月のような感じ方をすることがある。

     

     

     

     

     

     

    部屋の門近くに石を置いたり

     

     

     

     

     

     

     

    白佛(象に乗るの意味)

     

     

     

     

    悪いことがあったから、酒飲んで酒飲んで忘れようと、酔っぱらいが暴力になるような弱いひとに一番強い奴がその影に隠されてる。

     

     

     

    断面になっている人は山形だとふっくらするように祈ってあげる。

     

    土岩形はそのまま切らして置く。

     

     

     

     

    溜めることで循環タイプと流れることで循環タイプ、

     

     

     

    その中、蟲ーが目立って取り除きやすくなる。

     

     

     

     

     

     

     

    オオクニが、「わしは、出(い)ずるぞ!出ずるぞ!、この大和のくにから出ずる。」

     

     

     

    と、滅びてもそこにいらっしゃった。人々、諸霊を応援した、光の中聞いて泣いてしまった。普段から胸を詰めて青い川や、輝く想像に、没頭していた自分がある。それを回顧して、良いことがあると何か世の中に使えないかな、と考えていたこと。光は聞いてトントン拍子を取ったこと。けど、蟲ーが…

     

     

     

    一度、「人」を覚え感じた手は忘れないから、何を考えても良い、まして心の中。手のひらを仏壇に差し出すだけの、補助をことばにする軽い力の祈り。

     

     

     

     

    地球の更新に「貢献」して、と言うのを、手伝った極東の村。

     

     

     

    理性の宿しかた

     

    悪いことと、それを計らい得ることの二つがあって、

     

     

    それを、出来ると、

     

    「技術」となる。

     

     

     

     

    初心が、放っておいて得ることであり、無限の自由が、枠を作ることで捕らえられる。

     

     

    考えを捏ねて並べる、そうして組み立てられるから。

     

     

    一生コマーシャルしか流れないと思った平面画が、タワー式だと言う性格が発見され、奥行きの存在が判った。互いが間を持ちばらばらに散らばるかの星々を見た。

     

     

     

     

     

     

     

    精神網ザルのぼろぼろの私が回復した方法とは、深呼吸である。

     

     

     

    もともと、4時起きを十年続けていたから運が良いのだ!

     

     

     

    まず、乾布摩擦。朝、太陽光の中で裸になる。懐かしさを楽しむ。

     

     

     

    太陽に

     

    息をしながら、手のひらを挙げる。

     

     

    指先から、太陽光の通る感覚を得る。

     

     

     

    歌う時は、頭から遠く前方に届くようイメージするのだが、

     

     

     

    吐く時は、腹から。腹(こえ)の調子を聞いて、立ち向かう現実を見定める。

     

     

     

    音を出さずに柔らかく吐く、光を気高いその足、かかとへ、わたして光を前に運ぶ。

     

     

    広い腕で、

     

     

    手のひらで、気を練る。

     

     

     

     

    上に背を伸ばし、

     

     

     

     

    空に前方を開け、「受け止めます」と唱える。

     

     

     

     

    それをぐっと抱きしめ、

     

     

     

     

     

     

     

    羽を生やす。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 心の扉

    毎日拝んで祈っていると、

     

    泣く方向が判り、

     

     

    泣いていたら、

     

    色々見てもう開かなさそうだった心の扉も開いた、ご心配ありがとう。

     

    これからリズムを取り戻して行きたいと思います。

     

     

     

    蟲ーを見るのに、

     

    「ずさん」と額に張り付け瞑想する。超人、ちゃんと強くなりたい。

     

     

    海とか山とか荒い方が好きで、

     

    合わないひとはちゃんと気のガイドを聞いて、二三歩、離れて欲しい。私を知ってる人は、たまに思い出して欲しい。

     

     

    日々の時間の捉え方に、

     

     

    いくら大きな夢、巨大な理解が存在すると間近で知っても、

     

    過去の自分通りにその時間を合わせる、何かを持たない理想の生き方と速度。そこには誰かが本当にいる。

     

    感情も言葉も、揺れている。その人が興味を抱き挑める火がそこに在る。

     

    在る、有る、

     

    と言っても、

     

    在らせるのは、自分の力量。

     

     

    わからないところに立ち止まらず、最後まで読む。読み砕く。

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