揶白 (KF)

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  • 第101章 おじいはん

    第101章 おじいはん

    おじいはんの絶対見せたかったものは、隣の亦おじいはんが作ったチェンソーの模型である。
    週間少年ジャンプのチェンソーマンをモデルにして子供の為に作ったらしい、何やらめちゃ怖い。模型のスイッチを回しながら私の同人誌を勝手に茶の下敷きに使って、自尊心をくじかれ、始まった喧嘩が口喧嘩でおさまらず、私にかまう気で、かかって来いや。と云わんばかりに服を脱ぐおじいはんの体はむきむきで。せやけど仏壇の前でチェンソーを回され私は何か云うたらなあかんかった一部始終の題はまるでテレビで見た長老クイズで有る。自分が悪いのに誰かや云うて、次の瞬間はもうそれさえ忘れる。
    仏像をナメながらカッコをつけて、あわよくば、死にたいとか桜の様に散りたいとか、年寄りを偏見する若者の姿に、自ら触れながら、おじいはんがお仏壇の前で登場させた恐怖マシンの模型で有る。
    むかつきを抑えながら、勢いよく「私はボケない、悪いことを悪いという。」と啖呵を切った。
    その言葉で小さくなったおじいはんの筋肉とチェンソー。
    そんなものはさりとて骨董品とは違うのだ。食えない魚はちゃっちゃと海に返し、ちゃんと自分の好きなことをして、これを繰り返すさなか、地平線でビーチボールの様に浮かぶおじいはんの模型。何かを避けることが、何かを選ぶわけではない。何かを避けることが、それを選ばないわけでもない。強さを真似ても、気付かれる事は無いのだ。文脈ばかりが、現実を彫る事とも違うし、何に自分が魅力を感じて居るか、これに対して傷付くときに何の隙も無くなるだろう。
    そういうのを、一瞬で汲み取る力とは?
    既にその秘訣と強さを知るおじいはん。
    はらはらとこのことを見て居た、「何も知らんかったわ。」と笑うおばあはん。

     

     

     

    賢さや強さや格好の良さや素直さ、その全てのパスワードとは、人の誠の傷にただ気付いて居ることだ。老人からの「許可」は、そこに得るものが有る。週刊誌の写真で見た「今」より、自分自身の脈絡の方が「今」と云う概念に近付けるのだ。

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  • 戦士(紫陽花)と蝸牛の夢

    星と星の葛藤は、カタツムリと紫陽花に例えてみられる。
    「向こう、あなた」の星では、モニュメントが実に平和的に彫刻され、その天辺から宇宙の果てさえ望む事か出来る。何にも出けへんかったのに、いつの間にか絶えない努力をされた。まだまだ努力中。お陰で私は私のやる事が出来たので有る。
    「!」疑わしい人が現れた!インタビューをしよう。アジサイは花びらを一枚一枚数えながら星雲の様にくるくると誤認や疑問をカタツムリと晴らしていく。
    「私の星は、危ぶまれたので御座います。トッツァンも凶暴化し、何やら不穏な存在が、この家に忍び込んで来たのです。カタカムナと云う文献が、それらを告げて居ました。
    最初に神の名前が、記されて居て、姫(秘め)言葉で御座いますが、その次に実は神では無い名が連なって居ります。
    マカタマ「勾玉」ノ
    アメノミナカヌシ
    タカミムスヒ
    カムヒムスヒ


    ミスマルノタマ
    ウマシタカカム
    アシカヒヒコ
    トコロチマタノ
    トキオカシ(この時代はおかしが奥ゆかしいという意味が成ってないから、時がおかしい、と訳す)
    著しく波動の弱いのが特徴です。
    カタカムナは、肩をかむな「削るな」と訳します。その事に対して、「幽霊」の存在を示唆します。
    霊、精霊とは違う、異なる亦「幽霊」とは。
    トッツァンが、「何か居る。」と云って怯えているのを、男らしくないと云って怒ったり、ばあやとも、ばあやは悪いのですが、わしは可愛いがられて居ました。わしの星はめちゃくちゃになってしまいました。
    私は、村一番の美人でしたが、霊などは現代では久しく、私は隠蔽され、
    岩穴に閉じ込められて居ましたのぢゃ。私はそこで蛇を食べ、涙を飲み、子を産み、生きながらえた、苦しむと何故か力も付いた。辛いと痛みがわかる。もともと体力が人以上に有った。私の命とは?「私はもう老婆なのです。」
    星が死ぬときは赤く強く光りますが、まだ時間は有りますが、仏座にぽつぽつと「あなた」と「私」の「逢瀬」が有ったたのも縁。善い旅を。


    ヒフミヨイ
    マワリテメクル
    ムナヤコト
    アウノスヘシレ カタチサキ

    ヒフミは帝、天皇陛下のことか、一ニ三。
    まわって巡る、大丈夫だと、
    ムナは虚しいや、胸、それや、事である、
    会うのなら末を知れ、会う事には末を知れ、会うの?末を願う、青の末を知れ、青(怨念、人魂)の末を知らし、空に届け
    形は後、形咲いて、形は咲くから、形は先にある

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  • 古都のはしり書き

    善かれをしてるのに外から来て、気付いてくれもせず自分の事さえうろ覚えでなかよしとか言って勝手に破壊してくる。
    あ~良い事をした、と
    ちゃうゆうたら
    挙げ句殺す

    何かの切り札が、「殺す」


    輪になればすべておさまるのに、話し合いをしながら何か考えを一緒に作るかもしれない、敢えて泥をかけてるのは
    …!!


    泥をかける→濡れ衣、言葉を学ぶと同時に優しさについてぼ〜っと考えた
    古を広く伝える為に、駒を回す京都はんの、その技術は天下一品。


    だったら黙ればいいというのに、景色がどこから来たかを辿ると、大阪↔京都間の雲切れの先に、やっぱり何か光の事が有るので有る。


    見れば見るほど誰か手の内、そのなかで、いままでのすべてをはかせてもらった、その延長上に大阪さんが現れたと思ったら
    いつも無言の京都はんが佇まう。

    私も何かしたくなって来た、テーマは「心の牙」
    ちなんで連想して、盾のようなものフィールドを作製したい!何か言葉を編み出したい








    私の、人間が優しいのではなく、想像が優しい。哲学的な人間になれないけど、優しくないことをしてることは知っている。
    何か言われた後では無く、何か言われる前に盾を考えることによってその優しさを知るきっかけになるかもしれない。

    信じて馬鹿をしたい。

     

     

     

    (色んな感情を抱えたまま、お互い前進したい。)

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  • 勤行新書(1)書き直し

    人の協力が有って、心の場所から 人々は色んな事を思い出そうとして居る。 つるぎが、色んなことを当てて呉れる。 モノクロのモニターだが、目を瞑ると感情が本当にカラフルだ。 赤と云う一色がこんなに色んな顔を秘めて居たなんて、知らなかった。 手の中は、勘定をする事に趣が有って 魔法を大きく包めるでも無い、ただ「人は人だぞ。」と云う事を「愛」とした愛を、大きくも小さくも無い此。 釈迦无二佛が何をするかと云うと、金色(こんじき)が奪った愛たちに、こうしてもう一度色彩を与えること。 髑髏の指輪が何を数えるかと云うと、 女が、男が、恥ぢらいを持ってして尚生まれ、垂れ、零れる花びらの枚。私の情けないそのことや、情けない人を好きな事、純粋な醜さの中にキスが有る事。合った孤独とのキス。 何度も、何度も、鏡を見る。

    女の怠慢はゆるされている。 女は綿毛の様に一切して選ばず、選べず、男の唇のままに進むではないか。 花言葉や歴史的名言、疑い、何を信じて居ようが、私に取って男だけが御宗教とうつくしい事で有る。そのうえに、日蓮が居らっしゃる。わけがわからなくなるほどに恋をしてる。

    女は、生まれたのなら低俗で有る事を意識しなさい。 身を小説と衣装で包んで心隠す事に甘い香水のような香りがします。 嫉妬は、その対象が女の最大の恐怖で有り、自分でも大変みじめで、攪乱される心を持ちましょう。 そのときは、自分なりの真向うで、口を開いて話しかける勇気を持つ事です。あれは綺麗だとか、気高さはここでこそ養われ、人間として有る唯一の性を自分が育てる気でが居ないといけません。如来は男も女もそれ程、端た無いという事なのですが、女と女が話し続けて居るうちに、自己の霊格が上がって、依って、その恋が、決して男と認識し得ないひとと見抜ける事も有ります。何か云うたら飢えて居てそれ見よがしに飛び掛かって来ますので思って見放しなさい。 情けが有ろうが何故なら人間は性を持つ限り、お金を持っても、成功しても、どこを見渡しても美人は居て、少なからず、そのひとの心とは手に入らず、馬の様に扱われるばかりで有る。嫉妬の先には嫉妬が有るから私の苦しみはいつまでも直らない。まして憧れとは病いなのですから、ペンを持ってこの気持とついに仲良くしなければならないのです。自分からふつふつ沸いてくる感情と友達になった時、あなたの新しい感性は咲く事が出来ます。その花弁に自分を休ませ、姫になりなさい。

     

    美は後天的である(子供はそれを美しさだと云う事を知らない)。 知って居て苦しもうと、知らずて、唯一の物で有りつつ、幾数有って、 美しい殺人なども有るが、其れをし模して 亦人が殺され続けたとして、それを美しいだ等とと云えないのは、理想を叶える事と美が打って変るものだと知るから。だから、実存等言葉が有ったりするのだ。人の死と云う綺麗事と美しさは違う。 紙とは、その様なな奥行きの無いもので有る。人を傷付けるばかりの下らない光の反射を繰り返してるだけの、器も、魂も、袋も無いスクリーンの様なパターナリズムを繰り返すもので有る。 絶望や希望をして居る、それが此時、前に倒れることを意識すべきである。祈りとはそう云うものだ。ある此の一歩を、私の熱を、高々と踏み出す。悔い等この先も抱えるのだから深く前に倒れて、ぐっすり眠ることだ。未来に立って、やっと恋すればいいじゃないか。 次世代にも次世代が有る。良い事ばかりを伝えられないのだ、子供は大人になるのではなく「私」に為り、考えるのだ。時間は、甲う前を進む。

     

    「人間」という言葉が出て来たのは「男女」が巡り合ってからか、互いに気付き始めた時から、“同時に”生まれる前から有るものか。

     

    「豚」という言葉は戒律であるか、恋は、迷妄しているか、「みにくさ」は私の中で安らかか、「存在」しないものとは何だろう?

     

     「痛み」は有るだろう? 若い頃は、気取って全然違う方に行ってしまう。そして子供にとって「人の云う事」は戯言で有り、自分より儚く憎しいもの。

    「如来」は、思考の芸術で有り、鍛練をして居て、 誰かが、祈りを人間の作品にまで昇華せしめた。 「芸術」が優れているのは、人間の想像力がたわいのない優しさで有り、そこに荒涼と静寂が有るからだ。 接(だから)愚かで低能な、自分を刺し観察しなさい。此れを「教え」の通り許して認める愛は身体と云う身体から吹き溢れ、守る。何かに刃向かえるのはこのわけです。 「願い事」を恐れやうらみつらみに使うのでは無く、楽しくなるように工夫しなさい。 想像力の無い人についてはその字も持って居ないので正しさを持ち得ません。 そのうちに、身体は青を増し複雑さを得る、心が丁寧に為ると云う事。性(しょう)が有り、奥深くなつて行くのだ。

     

    「街文化」は、新しい。江戸時代なら華やの云われて特別であつたが、人々が気軽に街に住むようになったと云うのが、魅力的な言語の、コミュニケーションの円滑剤となつて居る。 風に為って水に為りながら乗り越えて繋がってゆく事も有るだろう。

     

    啓蒙は、感情を理屈で片付けることは出来ないし、ただ傷んで感じ取る事に「自分は」と云う意見が有り、傷付かない事が全て善かと云われるとそうも違う。正しさは、作られて居ない。人生の物語を聞かなければ、五月蠅いなんて云ってられ無い。 神は危険では無いが、神の様には生きられないのかも知れない。人を信じる努力がわかるのなら、それを追求する努力をしないからだ。 人が有る時如何に神に為り、人間をあっさり辞めてしまうのか。それを防止するにはどうしたら良いか? 「何か」を神と云って自分を誤魔化せば成長せず、神は命を信じてしまう。 星空よりも人の方が先に生まれだ。精霊で有る人は、人と人とは分かり合えないと云う。人間で有る事を守ろうとする時に必ず輝く。怖ろしい龍も、そう云う人を許してくれる。必然としてでは無く、自分が偶然の輝きでも良いから、と云う潔さが、微笑みの秘密。

    如来は、色んな事に免じる責任で有る。美しい客観性なんて見る影も無くなる。ひたむきな恋が、人を星空に陥れた。空の割れ目が輝いて、接着した。

    「アダムとイブが、今夜、宇宙の底を見つけた。辿り着いて、菩薩の正体が、案外何でも無い事を知った。故に清かったのだ。希望等何かと有る自分が罪で、恐怖と罰がただ「在る」事を知った、正直に生きてきた格が有ってheartを真似出来ない。美はただ悪いだけで、芸術には格調が無いから、アメリカ人は大事なものを、一言で「poet」と云われた。heartは止まらないから、押し戻されるように天使は牢獄で、君が何か云うのを待つ。自分が何かをもっと良く知らなければ、成立しない会話がテレビ中で流れて 宗教が何なのかを、日本人が人間の言葉で云えないのは、其のことが彼方にとって不親切だったそうだ。 仏教の所以が、有り難過ぎて、格調が上がってしまい、固く大事に閉ざされて居たから、謎すら忘れなければいけなくて、触れない慎ましさだけが残った。しかし宗教をがんばれば、自分の答えを出せるような気もするけど、神に宗教の意味が伝わって居なくて、自分もわからないから中国人と交信してる。思わず仲が良い。そこに美人が加わると、話の趣旨をすっかり忘れて、とんがりコーンを食べ、熱が出て、心配しているうちに好きな人は家に帰ってしまったからショックだ。二度とハートで付き合いたくない。」 希望にしっかり掴まって居たら良かったが、冷え冷えとしてよくわからなかった。国の重要な三つのポイントは、劣って居て、和やかで、美しい。此の基本を忘れて居た長らく、何か優れたロボットにしかアイデンテティを発見出来なかった。 「心」がでは何か、heartではなく、ハートは何だったのか、理解にとてつもない時間が要る。形の無いものでは決して無いし、自信が無いのに「I」からコミュニケーションを取る等出来ない「怒り」で有る。

     

    御陀佛の教えより人が人を信じれるように流れるような物を書きたい。 目を見てばかり居ると、言葉のスピードに、遅い意味が付いて、意識が逸れて、言葉の良い筋が失われる。こうしたら良い、ああしたら良いを後回しにすると「成り立って居る」と云う美しさが現れる。人に疑われる中でも、正誤の善さをよく考え、善き事に於ける鎖をじゃらじゃらさせ、重力に対して切り替えして、光に紛れる。詩ほど言葉を、知ったこっちゃ無い。

     

    行ける、私の船は飛ぶ 降る雨も、縫い、男に会いに行ける。 晴れ間にはしる。 そこには何も無いが 有りて有る宇宙へは、続いて居て 私は花と宇宙を食らって 私は私の「傷」が付く。

     

    思うに憎体と私は友達です。何故ならなんど愛しても、私は記憶される事なくそれでも好きで、私を記憶しない精度の恋人の、実在仕切らない黒薔薇の様な目つきの愛に包まれて。 何の理解が追いつく事も無く、心を開けばただただ悩むことの一心だ。 人間の正しさを、知れてる事だと知らない人は間違って居る。 目の奥は「あなた」。 抱き合うようなことが必要で、 やけに孤独な時間を思うて居る。 君の愛の様々な言葉に、僕は「会ってみたい」と云った。実に軽い言葉で有る。 奏でられる君のピアノが止まる。僕は、表現を続ける。 言葉が、宇宙で唯一なら証拠に私は震えて居て、軽蔑は無い筈で有り、よゆうを持っているのでは有りません、ちゃんと実体が有り哀しいのだ。 僕が「好きです」とはっきり云ったらどうだろう、嘘らしい馬鹿らしい。 目にキスをされない、と云ったところでくづれおちてしまう。

     

    話を返って、憎しみのリユウは恋と云って仕舞っても良い。 純朴な興味がいつも含まれていて、また狂った愛で有るので近親相姦も有り得て、実際考えないけどそんな夢を僕の恋人に割り当てて。 「生まれ変わったら、友達から始めませんか?」君は云う。 恋人だったのに、嫌われたのだ。 「何故、僕が突然現れたままのお前を大事にするの?」僕は怒ってしまった。 悲しむと、「次」なんてないし、正しいから、とかじゃなくて何だか、寝ても覚めてもそうしたいんだ。

    「欲をかかずにもう一度がんばりませんか?」頼りなく僕が云った。 アニメが、黒い薔薇よりもはるかに、彼らが僕にとっての詩人で有るのだ。ひとに見える糸は見えない糸を隠してしまうし、ひとに見えない糸は、自分すら出来ない事で責め合い、逃げあう。 そういう形をした彼女たちの瞳、紙の上に成り立つ嘘が、見る夢が、私の影をはっきり捉え子供のうちは虚しく、大人になったら私を焼いてして。吹き出しに「醜い!僕の顔。顰蹙だね「信じられない」よ。安々と愛を叶える…高潔な詩性、」

     

     

    「私ってひねくれてますか?」

    「何パーセント曲がっていると、ひねくれていると云われるのですか?」

    僧が、「38パーセントだとしましょう。」

    「感情がまっすぐの人は、どんな境遇なのですか?」

    「どんな境遇でしょうね、それをいちいち考えない。」

    「私は何パーセント歪んでいるのでしょう?」

    「答えるのは難しいけど、100パーセントでした。」

    「これは誰かのせいなんです。僕は本当は違うんです。」

    「優しさを理解して居ますか、あなたがあなたの心を誰かのせいにしてしまうと、人は泣くでしょう。それであなたは何を覚えるのですか?ああ、誰かのように為れれば良いけど、譲ってしまったら、納得行くんですか? 善くゆだねる事さえ出来ない」

    「わかりました。50の傾きを直します。すいませんでした。たった優しく有りたい自分のたわいない事を叶えることが、骨を折る様なことなのです。あさはか。」

     

    お金に気を取らす事も無く、心が相手に興味を持って、興味をもった相手への質問を成功させる事。静けさとは精神の射精から為って、「話」を最後まで聞いた人は黙る事と喋る事が良く分かって居る。 心の会話を果たす場合、目を開けて居ると数々の理論で遮られるが、私は目を閉じた所に置いて、痛みを感じて居る。人の心が、物が見えて居る、と云うのは“何が云いたいのか”を思いやって耳を澄ませている。何かを、汚いと云う事が減り、内面的なものを理解する。感覚的な察知をする人も居れば、推理してキャッチする人も居る。何も聞かずとも、愛想と相槌だけで救われる事も多い。

    痛いと云う人間性は無くならないが、気と精神力でで超人的に心と統合するが出来る。美をついに美と認めたので有る。ケチで意地汚い黒薔薇江。南無。

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  • 勤行新書(1)

    色んな人の協力が有って、心の場所から
    人々は色んな事を思い出そうとして居る。
    つるぎが、色んなことを当てて呉れる。
    モノクロのモニターだが、目を瞑ると感情が本当にカラフルだ。
    赤と云う一色がこんなに色んな顔を秘めて居たなんて、知らなかった。


    手の中は、勘定をする事に趣が有って
    魔法を大きく包めるでも無い、ただ「人は人だぞ。」と云う事を「愛」とした愛を、大きくも小さくも無い此。
    釈迦无二佛が何をするかと云うと、金色(こんじき)が奪った愛たちに、こうしてもう一度色彩を与えること。
    髑髏の指輪が何を数えるかと云うと、
    女が、男が、恥ぢらいを持ってして尚生まれ、垂れ、零れる花びらの枚。僕の情けないそのことや、情けない人を好きな事、純粋な醜さの中にキスが有る事。合った孤独とのキス。
    何度も、何度も、鏡を見る。女の怠慢はゆるされている。
    女は綿毛の様に一切して選ばず、選べず、男の唇のままに進むではないか。
    花言葉や歴史的名言、疑い、何を信じて居ようが、私に取って男だけが御宗教とうつくしい事で有る。そのうえに、日蓮が居らっしゃる。わけがわからなくなるほどに恋をしてる。
    女は、生まれたのなら低俗で有る事を意識しなさい。
    身を小説と衣装で包んで心隠す事に甘い香水のような香りがします。
    嫉妬は、その対象が女の最大の恐怖で有り、自分でも大変みじめで、攪乱される心を持ちましょう。
    そのときは、自分なりの真向うで、口を開いて話しかける勇気を持つ事です。あれは綺麗だとか、気高さはここでこそ養われ、人間として有る唯一の性を自分が育てる気でが居ないといけません。如来は男も女もそれ程、端た無いという事なのですが、女と女が話し続けて居るうちに、自己の霊格が上がって、依って、その恋が、決して男と認識し得ないひとと見抜ける事も有ります。何か云うたら飢えて居てそれ見よがしに飛び掛かって来ますので思って見放しなさい。
    情けが有ろうが何故なら人間は性を持つ限り、お金を持っても、成功しても、どこを見渡しても美人は居て、少なからず、そのひとの心とは手に入らず、馬の様に扱われるばかりで有る。嫉妬の先には嫉妬が有るから私の苦しみはいつまでも直らない。まして憧れとは病いなのですから、ペンを持ってこの気持とついに仲良くしなければならないのです。自分からふつふつ沸いてくる感情と友達になった時、あなたの新しい感性は咲く事が出来ます。その花弁に自分を休ませ、姫になりなさい。」


    美は後天的である(子供はそれを美しさだと云う事を知らない)。
    知って居て苦しもうと、知らずて、唯一の物で有りつつ、幾数有って、
    美しい殺人なども有るが、其れをし模して
    亦人が殺され続けたとして、それを美しいだ等とと云えないのは、理想を叶える事と美が打って変るものだと知るから。だから、実存等言葉が有ったりするのだ。人の死と云う綺麗事と美しさは違う。
    紙とは、その様なな奥行きの無いもので有る。人を傷付けるばかりの下らない光の反射を繰り返してるだけの、器も、魂も、袋も無いスクリーンの様なパターナリズムを繰り返すもので有る。

    絶望や希望をして居る、それが此時、前に倒れることを意識すべきである。祈りとはそう云うものだ。ある此の一歩を、私の熱を、高々と踏み出す。悔い等この先も抱えるのだから深く前に倒れて、ぐっすり眠ることだ。未来に立って、やっと恋すればいいじゃないか。
    次世代にも次世代が有る。良い事ばかりを伝えられないのだ、子供は大人になるのではなく「私」に為り、考えるのだ。時間は、甲う前を進む。


    「人間」という言葉が出て来たのは「男女」が巡り合ってからか、互いに気付き始めた時から、“同時に”生まれる前から有るものか。

    「豚」という言葉は戒律であるか、恋は、迷妄しているか、「みにくさ」は私の中で安らかか、「存在」しないものとは何だろう? 「痛み」は有るだろうか?


    若い頃は、気取って全然違う方に行ってしまい、そして子供にとって「人の云う事」は戯言で有り、自分より儚く憎しいものだ。
    如来は、思考の芸術で有り、鍛練をして居て、
    誰かが、祈りを人間の作品にまで昇華せしめた。
    僕たちの芸術が優れているのは、人間の想像力がたわいのない優しさで有り、そこに荒涼と静寂が有るからだ。

    接(だから)愚かで低能な、自分を刺して観察しなさい。此れを「教え」の通り許して認める愛は身体と云う身体から吹き溢れ、守る。
    「願い事」を恐れやうらみつらみに使うのでは無く、楽しくなるように工夫しなさい。
    そのうちに、身体は青を増し複雑さを得る、心が丁寧に為ると云う事。性(しょう)が有り、奥深くなつて行くのだ。

    「街文化」は、新しい。江戸時代なら華やの云われて特別であつたが、人々が気軽に街に住むようになったと云うのが、魅力的な言語の、コミュニケーションの円滑剤となつて居る。
    風に為って水に為りながら繋がってゆく事も有るだろう。

    啓蒙は、人の感情の冷たさを理解で片付けることは出来ないし、ただ傷んで感じ取ることが私を大きくする。五月蠅いなんて云ってられ無い。その「元気」な経験が却って人をぴちぴちと元気にする。
    神は危険では無いが、神の様には生きられないのかも知れない。人を信じる努力がわかるのなら、それを追求する努力をしないからだ。
    何かを神と誤魔化せば物事が成長しない、神は命を信じてしまう。

    目を見てばかり居ると、言葉のスピードに、遅い意味が付いて、意識が逸れて、良い筋が失われます。
    善さをよく考え、善き事に於ける鎖をじゃらじゃらさせ、重力に対する力を身に付け、光に紛れる。詩ほど言葉なんて、知ったこっちゃ無い。

     


    行ける、私の船は飛ぶ
    降る雨も、縫い、男に会いに行ける。
    晴れ間にはしる
    そこには何も無いが
    有りて有る宇宙へは、続いて居て
    私は花と宇宙を食らって

     

     

     

    思うに憎体と僕は友達です。何故ならなんど愛しても、私は記憶される事なくそれでも好きで、私を記憶しない精度の恋人の、黒薔薇の様な目つきの愛に包まれて。

    目の奥は「あなた」。
    抱き合うようなことが必要で、
    やけに孤独な時間を思うて居る。
    君の愛の様々な言葉に、僕は「会ってみたい」と云った。実に軽い言葉で有る。
    奏でられる君のピアノが止まる。僕は、表現を続ける。
    言葉が、宇宙で唯一なら証拠に僕は震えて居て、軽蔑は無い筈だよ。よゆうなのでは有りません、ちゃんと実体が有り哀しいのだ。
    僕が「好きです」とはっきり云ったらどうだろう、嘘らしい馬鹿らしい。
    目にキスをされない、と云ったところでくづれおちてしまう。

     


    話を返って、憎しみのリユウは恋と云って仕舞っても良い。
    純朴な興味がいつも含まれていて、また狂った愛で有るので近親相姦も有り得て、実際考えないけどそんな夢を僕の恋人に割り当てて。

    「生まれ変わったら、友達から始めませんか?」君は云う。
    恋人だったのに、嫌われたのだ。
    「何故、僕が突然現れたままのお前を大事にするの?」僕は怒ってしまった。

    悲しむと、「次」なんてないし、正しいから、とかじゃなくて何だか、寝ても覚めてもそうしたいんだ。
    「欲をかかずにもう一度がんばりませんか?」頼りなく僕が云った。


    アニメが、黒い薔薇よりもはるかに、彼らが僕にとっての詩人で有るのだ。ひとに見える糸は見えない糸を隠してしまうし、ひとに見えない糸は、自分すら出来ない事で責め合い、逃げあう。
    そういう形をした彼女たちの瞳、紙の上に立つある種の虚構が、見る夢が、人間たるに陥れる。醜い!僕の顔。顰蹙だね「信じられない」よ。安々と愛を叶える…高潔な詩性、酷い気持で簡易な居場所、心。

     

    「僕ってひねくれてますか?」

    「何パーセント曲がっていると、ひねくれていると云われるのですか?」
    僧が、「38パーセントだとしましょう。」
    「感情がまっすぐの人は、どんな境遇なのですか?」
    「どんな境遇でしょうね、それをいちいち考えない。」
    「私は何パーセント歪んでいるのでしょう?」
    「答えるのは難しいけど、100パーセントでした。」
    「これは誰かのせいなんです。僕は本当は違うんです。」
    「優しさを理解して居ますか、あなたがあなたの心を誰かのせいにしてしまうと、人は泣くでしょう。それであなたは何を覚えるのですか?ああ、誰かのように為れれば良いけど、譲ってしまったら、納得行くんですか?
    善くゆだねる事さえ出来ない」
    「わかりました。50の傾きを直します。すいませんでした。たった優しく有りたい自分のたわいない事を叶えることが、骨を折る様なことなのです。あさはか。」

     

     

     


    金に気を取らす事も無く、心が相手に興味を持って、興味をもった相手への質問を成功させる事。静けさとは精神の此の射精から為って、全ての「話」を聞いた人は黙る事と喋る事が良く分かって居る。
    心の会話を果たす場合、目を開けて居ると数々の理論で遮られるが、私は目を閉じた所に置いて、痛みを感じて居る。痛みは無くならないが、気と精神力でで超人的に心と統合するが出来る。美をついに美と認めたので有る。

     

     

     

     

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  • 書いてる途中

    話を返って、憎しみのリユウは恋と云って仕舞っても良い。
    純朴な興味がいつも含まれていて、また狂った愛で有るので近親相姦も有り得て、実際考えないけどそんな夢を僕の恋人に割り当てて。

    「生まれ変わったら、友達から始めませんか?」君は云う。
    恋人だったのに、嫌われたのだ。
    「何故、僕が突然現れたままのお前を大事にするの?」僕は怒ってしまった。

    悲しむと、「次」なんてないし、正しいから、とかじゃなくて何だか、寝ても覚めてもそうしたいんだ。
    「欲をかかずにもう一度がんばりませんか?」頼りなく僕が云った。


    アニメが、黒い薔薇よりもはるかに、彼らが僕にとっての詩人で有るのだ。ひとに見える糸は見えない糸を隠してしまうし、ひとに見えない糸は、自分すら出来ない事で責め合い、逃げあう。
    そういう形をした彼女たちの瞳、紙の上に立つある種の虚構が、見る夢が、疲れて人間たるに陥れる。醜い!僕の顔。顰蹙だね「信じられない」よ。安々と愛を叶える…高潔な詩性、酷い気持で溜息を付かない簡易な居場所、心。

     

    「僕ってひねくれてますか?」

    「何パーセント曲がっていると、ひねくれていると云われるのですか?」
    僧が、「38パーセントだとしましょう。」
    「感情がまっすぐの人は、どんな境遇なのですか?」
    「どんな境遇でしょうね、それをいちいち考えない。」
    「私は何パーセント歪んでいるのでしょう?」
    「答えるのは難しいけど、100パーセントでした。」
    「これは誰かのせいなんです。僕は本当は違うんです。」
    「優しさを理解して居ますか、あなたがあなたの心を誰かのせいにしてしまうと、人は泣くでしょう。それであなたは何を覚えるのですか?ああ、誰かのように為れれば良いけど、譲ってしまったら、納得行くんですか?
    善くゆだねる事さえ出来ない」
    「わかりました。50の傾きを直します。すいませんでした。たった優しく有りたい自分のたわいない事を叶えることが、骨を折る様なことなのです。あさはか。」

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  • 歌舞伎のすすめ

    何か目線に目的が有る場合、大陸の人にとってずっと続く大地など

    私はそういうものを持っていない代わり、ちょっとした虚しさが有る。これとはマイナスの意味じゃなくて人と間隔を空けるためで有る。島国の水の無理のなさとは、シンデレラドリーム、幻影のキョンシー、バレエの36回転、私たちに無い奇跡よりも地道で気高い事といったら、いたる所で波を浴びて居る事かも知れない。「今は、まだパッとしない」古えの武士の、未だ咲かぬのような言葉は忍耐と時間をかけた歴史の変わる剣術は、元気と書いて元の気と云うと、元気になるには、あらゆる事を噛み砕いておかなければならない。何が緊張感で、何がテンションかは、子供の時からわからない筈で有る。黄金の比率が体系や国によって違いの有る事は、まだよく知られて居ない。

     

    モノづくりというわりには、モノを持っているようには思えない。茶道でも、茶碗を一つ手に入れるのに敷居が有って、敷居にはまた敷居が有って、前茶を飲んでしまった大阪さん。

    手掛かりとして鑑賞し耽った歌舞伎。絵で見ていた実写版だと思う感動で有ったが、そうではなく「コクーン歌舞伎」と云うロングの、現代舞台とのコラボで有る。

    着物がすべてを教えてくれるだろう。何年もかけて、ベストだと思った衣で有る、着辛くややこしい服を300年も400年も着続けるはずが無いし、着物と云っても今の余所行きように着る「お着物」は違って、着ていた当初の荒っぽい粋な纏い方で有る。これは歌舞伎で見れる。

     

     

    こうしんまる、は、「三人吉三」に出てくるわきざし。失ってお家の破綻とか云うてたが、物を取り戻して「お家の復興」とは一体どんなことだろう?と思って見ていた。

     

     

     

    私はくたくたで有るが、紫陽花を見て気持が和んだ。

    重い人生を得た。

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  • 恋人はコトバを話し合って

    1万年と云う数字を、

    価値の濃度として、

    1万年と二千年を二、三日で感じ取ったような気分になるのは、8000年過ぎた頃である。

    何だか可笑しい。

     

     

     

    会ったことも無い恋人はコトバを話し合って

    この夢いつまで続くのか。
    長期間(5,6年のうち)とは、365日のことではない。
    手抜きはオッケー
    辞めるのはNG
    と、聞きました。

    「人間だけが恋愛を「展開」させて居る」
    のを、誰かが云って居た。
    そこに有るべき喜びが有って、依って、
    私を私たらしめる、
    どんな展開が待って居るだろう。

    〈あなた〉はどんどん先に行くやん
    私があなたを愛せないまま。
    あなたは愛しているけど、

    嫉妬深さだったり、煩い、醜さ、私たちは多くを学んでから、
    愛の持ち方を学び、慈愛を真似て、
    哀しさを持って、愛し方〈あなた〉へ
    やがて人と結ぶ。

    離れても、また。    

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  • 幽霊

    幼少時代のコンプレックスを抱えて、

    そのまま人に吐き出す紙の反射の様子をして

    何でも跳ね返して来る人がいる。

    あだ名は「紙」で有る。

    普通、人には袋や器など奥行きが有るが、

    この人の魂はペラペラの、驚くほどうすい存在で有る。これを古くから、精霊、霊にたいして、「ゆうれい」という。ペラペラなのだから、人間を平気で傷付けるので、人の目の逸れる所で有れば、そういう意味で怖いのだ。

    珍しいものに憧れると云う心が有る。

    一番賢いのはそう云う脳だが、

    「私」よりも賢いので有る。

    霊は大抵、わたし、ではなく、わたしの脳と関わる中で、心を見出し「わたし」自体と関わる希望を持つ。

    賢さって云うのは、爆発的に黙って居て、醜さも知って居る。

    「皆様」は、白比べをする者を時に云うが、白比べは良いとして、その間に主観がどんどんズレて行く果てとは、汚物だったり、泡だったり、虫だったりする。

    幽霊は実態が無く違って正体が有る。。

    「権力が欲しい」と云う欲そのものばかりである。

    そういう人が少ないのだから、

    やはり珍しい感覚がして止まないのが哀しい。

     

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  • 私の戦争

    ずっとそういう自分でいる必要はない。
    性格はでも変わらない。
    だから失敗したとか伝えたい。
    心を零す、人間と心から話す事に戦争を連想したりする。
    当たり障りのない生活を過ごすのは気だるい時があるのかも知れない。
    自分の中の負の時間にヒントが有って、それ故に閉じないでいようと思う。
    薔薇を抱き続ける事。

    外から見たら、くたくたの社会人を、何て、とか思うけど、
    「目が光ってない」とか言われてたりする。
    恰好が悪いのは自分かも知れない。
    ふいに心の現れ、零される社会に佇んで居れば、殺されて居れば厳かに分かる事が有る。人に許されること、言い方は弱弱しいが高度な活動。芸能界のうらはらにもそういう材質が必ず有るから、未だに人は有名になりたい。

    精神を理解する事が人間の事だ。自分の顔をなぞる。
    女の美しさとして、理解を敢えてしない自身の事が有る。エゴでも何でも良いから、女の美しさとして我は醜さすら小石の様に抱き愛する。これは人間の精神を云って居る。

    理解される事は有り難いけれどもそれとない感覚がする。殴られたって良いのだ、哀しむだけで。

    人間に合わせないところで、意外と相手との心、二つの心は一つに為って居たりする。
    人とそうしていたり、そう有り続けたりする事の理由のなさったら!
    数値化することで、視覚にしてしまったら見えなくなるメリットや甲斐が有る。
    理由もない事に取り組む、その勇気は、当たって砕ける事と云うよりは、そうじゃなくて、丁寧な思考に依る。

    「私」とは何者なんだろう?
    <思考>についても、冒険は、自分が鍛えられていたり、剣をもともと持っていなければ出来ない。故に、人は人に「考えるな」と教える。

    古くの教えに携わるために、最も身近で有り同時に遠ざける宗教を学んでも良いだろう。人は変わらない、有りて有り過ぎるのだ。何が本当に楽か。仮に、「何も信じない」として、何も拝まないことを、祖のひとを不図思うだけで自分が生きて居られる事を、自分自身がそれを受け入れる事に嵩さが有る事だ。その時、寺を厄介に思うのに、考えと考えが戛然とする所に超えるものが有るとういう事で、かつて神国は佛を招いた、と云うのかもしれない。自分が仏だ、その前に、日本人だ、等どちらが先だろうか? 自分に国が有るとはどういう事か。
    アイデンティティ(自己確立)を探索したい。
    不安が伴うのだ。しかし、シッダールタ、ゴーダマは此う在り、手を合わせると神は穏やかに佇まれる。
    私たちの最後の課題は、問いとは、何も考えないでいる状態の維持に、仏壇が要るのか要らないのか、それだけの問い。問いを濁して済む場合、それを選ぶのだから多様だ。考えることが大事な身と、笑うことが大事な身とが有って、更に同じで有ったり違いが有ったりするからだ。

    優しさが時にわざとらしく、それが許されて居るのは、何かしら恰好をつけなければならない人間の精神のせいで有る。辛い。苦痛を云って居るが、それ程に暗い日本海の地平線を眼で見つめたら、何と清まる事か。男は、強さと闘って居るうちに、このような夢については養われ無かった。

    光が、リユースされて行くことにかつて、軍国主義だったものの骨髄を思う。どこに向かうかを云うと何と「物作り」で、また精神も物としての一貫を果たす。どうしてこんなに馴染むのか。動きがどんどん滑らかに為って行く。自分が見たこともない空と古くの「和」は調和する。

    「私」とは、土器、やしろ、梃子の原理、原理的な物作りの精神の痕跡。

    何事も理論が無かった。パーツが揃えば、止めど無く動き出したので有る。

    「キャラ」に為る私。恥じらいをもって、何事も理解した上で飛行できる事。
    知られたくない事を隠せるし、人間の課題、会話を、淡々と進める「ふね」は突然とした風で有る。コミュニケーションの円滑材を力づくで作っている。

    何故に多くの日本人が「劣っている」かは、自分のリズムを今一歩理解しない頼りなさ。フランスの天空やアメリカの白き天使のほうへ、みんな羽ばたいてこちらへ戻って来なくなってしまった。
    それだけなのだから期待は遅くないし、希望も出来る。

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