揶白 (KF)

絵画

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    Works 43

揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 43
  • 理不尽なことがあって、口がもごもごする。

     

    感情は火を噴いて居る。

     

    云いたい事が心にあふれているが、

     

     

    詩情とは、生活であり、宇宙であり、心であり、霊だから、

     

    かゆいと思うのも生活としての詩情なのだが、

     

    何か嫌なものを自分で弾く潤いとは、

     

    あらゆる愛着なのだ。愛情は、時間と過ごすのだ。

     

     

    心読は、心理学とは違い、悉くそれを除けて居る。

     

    老人の様に、自分の葉が、ふさっと有るならそれを見てゆけて、

     

    三十、四十、と若いうちに新しい芽を増やしたい、

     

    と、思ったら書き続ける。

     

    お能の「花」は、七十で有るのだから。

     

     

     

     

    霊とは、「見えない」と書きます。

     

    昔よく聞いて居た「アゲアゲ」とは、霊格のアップのことだった事に気付いたのが、

     

    クラブに街に出るようになって気持ちまで明るくなって来た、良い音楽のお陰だ。

     

    何でも聴いて居た。「良い音楽を聴きなさいよ。」と、口をすっぱくして、お兄さんがクラブで

     

    美しいレコードをかける間中、全員に語って居た。

     

    それを聞いて居たが、「好きな人」や、「悪い音楽」の存在を知らなかったので、大人(お兄さん)の云う事を無理解にして、

     

    飛んだり、跳ねたりのラクなダイエットを評価して居る事が、

     

    孤独を守れたり、茶を呑んだり、自分の暗い一室を閉ざす事が出来て居たのだった。

     

    お兄さんは、「恥を知りなさいよ。」とも云って居た。

     

    自分に失念したのちのそれは養い方の為で有るが、学校の先生も、「最近の子は喋らんね。」と云う。

     

    テープやCDばかりを聴いて居たのだった。それを「上品」だとか気を使って、回議にたいしてはそっと触れる先生。

     

    私は東大阪のアクイースと云う、クラブでキャッシャーをしていたのが高校生を卒業してからだ。

     

    とんでもなくかっこいい仕事だ。

     

    イベントに人が来なかったら来ないで、部屋から太鼓を取り出して来て、オリジナルの歌を歌ってくれ

     

    毎日笑って居た。

     

    「かっこいい人、もの」のことをいつも考え、

     

    私が、大人になって、大人の云う事が聞こえて来る頃、

     

    とは、ようやく「自分の面」というものが咲いてきた、外の世界をまに受けるのである。

     

    それでも経験が有るから、「育ち」としての楽しさを幾つも見出す。

     

    「初めまして。」と“DJ”と挨拶を交わしたのだ。

     

    「雨が降る」ことを知覚して、足(ペン)をのばして、発達するのはやはりこの時期だ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


    音楽から連想される宗教のカンジとは、それとはまったく逆の対比された「弱さ」なのだ。

     

    哀しいことを哀しいと云い、思い、そうやって立ち受ける、ということをきっかり受容する。

     

    幸せとか、天使の輪とか、かえってこれを舐めて居る。「アガル」とは、海の世界、森のセカイで、

     

    水として存在している感情の忘却をする事では無いんだ。即身成仏を叶える人も居るが、

     

    寂しいとか感じるときにこそ、上手く弾くことの出来た笑顔の、

     

    この地面との抵抗力の大きさが、重力になって人を集める。

     

    空は、下に居る人間にとっては鳥の領域で有る、こういった箱を、

     

    どのように解体するか? と、感じて居る仲俣さんの本で有るが、

     

    一ページ読むのを、10分費やして居た。楽し過ぎて読むのを惜しんだので、どんな内容だったかは覚えて居ないが、

     

    「僕が僕」でオリジナルなら精神力、即ち「知」を付けることに、上手く地人(ちじん)と繋がれる。天がすべれると云うことなのだ。

     

    天地は、最も立体的なはなしなのだが、

     

    空や海は、所詮この地にたいして箱の中の天井部分。

     

    弱かった私が、弱かった私を今も呼んで居る。 記憶の円環が球体なので有る。データ数値とは異なった感情を、重しめて自分を浮かべる。 弱さとは、他人の弱さを踏み台にして強いと思ったまま成長しても、帰線を描けないことだ。

     

    私はもっと強くなりたい。

     

    いづれも原因は、肉体と霊が同一でない、べつだからだ。。

     

    自分は問題に取り掛かるが、花こそを伸ばしているうちに、原因のほうは消えてくれる。

     

    「咲かない花」をまだ抱えさせられて。

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  • 女の子として

    光をまねる 目指す

    耐える

    焦らず、毎日それをやっていく「準備」をする


    必ず咲く!


    自己完結がいやというなら、もし、

    向上心としての、それだけの測りとして

    それのみだけで性愛は存在して居る。


    孤独は、関わることよりも、

    事象にたいして「だから」「こうする」こういう連想された

    関連ではなく、

    「在る」のみである。


    人間(私)に信用がないのだから、すこしでも

    例え無意味であっても努力する

    その筋を、私は「教え」られていただけにも関わらず

    自分の情緒や、心が、人で溢れかえるから

    単純に大切だ。

    そういうことだ。

    何もかも一色たに出来る精神がないのが、女性の良いところなんだ。

    大切な、その為に出来ることを考えたら、死ねるのだけど、

    人間の感情(私)に信用がないから、空に昇るなんて

    許されないのだ。

     

     

    何もかもコンパクトな(あなた)を希望した。

     


    調子をかくのを咎められるのを、感謝に転換しても、「恩」「親」に報いたい。

     

    顔が良いせいで狭く生き、

    自然になろうとできない友人に、

    近い(私)が、なに云っても

    甘えが出る。

    真面目な意見が貴重なのにもまして、

    妥協してもしなくても、いずれ仏そうなるのだから

    私は「恨みたい」と思うのが、

    自分の、若いところだと思う。

    そう思っちゃいけないと云われるが、

    自分が苦しむことで、きみを忘れないこの感情を耐え抜いて、

    前向きに人の好き勝手や、愛を抱えたいのだ!

    こう自由に感情をその感情のままに、不自由な枠組みを持って、

    持ったまま、

    感情を伸ばして、「縁」を暖め、

    育てたい。

     


    自分だって変わるのだから、

    成長し、必ず上手く行く。


    「絶対じゃない自分」を、ぼちぼち知ることが

    むしろテーマだ。

    噛み砕け、言葉を捕らえろ。

     

     

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  • 仏とは?

    信じるレベルハンパない

    心の競い

    新たな「色」を求めて

    出来ないことを出来ないといえるから、

    高さがわかる

    異なりを認める

    自分にしか求められないこと

    それは子にでもなく、私でしかない

    と、思へば哀しさは若干繰り返した方がいい

    意識をせず「徳」を積む

    一番大切なこと 




    私は
    言葉の楽しさ

    自由を学んでいるところ

    Heartは、おおきな習いだった

    日本人はとうして失礼について細かくかんかえるのか?

    「家と家の間隔が狭いからだ」と、ちゃんとしたわけを述べて、

    受け入れてもらおう


    知ってもらってやっと助けともらうことができるようになるの
     

     

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  • コインの馴染み方

    2021/11/11

    乙楽の天使(ディー・ジェー)が、俺を慵「ニーチェの軽車」から、


    天国の植物、輦轂の涙から


    其の体を抱きしめることで、降ろしてくれた


    金平糖がらんらんと零れる如くにして、悲しみの匂い為(す)る文化芸術、手の個性、


    其の理性にたいしての問いかけと、


    感動と、


    単純な微笑みで、これらの燃えて居た光の鞄


    うああああ!!!

     


    要は、

     

    人間のハイとして「俺」は思想に苦しんで居、


    それも名所とした興奮を抱え、欲に出会い、


    三回まわり、価値観の決まらない旅行三昧をコロナ禍で繰り返し

     

    素晴らしい佇まいを実現して居、

     

    きみと手をつなぐために

     

    鍵を産む為に わああああああ、と今まで云うて

     

     

     

    初夏、凱悌の夜空を曲として、


    走ってくれるビリジャンの文鳥、海のような、隕石のような


    接(だから)どこまでも透き通って行く俺は


    飛跳ね、


    焼き尽くせ!と、云う


    桃色に、一面のピンクに、透き通って行きますから

     

    気持は、


    マッハを超えて五千光年の蓮、きみの


    つんけんする花として


    恐怕として、


    細弱な女の子として

     

    傷付きたいほのお

     

     

    ダンスラジオを聴いて気良く


    こう云う、こう云った世界中の格言名言を雪のように


    今日の俺からして、つまり、断固として、


    発言をする社会性の有る敬意とは?

     

    さくさくと歩くきみのほうに対して

     

    低俗な自分のき悦とは?

     

    だから、あなたの要望は?

     

    俺を許している?

     

    いくら音楽に愛されたとして、きみにして

     

    好きか嫌いかしかない猛烈な、動物のような花言葉を知って居ますか?

     

    玩具の遊びで俺が「高潮」したと思う?

     

    そんな疑問の中で、


    汚ない心をする人との「愛し方」を


    図書館の講義に対して、モナ・リザとも思い至って成長し、


    その髪の毛に滑らせる様な美(マイン)を習う

     

    俺は並列した、透過性のある可愛い犬さ

     

    その、「リクエスト」が、

     

    それは肯定や、希望や、平和や、かなしさや、色彩や、宇宙や、恋や、茶道の骨髄や、ハワイアンブルーには溶けない硬直した興奮や、輪郭線や、優れや、やさしさや、猥褻や、朝の来る淋しさ、

     

    限られた時間の中にその様に折られた、俺、あたしの胸

     


    緇宙鳥(フラミンゴ)

    ミューズ

    喫茶店


    そんなところで、ラ・記紀、満載のレコードを今度は少し見せて呉さい

     

     


    きみがママとして、


    星移せる直線の色懢を其アンダーラインを引く夢をみる


    紙に指定して、

     

    切り取った空気の面をあなたに重ねるような

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  • 自由の方法

    深い自由について話せるものでない私です。

     

     

    もっと単純で、透明なことについて、歯車の一個を整えたいと思います

     

     

    私が人に恨みを持たないのは、

     

     

    「怨念」が、恨みそのようなものとは180度異なるからです。

     

     

    怨念の標高のたかさが、私は気に入った。

     

     

    人的で有り続けることを止めないからです。

     

     

    「恨むことをしない、」という言葉は、恨んでしまった者までを、広く見ると云う事で、

     

     

    「光を持ってるね」と、云われた事が有りますが、この記述のように私はそんなに大きくありませんし、

     

     

    神かと思ったら、彼女は古い村の人だった。のです。

     

     

    そういう物語なんです。

     

     

    きみの言葉で云うと、あなたにあなただから光の持ち方を、

     

     

    学んでいますよね

     

     

    私の趣味は、深海魚です。あの日光を浴びないでしろっぽく醜い色彩や、

     

     

    いびつに成長したり、電気できらっと光る胴体に

     

     

    大きな関心があり、私もまた精神の闇の中で潜って静かに

     

     

    海藻の影に居ることに興味があります。

     

     

     

    じぶんの関心、興味、を、輝やかせ

     

     

    更にを磨きますが、

     

     

    そう云いう意味で、前に出て慕われるタイプではない事をわかっており、出来るだけそうしようとしています。

     

     

    輝く、という緊張感は、「人の範疇」でないと

     

     

    発揮しません。

     

     

    感情をもち、傷のついたところで休んだりする時間、

     

     

    単に癒されて生きていく、躍動の特に無い毎日、

     

     

    将来は自分も水と友達になり、

     

     

    こうやって、魅力的なものについてはいつまでも

     

     

    話していたい。

     

    魅力的なものについて、

     

     

    考えたいし、考えてほしい。

     

     

    重複して云うがわたしだって、あなたの目の輝きについてを

     

     

    知りたいし、無を歩きつつ、失わない、絶望することのない自分ついて

     

     

    真面目に考えたい。

     

     

     


    忘れ物を、家じゅうひっくり返して探した、

     

    散らかしっぱなしの背後霊

     

     

    人は、自分と違うものにくっついてバランスを取っていくらしい。

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  • 日本のフコウ

    日本の不幸について、趣きを話して行きたいと思います。

     

    先ず、よく絵本で昔から妖怪、そういうのを見かけます。妖怪と、ゲゲゲの鬼太郎で有ったりその他妖怪図鑑で有ったり、そう云ったものを身近にしていました。その日本的な内面的にも外面的にも親しい物。海外が存在するとして、構造的に輪郭線として存在する、と云う言葉を使いますが、国の若い人や海外人が初めて客観的にジャパニーズだとか、客観的に日本的なものとして自己紹介出来る、こういった寧ろ文明について、文明とは習いましたが、形而上ではありますが、ホラー等、アングラでは活発に有るんですけども、背後霊文化とか、それらは日本人的に似合っていて、気候とか大地とか、周りが海、元が60パーセントの森、と云ったことで湿気て居るので、何か気が溜まりやすいと云う事も有ったりします。そのことで形が形成されるのだと思います。自分がそういったものと対面することで、漫画で有れ、グッズで有れ、実際で有れ、その驚きやまどろみなど、馴染ましい佇まいや懐かしさを感じることで副次的に伝達の可能性を感じます。歌舞伎など見てふと母国を感じるとき、我らが「幽霊(キツネ)」と云うのは、

    今、考えたんですけど、歌舞伎って妖怪は構築されておりました、蜘蛛男など蛇女など、好まれる精からは崩れた人、の事であります。そう有りしかし、豚の構築はなされていなかった。悪党や感情的殺人は描かれておりましたが、完全に、髪結いの間に間に略されてしまった。しかしながら、そこから現れるのが私たち、自分たちの時代の仕事です。この、「見えないもの」、朦朧とされてられる諸霊、未浄化霊、妖怪でも、神でも、精霊でも、美術や精神上ではそれはいつでも大きく扱われるわけです。見えないものに対しての用意の美しさについて何という言葉がふさわしく、無二であるか?考えてみて下さい。

    では、最も喋りたい事、日本の不幸について、その趣について。自分の世代は青い目をした女の子のアニメーションを見て育ちました。それは生まれた頃から存在します。アニメーションの女の子は日本人として有りましたが、「海外」もまた生まれた時から目の前に存在する、この事は江戸時代以前との大きな違いです。これを近代とします。私の着目するのは、人と同じような事ではありますが、この故に自身に誰が見てもわかるような、一目で分かるような、れっきとした国籍がない、ということでした。誰かが仰っておりました「日本人になるには一度外国人になる」そう書かれておりました。では、憂国についてお話したいと思います。欧米社会の大きさ、キリスト、白人主義、その下で自分もハッピーを「目指す」とばかり思って居たので、聞いてなかったのです。向くところは有りますが、

    要するに、幸せの概念について普段からいちいち立ち往生しなければならなくなった、というのが問題が表れます。海、と聞かれますと、ハワイや南国を想起しますのですが、日本海を見つめたところ、地平線が端から端までぼんやりしていて、胸の中心を重すようにそのような、かなしさと暗さがあるのですが、この暗たんとは、私に有る弱い影を綺麗に包み洗い流してくれるものです。私に有る弱い影を包んで洗い流してくれるのです。

     

     

    生まれつき着たティーシャツも着心地が良く、バラエティを楽しむのも風は喜ぶ。考えてみたい、と思う人がちゃんと悩んでみる事です。一面が真白い漆喰の壁と瓦の揃いが立ち並ぶ、四季の芸術を誇った戦前のような秘境ではないのを、最近、アメリカとは違う小さな家の並々と小さな緑の生える町を、電車の窓からみて、「かわいい」と、海外の方が仰ったようだ。大自然や宇宙をいつでも網羅出来るようにはなっていず、そんな対比で今を灰と歌われるが、戦後に存在した苦労が真新しいコンクリートからどことなく表れているし、それがかえって青っぽく、慎ましくて地球的だとも思うのです。

     

     

    空に落ちるから、いちいち地が空白となって、身がどんどん詰まらなくなる。

    周囲が海だから、そう云っても、理由に欠陥が有って、高鳴りや、高揚する気持に逆らわない、としても自分を空白にするこのこと、僧の「空」と云った概念は異なり、空に落ちる、と言葉を成しますが、甘心が過ぎ慎ましくないのです。自身の質からはぐれ外側に迷惑をかける、反対に罪ということばは、何か縛残と美しさにたいする執念と、心で、性格の甘さに何の罪もないのですがそれ故単に、自分の心身を荒廃とさせる認知症の年寄のようにして、背中を後押しされた男性のよわさにしろ、客観性がまだ若すぎるのに矛盾した理想や希望を唱えるのなら、それにたいする町びとの恐怖を知ってあげなければいけないし、良い事とわるいことを混同してはいけない。

     

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  • タイトルを忘れました

    2021/11/09

    こんな人が権力者なら、嫌だなと思う

     

    彼の、理解を得るとしたら

     

     

     


    「人の好きなものが欲しいの」 って、

     

     

     

    その全ての言葉にたいしては、

     

     

     

    社会性がないと思うこと

     

     

     

    そして、彼のむねの真が案の定

     

     

     

    社会的な心にあるだろう事、

     

     

    であり

     

     

     


    もし、何かされているのなら、

     

     

     

    世間から劫かすだけでも、多大な時間のロスと

     

     

    迷惑をかけると言う事で

     

     

     

    罰のあるものだ

     

     

     

     

    攻撃をされたら、その時のみは、逆にうまく引き摺って、

     

     

    このことに、心の人間として

     

     

    僅かに自由が必ず在って

     

     

     

     

     

    それが、最初から、転落する所に置かれていて、

     

     

     

    失えば、 いざ、

     

     

     

    その後には正統な場合は

     

     

     

    菩薩となって全てを知る

     

     

     

    逆に、狙猴なら、

     

     

     

    この上なく、図れずに「在る」天も

     

     

     

    浮く

     

     

     

     

     

    理も道もあるが、今があることとして、

     

     

     

     

    道に沿うとはなんだろう、避けるべき所とは、

     

     

     

     

    早まることだろう。「今」があるのだから、

     

     

     

     

    ここが天ではない筈だ

     

     

     

     

    だから臆病ではあるが、生活が能わって低部なことから一貫するこの光と、

     

     

     

     

    神の指す地にたいして着地が出来ないで、

     

     

     

     

    朦朧として居る事には受くが、

     

     

     

     

    潰る身の事には、

     

     

     

     

    関わりがございません

     

     

     

     

     


    天ではない、

     

     

     

    その場合でもパターンを見ていること

     

     

     

     

    その為に

     

     

     

    自分の心臓に剣を刺さなければ

     

     

     

    邪魔で見えてこない

     

     

    この型を磨くための、

     

     

    人間関係  にわたしは忙しい

     

     

     


    答えを導いた「私」の善性とは、

     

     

     

     

     

     

    絶対に悪どく無い!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 自分の手を使う

    2021/11/08

    絵画

     

     

     

    もののふとして、

    スマートフォン、「物」、アプリを扱うことで、携帯を捨てるような回顧心と、モノを持って行くことと、どちらも否定しない感覚を正常にしたかった。

    映像作品かと云われれば特にそうではなく、「女優の様に撮られたいか?」と聞かれれば、やりたいのは表現で、自身が女性だ男性だ等として否めない猛烈な自意識や、それを含めたそのどちらでもない形而上の「私」や、この哲学的な「私」と付き合う事に、見えて来て、感じ取れる線の初々しさと、箇所々に存在する「云いたい事」としての芸術性等、それらが何と巷に埋もれて居て自然な感覚がする。「他者と異なる私の大きな顔」には文明が有り、即ち移動を施す様な営利、非営利の言葉が無いので有る、第三者とアーティストの違いとはそれのみで、本来的にはそれにたいする交渉が無いが、文化の成長のうえでは一般的な、街の様な素朴な新しさと、並立していて前に出てくる「ひらがな」や生活を細かく削除するような動きとともにメディアと唱えるには一線を引く。自分が変わらないことにファッションが有って、興味があった。この様な、通う説明までを展開し補足することで壁を壊す、「作品」としてはキーを成している、映像としては町人中として仕方がない様な感覚とともに「非メディアである」と断言した時に初めて展示(メディア)を可能として、化けない作品となって能う。そう告げる芸壇の思想に酷く興奮するべきとして強く構えるのです。

     

    「ほな、どれが作品か?」と聞かれるのは楽しく、星程の複雑さも増して嬉しい事。

    未定|揶白 (KF)〈CREATORS BANK Works〉

    creatorsbank.com

    未定 by 揶白 (KF)|CREATORS BANK〈クリエイターズバンク〉

    絵画・揶白 (KF)さんの作品「未定」のページです。CREATORS BANKは、イラスト・グラフィックデザインなどのクリエイティブ作品が集まる国内最大級のWebポートフォリオサイトです。

     

     

     

     

    題無し|揶白 (KF)〈CREATORS BANK Works〉

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    題無し by 揶白 (KF)|CREATORS BANK〈クリエイターズバンク〉

    絵画・揶白 (KF)さんの作品「題無し」のページです。

     

     

     

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  • 「絵画の回答」について

    2021/11/07

    絵画

    10年前、以前rocoが、「頓智」として歌手とアーティストを対比して「私はアーティスト」と云う事を述べた。

     

    私が日記に、歌手とアーティストは違う、と書きました。

    それが、反響が凄くて、、。ここで述べさせて頂きます。

     

     

    まるであなたは、それともアーティストですか?と、圧をかけんばかりに張り切って、末尾に「歌手とは何か?歌手の方から聞きたいな。」と、云った立派な「作品」だった。翌日、大澤氏がブログにたいして、同じように張り切った男性のギャグとして「アーティスト」と自己プロフ覧にて書き加えた。と、云うこの一連の様に、

    アート…は、食べていく画家では無いのだから、絵を決定する何かとは自分が叶えたい事、つまり感動した事を全て全責任としている。だから、お金をトドメやきっかけにして活動するアーティストがいても、内部に、価値に対して「盗用」は存在するが、営利、非営利が有り得ない筈だ。微妙な差が、いつも有る事はアートをしていて、実際絵の具や筆に触ってわかりやすいものとなる。たとえば村上隆さんは、アートビジネスと云うのは、「お清めアート」なのだろう。だから凄いのであって、
    私は微妙な差によって、絵を拝借出来る様々な距離が存在することを感じ取っている。

     

    重点的に云うが、

    寛容は、「はい。」という前に行っていた、と云う言葉だ。

     


    アートするでって云う事は、信じる事のやりたい事をして行くんだから、トラブルは対局であり内部的であり、受け入れてゆくものの、事であり、

     

    トラブルと云えば先ず至って恋のように、大澤さんが黙って、無許可で、私の絵の中の鉢植えを自分の絵画に置いたことで、そこから数年目に大澤さんのイラストを印刷して私がこの絵画の上で前向きな返信をしてからは、キャンパスの壁の閑静な趣きに沿えるような、コロナ禍のどうしようもない現実の中で、その様にしっかりと「額ぶち」と云う壇を考え、この架空上の家一軒の完成を目指す、家族さえ知らない。せめて、最低は家一軒、空気の様な逢瀬と絵画と、水の様な生命(アート)を心にして光の果てしなさを望みたい。それは、我々の夜、月下のファン・ゴッホの「つづき」の話の様に真近なことなのです。

    しかし、いわゆるこれは「絵」ではない!自分にとって価値があるものは、

    こういった、はっきりいって「行為」に対してアートと私は呼ばれなければ、ならないのだ。「私」とは構造的にrocoでもあり、大澤さんだ。神秘の理論であり穐斉として経って行く、ほつほつと、これは花だ。

     

    完全に近ければ、自分の中で目立つほくろ。それは自意識過剰と云うもの。

     

    穐斉と経って行く、ほつほつと、これは花だ。

     

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  • 作品2

    2021/11/06

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    絵画の回答|揶白 (KF)〈CREATORS BANK Works〉

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