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2023/06/05
根本的に思うのが、平和の前にもっと色々悩んでいてそれに立ち向かうと平和が何か見えてきた事である。
終わらなかった戦後が終わって、海岸や地平線を見たり、歴史を学び直したりしている。
暇、本当にこれが大事で、
平和を目指すのだから、暇にたいして立ち向かうことや、立ち向かうには、暇に耐える難しさはどんなものか。
そこからまず何を感じてるか、大きなものを題材にするには、まず暇という字を見つけている。
それが、方向がもし歪んで、
暇に対していかに耐性を付けるかが重要…なら、みんなでそれをするのは、会いたい気持ちがあるよの手紙に、耐える感じで治めるとして、忙しさが活気を持つことが出来たという意味内容で良い事としても暇の感覚を失ったことで、抵抗力がないなら鍛えるものを一番に捨てたんだと、先に辛さを知っておかなくては教えることは出来ないのである。
話相手がいることを、未知だ、未知だ、と盛り上がっていたを見た。蟲(厶ー)が今にも連鎖しようと構えていたが結局また騙されるくらいのコミュニケーション能力しかない。
誰に好かれるなどといったこともないだろう。
素早く言うと、何かを起こしているこの状態は、何もない良い状態を目線に出来ていない、平和が出来ていないのだ。自分が平和が出来ていないのだ。
人はその人を、夢を叶える努力をしない人だと睨んでいる。
私は想像力とかで動くタイプ。感情タイプの人も断然いる。上手く行く、と言う方向を目指すように。宇宙のど真ん中とか、宇宙を掴み取る、と言う歌詞を私は知ってるが、知らない自分の価値は誰かと繋がることよりもまだ未知なのだ。
何でもある中で、あらかじめ持っている空間これだけ持つ、「何か」が有る様子と、自ら積み重ねた目の前の世界、
これらを連結させる言葉を見つけたら二本の箸を持つように「私はこれだけ」と言うことに相応しくなって来る。言葉は、手間と時間がかかって、探したり、やっと見つけたり、それだけに生まれる、と名が付く。
こう在る、中では、そこでは同じ景色を見てると思う。
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2023/06/05
前回の事についても、いくら繋げてみてもない縁が浮ぶ様子を見て、縁、という字のフォルムが分かりはじめた。
伯父に、遠慮してはいけない。と良く言われて来た。
遠慮しないとは、即ち自分に対する、自分に向かう気遣いで、
思いや、目標、それらに適うという意味だ。
それから逸れるを、遠慮と言う。
さて、心の中の感情は人を豊かにするしある。
自他関係なく自他を分けて行くこと。
在るを点と言い、聞くを線と言う。点が在るなら形(けい)がある。
violet blue と言う歌の中で、あなたの目が何かに染まって悲しいよ。と私は聞こえる。悲しいけど美しい様貌であり、
人間だとただかなしいだけとして、その場合、かなしいけど美しいようなそれは、神、仏、感じる者の祖先、その観に通ずることである。自分ごとき、と言ってみた時、初めてそれら上に近付けたように思う。私はその歩み寄りの凝縮で出来ている。
青紫、それだけでもきれいに思うが、コバルトバイオレットを実際、紙に起こす。
〜ホワイト混色しても白っぽくなって狼色になりにくいのだ。
幼生の気心に未昧(ふまい)さを思い返したのが好機となり、以後は手づくりの油絵具ばかりもちだす。しかし実のところ絵の具に対する不満を改良する昂奮などというのは書くことが発明である子供に、もの言ってもさっぱりわからないだろう。
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ナカマルさんの自家製だが、これを紙やキャンパスの広いところに塗ったり浸してみる、貼る、のを想像してみよう。うまそうだ。コバルトバイオレットに実際に触れて見てみた私としては実際にどんな色か確かめて見てほしい。私がどんな色を地球上で発見したか。
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2023/06/05
そもそも、見えない世界なのに、形や目に見える物を求めて往生し、
挙げ句の果てに自分が仏だと私に言ってきたところである。客観性をよそに向けたロンパリ。
さらに、キツイのは、奇跡的な何かをそこから起こそうとしている。
「買ってはいけない」という本を思い出したりもした。だが、鉛筆はふでばこ、お金は財布、煙草とライター、のようにして初めから行き着く部屋があるのではないか。
私は、まっすぐな心とまっすぐな目である。人は嫌だから目を逸らしているんじゃなくて、手本として折返すこともわかる。
雲が晴れた時に見える意外な当人私の顔とは、吹き出しから、人はけなしてはいけない。
と、臨いている。
見たらあかんヒトが、見たらあかんものの箱に収められるという仕組みだ。
心と名前、この間でも人を騙している姿や、時間は、収められるので、気を付けなさい。
ずっと善く生きてたら、自分の心の中の思い込みでさえ、人の役立ちに成る。
蟲(ムー)と間違えてしまったら、南無妙法蓮華経とか色々、短いお守りの言葉を一言言おう。間違えても、その人に自分の反省を当て付けてはいけない。
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