揶白 (KF)

絵画

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    Works 43
  • 信じてる人がそれをすると辛い、手間かけて理解しても現実のもつ平面という面、を、考える精神がある。本当に感動しているはずなのに前に進めない

     

    原理から一歩はなれたとこに、考えがあり、

     

    ポスト構造と、そのまま構造として向かっていく、

     

     

    ここに、考えの柱があって

     

    みんな惹かれている

     

     

    考えるのが楽しい

     

     

    それはどこに向かうのですか?

    背景はありますか?

    考えず無心、という辛くかなしい歴史がありますが、

     

     

    質問の言葉、技術の研ぎから、技に気付く方を先人にするのか、方法をそのまま伝える方を先にするのか、

     

     

    これにまだ喉を詰まらせている

     

     

    感嘆に身を任せて話し出すには、音楽(リズム)の中にいなきゃわからない

     

    一者として抵抗になる自分なのか

     

     

     

     

     

    善悪があるんだという悟りから

     

     

    覚醒者「ブラフマン」

     

     

    心に、映ったスケールではなく、自分の地味な小さな範囲でそれをやっていく

     

     

    上がりもせず下がりもせず

     

    確実に重力を感じれて

     

    確実に重力を自分に巻いていく

     

     

     

     

    故に、物事の表題が現れて、だから〜どう、という文はなく沈黙して聞いて尊重する、というだけの形になっている。

     

    大和言葉の良いとこは、決まっていないことである。

     

     

     

    「である」は、学識の書物よりも、分厚い木の説明をイメージ出来て、確かに知識の興味はあるが、である、と言いたい方が自分には大きかった。村言葉として姿勢を傾かせにくく、最適ではないだろうか。直感。直感の限り、骨を鍛えて広がるように。

     

     

    言語筋力は、心に浮かんだ風景を字にするのに、それを起こす為にすることが日記である。詩を織り交ぜた、自由な日記。「そして話し言葉を上達して不安を減らす」、でも、精神性が今日のように高いと、どうだろうなぁ?と思う。目的は、何だったか。

     

     

    そして、

     

    考えが増える、の意味がまだよくわかっていない⋯

     

     

     

     

    理解と浄化の深い繋がりを感じて、

     

    仏陀として教えてもらった私とは、それを人から聞いた時、その人から聞いたことは変わらず、その人自身が“この時”仏陀と重なり合ったことである

     

    「解」がある、という記号に互いがなる

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