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2025/01/14
原理から一歩はなれたとこに、考えがあり、
ポスト構造と、そのまま構造として向かっていく、
ここに、考えの柱があって
みんな惹かれている
考えるのが楽しい
それはどこに向かうのですか?
背景はありますか?
考えず無心、という辛くかなしい歴史がありますが、
質問の言葉、技術の研ぎから、技に気付く方を先人にするのか、方法をそのまま伝える方を先にするのか、
これにまだ喉を詰まらせている
感嘆に身を任せて話し出すには、音楽(リズム)の中にいなきゃわからない
一者として抵抗になる自分なのか
善悪があるんだという悟りから
覚醒者「ブラフマン」
心に、映ったスケールではなく、自分の地味な小さな範囲でそれをやっていく
上がりもせず下がりもせず
確実に重力を感じれて
確実に重力を自分に巻いていく
故に、物事の表題が現れて、だから〜どう、という文はなく沈黙して聞いて尊重する、というだけの形になっている。
大和言葉の良いとこは、決まっていないことである。
「である」は、学識の書物よりも、分厚い木の説明をイメージ出来て、確かに知識の興味はあるが、である、と言いたい方が自分には大きかった。村言葉として姿勢を傾かせにくく、最適ではないだろうか。直感。直感の限り、骨を鍛えて広がるように。
言語筋力は、心に浮かんだ風景を字にするのに、それを起こす為にすることが日記である。詩を織り交ぜた、自由な日記。「そして話し言葉を上達して不安を減らす」、でも、精神性が今日のように高いと、どうだろうなぁ?と思う。目的は、何だったか。
そして、
考えが増える、の意味がまだよくわかっていない⋯
理解と浄化の深い繋がりを感じて、
仏陀として教えてもらった私とは、それを人から聞いた時、その人から聞いたことは変わらず、その人自身が“この時”仏陀と重なり合ったことである
「解」がある、という記号に互いがなる
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