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2024/12/09
猿女君という神があるが、
ニニギが「在」って、
「世界」がまだ完成していないことから、
「神技」の本人は、神本人ではない
と解る
神には神があり、失えず
初めから上手くない人が、神を失うときを作り、神の理由を求めていく成長を約束からして共に生きる努力しているのが「人」ってなんだろう?と聞いたのですだ
だから、わけがなくとも「潤す」という目的を知っていて、潤すは水ばかりでもない、日ばかりでもない、土と原理に注目している「こころの潤い」だ。伝説でも、やはりここがおっす悪道 中(ちゅう)と仏様のお導きが通る名所である。こうして現代に抱える「時代」の語の証となり、時代とはその広さの格をあらわし、格とは「良い人」を前提的に言い、遅れた技術支援の「穴」という形とは向上心に起因し、格は、上に延長するではない、上を溜め込む器についてである。
神は、もとから人についてるから、気を「敢えて」動かない方が、自己スピードの向上も兼ねれ、色んなことが早い。注意、仏界(“仏のように”スマシてお登りカオをして)元いる人を時間でもないのに動かしたら現実で犯罪だ。法の内は、だが存在する。法は、「妙」このゆとりと空間を持たんと震えて頑張る、最も古い神。だから色んな神を知っていて、教え、教えさせ、褒め、勉強している。褒める時間がない。飛び出てお怒りになる神仏もある。「ひと」が来てはいけない。「霊」という自然を知らないことになる。
全体的に良いタイミングで捏ねられる、そう信じてささやかに光を勝ち取る。
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