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2024/09/19
出雲大社の月から、
月ではもちを作る兎さん、そう物語でもイラストでも決まっていて、
こう「掟」と曲がりくねった大和言葉から読み出せる光、その光の中で、
大きな鎌のような槌で、何度もどつかれる女がいたんだ。もちをつく兎がみな知らせていて、
鉄の匂いと、大神の伊邪那岐、伊邪那美様があった。君というこの字は、
そこには、巨大な自意識と自我、憧れた闇と夜と、笛のようなサイケデリックな音楽とがあって、悲しい気持ちを溶かす沈着な理解からすばやい回復を生んだんだ。
悪魔には、あくという二語と、高貴な客観性として使う惡魔とふたつあって、
天界にある、堕天はまた天だと、
ルシファーの存在理解があるよ。そういう高貴、命から堕落する、はみ出て零れる、このことにちゃんと球体が現れている惑星の信用がある。
青銅器の鐘が聞こえたんだよ。
今でももちを捏ねる兎と槌でつく兎がかわりばんこで交互に「捧げもの」をしているけど、
現実だとしらない自分を、はなで括るのは客観的に決めたことや、可能性をうしなったことが、
けっていてき、だね。
ま、フィクションに偏れるのはコツがいるってこと。
そして大事なことは、
向かうところがあって、鍵をあけれないとき、遠くまで取りに行かないといけないよね。走り回るのは、産業としての勉強だから「藩」に強くなるんだよ。そのときは、梅より空がすきと言うんだよ。今ぶんしょうより、行動主義のほうが熱をもっている。
江戸時代のようにぶんしょうが伸びでも、片付けにくいね…。
人がみんな無心であって、
空想のラインを粗くデフォルメして外に向かった主観も、
キャラ化されたって不安も、
星を見つめることで直るね。「合わない、合わない」って天から聞こえる。
故に、何なんだ?って残って思うのが、
留まらないあくの出先に
「そのめもこのめもちがう」と悪魔らしくいえば手の届かぬ天の心に届く。
解決の糸出になるんだ!
どうやらくらみのある神様の法人。
顔の想像の全くないセカイが心の空白にちゃんとまだあって、その空白の向こうで楽しもう♪!と思っていたんだって。
はやく心に、小さな想いが潜むそれが見つかれば霊それ自体の抵抗力になる。手をグーにして胸の心にあててごらん、どこにも脳みたいな目って無い…んだ…。大切を大きくする想像とイメージ、これが足りない、追いついてないんだ。外線が次元や人や悟りの芽だから、見捨てられず、だから形があるってことで、カタチやくずは自転に収斂される。すざくとか青龍とか良い想像が昔あったけど、もちろん蟲ーが封閉したんだ。長ーい線引きを光がゆってたでしょ。
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