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2024/09/07
天を天も
手を繋がれると、祖母、生きる先輩を見習い拝んでいて良かったと思う
立体性を馬鹿にすると次元じたいから零れる。
平面的次元、漫画でもアニメでも、
生活という立体的なことと、その緊張感や行動の空間で、次元を理解する。
魂の美しいフォルムが感じ取れ、養える。
人は情緒(カンジョー)ではなく情緒で繋がり、
生活がこういう自分でいたい、を育て、楽しいことの寿命を伸ばす。本当に楽しいかどうかを疑問に重い石が道上にある、転がっているようにあるから周囲に蟲ーがいる。
天は、明るい自分の物語を持っていて、
本当にあかるくても、
神のように内容的に暗くても(神世が暗いんだね)、
遊ぶばかりの山龍も、
はっきりした明るさを持つ。話すなら、「それを、長いこと持っている、というイメージ。」
天があっても、自分で生きるしかないという壁があるから、その様子や、空間、を理解出来る。
これを知った自分、も、含めた自分として神や存在の新しい理解に進む。歴史を見ると平地が荒らされ、割れた原因にたどり着いて撤去した。凹みから始めることが出来、こう見渡しても腰のいる時代だから、腰のいる時代だと端をつけると生きやすくなる◎
自分という木が、街という古い森に佇み、人もそうだと思って、あるいは尊い気持ちなど光にいる人、
自分の木に神さまの家を作ってなるべく意思を叶えてもらう、
心の中の高いところだけで空の通信する。
神が木にいる、菩提樹だと占う(想念の何もない澄んだ古い占いを、もはや「まじない」と言う)伝説やいいつたえを連想し、そこに浮かぶ本当の様々な仏も、
天心のときしか読むことは出来ないが、
知ってる様に、一番出来なかった(おとうと)と「私たち」を指す。
業は、過ちではない。業は、ディスタンスだ。
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