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2024/09/04
寺で知識がありすぎて、船いっそうほどの荷物を抱え逃げている、紛れようとするたび騒音がある
坊主が、私はよく尽くして働いて賢いのに、自分は輝けない
僧侶が、
いくら儀をしんじても仏界の儀なら
そのアーティストにたいして下のひとが、もし歌手なら、人は儀式的なことしかしんじれず、ひとが数えれないものをかぞえたい、そうてる間に聞くと、儀と儀式的なことの違いがしっかり知れるだろう
蟲ーは、何かを少し知って死ぬだろう
大変なときは食料を自分で調達して自分で食べた
激安の学生レストランで、栄誉だけをしっかり選ぶ、酒を一杯飲む
ひとはまだ寝ててもいいみたいなとこはあった
私は朝4時に起きる習慣があるから無難だ
自分の偉いとこ、自分の運どおりにいたことだ
自意識が崩れても天任せ、「南無」を感じると、
たちまち鏡にかわる
他人が、
意識に入るくらいなら許せて
無意識的に苦しむから祈りである
この技法の、
ラインが何という名前かはわからないが
自意識が自意識になって外敵を封鎖すること
籠もる、「家」この道の感謝を諦めず
カッコイイ自分をイメージして
その自分で書いた外線にすっぽり包まれ
次元を破らず突破する
あとは、ちゃんと降りれるように梯子を掛け>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<>.<る
梯子を掛ける、
この一つなる動きが、空の力より、何と地の力により体勢を得るのだ
そこに、治まりがつく
「こうしているのは人ですよ」
心(かんがえ)
人(じげん)
上(さとり)
これを、霊感といってすぐ裏は冥界だからあんまりいれませんよ
人には人の運と、人には人の理解がある
だから、ほかのことをする人に、人は少し注意するだけで大丈夫なんだ
一番下のアニメキャラクターと、自分を同じに出来るかが、腰にかかるからだ
空を見上げようとするときも、
我慢して、空に手を上げる
腰を高さにしたまま顔を上げる
・膝を使い
地に足を掛け(地に足をつける)
手を空へ上げる
そのままの状態で
我慢するが「無辺の高さ」を測ることのポイント
思っているより自分の客観は心として変じゃないと知っていることも大切
気になることは気にして直す、客観性の潤いになる
潤って透明になると、要るものがわかる
気になることがわかる、
つまり好きが、展開的に定められた美しさ
変なこと、変な蟲ーを見てきたのなら
もう直し方がわかるだろう
そして、未来の面白さはどう広がるのか、
大体がわかるとしっかり生きれる
カッコイイ自分、
今も、そんな練習に明け暮れたいと願ってやまない
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