揶白 (KF)

絵画

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  • 2022/10/01

    心到滅却

    ムーの瓦礫の下でどうしても言えなかったです。ムーは見た目には現れないことです。私は人が人の見境をつけるために言おうとします。ざっと言いますが聞いて下さい。取り返しのつく良い道を守る為に言います。見た目に現れないのは全力で逃げているからで、裏から見れば普通に犯罪者のようです。ぎゃっとかぐぅの音とか、嫌な奴だ、とか自分の気になる人ではなく、大人になって自分の顔になってきた頃から四方にムッ としかさせない(そんな事を知らない一見では)簡単に気にならない人が、ムッとして化粧してるだけで、その間に必ず多くの人を押しどけるばかりでなく傷付けていますがその上で自分を賢いとか特別だと思ったままです。多くの人を押しどけたり傷付けるだけでムッとしかさせず、味だけを覚えてるのかわからないけど、ただただ連打みたいに何度もやるうちに致命的になって知的な犯行とか憧れたりする人のせいになり滑り落ちています。人も自分だと思って公正や供養などを考え滑り落ちています。全能でも全能じゃなくても嫌って、神と鬼の概念をひっくり返した奴です。同空間に二人いるのは気付かず、犯罪心理でそうらしいが、あらゆる所で大惨事を起こしたきっかけの人です。得としては悪い人がいるけど大抵ムーだったんだと気付いたことです。良いことを毎日手を叩いて覚えて生きろ、と言ったら自分たちは幸せです。自分自身を発見次第、物事、精神の前提として口にしなければならないことを話します。ムーは、無心が先にある抵抗力のある人が強い理性でそういう奥の手で「作り変えたよう」では変わりました。鉄は熱いうちに打てとは、過ぎてからでは硬くなって考えの広がりが甘くなるから、という意味ですが、そんなことが出来る人は少ないです。

     

    龍壺を開けると、何やら記号が色々とある。他力本願の人にはイラストに見え、実際は分けられた箱である事が解る。着物のように幽玄性を持ってたまに「洗い」をされるのが抜き打ちに見えている。その時代の悪い人が映る。何故か肉体を持って帰っているのが見ていたらわかるじゃろう。ボラを吹いて「今」生きているのが見えるじゃろう。「そこで死んだ」及び「遊ぼう」を言う慎ましさが、ないじゃろう。これが人間の格を失った人の魂じゃ。人を故意に殺め、初めに成仏不可能となった奴の魂じゃ。

    体に憑いていると思えるこれらでも、今驚いて気付いたが、誰でも憑くことは出来るということだ。その自分の霊質があんまり違うとまず嫌われて適当に振り落とされるのだ!

     

    別に裁いてないから言うが、イラストの箱だがそれ以上に許容のある諸霊は出し入れを自分でいている。本当の意味で興味があるから、ポジティブだし容易そう。ここで、ナーバスな気分的なものでない「ネガティブ」の意味が、上記のなにものかを見ればびっくりするくらいくっきりとくり抜くことが出来るのじゃ。人はネガティブが解らなくて追い出しているうちに本当に何だか解らなくて寂しい!と天が天使が仰っている。

     

    一つの天では吾輩の知らないことがまだある、や、吾輩の知らないことと、感じる知から吾輩を割り出す!と、囁いている。こういう話は心の広さを軸にするのじゃ。各地に存在する。

     

    格や霊格は、君が君だけの私なら私は私でなくなる、と君が知らない私自身の事ではないから、底辺から始めた変哲のない自分でいる。昔見た「凄くお洒落な人」と感覚が同じで、次が「言葉負け」だとしても、どの駅でも何か抵抗を自分なりに纏めて、獲得しなければ!私が自分なりだからだ。苦しみの方が、確かさがある。

     

     

     

    人にあたると人がいう人道と、私の私事をたしなむ仏道は、どちらも精神界と言います。精神に顔を出した時点で人格とは言えず、まして社会議論なんか出来ない。人にあたったら減る。

     

     

     

    龍の意味を書きます。

     

    わしはぎぼしが好きです。鱗(もく)と言います。

     

    わしの胸の中に、罪人と人が渡されます。現行です。

    罪人は顔に数字が書かれていて、人には自分以下でいることを注意する。運ばれている、と言います。わしもここまでしか知りません。初めからないものをかゆみとして、わしの中にはいません。地球上ばかりが地獄ではないので、気持ち良さと言います。それを餌とも思う、わしを使って懲らしめる。仏ではないので怒らぬが、浮遊霊と言って「遊んどる」と言います。

     

     

     

    昔、教えをしていました。老舗と言います。滅びてもよかった善を申しますと、

    自分が知らない

    大きさが眼前にあり、人を数であると思うタイプだからです。飛行もしたことがありますが、わしはこれを抽象して極力軽く持っていました。軽いとは重いこと。わしが「自分」だと言うことじゃ。

    故に自分が何者であり、彼方、彼の光を守る。だから、吉相があられる。君が君の王(からだ)を磨く。龍から鳳凰の室間という仙人語。憧れているなら誰にでも仙道がある。

     

    わしに冠があることか?そういう運命があったかもしれぬが、現に詩人として楽しんでおるのが全ての視界じゃろう。

     

     

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