揶白 (KF)

絵画

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  • 創意工夫2

    2024/02/22

    動物と虫

    蟲ーは、何か言い懲らしめても、応えがない。

     

     

     

    みにくいもの、に対峙するは、知恵の絞りどころ。人の方の意欲があって、

     

     

     

    蟲ーと関係せず成り立ってる、この内省や観察。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    三昧聖と言って、 気高くプライドを持ちその一系の継承、その地蔵の一報と文化興味、関心、その態度、考えにたいして普通でなければ因果とは着かない事である。

     

     

    心的理解と死生の世界観、哲学、こういったことから自ずと理解をする、世間体の有る人間性を言うこと。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    イメージが行かず、蟲のひじりをしていって退かしてようやく、こういうスサノオ、本道を、みえない思いを、

     

    わかった。

     

     

     

     

     

    法とルール、限界のあるなかでそれを守っていく心の刹那とこうした人間世間の緊張感に耐える心の育成。この道で、このようにあり自覚を試みるのは、

     

     

    単に怒ることや、闇雲に否定することではない、

     

     

    こうした自覚の責任や、自身の関連するこの中で、

     

    感情を抑えることも、その責任の限り必要。

     

     

     

     

    メディア文化のなか、自意識に埋め尽くされることから、

     

     

    信じれる見捨てられた神話的わたし、

     

     

     

     

    それをちゃんと考え、自意識の底から、もう一度得る意識的自意識、次元性の間に、一番強さや精神を学んだ。

     

     

     

     

    「気持ち」が、出来ることその現実以上に持つことの可能を知った。益々、大切にしようと思う。

     

     

    人は同じ始まりを望むより、その差異や、主体と主観、客観、この観音との一致から始まる無辺の強さ。

     

     

    眼の強さから、信じる「ぶ」を思う。生活、この仏道。

     

     

    →煙草は太陽信仰で、また美しさは既知である。大和にして朱雀という、擬宝珠の一種。

     

     

     

     

     

    そとゆく者を、外道、外衆(げす)、突くに、くせ者

     

    痛める者を、邪教、

     

     

     

    と言う広大な仏のスケール。

     

     

     

    限界のある事、壁の有るなら壁が有る、この中を踏み切るのことの内に精神向上という形を生ず。だから、正気とか普段の強靭さ、そうする太い心を基盤にする。用意するための用意、として、古典の馴染みや、

     

    考えとしては、見なすことと、街に暮らす面々とした自分の身の上と、時代のきせつ。

     

    自の一致にたいし、右手の自我と左手の自意識、客観性、最も大事なこれを合わせ、考える。

     

    白く輝く曇り空を前に、ただ練習をする日々は、豊かなことの発見をするだろう。祈りでも、字でも。

     

     

     

     

     

    現実面の誤差、ドラマ、そのズレこそ重ね襟だと言わんばかりに、街は客観性で溢れている。

     

     

     

    物から存在する奥行き、芸術的世界とこれらの理性の分別。

     

     

    心のブレーキ。

     

     

    合わされないものの存在が、そこに空白としてある。

     

     

     

    慎ましく、尚且つ言葉を諦めず執着する。考える。

     

     

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  • 創意工夫と怒り方

    2024/02/22

    動物と虫

    自分がやる気のある諸霊の供養にたいして、霊や元気が和合出来る自分の空気や胃が足りない、と言う状態。ぜったいによそ気のある他人の価値観が本当に嫌な音を立ていて、うつ病というよりはうつ病でしんどいところだが治したい。

     

     

    解ることは、自分から目一杯引き出せる、

     

     

     

    それは最大限の自身を望んで、理由もわからない面打ちを一生懸命取り組む、という理由だ。

     

     

    映画で観たヤクザが、はい、という唯一の愛想で、世話人の上司の話に返事をする薔薇の永遠と、

     

     

     

    虐げる現代人が、花摘みに持つときの花と、研磨の後に平面と他のノイズを真に超えた二次元、その実のある感動である。

     

     

     

     

    それに重ねる自分の胸の高揚が、嘘でも何でも、セカイ、内部セカイ、自分の心、イコール自分の成長とは。想像にたいして一番大きい、尚且つ自由な「顔」を求めて尽くすのだ。私はそれだけを二十かり毎日やってる人だ。

     

    私は文を書くのが本当に好きだ。

     

     

    「世界に誰がいた。」

     

    この様子を深く考えて欲しい。

     

     

     

    この心に有るのは、自意識、構造的自他の客観。

     

     

     

    せめて、それを重く捉える。悩む潔さは煩悩ではなく、我慢、忍耐と、信仰に繋がる詩学が出来る。

     

     

    詩学は、動くべきタイミングを教えてくれる。

     

     

     

    もっと整わないものを信じる生の強さや、その技術である。及び、このうちに技術という優れたものを内包させている仕組み、

     

     

    これらを学ぶ。

     

     

     

     

     

    武士道の、

     

     

     

     

    言葉の魔物に立ち向かい続ける事の出来る、決まった身体の姿勢。真っ直ぐ、物を見る。

     

     

    身体の姿勢は、真っ直ぐにたいして相違と差違の存在を見れる。

     

     

    柔軟、柔軟体操としてはこの、土着と身の地の空気に沿わす。

     

     

     

     

     

     

    気まずい世界の、ではこの輪郭を知りたいと思う。

     

     

     

     

    すなわち描き、捉える。

     

     

     

     

    絵画を制作するときは、

     

     

    ひとまずこの修練の前後段階の練習に

     

     

    私の理想なるを的確に写しとる表をより強く伸ばす為に、

     

     

     

     

     

    この模写では、写し取る行動は、

     

     

    イメージでひとりで書くよりかは、実際の物と睨めっこして、

     

     

     

     

    こうした抵抗のある態度に与えることを覚える。

     

     

     

     

    嬉しさでもなく、何ちゃないでも、

     

     

     

     

    イメージで描くよりも、

     

     

     

    仕上がりは、抵抗に携わった自分の感触と、

     

     

     

     

    そういった断突リアルがある。

     

     

     

     

     

    感動したことから描く。

     

     

     

    大まかに捉えてから、細分化する。

     

     

     

    こうしたものが、想像と言おう、そうして、妄想と隔たれ異なるのである。

     

     

     

     

     

    すぐに感じ取れる喜びではないけど、

     

    見えない喜びがある。

     

     

     

     

     

    相応するものを知るというか、自分の課題が解るというか。それを考えるきっかけは詰まってる。

     

     

     

     

    詰まってある。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    万華鏡のような光の心像、

     

     

    「これを、遊びと思えなければ。

     

     

     

    眼の開いた大人とは。」

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分の天上に自分の天上がいらっしゃるから、

     

     

     

     

    相談を熱くしてみる。

     

     

     

     

    自分の心、客観性、自意識を、

     

     

     

     

     

    なるべく持ったままで、きっと「こうできないかな?」

     

     

     

     

     

    とかすかに聞こえるのを、

     

     

     

     

     

    普段、少し考えてみる。

     

     

     

     

     

    自分の手がいつでも取れるようなテレパシーは霊的に高度で、

     

     

    こういった文明論は、

     

     

     

     

     

    心に留まること、その精神的強さ、これらがなくあっても今は降ろせないものとなってるだろう。

     

     

     

     

     

     

    すなわち、天岩に籠りっきりの私仙人は、たまに光の渦に降ろされ

     

     

     

     

    何かを言い伝える!

     

     

     

     

    激しく詮索をしなくても良いから、気配と言う長所や特技こそを、

     

     

     

    心経、般若心経、その言葉そのままに自身に厳しくして、

     

     

     

    感じ取ることの出来る元気な世界!

     

     

     

     

     

    神のお願い事に、人は畏怖のような過ちが多いと言い、

     

     

     

     

     

    希望、を言わないそうだ。

     

     

     

     

     

     

    自身の希望を捉えるは、手の中を開ける、心をカラにするとは、

     

     

     

    それを頑張るその為で、物をただ見易く澄ませているのだった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    リアルを求める世の中で、

     

     

     

     

    自分が市役所や、区役所に赴くことと、

     

     

    買い物をする時の内観出来る想像の方が、

     

     

     

    自分に色彩感覚や、色んなものをくれた。

     

     

     

    一つ、辛すぎることとその悲しみは、そのものに対してリアルを求めたが、

     

     

     

     

    実に感触としてそうしたことを考えて、捉えられるものに対して

     

     

     

     

    は儚かった。

     

     

     

     

     

    世の中何も揃うなかの日の絶対的、この面に対して認知をふたたびすると平行に、自己成長のくだりにはじめて美学を抱いてからは、

     

     

     

     

    世代世の、知っておいて欲しいこと、

     

     

    存在する物語、

     

     

     

    としても、つらいこととは儚かった。

     

     

     

     

     

    肩幅に存在して良い、その世界観で、前方に自分の歩くを進行する一点突破を、

     

     

     

    前後、左右の確認、この意識そのものを太陽にする。自己以上の理解を省く、

     

     

     

    これを清まりと言って、

     

     

     

     

     

    長の神仏に挨拶をすることである。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    神ガカリではいけないし、神疲れは、神をみる。複雑な星空の心を衣類に型押ししたり、ポケットにしまったり、

     

     

     

     

     

    過去がなければ、今はない、と、

     

     

     

     

     

     

    膨大な量の趣旨選択をこなす生活では、

     

     

     

    街(もり)は色彩感覚を楽しんでいる。かつて師範代のサバイバルをメタに挟み、

     

     

     

    平和な海を当然、今日もすごしている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    水に身を包んだままでも良いから、人を覚える。

     

     

    本道を言葉に戻す為に。

     

     

     

     

     

     

     

     

    口の開いたうすい壺ののように腐敗した精神は、

     

     

    村社会の、怒(いか)った「蛙神」だった。

     

     

    西洋神話のツアトゥグァに、記述がある。

     

     

    此の魔物をば天より誘い出せし術を知りたれど、極めて邪悪なる物故、未だ召喚せし事無し。魔物を捕え、幽閉せし術も知りたれど、元に帰らしめん術は知らず。

     

     

     

     

     

     

    ここまで連れてくれる、タニグクと言う蛙の警官は、水を浴びると元に戻った。

     

     

     

    悪くてテンパっていたので、私が怖くても親蛙がいたので、怒らないであげた。

     

     

     

     

     

     

    何がとも、こうした思考の為の想像する神をツクヨミと言う。

     

     

     

     

    三種の神器が口伝にあるが、今こうして神器と言い、これを「献上」するのは現代にたいして明るくなる今この時代である。

     

     

     

     

    神の献上とは、心にやや思うことで、詞(祈り)を導くその意味である。

     

     

    神語自体の難読といった性格をそのままに触らせる。

     

     

     

     

    のんびり、ゆるりと解れば良い。先を思うことだ。

     

     

     

    その秘密は、実生活のいつも残したピーマンや、孤独にある。

     

     

     

    緩和出来る記憶力の定着をさせ、

     

     

     

     

    すべて睡眠と瞑想を深めて行く。

     

     

     

     

     

    人生は、蟲ー以外の、人生のやり直しと、リベンジを精一杯引っ張って与える事が、いつも重大に想っていることだ。

     

     

    本質とうらはらなもの、それを考えて行く人生には、同一性や腰の座りが見れ、

     

     

    テーマや道を遠ざける事がなく、考えていける優しさは、本当に嬉しい。

     

     

    自身の性格で、対面するこの孤独にたいしても、凛々しく思う主体のゆとりが、悟り、即ち木々にある。

     

     

     

     

     

     

     

    良いものの為の時間を下さい!

     

     

     

     

     

     

     

     

    過去がなければ今はない、と友達が言っていた。

     

     

     

    最低を知らなければ最高はない、は、戦前の強い有名な言葉。

     

     

     

     

     

     

    苦難の中で、受難出来る自分を彫る。こうする冒険の上達、笑うことと、休むこと。

     

     

     

     

    こうすると、現代社会、その課題に心が鳴って、一旦、家路に帰るのだった。

     

     

     

     

     

    そう言って、強い寂しさや、個を、もっと感じれた小学生の自分は、今どんな傷も柔らかく受ける。その抵抗や摩擦にたいして、前向きに思って来た自分や、鞄の重さ、その日数は、この器に幸せと現在見る景色を通してくれた実感より。だから、もっと無欲に、日々思うことを全てにあっさり帰されるべき。すると、良い所から光を見る知恵や教えを徐々に授かり、得る事を知るのだ。

     

     

     

     

    関係も、会話も、

     

     

    度すべきところに従えば、

     

     

     

    こう口頭にし、言って臨めば、何も嫌なことをしないのだ。必ず身体性を抱え、苦難のなかで受難出来る自分を彫る。

     

     

     

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  • 砕いて蟲を考え進める方向

    2024/02/21

    蟲ー

    「弱小」が何か? 蟲と自分を比べたとき、

     

     

    自分はこうしない、

     

     

    そうじゃない、

     

     

    実存的であるが一つ分別出来たらば、変わるだろう。

     

     

     

     

    その客観的視点が入るまで、少し悩み考えなければいけない。

     

     

     

    おまけ、更に、下界とした外観を見出だせるには、その成功、それに達する終始を人の一貫に持てるとは、そこに蟲が関係しないことをしっかり見ること。

    蟲が、曖昧な良くなる明日と助けの中で、その距離を見れば実際には繋がっていないこと、よく見れば切れていること。

     

     

     

    蟲というには、

     

     

    仏教経典のように、○を何か付けて終わらせなければいけない。

     

    そして、それを覚えることで判らなければ。

     

     

     

    進むためには。

     

     

     

     

    辛い思い、悲しい気持ち、○はこれをよく考え、書き残し、起こった事の総合した地図を作る。

     

     

    どうか見えないこの気持ちを括り、はじめて荷が軽くなることを知って欲しい。

     

     

     

     

     

     

     

     

    祈りの方法。内容追加。

    https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=116365

     

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  • 重複すること

    私の元ルーツが神職のほうで、巫子ではない。

     

    祓いを心に込める責任が霊(ミガキ)にあり、易になりやすい。

     

     

     

     

     

    祈りの文化も、

     

     

    既存の文性を少し崩して、元に戻ろうとする。

     

    洋服がかえって古代日本に近い。

     

     

    北は栄えたくない、と言う。柄のないスタイルがある。アテルイの向こうにある。

     

     

    島は南から始まる。都は心の奥、中心から始まる。

     

     

    輿は、北から近くの東京の首飛びの墓、「これを覚えろ。」と言った侍の話しに繋がって、ヤマトタケルへの大國主の国譲りをふたたび思える。

     

     

    土が凍りついた後の、極東や、自ら冥界からの、不思議さや神のリカイや空の相槌、地の粗筋、蔓延る苦にたいしての理性、継いでそれに告ぐ客観的態度、この実践、生きる正しさや悟りの争奪、この円滑。

     

    これらはいつでも心もとない、透明感があるが、祈りは日に込められ、仰ぐといつでもわかる。

     

     

    手を“実際に”日に翳す、この感謝や感じ取り方は、今までは判らなかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

    実際よくわからないものへの干渉や、

     

     

    責任って

    あり得ない。

     

    良いことなら良いが、悪いことはそれ程に覚えて持ち帰ってはいけない。

     

    本来、休むところ。

     

    増して、そのうえ等に社会など作ってはいけない。

     

     

    心の仏界は、気楽を示している。

     

    神はたのしさを描く。

     

     

    自分は人と同じ人間で、はっきり生きてなくてはいけないが、「綱」を携え持っているのだ。

     

     

    間の光にたいして、普段穏やかな人や諸々の気に集まりがある、苦しみを原因とする苦集滅道と言う。その苦、蟲(ム)ーであるが、人があたらない、という意味のオオクニの言葉。

     

    人の首と、八、このこういう図の似た大きさの、見分けを出来ない。何の因果もなく、平等に勝手にこう落ちるものがある。マイナスがあるという初めて踏み切る存在。

     

    神と鬼を人の良い隙に良い角に入れ換えた、獣と言い伝えられるもの。

     

    蟲ーの捉え方と完全な外観について (笑;)

     

     

    蟲ー(カテゴリ)より

    https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=131493

     

     

     

    文を書いて祈る、生活をして供養する、これらには厚みが、人間には厚みが必ずあり、

     

     

    そこかしこにおる蟲ーは、肉眼があって覗いていると電波でいうが、そんなことはないので、騙されないで欲しい。

     

     

     

    全貌を明らかにするのも風と時間と自分の生命。

     

     

     

    間違えた人は、どうか感覚をあらえますよう、自らよりも長にわけを話し気を戻しますよう。

     

     

    私の果敢さを勇気に変えて向かわれますよう。スマホやコンピューターは、生活文化には曇りが有るが、文明にたいしてはとても吉。

     

    こうした種だねの分別が、道を切り開くこと!

     

     

     

    私の責任は、諸(モロ)が、人が、導き通りに進みますようにと願い込んでやまない事。

     

     

     

     

    たいせつは、

     

    心像、仏像が見えても、影には影があり、もっと大きな光や仏像はあるのだ。

     

    風が風で運び、

     

    人が気を高めて、その徒歩で降ろせた大霊と言い、実際のいまの現実界の実在を気にすることはない。

     

     

    長の神仏に任せて、一度聞きではないことが、理解の進歩にあるから、

     

    昨日とは違うのだぞ、と言うこと。

     

     

     

    自分たちに世代や後輩も、にわかにいるんだと自分は解っていて、

     

     

    前方や前が、こっちだぞ。

     

     

     

     

    こどもたちを言うとき焚べる時にどうか?、

     

     

    子どもの時は親には自分のことを我慢して欲しくなかったことの多くあり、こどもがもっと人なんて考えなかった、それを見分け、大人が光を浴びる時を、諦めさせなくても良い、

     

     

    と、智や手の影を考えるのだ。

     

     

     

     

     

    総じて、

     

     

    ゆっくり理解すれば良い、という事に、

     

     

     

    重点の注意、起こしやすい失敗や過ちに、自分ひとりが人を強行しなくて良い、

     

     

     

    勝手を破れないことに膝を折る事。

     

     

     

     

     

     

    と言う事だ。

     

     

     

     

     

     

     

    それらのことや人自身を解る、この曖昧なあたかも雲間から射し込む光の筋、こういう天光を、

     

     

     

    リカイ、といって、解脱とした仏教典から言われるのだ。

     

     

     

    速やかに、潔くその仏心を成就させよ。抱いた仏心を叶えよ、

     

     

     

     

     

     

     

    こう言う名文をそう思い、

     

     

    その間、他は他として、心配を起こさなくても良いんだからね。

     

     

    必要な声かけも祈りである。

     

     

    天上のなにか存在(仏及び天子)が、滞りのない所から、回れる法輪により、手間と深い平等があり、

     

     

     

    自知を深める、自分(人間)ってこう思うんだ、等、

     

     

     

     

    修行一人、仏一日に成らず。今日もよろしくお願いします。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    心配事を可笑しく生んでも、間にしてるのは、悪いことに線引くくらいの強さで叩かれるように覚えさそうと、無意味なんやん。人は美しいでその時間を済ますし、

     

    心の奥深く入って自己を探求することもある。

     

    一瞬に出て佇んでおかなあかん。誰か上にゆわれて、俺私守ってくれるか選んでくれるか、じゃない。

     

    そこはずっと見てる。仲間も友達も平等で

    、そこに贔屓はないねん。私たちには贔屓ない、厳しい方を選ぶと良い。

     

    人間の話し。

     

    だから味方を言うなら、何かをわっと探す前に落ち着いて死んだようにぼーっとしていて欲しかってん。寧ろ、自分に執着する中で、心に起こった事に観察と執着をする中で、

    どんどん、本来の自身の運を取り返して、

    だからその際全然自分(わたし)とか忘れてくれていて良いねん。

     

    そういう、人が人との意思の一致が何とも光になって誰かやあなたの目に、何かを言ってるねん。それが言葉やねん。空っぽのとき受け取れる事の出来るこの大きなものに対して、こういう風に戻る、とかならあると思う。

     

     

    精神界で見つける私が、知らぬ存ぜぬの竹薮に埋もれて、この奥に静かに見つめて修行している、と思ってくれへん?

     

     

    生活上、靡いてはいけない。気掛かりや、

    以上の注意もいらない。良いことだけがなければならない。

     

    人の休む場所やねん。

     

     

     

    実に、「仏さん」はゆうれいで近しくないのにく押さえたり追ったりしたらあかん、

     

    時の運や、運や。

     

    そういう生き方をしなあかん。

     

     

     

     

     

     

    歴史の天皇の言葉が能、狂言のどこかにあった。

     

    短冊を祈りにしてそう重んじるべきこと、物の言い付けだ。また見つけて欲しい。

     

     

     

     

     

     

    Kyogen: The Humor of Frailty & Tolerance [EN/ES/FR/HU/ID/PT/RU/簡中/繁中/JP】

     

     

    能はひたすら身体に従るから、心身にわかりやすい。文化か街にシフトし、風の立つ日である。ややこしくなる事にも道理があり、笑う、という動作を適える。

    めでたいし、有難い。

     

     

     

     

     

     

    その短冊一部(夏、笹に飾ってお願い事をする紙)

     

    YouTubeで拝見出来る。

     

     

    大國主大神 ookuninushi no Okami

     

    ずっと真夜中で良いのに

     

    何やってもうまくいかない

     

    不動明王~大丈夫 No.2 hudo myo o 

     

    刀ピークリスマス

     

    ヤリ捨てポイ

     

    爆笑

     

    G4L ヒロアカ ホークス

     

    ア/ン/チ/ジ/ョ/ー/カ/ー

     

    死神

     

    闇auハンバーグ

     

    ぎんぎらぎん

     

    狼煙

     

    アフレコ 赤紙をちゃんと断る非国民

     

    侍が歌うKING

     

    EVA3.0 33ED桜流し

     

    1018p もすかう

     

    Top20 andertele meme

     

    おにさんこちら welcome onisan Pelu

     

     

    Temporaryあびばのんのん

     

     

     

     

     

    善さはどことも変わらねど、土地感、土着性から、堕天(真逆の天)や、じとっとした雨や湿気、暗いままの夜、複雑な並木通り、この良さがわかって嬉しい。内向きの社会、をあらわれる照る華(外に向きたい)にたいして村といった客観性、ないし思想のこども。いずれもRough(ラフ)と言う非常に良い姿勢。

     

     

     

     

     

     

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    2024/02/20

    動物と虫

    実際よくわからないものへの干渉や、

    責任ってあり得ない、

    良いことなら良いが、悪いことはそれ程に覚えて持ち帰ってはいけない。

     

     

    心の仏界は、気楽を示している。

     

    神はたのしさを描く。

     

     

    心配事を可笑しく生んでも、間にしてるのは、悪いことに線引くくらいの強さで叩かれるように覚えさそうと、無意味なんやん。人は美しいでその時間を済ますし、

     

    心の奥深く入って自己を探求することもある。

     

    一瞬に出て佇んでおかなあかん。誰か上にゆわれて、俺私守ってくれるか選んでくれるか、じゃない。

     

    そこはずっと見てる。仲間も友達も平等で

    、そこに贔屓はないねん。私たちには贔屓ない、厳しい方を選ぶと良い。

     

    人間の話し。

     

    だから味方を言うなら、何かをわっと探す前に落ち着いて死んだようにぼーっとしていて欲しかってん。寧ろ、自分に執着する中で、心に起こった事に観察と執着をする中で、

    どんどん、本来の自身の運を取り返して、

    だからその際全然自分(わたし)とか忘れてくれていて良いねん。

     

    そういう、人が人との意思の一致が何とも光になって誰かやあなたの目に、何かを言ってるねん。それが言葉やねん。空っぽのとき受け取れる事の出来るこの大きなものに対して、こういう風に戻る、とかならあると思う。

     

     

    精神界で見つける私が、知らぬ存ぜぬの竹薮に埋もれて、この奥に静かに見つめて修行している、と思ってくれへん?

     

     

    生活上、靡いてはいけない。気掛かりや、

    以上の注意もいらない。良いことだけがなければならない。

     

    人の休む場所やねん。

     

     

     

    実に、「仏さん」はゆうれいで近しくないのにく押さえたり追ったりしたらあかん、

     

    時の運や、運や。

     

    そういう生き方をしなあかん。

     

     

     

     

     

     

    歴史の天皇の言葉が能、狂言のどこかにあった。

     

    短冊を祈りにしてそう重んじるべきこと、物の言い付けだ。また見つけて欲しい。

     

     

     

     

     

     

    Kyogen: The Humor of Frailty & Tolerance [EN/ES/FR/HU/ID/PT/RU/簡中/繁中/JP】

     

     

    能はひたすら身体に従るから、心身にわかりやすい。文化か街にシフトし、風の立つ日である。ややこしくなる事にも道理があり、笑う、という動作を適える。

    めでたいし、有難い。

     

     

     

     

     

     

    その短冊一部(夏、笹に飾ってお願い事をする紙)

     

    YouTubeで拝見出来る。

     

     

    大國主大神 ookuninushi no Okami

     

    ずっと真夜中で良いのに

     

    何やってもうまくいかない

     

    不動明王~大丈夫 No.2 hudo myo o 

     

    刀ピークリスマス

     

    ヤリ捨てポイ

     

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    ア/ン/チ/ジ/ョ/ー/カ/ー

     

    死神

     

    闇auハンバーグ

     

    ぎんぎらぎん

     

    狼煙

     

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    実際よくわからないものへの干渉や、

    責任ってあり得ない、

    良いことなら良いが、悪いことはそれ程に覚えて持ち帰ってはいけない。

     

     

    心の仏界は、気楽を示している。

     

    神はたのしさを描く。

     

     

    心配事を可笑しく生んでも、間にしてるのは、悪いことに線引くくらいの強さで叩かれるように覚えさそうと、無意味なんやん。人は美しいでその時間を済ますし、

     

    心の奥深く入って自己を探求することもある。

     

    一瞬に出て佇んでおかなあかん。誰か上にゆわれて、俺私守ってくれるか選んでくれるか、じゃない。

     

    そこはずっと見てる。仲間も友達も平等で

    、そこに贔屓はないねん。私たちには贔屓ない、厳しい方を選ぶと良い。

     

    人間の話し。

     

    だから味方を言うなら、何かをわっと探す前に落ち着いて死んだようにぼーっとしていて欲しかってん。寧ろ、自分に執着する中で、心に起こった事に観察と執着をする中で、

    どんどん、本来の自身の運を取り返して、

    だからその際全然自分(わたし)とか忘れてくれていて良いねん。

     

    そういう、人が人との意思の一致が何とも光になって誰かやあなたの目に、何かを言ってるねん。それが言葉やねん。空っぽのとき受け取れる事の出来るこの大きなものに対して、こういう風に戻る、とかならあると思う。

     

     

    精神界で見つける私が、知らぬ存ぜぬの竹薮に埋もれて、この奥に静かに見つめて修行している、と思ってくれへん?

     

     

    生活上、靡いてはいけない。気掛かりや、

    以上の注意もいらない。良いことだけがなければならない。

     

    人の休む場所やねん。

     

     

     

    実に、「仏さん」はゆうれいで近しくないのにく押さえたり追ったりしたらあかん、

     

    時の運や、運や。

     

    そういう生き方をしなあかん。

     

     

     

     

     

     

    歴史の天皇の言葉が能、狂言のどこかにあった。

     

    短冊を祈りにしてそう重んじるべきこと、物の言い付けだ。また見つけて欲しい。

     

     

     

     

     

     

    Kyogen: The Humor of Frailty & Tolerance [EN/ES/FR/HU/ID/PT/RU/簡中/繁中/JP】

     

     

    能はひたすら身体に従るから、心身にわかりやすい。文化か街にシフトし、風の立つ日である。ややこしくなる事にも道理があり、笑う、という動作を適える。

    めでたいし、有難い。

     

     

     

     

     

     

    その短冊一部(夏、笹に飾ってお願い事をする紙)

     

    YouTubeで拝見出来る。

     

     

    大國主大神 ookuninushi no Okami

     

    ずっと真夜中で良いのに

     

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    Childays 

     

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    G4L ヒロアカ ホークス

     

    ア/ン/チ/ジ/ョ/ー/カ/ー

     

    死神

     

    闇auハンバーグ

     

    ぎんぎらぎん

     

    狼煙

     

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    2024/02/18

    動物と虫

    南無妙法蓮華経

     

     

     

     

    天に任せます、心と法と、花や緑の尊敬。

     

     

     

    妙は、何と「妙だな。」をそのままに読む。

     

    人々の面白さ、を意味する。

     

     

     

     

    昨日、向かったクラブでレゲエセレクターが

     

     

    「どんなとこで、どんなときに、どこでいつ出会っても、

     

    いつでも仲間を愛してる

     

     

    辛い!

     

     

    辛いからこそ見えて来るものがある。辛いからこそそこに見えて来るものがある!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    戦時中のひとの大きな髭でも、猛勉強の達成を意味することを知った。

     

    2等兵が一般で、

     

    1等兵が、ちょっと悪かったりするが左派などがあり、

     

    その上が、もっと頑張りたい人だった、

     

     

    みな綺麗な洋服だった。

     

     

     

    この時の、既の纏まった色々な考えがある中で、

     

     

    本当に身近で、身の回り、思うこと、感じることを信じて、

     

    そう闘えること。

     

     

     

    二十代に思ったかしこさや強さより、人はもっと強くなる。

     

     

     

    こういったことを伝えたかったんじゃないかな、

     

     

    偉さと高さは、相異なって、

     

    あたたかい人間になる、それを考える、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    呪いは、術を始める時に天道にあって、その場を使い借りるのだから、術者にたいして予め掛かる対価が凄い大変なのだ。

     

    呪いをしても、数倍で跳ね返ると言うが何故跳ね返るのかは、伝達として分解され特定するからだ。天に見つけられた時、天に何に困ってるか話せれば天となり、

     

     

    痛み患部、その上部や天辺を見れば、本当にその術といった事物の好きな大霊がわんさかいて、

     

     

    自分の心を言えば、どうにかしてもらえる。

     

     

    根本(術者)が、弱小、ネガーで、呪術さえはいくらやりたくても我慢している人も多くいる。

     

    「弱小」が何か? 蟲と自分を比べたとき、

     

     

    自分はこうしない、

     

     

    そうじゃない、

     

     

    実存的であるが一つ分別出来たらば、変わるだろう。

     

     

     

     

    その客観的視点が入るまで、少し悩み考えなければいけない。

     

     

     

    おまけ、更に、下界とした外観を見出だせるには、その成功、それに達する終始を人の一貫に持てるとは、そこに蟲が関係しないことをしっかり見ること。

    蟲が、曖昧な良くなる明日と助けの中で、その距離を見れば実際には繋がっていないこと、よく見れば切れていること。

     

     

     

    蟲というには、

     

     

    仏教経典のように、○を何か付けて終わらせなければいけない。

     

    そして、それを覚えることで判らなければ。

     

     

     

    進むためには。

     

     

     

     

    辛い思い、悲しい気持ち、○はこれをよく考え、書き残し、起こった事の総合した地図を作る。

     

     

    どうか見えないこの気持ちを括り、はじめて荷が軽くなることを知って欲しい。

     

     

     

     

     

     

     

     

    祈りの方法。内容追加。

    https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=116365

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  • (編集済)バサラとタトバン

    2024/02/18

    動物と虫

     

    お祭りや、ステージとしたものの為に光が通るわけではなく、

     

     

    蟲ーの為に光が通っている。


     

     

     

     

     

     

     

    「塚」を知ってるだろうか。

     

     

    昔の割れた土器や、ゴミ、骨を捨てるところだ。

     

     

     

    私にとっては、白い貝のようなイメージだった。何か手掴みのある美しいリカイが落ちてる筈なんや。

     

     

     

    家族以外はほぼ皆がらんどうのわたしの家である。そこには徂霊、髪を二つ結いにリボンの様にした土地神だ。倒れる巨獅子、云わば神の結婚がある。

     

     

    思える何年その地にいるかである。知見したときは言葉にし難い程本当に美しいと思った。老いた巨獅子が転倒したおれ、それを千脇ての奥に、その大屋彦(オオヤビコノカミ)が酒を持ち渡し微笑んだのだ。物や木に宿られる。

     

    人の気を痛めた方、いませんか。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    昔は伝達と神話で、中国と良い仲があり、また蛇壺といった詩によって、天女が悪い人をほかし、壺は、知や抵抗を授かった。

     

    江戸時代ほどの幽霊の自分が何かを言った後がっかりしたのは、中国の人の後悔や表情だと思った。

     

     

    あなたとは、遥かから感情をかわせて嬉しいので、苦しまないで下さい!o(^-^)o☆  私には、喜びごとがあります。

     

     

     

     

     

    何事かの時、大切なのは天への愛想。

     

     

     

     

     

     

     

    古代の彩飾と、光絵がすっきり繋がる。十二神将、海使いである。

     

     

     

     

    宮毘羅(ku bi la)  伐折羅(ba ki la)  迷企羅(me kl la)  安底羅(a n te la)   頞儞羅(a ni la)  珊底羅(san do la)  因達羅(i n  da la)  波夷羅(更新ha to la)

    摩虎羅(ma ko la)  跋折羅(ba sa la)

     

     

     

     

     

     

     

    ここに足りないのは、人の心配しない心である。

     

     

     

    悩むならちゃんと悩む、気になるならちゃんと気にする。

     

     

    私は、低くなった声にこれを見つけたんだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「直感、」

     

     

    心を傷つけない為の方法、心の護身。

     

     

    見えないが感じ取る間合い。それを行動するのは案外と理性だ。こう言葉を灯らせた咀嚼した。

     

     

    ちなみに咀嚼(そしゃく)、物事を噛み砕き理解する、動物の強い歯のことを、

     

     

    昔は五才児から、耳に言ってあげていた。

     

     

     

     

     

     

     

    ややこしい所に生まれて生きてるけど、退く、一度離れる、そういうシンプルな世界もある。

     

     

     

     

     

    日を手に翳し、浴びると、「人」のありかが分かる。

     

     

    物に触れたり、板でもコップでも、あと仕事中に人間を感じたり、人は何かは考えるが、

     

     

    単調にだけ話す蟲ーが、こうして一発でわかる。

     

     

     

     

    セルリアンブルー、あれはブルーじゃない。

     

     

    ものを媒介に「もの憑く」になったヒトと、霊媒師はまったく違う。

     

     

    運も、幸せも、心も、顔も、行先も。

     

     

     

     

    物の力の感動から、そのまま右左を間違い狼狽している人がいる。

     

     

    心から降って来たり落ちてる物の、二三曲がり以上の手間を持って、あなたしかしらない「能力、心読」となる。

     

     

    心読のプロの武士霊を見たが、一見もせずに移動を行っていた。

     

     

     

     

    こういった、大切な気通りを阻害しているとすると丸々バレている。

     

     

     

    続けてしまうと、良いことなどひとつもない。

     

     

     

     

    蟲の向こうには、天に向かってきっかりすべて返される「宙」の部屋があるが向かう。

     

     

    心が無量無辺と在り、日もあり夜空もある。未来もある。ただいてるだけで良い。

     

     

    だからおこらなくても、考えていると良いのだと思う。

     

     

     

    それが、怒りの表現になったりして主旨を取り戻すのだ。

     

     

     

     

     

    怒りは赤、

     

     

    性欲、追及、強くなる気持ち。

     

     

    オレンジは優しさ、

     

    身体自体を動かす、

     

     

    黄、腹の声、心の奥からの願い

     

     

    緑、癒えているか

     

     

    青、交友関係性

     

     

    紫、守り

     

     

    赤から、足~頭上となる。

     

     

     

    当然、蟲ーは無彩色。抵抗も反発もないから、人が落ち着いてしまったりする。

     

     

     

     

     

     

     

    だから何も言わない、輪廻と因果律を仏と拝み、

     

     

     

    区間に調査をしている。

     

     

     

     

     

    わたしは十分!

     

     

    ヒカリ君、守護、日。

     

     

     

     

     

     

     

     

    オオクニは、コンサートと思って覗いたけど、何かどうやら違って、

     

     

    神は実際そう入って行くが、

     

     

    そして、出来るなら個人の本当にに一人の体当たり作品を光で見れるなら、

     

     

     

    心を休めるなら、供養となり立派な陰徳となる。

     

     

     

    ①仏と話す

     

    ②神に方法を聞く

     

    ③やってみる

     

    ④仏と話す

     

     

     

    これだけでも、人離れしないからそうすると良い。

     

    煙を空へ届け、供養を祈る。

     

     

     

     

     

     

    亡き母が、本来の生活や娯楽、学問の一生懸命、生きていること、これを供養と言うが、

     

    それが出来てないから出てきてる!

     

     

    何で罰されるねん、と聞こえ爆笑した。

     

     

     

    私のたとい誰であってもそう思うこと、善神にたいする意気込みと、苦難の中での前向きな祈りを聞いてもらえたと思う。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 集まれる本当の原因

    2024/02/17

    蟲ー

     

     

     

    蟲ー

     

    見分ける過度期

     

     

     

     

     

     

     

    人間骨だけじゃないから、誰かの幸せを願ったり、肉を付けても全く知らない言葉ではないから、

     

    潔く心に合わせる、育つことに木や緑の崇高を信じる。

     

     

     

     

     

    二次創作でも、古くから遊びとしてあって、

     

    文化を身近にしている。

     

     

    人がいて、壁があり、昼夜があり、心があり、

     

     

    慎み深い古典の考えを、継承することが出来る。

     

    それだけで良い事は多いが、負けん気や、自分のことにたいする肯定感がが弱かった。

     

     

    何の事柄にたいしての優しさはあった。

     

     

     

    影や夜、が、一時的に全体的に否定されていた。

     

     

    漫画でも、色んな詩でも、描くのは、

     

    身体的に声を前に出す、と言うこと。

     

     

    アウトプットが出来ていると、

     

    落ち着いている。

     

     

     

    「本当に救われたいのは誰だろう!」

     

     

    言葉を見つけた、私は気球に乗ってやって来るアッテルと思った。

     

     

     

    思っても、思わないでも、わたしは目的に風を吹かすくらいは、祈り生きていた。

     

     

     

     

     

    願う自分から生えた想像や人のこと、悟りの出会い、力(りきみ)はいらない、初心から動くことはない、仏に告げる。

     

     

    輝き(ひかり)は、神や新しい友達。

     

     

     

     

    明るいパンゲアの考えや、

     

     

    重んじる世の徂霊と、

     

     

    また仏陀の下々、自覚と静観の値について、

     

     

    興を起こせないである身、足るを知る道徳の高まり、自身の人生、非自然的である構築の建物社会を認めて現れる文明論や、人が文明的に自然的に守られること、

     

     

    時代観のある者、失った者、まったくない者を含めて、

     

     

     

    考えられること。こうした清潔。

     

     

     

     

     

     

     

     

    いつも失敗した心のブレーキは、

     

     

     

     

    ①わっと心が鳴る、月の登るとき、は、覇気を頂く。

     

     

    手を合わせ、その手を腹にぐっと引く。

     

    優しさをそう思う成長の態度。初心に向く。

     

     

     

     

    ②行ったら戻る。いつでもそう、自分の顔を向いて睨む、鎮座する、

     

     

    この繰り返し。

     

     

     

     

     

     

     

    ③課題、題目の蟲と、そのトラブル、

     

     

     

     

    地価があれば、蟲の発生は絶対らしい。

     

     

    穏やかな人の気に集まりがある原因、この苦。

     

     

    苦集滅道。

     

    心の緑の旺盛は、globeのmany classic momentsくらいの張り切りはある。古代の灼熱の恋愛観だと思う。世尊と口にし、憧憬と業火のその自身も時代を生きること。

     

    松明に投げ打ち上ち、あるいは心に留め、進む。

     

    豚足を噛む。ビールはある種の出会いを喜ぶ、

     

    誓いとなり、心を澄ませる。祈りの儀式的な技法。

     

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  • 2024/02/15

    動物と虫

    霊は、「磨いている」がパスキー。

     

     

    それ以外の浮遊霊は、残念ながらお化け。

     

     

     

     

     

     

     

    キリスト様の様に、この王(あるじ)のように、

     

     

     

     

    自分の言葉を求める、

     

     

     

    これを質問という、

     

     

     

     

    解の中にいる

     

     

     

     

    研磨の事である。

     

     

     

     

     

     

     

     

    論語は、問いと答えのそれだけを行く。

     

     

     

     

     

    論語自体が、解なのである。

     

     

     

     

     

     

    これは、ガンバル石。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    時代には、天皇がいて性格がある。

     

     

     

    砂煙が払われれば、甲冑を纏っていても、

     

     

     

    見渡せる目は、

     

     

    明るい中だと必ず争いとは違った。

     

     

     

    想像したことがあるが、わかり合うような

     

     

     

    理解の方法を開かれていたのだ。

     

     

     

    地面が直に足の裏に着いているから、裸足で歩くから、

     

     

     

    自分よりずって賢かったのだと思う。

     

     

     

     

     

    意識、として捉えられた太陽惑星のもくてきが、

     

     

     

     

    理屈以上の地カラ(ちから)は、拳は、

     

     

     

     

    精神上の理解をするから、

     

     

     

     

    努力した自分、とか、脚を労ることが、

     

     

     

     

    ひつような自分に繋げられ、導くことが出来る。

     

     

     

    導くと、全体を得る。

     

     

     

     

    甘い土を歩いていることが、

     

     

     

    心をわるくするのよりも、実感とか、

     

     

     

     

    こう生きている興味は、

     

     

     

     

    ありがとうよりも、感謝そのものだ。

     

     

     

     

    それを、日を見ながらそうして来た古来に

     

     

     

     

    伝統を喜ぶ。こうした相槌をする。

     

     

     

     

    繋がれる地球がある。

     

     

     

     

     

    我は下、と思う、上は我が胸、心、と思う。

     

     

     

    その上に水色の空がある。

     

     

     

    意識の胸を、土着と因果に任せて、

     

     

     

    海亀の広い目線を知りに、

     

     

     

    抱ける感情に浮かぶくらい、大きくなる。

     

     

     

     

    私は、自分そのものの大きさ

     

     

     

    不幸も幸せも超えて、

     

     

     

    知れない心をわかって、

     

     

     

     

    それを初めて知ろうと、

     

     

     

    いつもに向かう。

     

     

     

     

    家と出ることの往復に、

     

     

     

    毎日、違うひと

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    死を境に生きた平家物語の詩に、

     

     

    今を生きる指南がある。

     

     

    生きてる間は、

     

    ただ、春の夜の夢のごとし

    唯春の夜の夢のごとし。
    たけき者も遂にはほろびぬ、
    偏に風の前の塵に同じ。

     

    寺鐘の響きを聞く私はこうだけど、

     

     

    君はどうかな?

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


    こんな風に、冷えきってしまったんだ

     

     

     

     

    国の神話のなかで、

     

     

     

    敵味方ではなく、だた一緒にいる、

     

     

     

    冷たい川辺を自然に動けることや、

     

     

    鴨子のように優しい。

     

     

     

     

    社会の面もあり、

     

     

    揺るがないさっきの精神があって、

     

     

    水の力、悲しみを受け止められた。

     

     

     

     

     

    globeの歌で、

     

     

     

     

    七つの刺青、眩しいネオン、反対側のyesterday、

     

     

     

    数え切れない出会い、流しすぎた涙、冷たい風、

     

     

    Im leaving 戻らない

     

    Im dreamimg 今から

     

     

     

    Away from home

     

     

     

    ワンダー、

     

    疲れた太陽、

     

    透き通るフルムーン、

     

    知らず闇に包まれ、

     

    時間を飛び越える

     

     

     

     

     

     

    夢が静かに降りてくる。

     

     

    ヤシの実や、ハンモックさえ見えてくる。

     

     

     

    草原で、

     

     

     

    違ったランプブラックの、

     

     

     

    沢山のアニマルを飛び越え、ジャングルの緑と星空を行く。

     

     

     

    夜、あの子と踊る、

     

     

     

    コバルトブルーに更ける部屋で、

     

     

     

    同じ夢で。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    神を思い出せる良い時代、

     

     

     

    生きることや、ルールよりも、

     

     

    ただ、居るだけで良い。とわかる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    墓化した私。

     

    少なくとも

     

     

     

    ボケ防止になる、

     

     

     

    良いことは、キノコのように摘み取り持ち帰る。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • (1)天上を和する会話、(2)理解するモラルと理解出来ない何(なん)、(3)菩薩の祈り

    2024/02/14

    蟲ー

     

     

    アッテルにはママが必要

     

     

     

    だらけて天子に甘えることを例えば架空、想像的にフランス人の愛し愛を思うひとになぞらえ考えて、怖くなった

     

     

    同じくらいは冷たすぎる

     

     

     

     

    この今こうあってを愛せる

     

     

    心配に勝つポテンシャルが、私には付属されてない

     

     

    社会をあきらめたくない

     

     

    会いたいひとに会えて嬉しい

     

     

     

    空、こう飲むほど、成長するんや

     

     

     

     

     

    想像でもないが、

     

     

    二つがもし溶けて落ちていくような、

     

     

     

    上手く行かない、悲しい想像は、

     

     

     

    ドラマを見足りていない、貢献してない、

     

     

     

    好きなものに向かう、感じる地球の貢献、

     

     

     

    努力。

     

     

    気が向かない、が、嫌じゃない。

     

     

     

     

     

     

     

    私にとっては唯一の大切な人体だが、

     

     

     

     

     

     

     

    蟲ーにとっては、逃避するとっかかりの為の壁づたい

     

     

     

     

    そのもので、

     

     

     

     

     

     

    そのすべての感覚から私と違う物を捉えているように思う。

     

     

     

     

    肉体、と思ってその事を言う時、

     

     

     

     

     

     

     

    視線は、

     

     

     

    内容皆無の人気、食欲、を見ている。

     

     

     

     

     

     

    だから、肉体が存在しない。想像が、何か反省の続きや展開だから。

     

     

     

     

     

     

    性欲がないのは、もう死ぬから。

     

     

     

     

     

     

     

    全く自分を思い出せない人、とは違って、

     

     

     

     

     

    蟲ーの身体、及び精神は、

     

     

     

     

    視覚も、

     

     

     

    聴覚も、

     

     

     

    身の空間からも、

     

     

     

     

     

    生きていない空間に犇めいているだろう。

     

     

     

     

    身周り、この言葉のあるその時間は1秒。

     

     

     

     

    一日24時間、一週間月火水木金土日、長い時間の中の1秒。朝夕はない。

     

     

     

     

     

    「何か」と言う。

     

     

     

     

    人気が欲しい、ところで、魅力的な仕草、言葉、表情、顔は、

     

     

     

    全員、地球に実在する。自分だと言って離さないだろう。

     

     

     

     

     

    勘があるから、追われている恐怖の影を判っているからだ。

     

     

     

     

     

     

     

    これを、霊(人の磨けるもの)ではなく

     

     

     

     

     

     

    「幽霊」、「お化け」(・o、ba、ke、・御、ばぁ、毛)

     

     

     

     

     

    と、言った。

     

     

     

     

     

     

     

     

    太陽や惑星の自転から、

     

     

    悪い、排出しないといけない、

     

     

    二体が、同空間に現れる

     

    不透明度が高過ぎるから、人を隠す

     

     

     

    埋もっていても、人からの返せないほどの恨みや怒りや悲しみに、

     

     

     

    特急で小舞して、言葉なんか蟲ーに有ったものじゃないだろう。

     

     

     

    魂とすれば、自分さえとうにおらず、

     

     

     

     

    買った欲(かお)から、いろいろな物が飛び出る

     

     

     

     

    生きてるわたし、を中心にしてそれをしっかり掴む。

     

     

     

     

     

     

     

    何か気持ちの優れた時にやってくる、

     

     

     

    角張ったものを投げてくる蟲ーや、

     

     

     

     

    不親切なつめたい、分厚い本を投げてくるような、

     

     

     

    光を、それから自分を護る

     

     

     

     

     

    猛々と理想と目標、抱えた美観と美意識、

     

     

     

     

    これらがそうじゃなかった場合。

     

     

     

     

     

     

     

    護身

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「仏界」

     

    仏のしぐさ。

     

     

     

     

     

    地蔵や偉い霊から、

     

     

     

    斜線を引かれた退場ゾーンが有り、

     

     

     

     

    その近くにイエローゾーンがある。

     

     

     

    出来ない霊たちだ。

     

     

     

     

     

    軽く祈ってあげるだけ、が良いとわかった。

     

     

     

     

     

    いろいろ悪くされても、

     

     

     

    現実的な進行が、無い。

     

     

     

    亡くなって長いひとだ。

     

     

     

    関わるものを間違えず、

     

     

     

     

     

     

     

    観音を願うにしても、

     

     

     

     

     

    「私を、お見守り下さいね。」ではなく、

     

     

     

     

     

     

     

     

    「わたしが観てます、愛想を打つからね。」、

     

     

     

     

     

     

    極意は、

     

     

    そう南無妙法蓮華経を祈るときに、

     

     

     

     

    自分を立たせる技法を伴い、

     

     

     

     

    状態として「観世音菩薩」が成り、唱えている、

     

     

     

     

     

    となる。

     

     

     

     

    天は上の、

     

     

     

    仏界のその浄土、

     

    バランスのある考えと進展、

     

     

    進める自然さ、

     

     

    こういった喜びを、

     

     

     

    世の人、人民、民のわたし、と分かち合いたい。

     

     

     

     

     

     

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