揶白 (KF)

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  • 狼の父ちゃん(編集)

    2024/03/15

    動物と虫

    私は大きいです、

     

    か、入ってきて、

     

     

     

    自分を育てるのは自分だというとき、

     

     

    遠く離れた人々が来たら浮き輪にレスキュー

    して、

     

     

     

    助かるまでに逃げたりどついたりするのを、人として見てとか、

     

     

    自分は大きいものを見たいから、ちゃんと構えて、

     

     

    ただ危なくて

     

     

    もう相手にしなくなる様を、童話やこういった民間伝承などで、

     

     

     

    学べるのは、ずっと上の互いの人が祈るから

     

     

    本当の意味で誰も省かない

     

     

     

    喋りたいんじゃないなら「知りたい」くらいで押し掛けるりせいが、

     

     

    コミュニケーションを取ろうとする

     

     

    だから、何かを守る機械でもそういう法なで完璧なことは見当たらない

     

     

     

     

     

    今、間に合わない、そういった約束がしっかりあるんだと思う

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    そのヒトをこっちで見てるの形骸だけ

     

     

     

     

    国などを装った、偽った、おちたひと、部落民、

     

     

     

    つまらない、怖いから、違うこと考えたい

     

     

     

     

     

     

     

    正義はないのか! と言葉を持つ力もなくいきなり怒鳴られたとき、

     

     

     

    彼らが消えるほうを選ぶのは、優れた愛によって、ナーバスや、マイナス思考が、

     

    原因じゃないのは、ずっとずっとよく知ってる

     

     

     

     

    今、何の支えでもないのだから

     

     

     

     

    客観性が上だから、それが主軸になったら、もう考えることもない

     

     

     

    否、考えたことはないのかもしれない

     

     

    父よ、あれを部落民と認めてくれ!

     

     

    「私に今残る思いとはそれだけなのだ」

     

     

     

     

     

     

    ギリシャ神話で女が男を嫌って木になった、という話がある。

     

     

    朝、考え事をする

     

     

     

    女神の御前は、人間からしたら、こういった様々な神話とは星の出るとき、考える視線にたいしてポイントとなるのか、「物」となり、人が手に取る時は剣になるのだ

     

     

     

     

     

     

    日頃思っていた「物」の実質を獲得している

     

     

     

    辛い話に耐え忍べるほど、

     

    歴史的名演の言葉に携わるほどの発声量は確かにあるのだ

     

     

     

     

     

     

    心自体も社会性からなっていて、そこに開ける進歩の難解さが、離れずに腰を据える世尊の様に、一人が頭上に仏を持つように、洞窟の成り立ちのように、待っている。

     

     

     

    部族には、その間があり、

     

     

    そこには言葉の用意や、よそ行きの気持ちや、表現力や表現性そのものがあるだろう

     

    何かがいること、

     

    これに対して何もないこと

     

     

     

     

    アフリカには大きな大きなしかも赤い夕日があって、

     

     

     

     

    それを考える眼差しは、自分とは違うだろう

     

     

     

     

     

    大地が、土を想像する、盲者の人に「水」を伝えるヘレン・ケラーのように「木がある」を初めて考える、そこに草がある、とわかったら、

     

    眠りを指すとする土は

     

    山に野菜を育てる風習があるように土は、「養い」という意味になる

     

     

    これは想像、という「宿し」にたいしてだ

     

     

     

    地球の奥行き、そのもの

     

     

     

     

     

    木は一人じゃない

    もっと何もない、動けない、対して本当に空っぽや浮いたりするのは相手じゃない

     

     

     

    人間性の理性、その手が許される

     

     

     

     

    アッテルは朝日が、今似合っているよう

     

     

     

     

     

     

    私にとって日は、そばにいたり、自分じゃなかったり

     

     

     

     

    すると、

     

     

     

     

    私は仏道成就にもまだまだ多くの事を楽しみ、大きく生きたい!

     

     

     

     

    正しい順序で、瞑想の志しが生える。

     

     

     

     

     

    強く人間として、世界の一方に祈りがあり、

     

     

     

    それが遥かに届く間際を皆と見れる心の中

     

     

     

     

    父よ、私の人間性、わたしの性格、それを覚えていなくても大丈夫

     

    人と同じ心が神を呼ぶ、約束の素晴らしさで一杯です

     

     

    それに私は嫌いが強いから、寂しさも孤独も味方です

     

     

     

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  • 狼の父ちゃん

    2024/03/15

    動物と虫

    私は大きいです、

     

    から、入ってきて、

     

     

     

    自分を育てるのは自分だというとき、

     

     

    遠く離れた人々が来たら浮き輪にレスキュー

    して、

     

     

     

    助かるまでに逃げたりどついたりするのを、人として見てとか、

     

     

    自分は大きいものを見たいから、ちゃんと構えて、

     

     

    ただ危なくて

     

     

    もう相手にしなくなる様を、童話やこういった民間伝承などで、

     

     

     

    学べるのは、ずっと上の互いの人が祈るから

     

     

    本当の意味で誰も省かない

     

     

     

    喋りたいんじゃないなら「知りたい」くらいで押し掛けるりせいが、

     

     

    コミュニケーションを取ろうとする

     

     

    だから、何かを守る機械でもそういう法なで完璧なことは見当たらない

     

     

     

     

     

    今、間に合わない、そういった約束がしっかりあるんだと思う

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    そのヒトをこっちで見てるの形骸だけ

     

     

     

     

    国などを装った、偽った、おちたひと、部落民、

     

     

     

    つまらない、怖いから、違うこと考えたい

     

     

     

     

     

     

     

    正義はないのか! と言葉を持つ力もなくいきなり怒鳴られたとき、

     

     

     

    彼らが消えるほうを選ぶのは、優れた愛によって、ナーバスや、マイナス思考が、

     

    原因じゃないのは、ずっとずっとよく知ってる

     

     

     

     

    今、何の支えでもないのだから

     

     

     

     

    客観性が上だから、それが主軸になったら、もう考えることもない

     

     

     

    否、考えたことはないのかもしれない

     

     

    父よ、あれを部落民と認めてください

     

    人間しかいないから親がわかったのだ、

     

    人間しかしないのだ

     

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  • 木を植える

    2024/03/12

    動物と虫

    まず「欲」は、仏語に馴染んで、則ち人間からすると、

     

     

    言葉に表現するに、善悪を分けていく試みが同時に生じる

     

     

    故に、「俗に」欲か、欲じゃないか、いる欲といらない欲、こういって仮留めになる

     

    仏のように「一人」になれば、一条一定として言葉を失って元に戻った時、

     

    既存の言語を使うとして性欲とはまた無垢な、

     

    これを哲学して考える解は、

     

     

    例え続きを持った恋愛による、こういった純然たるを想像しつつ、

     

    道徳の穢れとし存在する亦その道徳、向かって永遠に続いていく森の悲(かな)ら亊、それを歩く時は、

     

     

    緑の強さ、文性、その養いを思っててもっと渋いイメージをしてる

     

    日の疲れを取ってあげるとか、人を可愛いと思うとか、そういった善に上が許して、すると供養になっている

     

     

    普段客観的に傾いて良く思う事に、

     

    イメージしてる位置関係が想像と違って、

     

    十八番とか上に思うなら礼儀をしなければいけないと思う

     

    昼と夜は全く別れていて

     

     

    したいっていうのはもう蟲ーやん、したい!っていうのは人やん、その分別は賢い

     

    何ともふらふらした足どりに一を与える

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  • 客観性の美しさを極める

    2024/03/11

    動物と虫

    変な蟲ーやひとが自分に来たら、「むー」というような楽な呼び声で解決する為に、神仏と警察に相談しておこう。可愛い警察の待受画面は御守りになる。ちゃんと話せば理屈とは直結しないで、こう出来ること。

     

     

     

    yukiのスタンドアップシスターという曲のPVを、見ていて、

     

     

    自分が良いな、可愛いなと思うことにたいして圧迫するような不思議な気持ちがあった。

     

     

     

    踊れない人が踊っている、そう観る時は、その背景には定番としてる欧米ミュージカルやそういった西の社交ダンス、時間芸術の記憶だが、

     

     

     

    鬱でもドラキュラでも何でも良いと思うことは良いのだ、

     

     

     

     

     

    いい加減さ、下手なダンスがわかった時はそれで頑張って行こうと思った。客観的に上手く行ってるからだ。

     

     

    客観的に上手く行ってる、わかち合いがあり、美しい姿勢を期待するということだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    もっと輝くところにつれていく為には、

     

     

     

     

    読んでいた、生きていた、前文が今想像する広さや大きさことと違いすぎるのか、そう思っていたがそれは水星、惑星間としてそれは地球。ねずみ色といっていた町はただ暗さ表すことでもなく、綺麗な灰色であった。

     

     

    それにしても、思考を丸ごと包み込むような。それは水星。

    世界に不思議な詩があると感じてやまない。

     

     

    嘘でも良いからきらきら考えるのだ。そこから浮かぶ詐欺を、それを木星が守ってくれる。

     

    自分が危険な時は、地球に訪ねる。何か知らんけどすぐにアドバイスを貰える。

     

     

    日本のストリートダンスを見ても、ステージ感としては劣りを感じた。やっていることの視点からは、技術の習得だったのだ。

     

     

    西の舞台の視覚的スケール。

     

     

    技術習得にたいしての凄みとはステージ向きではなかったのだ。

     

     

     

    実力と、実演。行動中と、話し中。二つが善意の姿だ。

     

     

    ストリートダンス、ダンサー、こう聞いては何かをやってみない下心に溢れている。

     

    そして、かくには、伝える技術を研ぐことと、書く技術を研ぐことと、一人の人でも二つの顔があることから、「心」が出来ることを知った。ポエムを書いたり、文章を書いたり、絵を描いたり、つまり、「言いたいこと」である。これがわかった。

     

     

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  • 漫画を描きたい

    2024/03/09

    動物と虫

    自立の試みを日本でもする中で、

     

     

     

    漫画や絵を描くことの意義は、

     

     

     

    商業誌など、外向きに誂えることの出来る力と、あともう一つは内職の様に、内側に向けるとしてする、ただする、という行為はしたいことよりも、目の奥での自分補正、その稽古をイメージする個人趣味。

     

     

     

    字を書くときも、気持ちをどう表現するのか皆目わからなかったのだ。書いていたら、ある日書けた。そこに、自分の表現にない、自分に出来ない言葉がある。

     

    私としては、堕落に近く自意識にてこずって、これを行う方には、大画面のように厚みを持って描きたい絵画がすっきりした。学びが多かったという事だ。

     

     

     

    顔が好きなら真っ直ぐそう描いてみる、と言う

     

     

     

    思いの恥ずかしさに気を逸らさず持つ

     

     

     

    茶道に似ている。

     

     

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  • 人と心配、ウォーリン

    2024/03/09

    動物と虫

    こう思わないだろう。と、自分に重ねて覚えることをして欲しい。

     

     

    こう思うだろう。その中から完全に出て一向に戻ることはない。

     

     

     

     

     

     

    全ての盲念が、二分化されるとして、

     

     

     

    戻ってうだつを述べるにしろ、御託を並べても、一括で拠点が下部にあるとし、

     

    様々は押し通されるだろう。

     

     

     

    しっかり楽しそう、ならともかく、いい加減に自分が歳を重ねているように、次元世界には到底いないものがいて、

     

    そういった者が盲念を買い受け、賢い人が支払いをしている、弱霊的で不気味なオーラのその図は今後も見れるだろう。

     

     

    記号として、何か物々しく、そう威嚇するときはもう弱い、実際的に精神活動を止めた、という知らせであり。

     

     

    記憶の薄れるひと、と解す。

     

     

     

    そのひとたちは、

     

     

    何をしても自分のように何か良いヒントを与えられず、失念的に言語を奪われ迷う。破れかぶれの姿が見える。わざわざ戻り、業を開けてしまうくらいの容易い気持ち。そうして自分の心、自分の部屋、そこに入り込もうとしても、「自分の醜さ、その悪さ、」この一瞬から目を逸らすくらいの視力では自分の光が捉えられず重さが合わないことから、砕け、血が吹き出たり、剃刀負けをしたのだ。一定して変化が見られないのだ。私のいいたいことに気付いてくれ。私は「鉄は熱いうちに打て」と言って、激しい行をしている。

     

     

    私も含め、記憶もきっと上手く行くこと、良いことを覚える、記憶にする!といういみで忘れるひと、と解した。

     

     

     

     

     

     

     

    心でいることが出来るのは、用意がないと人といずらい、と感じるのは、正しく自分とした時に、

     

     

     

     

    はい!頑張ります、約束や証明を手前にするには、心の木枠だと、

     

    礼節は、礼儀、態度としての自分にまだ修まってない形よりも、ラインに合わせると言う事だ。

    共倒れが馬鹿というように、活かしていないと目的がある分は責任的だ。

     

    私はこれから勤怠を休む。復帰後も、何か小さく変わらない勇気で働いている、と思って欲しい。

     

     

     

     

    心が自分以上だから、自分を言った時点に心を失う、こういったかたは生活上でトレーニングして下さい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    その心の態度でこれは火だ水だと自分にわかることをいう、

     

    何も起こさなそうな無心の私のそいつというものの雰囲気は、そのまま一生変わらないの姿なのだ。

     

     

    温厚な動物をつついたとき、怖いという。

     

     

     

    何か起こすなら、何も起こさなくなるまで、どうしてもこうだと思うまでを並べて考え、生きるべきだ。捏ねてみないと何がポロリと出てくるかはわからない。それをしっかり持って暫く握る。この作業までが肝心だ。大変なことがあったのだから、大変なことをしなきゃ取り戻せない。

     

     

     

     

    安心を起こすのは、奇跡的に精神界で出会う他人よりも。

     

     

    「礼」は、安心を与えるのは自分から見ても、近くの人。

     

     

     

    出会い系に対するイカヅチが私の気を起こし、

     

     

    「スピリチュアルメイトか!?って聞いてんだ!」

     

     

    その自分の寝言から、飛び起きたが飲みにくい。

     

     

     

    そもそもこれは、心の広義な意味と精神的な意味が二つある。

     

     

    求めてここから飛び出そう。

     

     

     

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  • お祈り

    神様にお願い事をする。

     

    代わりに貰うのは、自分の纏まってしたいこと目的のなかの

    それを自分で見つけ出す。

     

     

    言葉と思いで合わせる、、

     

     

     

    こういっても、書けない、言えない、のは、

     

     

    会いたいと思うような心が、ことばをはみ出しことば以上にあるからだ。

     

     

    心に気付け!

     

     

     

    だから、心に気付け!

     

     

     

    同じようにならない人間の性、個性、を見たいと思ったことがある。その分、地球が広くなること間違いなし。

     

     

    そして、色んなことばの差や誤解を埋めるのが、味だ。

     

     

     

    「生きる」という恥じらいを晒し、疎外感を受け、それでもこなしていく、夢を見る、こういった日課に、

     

    本当の楽しさや、神の秘密が、ある。

     

     

     

     

    生きることに、肉巻きのように自分を包み込むと、察知されることはなく、栄養が届かないだろう。「痛点」がなくなる。

     

     

     

     

     

    ここで、こう気持ちを言う、詰まるところでちゃんと言える。それは、守られることを許すと言う意味。

     

     

     

     

    今まで考えたこともない心配は、ないのなら、

     

     

     

    考えたことのある心配を見つめる時が、来たのだ。

     

     

     

     

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  • 性の考えでわかること

    2024/03/08

    動物と虫

    男女だったら、別れのけじめがある。

     

     

    では「性」とは、

     

     

    人間の考えることとなって、主語が男女じゃなく、人間になり、

     

     

     

     

    活かしの利くことをである。「性格」を磨く、高めるとあるが、

     

     

     

    色や柄、そういったオリジナルの自分の名前の前にある、

     

     

     

    達成可能な考えごと、となる。

     

     

     

     

    それを導く教えが倒れ、洗脳のように人の考えの偏りが強く、悩みが増えた。忘れても良い悩みだったから、たしか悩みが溢れるというほどではなかった。こうしなければ、こう思わなければいきていけない、更にその反感、そう感じることが強かった。

     

     

     

    人の考えが偏るが人として問題ない、と言う事の、この全貌だ。

     

    次に一人としてしっかりした頃、

     

    気乗りや個人的な思い付きで助けなくても良いほど、優しいもの、人の心の相貌、そしてそれが「わかる」となる。

     

     

     

    性として、その性の個性として、

     

     

     

     

    重大なことの防ぎが甘いと言われやすいがそれぞれにある

     

     

     

    男気の強い人が、男性的な客観性のある様子を見て、良いな、と男女ともども思う、

     

     

     

    思うことの立場と、そこに佇み立つ立場と似合っている心の姿勢を笑顔が溢れる程素晴らしいと思う。

     

     

     

    人にちゃんと過去があり、それぞれの学びを握りしめているというこの事だ。

     

     

     

     

     

    仏になっころ起こされた。それは大変なことだった。

     

     

    その人の世界には、自分を憎む者がいて、それを生きることを今ならわかった。

     

     

    よって、自然とやさしさの約束はないが、自分がはっきり証明して追い返してあげれるような、

     

     

    非常にいつも、

     

    探し求めていた言葉はないが、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分の感情を理解することでもなく、

     

    悲しみを知って欲しいのでもなく、

     

     

     

     

    自分の心を、知られず終わるかもしれない。相手からしたら自分は一界の他人だ、と思う。理解されていない、といった時、何で理解が、国を説明する理解が四角くならないんだろう?

     

    想像して、

     

    その理由を探し求めているのは、色んな核心をつかれるが、

     

     

    必ず取り組もうとする。約束の言葉に立ち戻っている。

     

     

    自分のペースで、

     

     

     

     

    その行が達成されることを祈る。

     

     

     

     

     

     

    「自分」の心の位置がおかしいのは、周りのせいじゃなく、覆われているのは常に説かれているテーマ「蟲ー」が為だ、浮わついた世界観など、全てのこういう風に堕落している原因についてだ。

     

     

     

     

    確かに光となって流れ、現れる説明には何の間違いもないことを、確かに見ている。

     

     

     

     

     

     

    目を開けたら、自分と同じような哲学家が様子だと知ったことで、その人のいつもの顔と世界の安心を得ていたのを思い出した。

     

     

     

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  • 字を教える

    2024/03/07

    動物と虫

    俺は死んでるからわからないけど、

     

    誠心誠意は、

     

     

     

    例として

     

    「被害者と加害者は同じにならないんだなぁ。」

     

     

    苦しい区間に知った事を述べると、真っ白になる。

     

     

     

     

     

    学生時代の万引きは、喉が乾くと思うくらいめちゃくちゃ苦しい後悔をした。

     

     

     

     

     

    万引きしたらひとりで苦しまなければならないが、

     

     

     

    大事ならあなたを苦しめるほどには、神仏だと思う。

     

     

     

    その影にいた町の人だろう。

     

     

     

     

     

    浄罪してすっきりした頭でこういった差違や、実際にある厚みについてはどんどん考えても良いことだと思う。

     

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  • 道をやってみても良い人とやってみても無理なひと

    2024/03/06

    動物と虫

    言葉の灯りが、こんなに栄えるのは、

     

     

     

    「心のブレーキ」が、失敗の全てを物語っている。

     

     

     

     

    こんなことをするのか! こんなことが出来るのか?!

     

     

     

    不安で一杯だ。

     

     

     

    方法案をここに握りしめているが比較的孤立しないものだ。

     

     

     

     

     

    平和のために出来ることは何だろう?わたしの答えと、また実際に抱える質問だ。

     

     

     

    「俺が知ってること」を、集めよう。

     

     

    天よ彼らの意見を、聞かせてくれ。

     

     

     

     

     

     

     

     

    大変なことを教えてあげよう。

     

     

     

    同じ文を読んでも、

     

    気心が昔なら、意味がわかるが、

     

    気心が今なら、街並みに染まってわからなくなる。

     

     

    この目の前の今昔に何か良い線を引いて、誘導するのだ。

     

     

    わたしは昔。わたし=昔

     

     

    わたしは昔から変わってないから、静止させることで、解脱になった。心の火を灯せ! の意味合いを潜って巨大なものの理解をする気持ちだ。大いに心太くいてくれたら良い。

     

     

     

    ものを手離せば手離すほど、何故かもっともっと身を任せて行けるのだ。

     

     

     

     

    こう人間を大事にしながらゆとりある生活をすることで、

     

     

    誘導する人が昔より増えた。

     

     

     

    だから、中間テストの注意だった。となる。

     

     

     

     

     

     

     

    男子禁制、女人禁制、日本の名のある離島にこうした歴史が幾つかあるのだが、

     

     

     

    教えにしたいほどのこれを生み出すくらいの、

     

     

     

    大事なゆかしくある今のことを絶対に

     

     

     

    軽くみてはいない。

     

     

     

     

    それによって、人数という存在が実際に本当に自分に眼前の物であるか自分の物であるかは本当に悩んで、

     

     

    こう厳しく見ていった時に、人数はある。人数はただある。という答えになって、

     

     

     

    初めて解答のシルエット、言い換えて正しい景色を捉えること、

     

     

     

    抽象化出来た、とは、抽象が、こういった方法である。専門的な感覚が強いので黙る時期があった。

     

     

     

    続けるべきは、人はいつもそれを考えないから、それを考えることが出来る。

     

     

     

    日々の空気感、

     

     

    こんな最低限の集中力を取り戻したあとに、そこから動かなくなってはじめてやっと物事を増やすのだ!

     

     

     

    そんなつもりのないひと、そうしようとしてる気持ち、

     

     

    割り算の余りのようにして、それは四捨五入して小数点を捉える、

     

     

     

    そんな約束だけで十分だったのだ。

     

     

     

     

     

    文脈とは、お前が考えたこと止まりを超えないから、詩を組み込んでいると、現実にたいしてズレを解決した。現実にフィットするスパッツ、手頃なもの、それを作るにははみ出したりしてはいけない。詩って凄いなぁ、こう思う時間。文学書も絵アニメも、飛び出ないことの憧れが夢になっているから夢を現実に使ってはいけない。使う場合は人間の訓練を達成するぞくらいの基準を満たしていないといけない。

     

     

    poem、は、詩を指さないのは、字の力量のことではなく、安いか高いか、

     

     

    と「天上天下」を言ってみて、同等性をその人に発見する。何故、正しさに執着するかもわかっただろう。

     

     

    ぽかんとしたとこはぽかんとしたまま、追及心も短く込めれる、自由をなるべく守る本質的な素材の性格から、飛距離が遠い→長く持てる。

     

     

    ただ、眩しい、目映い、となって日よけ出来るようなものを早くほしいと思っている。私は自分の背面では文化的な向上についてひとつ結果となっているんだろなぁ、と思う。

     

     

     

     

    二次元の龍でも厳しさ優しさでも元から持っているもの以上は使わない。慎ましさしか受け入れられることがないのは、

     

    人として認めるからだ。

     

     

     

     

    女は何も考えてはいないが、煩悩のほどは天が伝えているだろう!

     

     

     

     

    こういったとこで、

     

     

    こう街の空で開示しながら、知恵を絞り、何と独自に良いことをしている。

     

     

     

    と初めて人が目をつける。どうだ、幸せの「重さ」がすっきりするだろう。

     

     

    それは計量してみたところで零れない。

     

     

    正しい仏道が、取引の最後であり、それはこれからで、償っていけるというもった善性は必ず見ている。

     

    メタ映えするような、一角の理性が登場したとき等は、「シキリ」が出てくる。ここはすぐ飛ぶのでシキリの消息は知れない。無意味しかないことが、格好が良いと思う。時間の存在を伴っている。

     

     

     

     

    悪いひとは、何らか通らない。

     

     

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