揶白 (KF)

絵画

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    Works 46

揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 46
  • 九次元の記録、その限界

    唯物的な話し方でするが、

     

     

    運命論など、とても関心を持っていた。

     

     

     

    スピリチュアルメイトと言う、広義な意味と、予めの相関性であるツインソウル。と、こう分かる理解をすることに成功した。

     

     

    星空と今やってることを照らし合わせ、方向と勉強が合ってるか確認する。

     

     

    共同体だという言葉に光を焰かに感じて関心事が、心の中などに表されずフォーカスが自身のちゃんと内部やセンターにあって精神の活気を毎日感じている。

     

    森だという第一義の中で

     

    この鏡の奥の月宇宙の生活では、風も立っていて、我が神殿のほうに追われていずこから参り迷われる魂を花や葉から見ているが

    何かの食欲があって、けもの(ムー)に襲われることもあるが、宇宙のリズムで攻撃は跳ね返るらしい。

     

    通貨として必要なもの

    ・モラルの葉

     

     

     

    雑に積み重なった語の収納が何と出来るコンパクトを渡す。

     

     

     

     

    玄関の立札にこんな事が書かれているのを見ただろうか。

     

    課題である専門を、平行し続ける限りずっと込み入ってしまう心の書類、あたかも他人を避ける知の林の塀柵を、これが、太陽の回りで人面など見ずとも意識が何を伝えているのかを認められるものは青信号だと思うが、時の場合は必ず何の感情も自己で解決して行く私はとても孤独好きな性格だ。

     

     

     

    魂よ、その心臓に、家に迷わず帰れますように。

     

     

    ラッキーアイテム 

     

    巴ともなる直感的世界を、封じる(とじるというよりは綴る、光として興味を持って森、街(もり)に眉間を開示する)という意味で葩もと呼んでいる。実際、部屋

    のどこかに鎖をかけると、閉鎖を意味する五行(さとり)となる。

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  • 蟲(ムー)を任せたのは神で、その間に足が入る

    蟲(ムー)は、要は中は死体の塊で、

     

    それを持て、とは人は言わない。

     

    悲しさとは癒えることのない感情で、いくら良いことがあり凍える肌を溶かせても、

     

    何も忘れちゃいないから、これを前提にした時、確かさを思う。落ち着きを得ていて、笑うことが可能であり、

     

    その上に、涙を拭け哀しみを癒やすことができても、

     

    悲しさは当然心として。ブラスに変わることがないという意味が登場の骨格なのだ。開かない心は意思ではなく、もっと深い風に従っている。

     

    耐える力や言葉を持たない、と言えば、守られるものを得ない。

     

     

    減らす、といった惑星とかの意志の逆をすると適当に振り落とされ、死を蔦って消えることができると思いきや先はよその宇宙旅行である。地球でだめなら確実に愛を根源とする外界では殺されるだろう。

     

     

    美しさ よりこれを持つといけないように、

     

     

     

    私は震えた。

     

     

    「あなた」が人の命を減らすことの差し引きは重大とお取りになられる。それに伴う供養をされ得るからです。仏教とは仏を早く知ることの事で、考えには平等のことだ。影からこそこそ意地悪を打てば、私のような世俗は怒って良いだろう。よこしまだったそいつの上には邪神という最初の神とも言われて、自分の先に守りがある。自己理解の先には守りがある。この嫌な思い自体を邪神と溶かすのだ。そいつはむでありつづけて、私は自分の仏道をしっかり守れる。そういった変なやつの実在非在を認め、己が無となり人生に組み込まなくなる。おまけで、言われる漢字の無の形態を説明するなら有ると発言し得ること。仏は在ると有りを展開し尽くし既に仰る。この元に心の無を実在させるために、今修行。間隔が有るにおいて引きと攻めを足しかける。時間差という想像を捨てたかのような、あるはずない面をない所を理由にしてカタチを置く、こういう人がいるが、これは物の考えじゃない。つまり、下界のものだった。仏が会社と言われていた意味が解り、ある人が大阪さんに社長と叱咤されていた声が今響く。あの日が、空中では己々の岩を抱えたまま間隔を持ち、丘を越え今も見渡せる。輝きを見ていた日から変わらず開いたままの空をどうか大切に。開いて有るままだ。仏がいても、自分は何もないことの風紀と寂しさが決して静かな影を描いている。この状態が平常で穏やかを持つんだ。足りてるとは、立派な時間がそこへ完成を秘めて希望しているものを抱えること。あとさきが本当にいらないなかで、その物の成長を見惚れ生活している。その上に加える、とか足すと言う事には寒さの感覚や生理的な嫌悪をし、身動きが出来ない。定規を持ちして端を取っても無関係と現され、普通に生きてる忍耐性なら浄化的に消える記憶なのだ。あらゆる心の感情を肯定したとき心に他者が無くなり、悲しい自として座ることを考えていた。さらに私を自我が包んだ一人の心となり、鏡をして、精神を受け入れることを叶えた。「悲しいのは私」が、「悲しんでる私」と成ったこの時、今回は凹みを表現しているのを感覚的想像で見たのである。相関という言葉の激しさが果敢な纏めが、相関的なノイズを消した。さっきみた消えていくその欠片が泡立って吹く水の波紋を私は草原でニヤリと見ている。その時、神が風景をしているのをみて、詩性を持って親しげな様子を話したくなった。近所のスパワールドで、あの神は誰ですかと伝えることも出来る。

    実際的な勉強と、直感的な感性の研究で、神が言いたいことを感じる為に。勉強を嫌いな神様だと。

     

     

    任されている人のムーを自主分解出来ない形で、押しつけてはいけない。あらゆる壁を抱擁して来た仏の生死を駆け抜けるか如く勢いの修行を見る。だから、その前にいるのなら信心しかない。その精神であるのだから、続けてみる、やってみるのは悪くない。なにもない無辺を、感じ込んだときに上を向いて釈迦に謝れば、目は治る。子供の時は歩けた無辺世界を今歩けないわけがない。

     

     

     

    性を六根清浄といい、養いに求めるを人は磨かれて来た。

     

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  • 確かに咀嚼される主義の道

    前回言った霊獣と仙人。仙人のイメージを昔から正していた方を読者として知っている。

     

     

     

     

     

    組み込まれて格好いい雷神がた、や、独断の動きをしていく格好よさ、は様々であって険しい地球に寄り添っている。自分の住まいを鵜呑みにし、目の外を見つめる。自然の理に自らのファッションを自の思いから覆して何とか近付こうとしていて、そこに透明な詩人を見ることを楽しむのだ。

     

     

    やっぱ精神に形はあってはいけない。

     

     

    「血に濡れて、私は休む。」

     

     

     

    傷にガーゼをあてるようなもので、人生の20分。

     

     

    夢とは自分の現実がフォルムになっていて、と理解する今、「夢」を適えていてはいるが、希望している、する、と対面したときのこの圧力や弾力の壁に抵抗して行くような前向きな、わたしの修行、私のこと、と言えるこの光の中の状態とは全く違って、満身して石を岩に削り立てることは、減ることとは程遠いのである。肯定を確かめるような○の字は、

     

    この布を重ねて癒やす生活空間とは単なる出来事で、物との対峙や対象の解決、には至ってない。ナカマルが一昔に仏道を日本語で「解決して行くのなら、〜(なんたら)」と言っていた。

     

    尚、見えず証拠がないからといって、あっても仏語では自我、いはば己に関わる何かを確証することにはならないから、目の奥から広がっている視界とは、ページの厚みにより立体化した「奥行き」とは、線の数を増やすこと即ち目の彩度の高まりなのだ。私は岩の上から摩擦される雨水の縦線を皮膚に感じている。静かな。

     

     

     

     

    上記の上はSWORDの「CROSS OVER 斬」言っていた安らぎの美学で、仙人を表していたのだ。と、何とか言って、こう言った地道な努力と甲斐もある中では、何の説明や論説があろうと広く間違っているからにはいかづちが降りるのである。外道とも言われるのは神仏、人間、のこう言った繊細なもののヨソと言う訳である。その広さという面積は線になっていない状態で、つまり私の身部の一体は関係しない。線は、の一言のうん、やYESによる、板のようにも小さく思えるが、我が家を守るかたちで創作する唯一の方法として、主題を持ち、主題があると言うのは仏道に繋がっている。私は仙人です、様々な面から見ても、こう見ても不審を感じられるが、信用出来ると言いたいのだ。点を、作れそう。

     

    文で心を表現してみると滅多に降りず、普段は幻想を石としているので身なりの事正しとは無縁である。まぼろし、こう読んでみるとも実存を感じる。一人立ちに関しての際に回し読みされた実存の本の内容はこうである!

     

    実際に存在しないが、存在する。と、言う文殊のままに言葉を描けるこの奥深さや文性の尊びから満足を済ませていて尚かつこの一縷の信用を取りこぼされたことで怒ってしまった。頼りなんか、信頼なんか、肉体のその三角定規にはなかった筈だ。何を図っても解せないのはこれが理由だ。真実に穴を開けシヴァの用意を既にこしらえてくれていたことには認識する。

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  • 一息つかされた

    天神のその場所に誇り高く、挑戦をし、意志を確かめ。

     

     

     

     

     

    今何でも詰めるより、

    後世代と分かつ

     

     

    ほっといても明日が来るのだ

     

    この方が定説に沿ってる

     

     

    その間に精一杯、私らに努力させた方がいい。目に見えないが大人の方が大事で後にヒイテいる様に怒りが込み上げる。

     

    ナカマルさんのゆうこと聞いとけば良かった って、私も思ったことがある、

     

     

    同じ後悔をしない権利はあなたにはあるのだ。自分を治めて。

     

     

     

     

     

     

    太宰治の斜陽という本に、狐と狸の嫁入りではどうお支度が違うのか、と、戦争時代のその春と何でも咀嚼していく冬のような今を照らし合わせぼんやりと心を持つ、白くひかった曇り空を眺めている。美しさにグゥの音がしてる。

     

    霊獣。  スースーのことだ、稲荷系なので想像力のない今何の説明も出来ないが、この獣の字は蟲(ムー)と違って間違いなく漢字だ。

     

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  • 憎しみを乗り越えるそうだ

    首が飛んでも、動いてみしょう

     

     

    歌舞伎の名ゼリフに感銘を受け、立ち止まったまま

     

     

     

    わかるのは、価値を持つにはそれなりに辛くても、どこにいても、地上にいないといけない

     

     

    そしてから初めてつけることの出来る神、この霊感ってやつさ

     

     

    まいにちとける綿菓子みたいな儚い魔ほうが視界をうろつく

     

     

    添加物の中毒を起こしている栄養失調のやつ

     

     

    出来ない人のペースに合わせても

     

     

     

    どちらも恥ずかしい

     

     

     

     

    関与するのが嫌で嫌で仕方がない

     

     

     

    喧嘩しても隠している

     

     

    喧嘩だけする人間の間で、一律にして良い存在がわかる人と

     

     

     

    理解できず、一律とも記号にしてもわからない人がいる

     

     

     

     

     

     

    拒絶感はそこのかんかくのヒントで人でもないところで人を求められたくないからだ、という普通さには辛さも求めれ時間と空気が均等に描かれる

     

     

    お得だ

     

    気、などはばりばりその内部だが、

     

    体という、限界もわからず

     

    それがどこの土地霊にも本当に失礼だが

     

     

     

    そういう自分に関係のない痛みを一度覚えると、

     

     

    わりと果てまで無縁が続く

     

     

    そういうのに障る、その人の不徳を認識している

     

     

    私は、たまたま下の列に落ちたところの話だった

     

     

    いつも思ってたことだが、ヨソンス人といったこれらは話しが非常に長くその間、私の頭上に決まってそのオッサンが体重丸ごと乗っかっている。歩くときも重くて辛過ぎた。上で日本人とかアメリカ人がそいつと笑っている。激しい憎しみであったが今存在したらあかんけいの事実。私は記憶から消した。いくら消しても上書きのようにべちゃっと足されるこの感覚。もっと短い話で済んでくれないか。

     

    全て、世界の温泉スパワールドの怖そうな像に報告している。何十年も前からブルーライトのハーブ風呂でゆったりと女神と会話をしていたが、あらゆる見えるムーや、吸血鬼を呼称するたんなる低級霊などは、見ても感じてもちんけであった。

     

    「見えないもの」を見るは、ちゃんと見えてるものに注意をそそいで、“私の思い込み”で問題を終えないでほしい。想像を!

     

     

     

    知らなかったらこれからで良いはずだ

     

     

     

    心は、本当に何も決めていず、決めていず、という状態のまま点をする

     

     

     

    文は曖昧で、高密度ならバンジーガム(薄っぺらな愛という名称の漫画の技)のように言葉をめっちゃ伸ばすことが出来る。

     

     

     

    詩っていうのが、雰囲気ではなく空気感ともししたら、心は詩に組み込まれているので

     

     

     

    どこでも居やすい、

     

     

     

    だから大事にした、でも、善に傾くこころって、そんなもので良かった

     

     

     

     

    憧れているから、そんなもので良かった

     

     

     

     

     

    水をかけても育つもやしが憎たらしい

     

     

     

     

     

    ところで、諦められないのが動物など高い精神の前提だ。

     

     

     

    この世界のペースめっちゃ皆無

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    何かわかってた、言葉も今は知ってるけど

     

     

    組み方の具体的な側面にして、乗り越えたのが憎しみというのか

     

     

     

    こう驚いた

     

     

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  • 竹の成長

    超平面、この概念を手に取ってみている。

     

     

     

    中之島を歩いている時である。

     

     

     

     

    私を袋にしてしっかり持ち運んでも

     

     

    こういったものは、祖のもので

     

     

     

     

    ちゃんと理由(イシ)がないと、

     

     

    理解させてくれないんじゃないかぁ

     

     

     

    布を取る

     

    私の私を映す鏡は、たけのこの身だった

     

     

     

    私は、とうに大きくなって竹に成ったのだ

     

     

    惑星の連続性のように

     

     

    竹になった今、

     

     

     

    小さなたけのことは無関連た

     

     

     

    この夢中、という花ことばを得て

     

     

     

    苦難を割り砕くことの精神を

     

     

     

     

    追求している今もなお

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ムーをよそから押されるその中、

     

     

     

    袋に入ったその中で、

     

     

     

    悲観をやめろと言われるのが、

     

     

     

     

     

    腐った話が、連想されるこのひ、

     

    誰かを「いらない」と言うために流すことでも無く

     

     

     

    誰がこの上に来ないのだろう

     

     

     

     

    回避 には運動神経、即ち感性がいる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    穴の空いた体を、もっとも塞げる方法を私は模索中。

     

     

     

    そこに、本来の医学の可能性が

     

     

     

    私には悲しさって

     

     

     

    誤魔化す弱さとか、受けれない現実を心配するより

     

     

    空気に慣れ、悲しめないよりは、

     

     

     

     

    こういった悲観よりは、私はマシだ。

     

     

     

     

    意欲によって、私は、空気ほどに身を砕いても

     

     

     

     

    キカイ、の心である

     

     

     

    スニーカーの外視、花や、こうした生の色彩から学んでいる

     

     

    ハイテクな自然を自らにする、とは、

     

     

     

     

    形を遠ざけてはいけない、苦しんでも立ち向かう黒髪などは

     

     

     

    盆栽の感覚を秘めて、染めても

     

     

     

    ボルトと、錆びた鉄板のかけら、私はそれを屋根に

     

     

     

    純粋な力、虫と話しながら

     

     

     

     

    自分自身だけで、自分の実験

     

     

     

    みたいなことが、

     

     

     

     

     

    周りに知られているが、

     

     

     

     

     

     

    どうかこの

     

     

     

     

     

    こうゆう私の研究室、森にある秘密基地の、野のほうの開けた塔なのである

     

     

     

    野、がポイントで

     

     

     

    と思って、人も自前の冷静さで自由に見ていてほしい

     

     

     

     

    本当にこのまま、死ぬまで暮らす気だ

     

     

     

     

     

    あとは、寿命が薄いのはムーで、私には本当にまだまだ時間があるので、

     

     

     

     

    そのへん誤解していたら正してほしい

     

     

     

     

     

    おっかなくてしかたがない。

     

     

     

     

    大阪の街では星がみえないので、惑星いっこだけを覚えて

     

     

    天の川を心に描くそう

     

     

     

    性格が眼鏡君で、日本人のぜんたいがガリ勉だそうだ

     

     

     

    こうメタキャラと言って、派手目な感じの不良など合わない性格はもともと離れているのを見る

     

     

    星空を実際みると、色んなことが現実と意なんだ、星以下の厶ーは太陽系ではしぬ、身を委ねよう

     

    まず自分が地球人じゃないと宇宙に縁がない

     

     

     

    力点がわかるだろうか だから

     

     

    複雑なことを考える人もいるが、

     

     

    友愛を、仕事のために捨てていく「私」は、

     

    この先も仕事だけになる、

     

     

    その中で、いる人だけがいればと思うとき

     

     

     

    見渡しがきかなくなるところを見たら、

     

     

     

    抑えて歩調を合わせることが出来ている、という、

     

     

     

    無人島のこの空想だ、うひひひ。

     

     

     

     

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  • ムーのゼリー

    2023/06/11

    蟲ー

    ある時限定だ

     

     

    創作系洋風料理フルコースのリズムが流れる

     

     

     

    大阪さんの手立てだろう

     

     

    ぐぅ、と腹が鳴る

     

     

     

    気付いていたことを言葉にしたとき

    そこにだれか男のさっと去る影が、その時見えた

     

     

    何なんだろう

     

     

     

     

    食い物に興味もないのに、それを聞いたムーがやたら腹を減らしている

     

     

    何でこんなやつの世話やかなあかんねん、と辛い気持ち

     

     

    文句を言い、歩いていると

     

     

    ムーの持っていた、他人の気に穴を開けて作った美容クリームを、

     

     

     

    いや、

     

     

    それを使用していた関係者ムーを大阪さんが食べると、

     

     

     

     

    ぴかぴかのゼリーみたいな皮膚になっていた

     

     

     

    私も何だか顔がほころんだ

     

     

     

     

     

    ムーは、自分が助かる方を感覚的に最初からしって設定している、何かから助かる方、それが軸でそれ以外に軸がなく、なんでも述べているわけではない。むしろ、人が勝手に想像して述べているだろう。それを、ムーが食べているだろう。

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  • 良い病い

     

    仏のヤマイ、というよりは、

     

    役立たずの病気の人間だ。それが、わざと蟲を拝んでいる

     

     

     

     

    こういったどうしようもない奴をおばはん、と言って

     

     

    蟲が、一度神に思われたが、今の捕らえることの出来るようになったその時を信じる気持ちとして、昔々、あえて祀ったことがある

     

     

     

    坊主のムーが、

     

     

     

     

     

    醜美を説こうとしている

     

     

     

     

    おばはんがそのときに色を付けて、心の苦労を語ろうとする

     

     

     

     

    そんなんは、実際にリアル生活でいつでも聞いてもらえる話で、

     

     

     

     

    自分を福祉環境に落としたくないのか

     

     

     

     

     

    このように私から話した時に、やっと自分の目を正せ、

     

     

     

     

    必ず福祉環境の内容などは覚えないムーの

     

     

     

     

     

    その輪郭を具体的にすることが出来る

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    婆婆様や

     

     

     

    すかすかになった理由が、もっと深い事にある

     

     

     

     

     

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  • 神道さんに声を分けてもらい大祓い詞

    事件の内容より、同じ顔だ、とかそれだけを慎ましく見てほしい

     

     

    大切に思うあまり、雑多な内容が形を曇らせ広がってる

     

     

    蟲を庇う人が、また蟲と認識できず

     

    私は、巫女でないばかりか生活中の多くを取る部分を奪われ、

     

    昨日から撤去されたが、

     

    体が悲痛な24時間強いストレスが人の手によって続いてる

     

    気功師になるのが夢で、丁寧に生活の気を付け暮らして毎日追いかけていた。好きな中国の精霊もついて本当に楽しんでいた。毛穴中に何かを入れられ何年も経っている。今の力は枯れ切った力のなけなし。人はあやふやな客観性で更にふたをし私は毎日くたくた。母が風邪で病院には必ず行かさなかった。人の温かさですぐ治るからだ。

     

    天中があった。道頓堀でみた。道頓堀…嘘つかん。

     

     

    わからない

    ・人は誰でも上から教えたい

     

     

    金…ご公務法的基金を市役所に相談しにいけた、まだ相談予約をしただけだが、ほか報しゅう、ということばを聞いた。いくらもらってもいくらやっても頂きません。と一線を引けた。その後だ、法的、という言葉を思い出せお守りを得た。こんなものが、お守りの効果を持つこと、深い意味を感じている。

     

    全体が、

    目に見えないこと、このテーマ。最大テーマ。

     

    陰道。(このへんで、わたしの心は救われているが、「私の願い、私の神」を大きく持って行こう!とお伊勢さんは、有難いが、それは陽道で、ひき立ちと個性とが違い、仕上がりの想像がわたしには出来ず、はぁ、話すことで止めれ、日本の祈りの歴史がどのようなものかを伝える手立てになった。これはしっかり持って帰る。)

    八百万の神がいて、これはその勉強をめちゃくちゃしているからだ。

     

    これを書紀し、たばこで煙を立てる、神語で擬宝珠という(煙草…十方を煙の弾力で区切り、絵が付いている、火が天辺にある、これだと思った)

     

     

     

    私といえば捕まったことはない、ゼロ、一番遠いから任されていて、

     

     

     

    家の地蔵様からわざと練習させてもらったことはある

     

     

    見分けとして躾の希望を感じたり、愛想の感じが少なからずあるのが人、直感のみでわかりにくいがはと思ったおかしいヒトだな、顔に色がない、無形だ、形ばかりを他人の精神上にあげている、これがムー)はっきり分かれてるだろう

     

    大阪には天神がある。馴染んでいたカンカン照りの鐘から龍が風みたいに走り回ってる、久しぶりに思える価値観の嬉しさで、私も霊として「地獄一丁目」を頑張ろうとしてる、何か下町。この高飛車な感覚が地元の「高津宮」

     

     

    ウクライナの水が冠ばつがあったそうだ。

     

     

    蟲の被害は、動物。

     

    忙しさに揉まれて、

     

    手一杯で、感情でも知識の限り考えて自然の思いだけ諦めず使っていたら、

     

     

    そのヒトは、その部屋に行くという、「部屋」を心の中に作成できた

     

    心の中、というのは私の霊の性質だと悟りがあった。霊感には人の限り個性があるから。

     

    変わっているのでおちょくられてる現代に至っている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    天中、みんなと息を飲んだ。

     

    大国主はそっち系。

     

    ビールで嬉しかったこと、豚足を噛んて頑張る、とインプット(少彦名がやっぱり近くにいる)

     

     

     

     

     

     

     

     

    繋がりなど、日本は友よりも一人立ちをする

     

     

     

    助けを求めるのも、助ける方も、

     

     

     

    全てあなたに揃ってる、この事をよく知ってる側にとっては、

     

     

     

    この意味をわからせる

     

     

     

     

    心に空白があり、間隔の美しく空いたそこで出会えた喜びが

     

     

     

     

     

     

    私を強くした

     

     

     

     

     

     

     

    アマテラスは、ずたずたになった神様だ

     

     

    それを知ってはいけない、と言うことだ

     

     

    私は、登らされてしまった被害者だ、神からすると

     

     

    そうで、

     

     

    神に上がる、ということが良くないが

     

     

    意地悪も、仕組み方も

     

     

     

    こうしてみると、悪いがよーく見えるだろう

     

     

     

     

     

     

    ムーは、

     

     

     

     

    大きな肉欲があり、これは足

    目があっちを向いてる

    そのまま直進している動きだけをしている

    その中で他人の顔を顔面にたくさん積んでいる

    肉欲が膨らんでふくよかに

     

     

    というとわかるだろうか

     

     

     

    意識せず、ひとの角を削りまくる性格の悪いやつ

     

     

    私が悪魔とすれば、

     

    たんなる、あく。字が少ない。

     

     

     

     

    上は、めちゃくちゃ細かい面とことばの仕分けだが、ムーのせいでよけなくて良い話を引いたり、心も狭くなったり、道を細めた。しかし、そう過ごす人間には柔軟性があり、人にはある浄化力で、そのままであっても精神は成長していた。よけなくて良い気遣いに鼓舞した。

     

     

     

     

     

    祓いが漢字で

     

     

    取り除く、ではない。

     

    ムーは、世界にいる。それだけを綺麗に積まれている。

     

    七日、といって釈迦に名前を呼ばれている様子を見ている。登場さえしない、

    ドクロ とだけ告げる美しさ。私は、心の目がくらむ。

     

     

    ムーは、大勢を実際殺したひとだ。

     

    許せない人がどこだっている。

     

     

    一週間ごとにその名前を読まれている。

     

     

    南無(南 楽しいことが、

    無 有りますよう)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 弥勒菩薩

    仏ならチャネリングで降ろせるかも。って言っても仏だから極楽だし苦しみと会話出来ないからお前らがしろって。そう、まず今が正しくなきゃね。は〜、苦しい〜。

     

    世界を見つめる、赤い足音が何度もしてただろう。日本書紀古事記に次の字が書かれているのを知っている。天孫降臨してから、弥勒が私を押さえつけていた。一ヶ月前に、顔を上げるともう包囲されていることを風の吹いた如くわかった。

     

     

    あの世では月刊釈迦になっていて親しいらしい。江戸の用事に来た用事霊が、昔の手ぬぐいを頭に巻いた「急ぎのようす」で可愛らしく走り込みしているのを私は見た。

     

    こちらはこの世の書籍。上の写真は美術手帖の過去誌19年発刊。仏像は東寺にある。

     

    奈良は大きな仏像館があり、半分あの世で歩いても仏の見渡しがやさしかった。私も弥勒がレゲエセレクターのムーに食べられていたのを奈良国立博物館に駆け込んで仏たちに聞いて貰った。世界スケールのイメージがよく判るだろう。

     

     

    今日は6月9日、ミロクと読める。弥勒は来るときに来る仏。

    57億光年先から来るときに来る。それから4万年私たちと修行している今、というわけ。龍門で、ムーで腹筋をされていたのをちらと見た。

     

    この話し方が習わしだ。

     

    これは、と書いたのをこちら、に訂正した。したいことを出来る範囲を込めてする。これを考えと言い、これを心と解す。この積み重ねがどこでも動く力になっている。

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