揶白 (KF)

絵画

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    Works 46

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揶白 (KF)

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    Works 46
  • 喜びとは? 

    勉強は出来ても、好きなことを思い出せないから言葉が続かない、という人が多いそう

     

     

     

    地続き、という言葉がある

     

     

    地がつながってるからじいちゃんにはまご

     

    まごにお経を教えることにしよう

     

     

     

    ここではしかし、先に砕いていかなあかん、固まった問題をこそあり

     

     

    それに取り組む、いつものうちに

     

     

     

    一緒に、それを見たそれから

     

     

    向かうのはそれから

     

     

     

     

     

    じいちゃんは放任

     

     

     

     

     

    アッテル刑務士、刑務所を見に来る。同じように見に来ている人を捉えた、捕まってる人に紛れている。

     

     

     

    自分にないものを聞くことだ。

     

     

     

    古いとこは哲学が長い、ひっぱくと案の定とくいができない

     

     

    水星、は灰色でも、火や鉄のある地球ってなんだろう

     

     

     

    アクリョウの、本当にわるいヒトのほかに人の良い悪いがあって、とくいのフォルムがゆかず滑りすぎる

     

     

    人が良いから良い角が砕けて

     

    本当にわるいヒトの示しがつかない

     

    →表示がつかない

     

     

     

     

     

     

    三メートルの脚立と、奉献の石の灯籠が平行に倒れていた

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    じいちゃんが育てる

     

     

    育てる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分だけ「なにもない」など自己のただの特訓を今することはてきさない

     

     

     

     

    迷惑をかけない、軸に戻る

     

     

     

     

     

     

     

    宗教の条件はある程度古いこと、宗まってるから今後ない

     

     

     

     

    自分が動かさなくてよい、となる。

     

     

    よさは、

     

    南の島、宝と法律、極妙なことや、微々たる妙、花、れんげ、草、鏡を見よう!

     

    柔らかい考えを日蓮にヒントを貰った

     

     

    これが木だと言える

     

     

     

     

    行動しなきゃだめだ、行く、

     

     

    自分は人数が持てる、でも自分にはおかしい直感

     

     

    理屈を言うばかり

     

     

     

     

     

    自然が良い、人の関係を無視するよそ様が勧めれない

     

     

     

    食ってばっかり

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  • (訂正)一円玉を見ると大きな気持ちか戻る、ジャガイモを食べ続けると大きな気持ちが戻る

    内側から美しくなりたいとそう思ったことがある。

     

     

     

     

    「抜け駆け」が暗号だそうだ。

     

    70階か80階に素で登る。一回り前の世代では、わるいことをしたらタイヤを持って運動場100周回ったものだ。

     

     

    「気」を持ち抱えれる重力とは、こんなもの。

     

    いつでも好きな時にテレビを離れる。こんなにテレビが好きだったんだの感動や、

     

     

     

    つまり、自在にテレビを離れることが出来てから、やっと好きな時にテレビを付けることが出来るかもしれない。

     

     

     

     

     

     

    魂は一つでも、物や国や考え方を持つとぶつかりを避けて離れてしまう。

     

     

     

     

     

     

    必ず律儀に聞くような所で、良いものを封じたり、駄目にするのが真田幸村(蟲ー)私の近くにいて戦時のその時代の昔の霊が捜査に身を光らせていた。

     

     

     

    長野の眞田神社は、その前にあった。

     

     

    要は、江戸時代を構築するために戦乱の時代があるのだが、終わりとなる頃「我こそが真田幸村じゃー!」と叫びながら、戦の陣を馬で走る侍が多数いたと伝えられている。この意味が今に通じるのである!! 

     

     

     

     

     

     

     

    四天王寺近くにある。アッテル霊の学校だそうだ。四天王寺は戦時の仏が住んでいる、奥のほうに難しい漢字でアッテル神を祀っているのを歩いて見かけた。

     

     

     

     

     

     

     

     

    美しい「あかん」の像。忘れやすいことが覚えられ、じっと考えることも出来る。ボケにくい。街にいくつも発見できる。

     

     

     

     

     

     

     

    ゴールデンカムイを読んで戦時を考える。四天王寺の仏像を見に行く。字をひらがなで光るまま自由に読む。拝む為に。自分は自分には何を受けても良い。若し、大陸や大地、そういった天地の合瀬がある。もっと情を交わしたかったが、一回では無理だ。命は一回だ。

     

     

     

    日中、朝が来る、靄のあるときもある、こんな朝は何回でわかるように変わらないことだ、靄は変わる。こんな朝は日時によって時間は短いが、何だか叶う。全ての経験を愛していると、だれでも松のような醜美のある緑の葉がふさふさ生えるのがわかる。

     

    綺麗に言えないけど「そこにいる君も、方法で自意識から逃れて身を保って欲しい」太閤から仰せ司っている。

     

    思いきって書くと、「醜さ」という吹き出しのようにして体回りを囁かれている。飛び込もうとするが家族に引き留められる。気付かなければいけない神がいる。アメノウズメだ。松も梅も、もうメタなのだ。かなしいが悲しい過ぎておかしい。お釈迦様という存在は、何らかの理由で道から逸れない。愛し続ける、という年数が高い。美しさという言葉と私は同じようにする、「醜さ」とは何度も解ろうとした自分の美しさにたいするスピリチュアルメッセージだったのだ。

     

    持ってる神が違うとは、やはり自分が地上の存在で、土地なりに育つ命があると、形も持つ。自分より上手く光としてもっと長いなら星のように掴めない筈。

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  • 菩薩のいうこと

    如何にも私だ。

     

     

     

    私は啓蒙する。

     

     

     

    菩薩が道の扉を開いた時現れる。

     

     

     

     

     

     

    「私は、あなたを認める!」

     

     

     

     

    仏を誰だか知っている。

     

     

     

    「人間じゃない」仏性はこの

     

     

     

    人の驚きか、

     

    人には珍しい悪事か、

     

     

    どちらであるのだ

     

    仏さん、

     

    苦しみの中で、悪いことに時間をかけた。

    苦しみの中で、十分に間に合った。

     

    仏に、あの時、そばにいて下さいと言うには、構造的と言い自他のない一条を取り「自分としては」あなたを願っただろうか。動かない身は重いのに、動いたら、方針を換えた。念の美しい古い神が、「クズヤ」とある人を押さえた。神はあれよあれよと妖怪になりこう言った、あなたは喜界島に流刑された人、俊寛は俊寛を気取らない。角の豊かな大鹿が、神に「噂に注意。」と言った。

     

    神は霊も持ってる、光も持ってる。「福岡から鬼界島に行った。ヌボクじゃない。昔の発音を教えて貰い、確かに声は大変。」と話した。美しい発音にたいして美しい言葉があり、大変だと思うほどの発音が、固まってなかったら自然と発声をやめる。声の形を知ってるから、直感で喋ることばは伝達に合わないとわかった。

     

    「誰でもなくなった私」は、昨日のことも忘れる。歩いてもどこに行くかは心配だった。私はこうだと楯突く暇もない。絶望して、どんなとこでも流れていく気合いは満点だった。それを木にして目印におすすみ、と、やさしくする人もいたが、依怙贔屓の有名なその影を抱えていた。その民話をもっと聞くには、もっと高い年齢の人と話す。物静かな世代の反復横飛びをルーティンする。「誰でもなくなった私」は、願えないから。自分だけで何かして行く孤独の、輪郭を黒い線で引けるが、暫くはコロスやウメルの二次創作の白っぽいグレーしかなかった。「いつでも客観性を持ちたい」といっていた。黒は、私がそう思うことに近づけた頃書けるようになった。私の技は磨きにとうとう神がかり、人の一人の生活には幾つも神を持つと解る。

     

     

    人を超えるなら人である、前提条件を忘れず法則、つまり法を学ぶ。前提条件、このくるしみから間逃れない。だから、必ず人である。仏に、あなたは人だと対決しかかって嫌われることは、そこあるのは前にある年齢関係と、

     

     

     

     

     

     

     

     

    直したい、だから直す。それは食べたいから食べる一区切りとちがって、間を持つから人間という。仏に物質が反映をしない。反映させる力が自分にあっただろうか。感情はともかく、理性的に人が人との塊と、何か自分の方法を知りたい、どちらかの「気持ち」があって、心から介入して制限されるとは思ってないから変なところがありそう思うことがあった。その都度、知ってしまったら理解する。この間に自分一人の一人修行に打ち込む人は多い。人は祈りに気付ける。たとえ少数がイコール弱さと結び付かない。初めに理通しが行き渡るからだ。それに代わって力の量を試し、人を口にするからには法に区切られる。捕まえられたと思ったら抜けて次の瞬間は楽にしている私は区切られていないと何もないところで読む。本来、本来の私の知っていることから傍に寄り添い尋ねていてくれていた仏へこうして返事が遅れた。他人はそれを見抜けずその為に知らない、それくらいは許せる人でないといけない。リアルに見れば霊界であると、心の中はその他者にたいしては、親しくても親しくなくてもたずさわる筈のない感情なのに、おかしいな。解って整えて目も澄んでる。蟲ーに、理解を止められていた。ここから理解すべきことが明るくなるだろうか。

     

     

     

     

     

     

     

    被害から、偶然、水を分けることとなった。難解なことであるが、蟲ーがこうした、ああした等と、わぁ~と、神に聞いてもらえば、いかが。スサノオ、かるたのようにス、サ、ノ、オと唱えてくれることを忘れてるから自分が古くなってる、と例えばそう言いここでわかる実体のキーワードは「面倒くさい」だ。を、仰った。それと、悪いことを笑いに変えて物事を展開し、進みに役立てる。

    その様子は歌という字にそっくり、

     

     

     

     

     

    なのだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 対人関係

    無意味と意味がない、二つが違って詩が出来るように私は教えれるような人間じゃない、と自分を言っている。物事を否定せずにいて「才」がわかった。うたっていたら思いもよらぬ人の長所がわかった。それにたいして、教えることの出来る「先生」はいるけどそうこうしてる間に先生と出会えなくなる。父も母もどこにでも「親」はいる。やる気と物事にたいする熱量が見てわかるから、自分のことをその歩幅で○✕することを遮らない。親を選べない、こんな親が良いと選べない。純粋に集中して自分でして行くことから、自分が受け止めて感性を成長させることから、役回りともしない人対人の形に、対人の可能性や希望を上手く残している、と知る。信頼だけで進む歳かどうかを考える。それで、どんな夢を残したのか。こういう者ならこういう風が吹く、今「文」を書けて、そこにいるのが親だとわかる。自分にできることを悩んで考えているからだ。こうしたらこうなるという説明のままでまごつくのは、詩を作ることを考えるから、説明なら楽しさを作らせることが出来ないのだ。絞った自分の態度から、そこで解ることがたとえ少量でも価値がある。記録の法(方法)ががるなら、本当に「記」と言う値なのかが大事だ、そう言えることだ。そこで分割される。気にせず「基」に戻る。精神的筋肉が成長する音が、粉を抱くようにミシリミシリと聴こえるだろう。フォーメーション、姿勢が正しくなる。誰しも受け入れる物の最初があるから、嫌でも存在するまま夢や発達と自分に耐えるこの、時間の井戸に水を引く心や運び汲む。まるで呪文のような紅や魔法。日頃の研磨として「霊界」の壇上が仏で、物質かくにんの上が神界だ。親の話しのとき、相関性のそのイメージが不必要に崩れないから親とし、親は自分の必要を唱える瞬間を磨く。

     

     

     

    自分もないのに他人を許せないの一点を買い求め、終了するからは、単にわるい評ばんとして生活から取り省く。良いこととわるいこと、こうした「天部」故に、この分別が大きくなると善悪(カミ)を紐解くパスキーが作れる。

     

     

     

     

    ここでわかったのは、文学で見た「神の裁き」の語は一語として副詞がなく実際に有るという。。

     

    先生は、気にしないことを気にしないと言えるから、信頼という字が漢字なのだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 反省は、反らせるという筋肉運動だった

    鉄の下駄、手作りの墓、どんなやわらかく見えても蟲ーの視界に比べたら、人は重厚感を持つ。わたしは怒った声を発声し易かった何かが強さとなる。ことばの錯誤を失くすより聞くが大切。

     

     

     

    霊感は霊感だとして、その種類には行き渡らない。光は実際の光線よりも強い親しみがあり、その段階での光をお客さんと言う。私は人を自分に憑かせて弾けるタイプじゃない。巫女とは90%違い、その前提枠がない場合は、楽しく生活をしようとする間際に散らかしてくる何かわからないものを片付けてあげる、傷付いた自分の目を保護するだけの日々。そもそもわたしのRAYは躍り手におらず作業家として例えば太鼓はより張りや空間や空白を持っていて、何とも虫のような集中力でちいさく隠れ、存在もやめた。その点恨みはない。憑けられるものを毎日帰してる。ものに興味もないので見ないでスルー。しかも私はひとりじゃないし何も面白味のない無意味なこの時間に焦りと気分の低下は進む。大事故ならともかく、存在として何か力のある物や像のかかりがそういう考えたこともない分別性となるがその必要な意識と、風が立つ前のこれまで日々の鍛えがわかる。いち早く知らなければいけなかった人と、一緒に存在する後世の今の運命は別だか、夢が有るなら二律が存在しているが、そんな賢い人なら生きてても仕方ないとその昔は思っただろう。

     

     

     

    あ~、どうかこの崔を助けて欲しい。

    優しくする、人が人の認知にはだれでも「私」が必要だが、「わたし」は角に生まれた崔が角を丸々切られたようにやる気をなくし、角の発達でそれが崔だとわかるのにわたしは隠れてしまいことばも出せずタスケティのことばしか間に合わなかった。警察は私を鍛える目で父親のように厳しく見ている。そういう世代がある話と上記は別で、心に面する冥界には気づかずでも、そこに時間は流れていても時間は物単位の物差しのような棒を持っておらず、感じ取った長さは一晩である分に収斂され、爽快な朝こそ現実だと、目の大きな事より驚くがこれら辛いことはたんなる「悪夢」及び「幻」となるが、理由がつら過ぎるからじゃなくて、不浄過ぎるものが弱いからだと解る。強い力が強い力を修め表現が許されている。目を閉じて観察する通りの構図を念頭に、任せるようになって行く。霊感モラルはある人は何も嘘をつくが単なる嘘じゃなくて性格に含まれているならようやく個性だ。このようにこれを理解しないやつが存在できないと認めていく方が、「死んだひと」とも違う冥界がどんな感じかわかる。方向がほどけて安心ということ。何が何だかわからず観世として居ても瞑想になり自分に都合の良い敵がそうぞうに過ぎず実在するわけないからだ。これは十方をぐるりと目で見てわかる。学びだらけの楽しみとむずむずする本当の景色が見えるだろう。自分は川という自然な姿勢、文や努力、身体というそのルール、その開花、喜びの道使いにたいして悪意の減りが早く、あれ?ってなる、平和の感触を考えてみた責任である。様々あっても「妙」という一文字は昔の言葉がふんわりした深さを感じる。物の目に起こるときは既に前提がある。そこから後を書けたら前を向く。これを自分の納得と言って昔はパスキーを振り回して人は遊んだ。しかし、理解後が落ちる。

     

     

     

    酔ったまま拳を挙げる、猫の姿勢は肩の力を抜く。このまま歩けば道となる。毎日初心だから奢りがない。道が君に降りたら冷たい川とも強い滝とも歩かねばならない。導師が風の形を帯びてきた。

     

     

     

    蟲ー退治を神が誉めている。

     

     

    霊感が未来利器なら、今することに、これだけは大切にしておくこととして点呼を肖って心する。

     

     

     

     

    私は弾きの良い竹であり、そこにご飯や着物を耳糞のように詰め込む。竹のお椀の炊き込みご飯となった、ねちゃねちゃするのは嫌いやから水でしっかり洗っといて、で終わった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 大阪にたそがれる

     

    山では、好きなことを先にせず結婚することが長く深い静けさがある。そこには付き合う人間関係が生まれて人と対することが生まれるから。それを知ると、好きで家族になった子は長続きをする。驚きが、これからもまだまだある。

     

     

     

     

     

    竹林の蔵の神は「スケロク」の鉢巻を美しく籠に巻き付け、気を使って下さった。

     

     

     

     

     

     

    花は、ただ農家をしていると思ってたことにある。

     

     

     

     

    一歩で花街の演劇に行かれることを、歩く機会が増えて聞くことが出来た。

     

     

     

     

     

    私はその間、闇を作ってしまった。

     

     

     

     

    怖い! と、それを思う時恐怖ではないが作法や出来が、こうやって膨らむと、室の考えその架空が勝手に歩き自衛をしているのだと、田園や川を見ながら話した、ワルイコトは、こう取るんだ。トマトがある、蔕を抜く。取る実のこの箇所はごみを取り除き払って取る。実がくり貫けただろう。箇所を眺めて直す部分を試す。ひとりで持てないこと、それを持ったらずっと持っていかなくちゃいけないことがわかる。肝心なのはこの後だ、頼れる周りを配置的に用意できる。トモダチにたいし「コイビト」のあんちゃんは「お困りですか?」を言いたい筈だ。わたしはその製作から返している。強い直感がある。「トモダチ」は対して澄んだ直感が通る前に木になるから短い緑色の線を数敷いて壁にし、心をぐっすり眠らせる。

     

     

     

     

    闇は、

     

     

     

    天からすれば知ってることで、懐かしく思うかも知れない

     

     

    怖い!って言って、通る人は、その中で自然や歳を学ぶかも知れない

     

     

    関西一円、自分を一円と軽やかに鏡のように見て、

     

     

     

    神木にかくまれた高木を最後に外して人の信頼を届けるのは、大人になる為だ。

     

     

    何を知っても怖くない。

     

     

     

    ただ、自分が知りたい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    神社は、

     

     

    「林と沼方です。」わたしの顔を神に挙げなきゃいけない夜、静かな夜に名前を言って自分の端を捕まえられてはいけない。歴史や人の様相が自己データになるとして何もなくて、蹴りいったり嫌う感情が全く知らない地球のものなら「球」と言うことが出来る。実在するから一筋がある。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    こよみが、時代に出(い)ずる。

     

     

     

     

    もんだいになってる曇り空は、

     

     

    お召し物が梅の秋は情緒不安定でも、青空の冬は、梅を思いやって一人で感じることを許し、雨と曇りは似ず何か一人でするには快適だ。

     

     

     

    闇は情報にならないから闇は闇だと言ういつもの言葉を月の様に飾れるのを、目を閉じても感じられる。

     

     

     

    約束を聞いた天照大御神は、他の神にも聞かせたかった。この願いと人が一致させることが出来ないから、一人一人の顔を見て爆笑して日になった。その時に、イザナミは死んだ。

     

     

     

     

    何も、変わらなかった自分から天子は

     

     

     

     

    未知から伝説を、ここが地球だと確認していたのを、作業の間に「目撃」した。えびす橋と言う高所の偉い高い橋。

     

     

     

     

     

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  • 安心

    高度な想像には人間、わたしはひとというプライドの人しかいませんよ。客観視をするどこかで自分自身、それをはじめましてエゴと言うでしょう、想像世界は仏界の一種。人しかいません

     

     


    あの人が「わたし」の心なら、

     

    あの店のお金は街を回りわたしを潤おすでしょう、

     

     

     


     

    変な日がある。変な日が有る、と思ったときに「しっかりしている自分」があるを解る。だから在る。だから、くるりんくりから、変な日が有る、この日は運気がないから知ってる占いから自粛して学習となる。変な日は、必ず人物や、だれかが起こしたろう。特定しただれか、となる。蟲ーを、逆にこう考えてみて、蟲ーは捕まってる。そして特別な日となる。

     

     

     

    何故かさっきの意識を忘れます。

     

     

     

     

     

     

    不思議の国のアリスの二編目に鏡の国のアリスがある。私は鏡の中のわたし、自己理解としては通常の人は、物自体よりは跳ね返るものの方をみる。

     

     

     

     

     

     


    考えるのが負担かもしれないぞ、それとも思い出せないのがそれと同じ程に負担かもしれないぞ、そう、思い出せないのが。

     

     

     

     

    知恵もんの宛名はまず大工が有ると大屋彦命、また鳶が鷹といい工が鷹とは決まっていません。だからわかりません。

     

     

     

     

    「現地の人」といってメタのひみつが、定番化出来るという意味を見つけた。これはつまり…、わからない。アングラ、ゲーム、最強、シルバー、そんな風に浮かぶ中で、想像上のメンコを言うことがわかる。シルバーと思ったときに、想像内にあるものを何でも名付けてメタルだと称えてしまうものを、シルバーから思うとメタルだから、思いを差し引くと、メタになった。形にならない、メタルではない。メタルはメタの枠からは飛び出て入らないが、メタの規格を知らせるからメタ。妄想の大きなものはさ迷い収斂される。これが思考メタ。カクシゴトの意味にニュアンスが違って同じように発音出来ないフランス語と異なる誤差がある。最低限「言葉」だから、言葉になる。

     

     

     

     

    面白さって、魔法。一定をさっぱりしていてメタを保存出来る。邪とか思えない。被って来るが、その間の考え事事態、内容も長さも存在しないからこう言えないのは落人。国とか境に持ち込む時点で間違ってるし。世界にふさわしい想像の形がなんかどこか自分の中にある。ベストの基本姿勢から、空とか風とか精霊やはたまた地獄天、梵天、がそこに絶対いるので想像してほしい。新聞から二三曲がりしたら想像せよと絶対そう書いてある。自分の性格を浮かせずにいるそっからの姿勢のときだけ、本物が見つかる。

     

     

     

     

     

     

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  • 神ことば2

    伝授について、先にゆかなかったわけがあるがお武士の世尊は話したい。よく神を伝える言葉を聞くとき、一言一つに工夫されているが、そこからは間に合わせようとする願いが聞こえる。

     

     

    神、大霊と「わたし」には上下がある。

     

     

     

    不思議な人間の個性、不思議な性格、霊感が、明かされなかった昔はもっとたおやかなリズムで出来ていて、その世尊は右と左を間違うが、飴の種類を選ぶことではないもっともっと感じる中に影から世間を守るのを見、その力。力なら、試したいのだ。豊国神社に行った。そこで「習う」はどんな若し前世がわたしにある場合、でも、必要とされるのは「自分の力」なのだ。自分の力こそが大霊と話し、佇むその光を見抜いてみせる。自分を自分に折り畳んで冥界に飛び込んで遊ぶ、その精神力は霊力だから、まず元気が必要なのだろう。服を着ずに裸でその圧力に挑むと、吹雪の中で凍えると同じく割れぺしゃんこになる。何と全ては実生活で磨き研ぐ。何も持たぬ、持たない、この意味かわかったか。

     

     

    殿によく似ている地獄、と漢字で印刷されたブラック色の達磨のぬいぐるみが目に入った。バーに置かれたソファーの上に厳めしくあった。黒い目と黒い髭を持ち。白鳥とは無関係とは思えない、白鳥とは無関係らしい。

     

     

     

     

    ただ、こう笑って穏やかな気持ちも現実なのだ。

     

     

     

     

     

     

    笑うことを大事とし、孤立した様子の国とみると悪くない、国ではなく面とみる時に悪いきがする。笑うことを知ってるから、皆に引き出したと思えるし、何が足りないのか、と、必要なもの、とを考える哲学とは世界中の普遍だろう。謝るとき、逢うとき、性格の関係ない心のうえは光指す霊界なのだ。

     

     

     

    そして書物から読むところ、一般意思とか形の上下のその上に、こういう単語がいつもあり、こういった光はこういうときはこういう動きをすると明確にわかっている。パステルのような四角い物を、何かに合わせる時、ここをこうしたい、かかるのが、強くなりたい自分、及び自分を誰か知りたい自分なのか、また希望の何かに合わせる時なのか。重大、それは、しゃべりことばを自分に温存すること。

     

     

     

     

     

    南無妙法蓮華経を声に出す最初の「な」に元気がないらしい。個人のときは例えばパイナップルのような「わたし」を詠んでも良い。

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 悪い心

     

     

    心に緑がふさふさ育ってる。

     

     

    悪い心は学校のつらさや孤独が、今の強さになっていることを思い出し、感謝を見直している。道徳ならある。

     

     

     

     

     

     

    心に私が見ることは、

     

     

    一日、時間をくれという。

     

     

    何かを失ってはみだしているのはわかる。

     

     

    どうしても自分は駄目だと悩んで落ちこんでいる人もいる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    話しかけてくる人に、そこで私は、

     

     

    「私は社会性はない民族やねん、あなたの家は国境があって外に向いてる。うちは外に行かない。社会感はない、社会性はある。

     

     

     

     

     

    過去こうしてしまった私を一日中聞いて下さい、すいません

     

     

     

    あなたは、神や仏とそれなのに言う

     

     

     

     

     

    わからない

     

     

     

    わからないのに教えなくちゃいけない

     

     

    わからないのに教えてやる

     

     

    わからないけど教える

     

     

    こう話すくらいには成長した。戦後から。

     

     

     

     

     

    島だから、良いことがあれば傷ついたことは流れて消える。

     

    村だから、外に出てみると村都会だから、田は、土と野菜を育む。食べて忘れる。

     

     

    あなたに「大変」なことは残ってる。

     

     

     


     

     

    分けるのに必要なことは、田では金か情けだ。

     

     

    じゃがいもやコーンも、無料のような明るい自家生産で同じものを食べ続ける。

     

     

    農薬は、初めから抵抗力を考えられることの老子を見る。

     

     

    初めて美味しそうに見える。

     

    判るのは、それをその姿で見ることがどこでも出来てない。

     

     

     

     

     

     

     

    問題を早送りせず、未来の世代に問題と光を

    伝える。自分を変えてはいけない。

     

     

     

     

    ゆっくりゆっくり苦しい生命を生きたい意志は、

     

     

     

    ラッキー、そう思える。

     

     

     

     

    業、秘密、理解、全てある。

     

     

     


    そんな人が多かったら。意志はもうわからない人も何とか助かる。

     

     

     

     

    新しい街文化の風を受けて、ニュアンスや物のディテールが判り、会話もままらなかった(??)対象の人や物に初めて触れた。

     

     

     

     

    寂しいのに、手離す。

     

     

    自分に何もなくなったときに、緑や木に目が行って、虫もわかって出て来るからそばにいる。

     

     

     

     

     

     

     

    「今」の自分しか先はみえない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    蟲ーなんて、初めて公民にされる時だ。何故なら、蟲ーがずっといないのは本当だから、

     

     

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  • 神ことば(ぼしゅう)

     

    好きなのに。好き、スキ、すき、隙、はたまた四拍手。どの言葉も聞きましょう、と唱えて歌い、猫になり、「わたし」が説くならわたしも説きましょう。教えたいという仏がいるによって神は「スキナノニ」このカタチを取る。仏がいるによって、きみとも話したいワタシが生じます。世間、それも一理ある。これぞ帰り道。いっく覚えてあなたの神と話してみませんか?

     

     

     

     

    わたし

     

    大屋彦と作るこのことば、どこかにある神ことばの選手権。

     

    世間を従じるのなら、世間に立つわたしはそれは「わたし」がまず立つステージなのだ。

     

     

    6ぼしゅう

     

     

     

     

    あめのうずめ、おおやびこ、さるたひこ、おおくにぬし、ぬし、神はまだいるぞ

     

     

     

    うんぬん、楽しいために苦しいがいる、苦しいそれがなんだかわかったか?

     

     

     

    例、考えるのが負担かもしれないぞ、自分としては思い出せないのがそれ程負担かもしれないぞ、そう、思い出せないのが。

     

     

     

     

     

    シャチもドルフィンと一緒に呼ぶ。警察のドルフィンスイム、ドルフィンサイレン、黒、このうつくしい色はこの好き、愛しさをその動物の客観性にまかせる。みをまかせる。海に。彼の補食は「わたし」と違うのだ。

     

    人間がそうしてはうけないように。稲荷とは神なのだ。

     

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