揶白 (KF)

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  • 虎に食べられたい2

    私が単に嫌でも、偶然性に耐えないと、

     

    自分が絶対だ、といってる人が偶然をとなえても何の説得も出来ないように、

     

    “可なり” ばかりに、色負けと自意識が頼りない。

     

     

    色、自意識、注目出来るテーマが色々ある。

     

    観察以上の、自分自身に帰る方法だ。

     

    誰かになる! と言わないのが「私」だ。

     

     

    ひどい緊張感は、自意識に取り組んでいない自分から始まる。

     

    同人誌作家など、とうに恥と対決している。

     

     

     

    諦めも自分をリラックスさせる。周りを楽にする。「私は」諦められない。そういう個性の違いが何とも良いと思う。

     

    いつまでも食べてもらえると思わないほうが良い。あいつはネコ科である。平均しない。

     

    クセになるくらいなら、まだまだ強くないていうことだ!弱さなんて猛獣のほうがおじけづいてしまう。プレーンに「強くなる」そんな純粋な心を持っても、

     

    ジブンては違う形、形なんてもともと自分にはないのだから、そうすっと捉えるのも形である。

     

     

    影が影になる、とゆうことで芸術を気に入ってる。ただ好きとか、そういうことに長けている。この場合「テコになる」ということが、一つの判断だろう。美術に品がついてしまっては、もう芸術ではない。

     

     

     

     

     

    格がある、とは私が今いう言葉ではないし、しかも、品と格は違う言葉で、様相が違えば意味が当然存在する。たから直訳も人が同じだともあてにしない。

     

     

    女だからって形付けられてしまっては、円滑な自分を示した時、ちぐはぐとなる。故に、どうしても自己イメージに苦しんでいる芸能界の方もいるだろう。気遣って応援してあげよう。

     

    アメリカにはもともと受難や苦悩する嗜みがあり下地があるのだが、日本の芸能界、というのはノリで出来た歌舞伎とは分量が違う全く新しいあやふやなものだ。

     

    悩んでも悩んでも

    、というのが日本性。

     

    自分に大きな夢を見たり、人とは違うナルシストな人がなると思うから、近付いたりしてはいけない。テレビに慣れ、マセた視聴者としてちゃんした人や強い人をテレビなどで見れるのは楽しい。そんな価値観は今でもある。

     

    テレビがいらない、とは結局

     

    嫉妬ではないか。政治家さえ名刺の無い状態で自分の前にいたら辛くてたまらない。

     

     

    普段からハートだとして辛い思いをしているアメリカ人などは、「私はそういうことがない。」という。

    そんなお前の輝きがにくい嫌いだと周りにいわれ、また旅が始まるだろう。

     

    私たちは、ただ感じているだけ。

     

    それを何となく感じているだけでも、力になる。

     

     

    当然、辛いほうを選びなさい。少しばかり辛い方を。

     

    大したことない自分に戻りなさい。大きく為になる自分を目指して。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 漢字を書くとは

    辛いことを飲み込まないから、いくらでも辛いことが出てくる。

     

     

    辛いことと今の幸せを併せて、

     

    縦積みにする。

     

     

     

    夢とかポエジー的なが、馴染む横文字の人なら良いけど、違和感を感じるならいちはやく自己に立ち返る。

     

    自己とは、洋服に生まれた日本人の自分、和服を愛してること、など考える自分。

     

     

    そうしないと感情的なイラつきと対峙できない。

     

    熟語もいちいち辞書で調べている。

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  • 体力

     

     

    恥ずかしいことに、恥を知りに行く。

     

     

     

     

    大盛りどんぶりの、野菜ごろごろの味噌汁に、

     

    人参と牛乳、ヨーグルトのジュース、生(なま)。

     

    2才から灸を週2、3 据えて、

     

     

     

    体力が人と違う。

     

     

     

    朝はこれで済むが、決して豊かではなく、

     

    あとは母の職場の昼の残りや、

     

    おかずを祖母にまかなってもらったり、

     

     

    オムライスやハンバーグが食卓に並んだことは無い。

     

     

    牡蠣が、玉出(激安スーパー)なら400円で買える。

     

     

     

    苦労をしない時代の人でも、やさしくなったとしても、

     

    「自分のことはいいから、例え捨てられても」といくくらいの道徳があるから、あんまり心配かいらないのかも。

     

     

    そういう人は、気持ちが弱くなってしまったその親や祖父母を守るなかで、強さを学ぶのだと思う。

     

     

     

    武士は全然新しくないし、人は憧れているだけで歴史を上からみて、茶、茶道華道も老人経験も自分はしないで、俺達の道からすぐはずれる。だから上からタイプにすぐ出会う。

     

     

     

    お金がかかるなら本でする、わからないとこだけ習いにいく工夫、潔さ、

     

    いくらでも続ける道がある。

     

     

    私は太極拳をすべてテキストでしている。

     

    剣道なら月無料から300円で学校に行く。いくらでも調べれる。

     

     

     

     

     

     

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  • 虎に食べられたい

    何かそれほど大切でもないのにパタンと今いる友達を閉じてしまう。

     

    戦争、神になりたいばかりの暴力、いろんなむごいことがある。

     

    それやったら、「あんまり好きでない」人と付き合っていくほうが平和をとうとう叶える。

     

    だから知的になることや孤独になることを阻止される。

     

    「あんまり好きでない人」を訴えるのではなく、仕方なく付き合って心を養うほうがずっと何かを得るのである。付き合っている、とは行為であり高度な「知る」ということに一番繋がりやすい。

     

    マイナスを取らない野暮さが、格好悪いのである。元気を感じられないし。

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  • 街に出る

    会話の途中、

     

    その人が、何て考えてるかなぁ、とか想像しながら、一言を待つ。

    私はその差異などを思う。(語尾は思うでいいと思う)

     

     

     


    もっと周りに合わせて

     

     


    知識で得たたくさんの驚きが話しても伝わっているようには思えない、けど、実は伝わっていたりするので、


    街にでてあすまんの「よわいつながり」、など検索キーワードを探しに行く、

    街、めがある、外に出て客観性を得て家の氏神様のことを考える。

     

     

    「言ってみたい」文学の始まりが、そんなものだと思う。“最初から尽くす偉い人”は、いるが、行動は自分だし高いものてはない。

     

    精神の成長に言葉、ことばを使っても良いのだ。


    自意識

    いろいろ考えても考えなくても、量が存在して、心がある。


    人が生命の限り「質」とは未来、自分の成長のあとも含むので変わりがない。

     

     

     

     

     

    街の神社は画期的なところがあるかもしれない、

     

    「画期的なところ」神様にたいする、人にたいする自分の言い方は自分が知っている。

     


    自分がわかってる、というのをよく見落とすが、


    周り友達に合わせていたりする。それは和を慕っているので正しい。

    ただ、まだまだ友達をなめているところが人にはある。

     

     

    震えてる、しかし、みんな震えてる。

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  • 月曜日

    木の葉丼(今の気分と調和してそよ風)

    きつねどん

    親子丼大盛り(お祈り)

    大盛り黒踊りの親子丼

     

    ふざけるな、

    ふざけるな、

    と育てられてきたので

    ちゃんとふざけてきてないから、この人と喋れなくて


    素直に、真面目にやればやるほど面白くなってしまったのだ。

     


    先勝

    自分じゃない


    人の為に働く
    めくらすを呼ぶ


    ガイス、語源は害す

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  •  

    変態紳士クラブのすきにやる、という歌のHPが「私たち」にたいして考えを深める。

     

    「僕ら」は感動のままに自分たちのテーマを練る。私は本で読んだ通りの「奇跡的な霊感」である。決して修験道そのものや、生命分解のようなブログ週刊誌の記事作りではないのだ。週刊誌の写真で見た「今」より、自分自身の脈絡の方が「今」と云う概念に近付けるのだ。

     

     

     

     

    名前自体がロゴのように形を伴って、価値を感じる。


    変態とは、蝶の幼虫やコクーンなど成虫になるまでかたちを変える。それを確か「変態する」と習っていた。


    途中はみにくいので、間違って捨てないように。

     

    まな板の包丁の上に何故かモンシロチョウの幼虫がいた。


    その時でもちゃんと玄関の植木に戻してあげた。

     

    草木に覆われている方が優しいし、やっぱり似合ってる\(^o^)/

     

    必ずそうして下さい。

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  • となりの学校

    「幸せだナ と、いっていると叶いそうて」

     

    なにわのみやに行った帰りの宗右衛門で、人情をテーマにうたを書こうとしたその時、

     

    ナ、と言ったら大阪人のくせに欲張りだし、叶うものも叶えられない気がする、


    ネガティブシンキングになっていたら、何でもかんでも迷う、ウォーリンの世界が道をふさぎ切り、辛い思いをした。


    ムーとは無関係らしい。

     

     

    シスの花、YAMATOと云うバーにある青い花のかたちをした小皿である。私は灰皿と思って煙草を入れた。

     

    えいじの恋人から「シケイ」と云われた。

     

    狭い席で、私も恋人のことを考えている。

     

    相変わらず生活感のないえいじの美しいデザインである。青い花は幻を表すもの。シスの語源は、「死す」と云う恋人の云ったことば。

     

     

    いいですね、とうつらに話す、私は烏龍茶をやめて芋焼酎を呑みたいが、迷った人なんて声を出しても誰も気付いてくれない。

     

     

    金パツの女の笑い声がする。

     

     

     

    こんなに迷っていたら、どんなに強暴な態度であっても助けないといけない。

     

     

    (わたしは)こういう
    感情を持つ、と感じてみる、受け入れてみる

     

     

    あと、初めから細かい方をみるより、大雑把に捉える

    これは私も大澤に注意されたが、大澤は中央線の人なので納得をして書いている。上の方な人からゴリ男と云われている。しかし、こういったノリ方を支えてくれた、それが少しなのに、私も頑張っていたのに、自分ばかりと云って「ゴリ男」になった。悪口あっこうなどといっても大体は必ずわけかあるのだ。消えろ、魔法を唱えて自分をふにゃふにゃにするより、水に固まり耐性的になる自分の方が、軽く冬を越せるのだ。すっかり南の方にふらぷらと、柔らかくなってしまった。どんな世界か、勝手は知らない、

     

    「ルアイ」というパン屋さんをご存知だろうか?パン屋さんは多いが、私より古いフランス人が煩く想像のパンを捏ねている。無(ムー)を造るのも手伝ってくれたし。

     

     

     

    一度、自分の朦朧とした道でもある。

     

    振り返りながら、本来の前後関係を何とか保つ。

     

     

    ウォーリンの世界から、聴こえた音楽が相変わらずシャレていた。

     

     

     

     

    私たちは比較的真面目な学校生活を送った。喧嘩をするのは今である。

     

    私は剣道をシゴイてもらえる相手をみつけた、しかし、こんなに迷っていたら、果し合いなどに辿り着くことはない。

     

    昔の公園に行った、日々を厳しく、正しい厳しさで生きていたら、ふと出来る道もあるだろう。あ、全然いつでもよろしくお願いします、あ、とかまごついていたりいようが、話し続けることでいくつ花(川)が咲いたか、そういうのがいい。

     

    長堀通とは、実は川だったのだ。小さく上に架かる橋を知ってるだろうか、落書きをされた石垣がその痕跡である。私は龍と名付けている。

     

     

    ちなみに道に落書きをしたら、一生ウォーリンの世界に行かないとならない。

     

     

    アングザァティ(不安)

     

     

    私は身を削って階段を一段登る。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 走る私たち

    思い返せないこともある。

     

     

     

    手が寒い、震える、凍えそう。

     

     

    この震える手は、確かに私のものだ。

     

     

     

     

     

    「自分」は歩いて、

     

    神道の方に清めて頂いた。その時昔の父がいて、哀しそうに笑ってくれた。だいぶ前、私に光を分けてくれた

     

     

     

    まとりんという人である。

     

     

     

     

    まとりんとの約束で、感謝があるので、思い返さないようにしている。

     

     

     

     

     

     

    確認しなければいけない他の人の気が散るので、

     

     

     

     

     

     

    その後、大国主様の話を聞くうちに自分で走って調べてわかったことがある。

     

     

     

    生物でないそれは、無(ムー)と云う。

     

     

     

     

     

    仕方ないのも本当で、ありがたいのも本当で、無(ムー)の世界を楽しんでいる。

     

     

     

     

     

    私がムーと読む、苦を苦としたこの生まれた世界は、

     

     

    もともとムーは、釈迦が落とした垢に違いない、と思って。

     

     

     

     

    「私はあの人の垢を、神と研いだのですよ。」

     

     

     

    仏は「父」になれないらしい。

     

     

     

     

    人は、生活をしてちゃんと磨いて欲しい。そのうちの時々に私の床(とこや)いにも来て欲しい。

     

     

     

    そのところで、考えなどをして欲しい。

     

     

     

     

     

     

     

    座禅もあまりしない、でも何か強そう、強くなりたいのだな、

     

     

     

     

     

     

     

    そんな自分は「酷摘みをする人(自分のぶんの酷を知る)」です。私の名前を活(かつ)と言います。「活かして」という意味です。

     

     

     

    酷を、不幸と言い換えても良いが、人は人が気になるから、「こく」としか言えないのです。

     

     

     

     

    天は二物も与えない、とは、幸せというよりかは不幸の方だったのですね。

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  • 傷付いた自分の在りか

    いくら何が、大きなものがあったって、

     

     

     

     

    霊感がついたって、

     

     

     

    先祖供養は、生活の中にある、そこで費やすことに「道」や「磨き」があるのだ。

     

     

     

     

     

    あとちょっと、なんて何の後悔だか知れないが、このように間は物凄く長いぞ。

     

     

     

     

     

    今すぐ立ち返れ。生活を繰り返して成長しろ。

     

     

     

     

    誰かに見返したい、そんな気持ちが必ずあるが、いつそれを思ったか思うようになったかが重要である。

     

     

     

     

     

    氏神さまにお願いしなさい、「彼、彼女」はそこにいることを教えてくれる。

     

     

     

     

    地元の縁とは、なかなか離れることが出来ないらしい。

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